120 / 302
第14章『生死の花嫁』
第98話『死ヶ淵より』
しおりを挟む
私は今、灰暗い世界に立っている。
《お願い。あなたにしか頼めないの》
「…誰ですか?」
《これを止めて。──で私を刺すの。私は──だから、人殺しになったりしない》
女性が何か言っているのは分かったけど、それ以上のことはどうもできない。
自力でできない何かがあることだけは理解した。
「私は何をすればいいの?」
《お願い。もう時間がないのです。このままでは、私も……》
ザザザとかガーとか、ラジオが不調のときの音がして、真っ白な服を着た女性の周りは真っ黒などろどろした液体に包まれていく。
「待って、私は何をすれば──」
体を起こしたときに、あれは夢だったんだと自覚した。
ただの夢にしては随分迫力があったし、こういう経験は初めてじゃない。
「桜良?大丈夫?」
「なんでもない。ちょっと寝てただけ」
「ならいいけど…。そうだ、先輩がこれ渡してくれって」
中に入っていたのは、最近オープンしたばかりのお店の紅茶セットと可愛いくまさんがてっぺんについたマドラーだった。
使うのが勿体ないくらい可愛くて、いつも使っている収納とは別の場所に入れる。
「桜良は本当に可愛いものが好きだよね」
「…人並みだと思うけど」
陽向はティーセットを片づけながら、はっとしたように立ちあがる。
「ごめん、俺今から査問会だった!」
「誰に何をしたの?」
「違う違う、俺が取り締まる側。いってきます」
陽向を見送って、読みかけだった本の頁をすすめる。
なんだか少し頭が重いような気がするけど、放送部の日誌をまとめるのを忘れていたことに気づいて急いで書き込んだ。
「失礼します」
査問会は大部屋で行われているらしく、小部屋で詩乃先輩がモニターを見ながら様子を伺っていた。
「おはよう。どうかしたのか?」
「活動報告を、提出しに…」
もう駄目かもしれないと思ったときには遅かった。
目の前が真っ暗になって頭が重くなる。
そのまま床に倒れそうになった瞬間、詩乃先輩が体を支えてくれた。
「桜良…すごい熱じゃないか。こっちにベッドを用意するから」
そこまででぷっつり途切れた。
……次に視た景色は、さっきの夢と同じ場所。
《私は、死ヶ淵にいるのです》
「シガフチ…?」
そういう噂があるのか、風習が存在していたのか。
どのみちつい先日取り寄せた資料を読み漁ってみないと分からない。
《あの場所には大量の怨念が封じこめられています。しかし、──は私で最後。
ですから、あなたには私を──で刺してほしいのです。あれを抑えこめるのは私だけ。でないと、災厄が溢れ出し再び──が必要になります》
所々よく聞こえないのはどうしてだろう。
近づこうとすると、足元が真っ黒な泥だらけになっていく。
泡を噴いている泥に近づこうとしたけれど、なんだかいけないような気がしてそのまま留まった。
《お願いします。私は──》
最後の方が全く聞き取れないまま、がばっと体を起こす。
「起きたか」
「詩乃、先輩…」
「まだ熱があるから無理しない方がいい。もう少ししたら陽向が来るから、それまで私が側にいるよ」
額にのせられた濡れタオルが換えられて、先輩の手が離れていきそうになる。
思わずその手を掴むと、驚いたような顔でこちらを見ていた。
「あ…」
やってしまったと思ったときにはもう遅い。
手を引っ込めようとしても詩乃先輩は離さなかった。
「大丈夫。このまま手を繋いでるから」
先輩の言葉はいつも温かくて、一緒にいてもらえると安心する。
もう少し具合がよくなってある程度調べたら、さっきの夢のことを話してみよう。
戦闘能力があればともかく、よく分からない相手に立ち向かえるようなものは私にはないから。
「早くよくなるといいな」
「ありがとう、ございます…」
具合が悪くなるとローレライの力が無意識に発動してしまうこともあるけれど、全く効かない先輩相手なら傷つける心配もない。
陽向を待ちながらもう1度目を閉じてみたけれど眠れなかった。
