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第14章『生死の花嫁』
第104話
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いつもより少し慌ただしく動き回っていると、空がいつの間にか闇色に染まっていた。
「準備はいいか?」
「大丈夫です」
不安になるのも分かる。
人を刺すなんて経験はまずないだろうし、代わってやれるのならそうしたい。
ただ、私の仮説が当たっているならそれは叶わないだろう。
「…先輩、俺、終わったら1日でいいんで休みがほしいです」
「もっと休んでいい。監査部の仕事、この時期になるとひと段落してくるだろ?普段から世話になってるし、休んだからって文句言ったりしない。
…桜良は何かやりたいことやしてほしいことはないか?」
わくわくした様子の陽向の隣で桜良は小さく呟いた。
「…猫さん」
「え?」
「猫カフェって行ったことがないので…」
「待ってる」
結月のことかと思っていたら違った。
時々黒猫形態の結月を世話しているし、きっとカフェの猫たちともすぐ打ち解けるだろう。
そんな和やかな雰囲気で弓道場へ足を運ぶと、もう地面の色が既におかしな状態になっていた。
「これが、溢れ出しそうな災厄…」
「あの中心にいるの、夢の人じゃない?」
呆然としている桜良の手を繋いだまま、陽向が反対の手で蓋が開ききってしまっている井戸のようなものを指さす。
「…菘、来たよ」
《あなた方もイラッしゃイましタカ》
菘は本当にぎりぎりの状態らしく、夢で視たときより装束がさらに崩れていた。
なんとか駆け寄ろうとしたが、泥が邪魔をして上手く進めない。
《お願い。私ガ、誰かヲ傷ツける前ニ、刺シテ》
頭に被っている黒い布の下から、顔の半分ほどがこの世のものとは思えない姿になっている。
悪霊になりかけているのを確認した。
「桜良。あのままじゃ菘は闇に呑まれて悪霊になってしまう。胸のあたりの光ってる場所に桜刀を刺すしかない」
泥が跳ねるのを防ぎながら、震える手で剣を持つ桜良に声をかける。
このままでは誰も望まない結果になるのは目に見えていた。
「…私の札をやる。陽向、その場で高く掲げてくれ」
「こうですか?」
投げた札はすぐ天に向かってかかげられ、そこに集中してうじゃうじゃとよくないものが集まりはじめた。
「あ、あの…」
「こっちだ。早くしないと陽向が持たない」
相手に直接触れる攻撃が多い陽向では泥を引き裂けない。
だったら、菘までの道は私が作る。
《お願イ、早ク……》
震える桜良の手を握り、杖を思いきりふって火炎刃に形を変える。
できるだけ負担がかからないように走りながら、桜良の刀を持つ手をしっかり握った。
「大丈夫。これが罪だっていうなら私も背負うから」
「え……」
私も人間を刺したことはない。ただ、なんとなく分かる。
…人を殺したことにはならないという菘の言葉が、決して慰めなんかじゃないってことが。
菘の光る胸あたりに思いきり刀を突き刺す。
そこから光が溢れ、さっきまでの状況が嘘のように泥が井戸へ戻っていく。
「この刀、贄に捧げられた人の…菘の場合は巫女としての力を解放するためにあったんだ」
《そのとおりです》
ベールのように舞いあがった黒い布の隙間から見えた顔は、桜良と少し似ていた。
「あなたと、もう少し話がしたくて…できますか?」
《あなたが望むのなら、少しだけ時間を作れそうです》
視界の隅から何かが飛んでくるのが視えて、躊躇なく火炎刃で斬っていく。
おさまりきったと安心していたが、そういうわけではないらしい。
「詩乃せんぱ、」
「大丈夫。あんなものに負けるほど弱ってはいないから。ずっと話してみたかったんだろう?そういう顔してたから知ってる」
だからこそ、邪魔するものは全て祓わせてもらおう。
陽向の死体に向かって飛んでいきそうになるものに火炎刃を投げつけ、あとの敵にも札で対応する。
「私は手負いだ。今なら美味しく食べられるかもしれないぞ?」
《オイジゾウ…マルノミ!》
口をぱっくり開けた相手に矢を1本当てた。
これが止めになったのか、相手の体が崩れていく。
《ありがとう。あなた方のおかげで私は役目を全うできる…》
「…寂しくないのか?」
愚問だと思いつつ思いきって尋ねると、菘は優しく微笑んだ。
《この子たちがいますから》
顔が半分だけ白骨化している人や全てが骨になってしまっている人、邪気を抑えこんでいる人…彼女たちに共通するのは、美しい花嫁のような装束だけだ。
「もしよかったら、これ…」
私は空いた時間で作った3匹の猫の人形を渡す。
それを受け取った贄はただ優しい笑みを浮かべた。
《あなた方は私の真実を探してくれた。そのうえ、このようなものまでいただいて…感謝してもしたりません。
悲しんでくれたのはあの人だけだったけれど、これならもう寂しくありません。ありがとう》
井戸に戻る直前、菘は何かを思い出したように桜良を抱きしめる。
「──」
「……!」
ふたりが何を話しているかは分からない。
鉛のように重い体が、その場に崩れ落ちてしまったから。
