夜紅の憲兵姫

黒蝶

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閑話『真夏の合宿』

特訓其の伍

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「綺麗だね」
今の私は、瞬の言葉に小さく頷くのでせいいっぱいだ。
力を使いすぎるといつも体が怠くなって声が出なくなるけれど、今回はいつもより時間がかかるかもしれない。
部屋中に広がる星を見つめていると、詩乃先輩たちが戻ってきた。
「……」
「そんな顔しなくても、今回は死んでないよ」
陽向には全部分かっていたらしく、頭を撫でながら優しく微笑みかけられた。
「嘘じゃないから心配するな。私が証人だ」
詩乃先輩にお疲れ様ですと手話で伝えてみると、驚いた表情をしていた。
「すごいな。桜良は手話が分かるのか。私は少ししか知らないけど、今のはお疲れってニュアンスでいいんだよな?」
私が頷いたのを見て、先生と瞬も笑っていた。
陽向はじっと私を繋ぎ止めるように見つめて、私の手を軽く握る。
「……?」
「やっぱり桜良の手は魔法の手だったな」
真っ直ぐな言葉に恥ずかしくなって、つい顔を背けてしまった。
陽向は私を笑顔にする魔法を使える。
私が手話を覚えはじめた頃もそうだった。
【それ何の本?】
【手話。覚えたところで意味がないかもしれないけれど、何もしないよりいいと思った】
【手話できたらもっと色々な人を笑顔にできるかもしれないし、困っている人を見つけられるかもしれないってことじゃん!
桜良の手は、いつかきっと他の人たちを幸せにできる魔法が使えるようになるよ】
声が出なくなる度落ちこむ私を、陽向はいつも近くで見てくれた。
血の繋がりがある相手でさえ私を見ようとしなかったのに、真っ直ぐ受け止めてくれたから今がある。
「あの、状況が分からないので説明してほしいんですけど…この学校にプラネタリウムなんてありましたっけ?」
「先生の私物だって。瞬に満天の星を見せたいから手伝って路地行って言われたんだ」
「折原…」
「ごめんごめん。だけど、ここまできたらもう話すしかないだろう?」
詩乃先輩が息をするように話すと、瞬は少し恥ずかしそうにしていた。
先生も照れていて顔が真っ赤だ。
「じゃあ、今夜はこの星を見ながらもう寝ますか!屋上から飛び降りられて心臓がまだばくばくしてますし」
「え、飛び降りたの?ひな君すごいね」
「俺じゃなくて先輩が──」
「陽向、それ以上言うな」
思っていた以上にすごいまき方をしたんだと想像はできるけれど、躊躇なく飛び降りるなんて詩乃先輩は勇気がある人だ。
しばらく話しながら寝転んでいたけれど、陽向の寝息が聞こえてきた。
「……」
体を起こして近くに寝転がっていた瞬の頬をつつく。
「ありがとう、桜良ちゃん」
他の人たちを起こさないように気をつけているのか、いつもより小声で話していた。
私はみんなみたいに実技の先生にはなれないけれど、料理のレシピくらいなら教えられる。
「先生、喜んでくれるかな?」
星空の下、強く頷く。
「桜良ちゃんが言うなら間違いないね。頑張って作ってみるよ」
眠そうな瞬から離れて布団に寝転がる。
その直後、後ろから誰かに抱きしめられた。
「…!」
「俺にしかできない授業、かもね」
耳元で囁かれる声は間違いなく陽向のもので、頬に熱が集まるのを感じる。
離れようとしたけれど、しっかり抱きしめられていて逃れられそうにない。
「今日は疲れたから、桜良をチャージさせて」
「……」
馬鹿、と言いたかったけれど、仕方ないのでされるがままになる。
もし、ストレートに愛情表現をする授業があるなら、少し受けてみたい…なんて誰にも言えない本音は隠して、そのまま眠りについた。


──誰もいない廊下、見回りを終えた夜紅はひとり息を吐く。
楽しかった合宿ももうすぐ終わり、また日常がはじまる。
「楽しかった…けど、ずっとこのまま過ごせるかな?」
闇に紛れる本心を月だけが聞いている。
みんなと一緒にいたい。だが、それにはやはりまだ排除しきれていない不安要素が残っているのだ。
「私はまだ腹を括れてないのかもしれない。…私にあの男を倒せるかな、お母さん」
紅を握りしめたまま夜が明けていく。
ふたつの本心を聞いたふたつの影は、そのまま部屋へと戻っていった。
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