夜紅の憲兵姫

黒蝶

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第22章『呪いより恐ろしいもの』

第164話

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夜になり、私はひとり監査室にいた。
「陽向、そっちは頼む」
『俺も旧校舎にいた方が良くないですか?』
「今日はばらばらの方がいい。具体的な内容が分からない以上、固まっているところを襲われたら調べようがなくなる」
陽向はインカム越しに渋々といった様子で引き下がった。
怪物が暴れまわるとか見ると符号になるとか、今回の噂はとにかく曖昧だ。
幸福を呼ぶカフェだけは行くと毒になるという噂に変えられようとしているが、学園内に蔓延る噂は何故か複数ある。
『先輩、これから応戦します』
「どういうことだ?何があった?」
『すみません。また後で!』
陽向の方に何か現れたというなら、曖昧な噂の方だろう。
流石に力が強くなっていることはないはずだ。
「…来いよ。私は今独りだ」
誰もいないはずの廊下に話しかけると、紙切れが光りだす。
それが指し示す方向には真っ黒な人の形をした何かが立っていた。
「…人間の闇そのものってところか」
《そのとおり。まさか人間に見つかるとはな》
「ただの人間じゃないよ」
紅を塗り弓を構える。
ずっと視ていると吸いこまれそうなほどの邪気を放つそれとは、短期決着を目指した方がよさそうだ。
《いきなり炎なんて危ないじゃないか。私はまだ望みを叶えられていない。邪魔をするな》
相手から放たれる真っ黒な液体は、私が避ける度ぼこぼこと音を立てて周囲を焦がす。
「旧校舎はただでさえ脆いんだ。ここを壊されたら困る」
《ならばどけ》
「嫌だ。これ以上人を傷つけさせるわけにはいかないんだ」
《傷つける?私はただ、願いを叶えているだけだ!》
気に障ることを言ってしまったと後悔してももう遅い。
誰かにとっての正しさは誰かにとっての間違いだ。
相手が息を切らしたところで頭を下げる。
「さっきはごめん。言い過ぎた。やり方がまずいとはいえ、おまえはただ理不尽な思いをした相手の願いを叶えたかっただけなんだよな」
《……分かるのか?》
「分かるよ。全部は無理かもしれないけど、誰かの力になりたかった気持ちは分かる」
お母さんの力にはなれなかった。
穂乃のことだってちゃんと護れているかなんて分からない。
陽向たちの小さな変化にも全ては気づけていないだろう。
それでも、困っている人がいるなら力になりたいという思いは変わらない。
《おまえは私を消さないのか?》
「人に手を出すようなら消すしかないのかもしれない。だけど、今はこのまま話し合いたいと思ってる」
《…私の闇を消せるのか?》
はじめはノートに書かれた負の感情そのものが集合体となっていると思っていたが、そういうわけではないらしい。
「おまえ、ノートそのものなのか」
話しかけた直後、相手の形がただのノートへと変わっていく。
《やれるものならやってみろ、夜紅》
「私のこと、知ってたんだな」
《幸運を招く喫茶店に出入りしたと、もふもふしたのを連れた人間が話しているのを聞いた》
「…ひとつ教えてくれ。おまえの噂を広めたり悪用した人間は白いフードの男だったか?」
《そうだ。あの男が私を拾ってからというもの、噂も範囲も恐ろしいものになった。
私は人に不幸を運びたいわけではない。ただ、誰かの願いを叶えたかった》
ノートが地面に落ちそうになったのを受け止め、抱きしめる手に力をこめる。
「…ごめん」
《謝る必要などない。最後におまえのような者と話せてよかった。自らが未熟であると認められるのは強いからだ。だから仲間もついてくるのだろう。
…闇を祓ったら燃やしてくれ。私が必要とならない世界になることを願っている》
なんとかノートの原型をとどめたまま、じわじわと矢で穢れだけを切り裂いていく。
震える手で最後の一撃を決めると、後ろから肩をたたかれた。
「先輩、お疲れ様です」
「お疲れ。私にはまだ仕事が残ってるから、陽向はもう帰っていい。今日もありがとう」
ノートを抱えたまま、陽向の言葉を待たずに屋上へ向かう。
人間の願いのためにと必死で動いてくれたこの人を、できるだけ丁寧に弔ってやりたかった。
残った札を並べ、落ちていた枝に火をつける。
「……ありがとう」
燃えていくノートをぼんやり見つめていると、近くに人の気配を感じた。
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