誰かに支えられたのを感じながら静かに目を閉じる。
空にはうっすら月が浮かんでいて、私たちを優しさで包みこむように照らしていた。
「準備はいいか?」
「大丈夫です」
不安になるのも分かる。
人を刺すなんて経験はまずないだろうし、代わってやれるのならそうしたい。
ただ、私の仮説が当たっているならそれは叶わないだろう。
「…先輩、俺、終わったら1日でいいんで休みがほしいです」
「もっと休んでいい。監査部の仕事、この時期になるとひと段落してくるだろ?普段から世話になってるし、休んだからって文句言ったりしない。
…桜良は何かやりたいことやしてほしいことはないか?」
わくわくした様子の陽向の隣で桜良は小さく呟いた。
「…猫さん」
「え?」
「猫カフェって行ったことがないので…」
「待ってる」
結月のことかと思っていたら違った。
時々黒猫形態の結月を世話しているし、きっとカフェの猫たちともすぐ打ち解けるだろう。
そんな和やかな雰囲気で弓道場へ足を運ぶと、もう地面の色が既におかしな状態になっていた。
「これが、溢れ出しそうな災厄…」
「あの中心にいるの、夢の人じゃない?」
呆然としている桜良の手を繋いだまま、陽向が反対の手で蓋が開ききってしまっている井戸のようなものを指さす。
「…菘、来たよ」
《あなた方もイラッしゃイましタカ》
菘は本当にぎりぎりの状態らしく、夢で視たときより装束がさらに崩れていた。
なんとか駆け寄ろうとしたが、泥が邪魔をして上手く進めない。
《お願い。私ガ、誰かヲ傷ツける前ニ、刺シテ》
頭に被っている黒い布の下から、顔の半分ほどがこの世のものとは思えない姿になっている。
悪霊になりかけているのを確認した。
「桜良。あのままじゃ菘は闇に呑まれて悪霊になってしまう。胸のあたりの光ってる場所に桜刀を刺すしかない」
泥が跳ねるのを防ぎながら、震える手で剣を持つ桜良に声をかける。
このままでは誰も望まない結果になるのは目に見えていた。
「…私の札をやる。陽向、その場で高く掲げてくれ」
「こうですか?」
投げた札はすぐ天に向かってかかげられ、そこに集中してうじゃうじゃとよくないものが集まりはじめた。
「あ、あの…」
「こっちだ。早くしないと陽向が持たない」
相手に直接触れる攻撃が多い陽向では泥を引き裂けない。
だったら、菘までの道は私が作る。
《お願イ、早ク……》
震える桜良の手を握り、杖を思いきりふって火炎刃に形を変える。
できるだけ負担がかからないように走りながら、桜良の刀を持つ手をしっかり握った。
「大丈夫。これが罪だっていうなら私も背負うから」
「え……」
私も人間を刺したことはない。ただ、なんとなく分かる。
…人を殺したことにはならないという菘の言葉が、決して慰めなんかじゃないってことが。
菘の光る胸あたりに思いきり刀を突き刺す。
そこから光が溢れ、さっきまでの状況が嘘のように泥が井戸へ戻っていく。
「この刀、贄に捧げられた人の…菘の場合は巫女としての力を解放するためにあったんだ」
《そのとおりです》
ベールのように舞いあがった黒い布の隙間から見えた顔は、桜良と少し似ていた。
「あなたと、もう少し話がしたくて…できますか?」
《あなたが望むのなら、少しだけ時間を作れそうです》
視界の隅から何かが飛んでくるのが視えて、躊躇なく火炎刃で斬っていく。
おさまりきったと安心していたが、そういうわけではないらしい。
「詩乃せんぱ、」
「大丈夫。あんなものに負けるほど弱ってはいないから。ずっと話してみたかったんだろう?そういう顔してたから知ってる」
だからこそ、邪魔するものは全て祓わせてもらおう。
陽向の死体に向かって飛んでいきそうになるものに火炎刃を投げつけ、あとの敵にも札で対応する。
「私は手負いだ。今なら美味しく食べられるかもしれないぞ?」
《オイジゾウ…マルノミ!》
口をぱっくり開けた相手に矢を1本当てた。
これが止めになったのか、相手の体が崩れていく。
《ありがとう。あなた方のおかげで私は役目を全うできる…》
「…寂しくないのか?」
愚問だと思いつつ思いきって尋ねると、菘は優しく微笑んだ。
《この子たちがいますから》
顔が半分だけ白骨化している人や全てが骨になってしまっている人、邪気を抑えこんでいる人…彼女たちに共通するのは、美しい花嫁のような装束だけだ。
「もしよかったら、これ…」
私は空いた時間で作った3匹の猫の人形を渡す。
それを受け取った贄はただ優しい笑みを浮かべた。
《あなた方は私の真実を探してくれた。そのうえ、このようなものまでいただいて…感謝してもしたりません。
悲しんでくれたのはあの人だけだったけれど、これならもう寂しくありません。ありがとう》
井戸に戻る直前、菘は何かを思い出したように桜良を抱きしめる。
「──」
「……!」
ふたりが何を話しているかは分からない。
鉛のように重い体が、その場に崩れ落ちてしまったから。
誰かに支えられたのを感じながら静かに目を閉じる。
空にはうっすら月が浮かんでいて、私たちを優しさで包みこむように照らしていた。
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