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第25章『迷える夜』
第188話
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「…ここが中庭か」
咲いている薔薇が血のような赤に染まっていて、見ているだけで少し苦しくなった。
《アナタは、悩メル子羊デスか?》
「昨日話したけど、覚えてないか?」
早速遭遇するとは思っていなかったが、ここまできて引き返すという選択肢はない。
《昨日ハ、いい天気でシタネ》
予想以上の早さで噂が広まってしまったせいか、昨日までとは姿が異なっていた。
牧師の胸には十字架が深く突き刺さり、目は虚ろになっている。
『詩乃、先輩。答えなくて、いいので…聞いてください』
「美味しい紅茶を持ってきたんだ。一緒にお茶しないか」
蔦を避けながら牧師に呼びかけるが、なかなか聞き入れてもらえない。
その間聞こえてきた桜良の報告は悲しい事件についてだった。
「……なあ、おまえにも大切な人がいたんだろ?その人のことを教えてくれないか?」
八尋さんから大まかに聞かされていたことを語りかけると、ぴたりと攻撃が止む。
《菜月、さん…》
「菜月さん?」
桜良が話してくれた情報とも一致する。
この人が救いたかった人物はもうすでにこの世にはいない。
《優しい女性でした。ですが、彼女の心まで手が届かなかったのです》
牧師はその場に座りこみ、ゆっくり話しはじめた。
《菜月さんには、幼い弟がいました。病弱で、いつも彼女が面倒を見ていた…。
教会の外で凍えていたのを保護して、食べ物を与えました。それから毎日のように手伝いに来てくださって…そんな彼女に惹かれていました》
そこまではただ人と人が出会った話に聞こえるが、問題はその先だった。
《ですが、穏やかな日々は続かなかった。弟さんの面倒を見ながらここに通っていた彼女は、ある日突然ぱたりと来なくなりました。
寂しいが彼女が居場所を見つけられたならそれでいいと…。ですが、ここで探しておくべきでした》
「両親に監禁されて死ぬとは誰も予想してなかったと思う」
桜良が見つけたのは、なんとも痛ましい事件の記事だった。
葬儀中に両親の虐待を暴露した男性がいたことも書かれていたらしい。
「葬儀中に暴露しようと思った理由を聞かせてくれ」
《…そこまでご存知なのですか》
「友人に記事を調べてもらった程度だけどな」
《新聞で見つけて慌てて彼女の葬儀に足を運ぶと、周囲の大人たちは保険金の話をしていました。
…彼女は棺の中で微笑んでいましたが、体中傷だらけでした。弟はずっと泣いていましたが、誰も彼を見ようとしません》
身内でさえまともな思考回路の奴がいなかったのか。
だから牧師はその場で体中痣だらけだったことを暴露したのだ。
《弟の方は施設が保護したそうです。ただ私は、安らかに眠る彼女を見て思ってしまった……》
「永遠の眠りだけが救いなんじゃないか、自分がしてきたことは無意味だったんじゃないかって?」
《そのとおりです。彼女の葬儀から3日後、私は自ら命を絶ちました。こうして罪の十字架を背負って、全てを終わらせたはずだった…。
ところが、教会そのものが悩み相談を受け付けていると噂になっていたようで…皮肉ですね》
「自分が否定したやり方が周囲から肯定されてたってことか」
元々ただの牧師だったはずが、迷える子羊たちを救う噂と融合して怪異になったということらしい。
「結構酷なことを言うけど、人の悩みを聞いて解決するってやり方を私は尊敬するよ。自分のことをどれだけ否定しても、それで救われた人がいるのも事実だ。
…それに、そんなふうに人のために一生懸命になれるおまえを見たから菜月さんは毎日協会まで足を運んでたんじゃないか?」
《……考えもしませんでした》
牧師の瞳から一筋の雫が零れる。
「菜月さんに誇れる姿でいることが、ほんとうの意味での償いになるんじゃないか?
