夜紅の憲兵姫

黒蝶

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第20章『蹴鞠の噂と幸福の鞠人形』

第142話

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夜の書店、八尋さんに声をかけられる。
「詩乃さん、こんばんは。今日はお客さんとしてきたのかな?」
「こんばんは。お久しぶりです。今日はこの古書の続きがないか探しているんです」
「それなら多分こっちにあるよ。ちょっと待ってて」
未来のことを考えるのは一旦やめて、今自分にできることをこなすことにした。
穂乃と過ごす時間も大切だし、夜仕事の時間も大切だ。
それのどこがいけないんだろうか。
「はい、これ」
「ありがとうございます」
「…最近妙な噂がたってるみたいだから気をつけて。あの男が関わってるかもしれないから」
八尋さんにそっと耳打ちされた言葉は、私があまり望まないものだった。
「先輩、おかえりなさい」
「早いな。次の噂、そんなに広がっているのか」
「そうなんですよ!実際に見た生徒が友だちに話して、そこからさらに広がってるみたいなんです」
「まずいな。広がり続けたら大変なことになる」
陽向が仕分けてくれていたらしい目安箱の中を覗くと、1枚の紙が残っていた。
「なんで1枚だけ入れたままなんだ?」
「え?さっき空にしたはずなのに…って、これ、普通じゃないですよね」
「そうだな。送り主の見当はついた」
「早っ!」
その紙には見覚えがあり、すぐ中庭へ向かう。
そこでは深碧が困惑した様子で立っていた。
《そうでしたか。それは困りましたね…》
「深碧」
《こんばんは夜紅。早速で申し訳ないのですがお願いしたいことがあるのです》
足元にいるとても小さな1対の人形たちを抱え、頭を下げた。
《先日八尋に来ていただいたのですが、この子達がふたりだけでこっそり家から抜け出して遊びに来たそうです。
ですが、帰り道が分からなくなってしまったらしく…。私はここから動けませんし、ふたりだけで帰すのも危険な気がして声をかけさせていただきました》
ふたりはこちらをじっと見つめているものの、黙りこんでしまっている。
「つまり、そのふたりは八尋さんのところに帰りたいってことか」
《お願いしても構いませんでしょうか?》
たしかにこの町をふたりで歩くのは危険だ。
穂乃は学校行事で今は町内にさえいない。
「…分かった、引き受ける。ただし、今夜すぐとなると八尋さんが休めないから、今夜は私が預かるよ。
勿論、ふたりが嫌ならすぐにでも送っていくけど…」
人形のうちのひとりと目が合い、遠慮がちに尋ねてくる。
《あなたはあの男と違う気配がするから怖くない…。けど、私たちが一緒にいてもいいの?》
あの男という言葉が引っかかったが、とにかく今は安心させるのが先だ。
「構わないよ。…それじゃあ深碧、この子たちは預かる。八尋さんには私から連絡しておくよ」
《ありがとうございます》
もうひとりが喋らないのが気になりつつ、取り敢えず監査室へ戻る。
「先輩、お疲れ様で……え、先輩のお子さんですか?」
「違う。多分ふたりは付喪神みたいなものだ」
陽向に事情を説明すると、すぐ八尋さんに連絡を入れてくれた。
その後、じっと人形たちを見つめる。
「そういえば、ふたりの名前を聞いてなかったな」
蒼色の着物の人形が朱色の着物の人形の頭を撫でながら、こちらを真っ直ぐ見つめた。
《私は手鞠。この子は小鞠。あんまり話すのが得意じゃないの》
《こんばんは》
「こんばんは。明日までだけどよろしく」
《うん》
小鞠は本当に恥ずかしがり屋のようで、ほとんど話そうとしない。
手鞠がずっと手を握っているのが印象的だった。
「八尋さん、明日の夜ならバイトがないから迎えに来られるらしいです。よかったな、ふたりとも」
《ありがとう。ここは親切な人ばかりなのね》
「手鞠に褒められましたよ、先輩!」
「よかったな」
私の服の袖を小さな手が掴んでいる。
《…いい人》
「え?」
《いい人》
「ありがとう小鞠」
明日は授業があるわけではないので、特に慌てる必要もない。
家に連れて帰るのも慌てさせる気がして、今夜も監査室に泊まることを決める。
「陽向は区切りがいいところまで作業したら、」
「帰れ、なんて言わないでくださいね。そうだ、今夜ここで合宿しましょう!
俺、部活入ったことがないから夢だったんです。夜仕事関係者でお泊り会もどき、楽しそうじゃないですか?」
陽向のきらきらした目を前に断ることができない。
「たまにはいいかもな」
「他の人たちに声かけ散らかしてきます!」
陽向がドアを閉めた後、手鞠と小鞠を机に下ろす。
「少し待っててくれ」
小さめのダンボールに未使用のハンカチ、余分に買っておいたガーゼ…それらを組み合わせてベッドを作った。
「ここで寝たら体が痛くならない」
《ありがとう。親切な人間なんてあの人しかいないと思っていたけれど、そうでもないのね》
《ありがとう》
八尋さんがふたりをどれだけ大切にしているか、それだけで伝わる。
もう少し話を聞こうとしたところで扉が開いた。
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