…今までそんな思いをたったひとりで抱えないといけなかったのは辛かったな」
《そうだ、私は、誰かの悩みを祓えればそれでよかった。ただそれだけでよかったんだ…》
顔を手で覆う牧師の姿はもうただの人間も殆ど変わらない。
隣に腰掛け背中をさする。
誰にも吐き出せなかった思いを全て吐き出すように、牧師は肩を震わせていた。
咲いている薔薇が血のような赤に染まっていて、見ているだけで少し苦しくなった。
《アナタは、悩メル子羊デスか?》
「昨日話したけど、覚えてないか?」
早速遭遇するとは思っていなかったが、ここまできて引き返すという選択肢はない。
《昨日ハ、いい天気でシタネ》
予想以上の早さで噂が広まってしまったせいか、昨日までとは姿が異なっていた。
牧師の胸には十字架が深く突き刺さり、目は虚ろになっている。
『詩乃、先輩。答えなくて、いいので…聞いてください』
「美味しい紅茶を持ってきたんだ。一緒にお茶しないか」
蔦を避けながら牧師に呼びかけるが、なかなか聞き入れてもらえない。
その間聞こえてきた桜良の報告は悲しい事件についてだった。
「……なあ、おまえにも大切な人がいたんだろ?その人のことを教えてくれないか?」
八尋さんから大まかに聞かされていたことを語りかけると、ぴたりと攻撃が止む。
《菜月、さん…》
「菜月さん?」
桜良が話してくれた情報とも一致する。
この人が救いたかった人物はもうすでにこの世にはいない。
《優しい女性でした。ですが、彼女の心まで手が届かなかったのです》
牧師はその場に座りこみ、ゆっくり話しはじめた。
《菜月さんには、幼い弟がいました。病弱で、いつも彼女が面倒を見ていた…。
教会の外で凍えていたのを保護して、食べ物を与えました。それから毎日のように手伝いに来てくださって…そんな彼女に惹かれていました》
そこまではただ人と人が出会った話に聞こえるが、問題はその先だった。
《ですが、穏やかな日々は続かなかった。弟さんの面倒を見ながらここに通っていた彼女は、ある日突然ぱたりと来なくなりました。
寂しいが彼女が居場所を見つけられたならそれでいいと…。ですが、ここで探しておくべきでした》
「両親に監禁されて死ぬとは誰も予想してなかったと思う」
桜良が見つけたのは、なんとも痛ましい事件の記事だった。
葬儀中に両親の虐待を暴露した男性がいたことも書かれていたらしい。
「葬儀中に暴露しようと思った理由を聞かせてくれ」
《…そこまでご存知なのですか》
「友人に記事を調べてもらった程度だけどな」
《新聞で見つけて慌てて彼女の葬儀に足を運ぶと、周囲の大人たちは保険金の話をしていました。
…彼女は棺の中で微笑んでいましたが、体中傷だらけでした。弟はずっと泣いていましたが、誰も彼を見ようとしません》
身内でさえまともな思考回路の奴がいなかったのか。
だから牧師はその場で体中痣だらけだったことを暴露したのだ。
《弟の方は施設が保護したそうです。ただ私は、安らかに眠る彼女を見て思ってしまった……》
「永遠の眠りだけが救いなんじゃないか、自分がしてきたことは無意味だったんじゃないかって?」
《そのとおりです。彼女の葬儀から3日後、私は自ら命を絶ちました。こうして罪の十字架を背負って、全てを終わらせたはずだった…。
ところが、教会そのものが悩み相談を受け付けていると噂になっていたようで…皮肉ですね》
「自分が否定したやり方が周囲から肯定されてたってことか」
元々ただの牧師だったはずが、迷える子羊たちを救う噂と融合して怪異になったということらしい。
「結構酷なことを言うけど、人の悩みを聞いて解決するってやり方を私は尊敬するよ。自分のことをどれだけ否定しても、それで救われた人がいるのも事実だ。
…それに、そんなふうに人のために一生懸命になれるおまえを見たから菜月さんは毎日協会まで足を運んでたんじゃないか?」
《……考えもしませんでした》
牧師の瞳から一筋の雫が零れる。
「菜月さんに誇れる姿でいることが、ほんとうの意味での償いになるんじゃないか?
…今までそんな思いをたったひとりで抱えないといけなかったのは辛かったな」
《そうだ、私は、誰かの悩みを祓えればそれでよかった。ただそれだけでよかったんだ…》
顔を手で覆う牧師の姿はもうただの人間も殆ど変わらない。
隣に腰掛け背中をさする。
誰にも吐き出せなかった思いを全て吐き出すように、牧師は肩を震わせていた。
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