あの夢は本当に怖かったから。
…こんな形で人の優しさに触れるのは久しぶりで、心がぽかぽかしたから。
《お願い。あなたにしか頼めないの》
「…誰ですか?」
《これを止めて。──で私を刺すの。私は──だから、人殺しになったりしない》
女性が何か言っているのは分かったけど、それ以上のことはどうもできない。
自力でできない何かがあることだけは理解した。
「私は何をすればいいの?」
《お願い。もう時間がないのです。このままでは、私も……》
ザザザとかガーとか、ラジオが不調のときの音がして、真っ白な服を着た女性の周りは真っ黒などろどろした液体に包まれていく。
「待って、私は何をすれば──」
体を起こしたときに、あれは夢だったんだと自覚した。
ただの夢にしては随分迫力があったし、こういう経験は初めてじゃない。
「桜良?大丈夫?」
「なんでもない。ちょっと寝てただけ」
「ならいいけど…。そうだ、先輩がこれ渡してくれって」
中に入っていたのは、最近オープンしたばかりのお店の紅茶セットと可愛いくまさんがてっぺんについたマドラーだった。
使うのが勿体ないくらい可愛くて、いつも使っている収納とは別の場所に入れる。
「桜良は本当に可愛いものが好きだよね」
「…人並みだと思うけど」
陽向はティーセットを片づけながら、はっとしたように立ちあがる。
「ごめん、俺今から査問会だった!」
「誰に何をしたの?」
「違う違う、俺が取り締まる側。いってきます」
陽向を見送って、読みかけだった本の頁をすすめる。
なんだか少し頭が重いような気がするけど、放送部の日誌をまとめるのを忘れていたことに気づいて急いで書き込んだ。
「失礼します」
査問会は大部屋で行われているらしく、小部屋で詩乃先輩がモニターを見ながら様子を伺っていた。
「おはよう。どうかしたのか?」
「活動報告を、提出しに…」
もう駄目かもしれないと思ったときには遅かった。
目の前が真っ暗になって頭が重くなる。
そのまま床に倒れそうになった瞬間、詩乃先輩が体を支えてくれた。
「桜良…すごい熱じゃないか。こっちにベッドを用意するから」
そこまででぷっつり途切れた。
……次に視た景色は、さっきの夢と同じ場所。
《私は、死ヶ淵にいるのです》
「シガフチ…?」
そういう噂があるのか、風習が存在していたのか。
どのみちつい先日取り寄せた資料を読み漁ってみないと分からない。
《あの場所には大量の怨念が封じこめられています。しかし、──は私で最後。
ですから、あなたには私を──で刺してほしいのです。あれを抑えこめるのは私だけ。でないと、災厄が溢れ出し再び──が必要になります》
所々よく聞こえないのはどうしてだろう。
近づこうとすると、足元が真っ黒な泥だらけになっていく。
泡を噴いている泥に近づこうとしたけれど、なんだかいけないような気がしてそのまま留まった。
《お願いします。私は──》
最後の方が全く聞き取れないまま、がばっと体を起こす。
「起きたか」
「詩乃、先輩…」
「まだ熱があるから無理しない方がいい。もう少ししたら陽向が来るから、それまで私が側にいるよ」
額にのせられた濡れタオルが換えられて、先輩の手が離れていきそうになる。
思わずその手を掴むと、驚いたような顔でこちらを見ていた。
「あ…」
やってしまったと思ったときにはもう遅い。
手を引っ込めようとしても詩乃先輩は離さなかった。
「大丈夫。このまま手を繋いでるから」
先輩の言葉はいつも温かくて、一緒にいてもらえると安心する。
もう少し具合がよくなってある程度調べたら、さっきの夢のことを話してみよう。
戦闘能力があればともかく、よく分からない相手に立ち向かえるようなものは私にはないから。
「早くよくなるといいな」
「ありがとう、ございます…」
具合が悪くなるとローレライの力が無意識に発動してしまうこともあるけれど、全く効かない先輩相手なら傷つける心配もない。
陽向を待ちながらもう1度目を閉じてみたけれど眠れなかった。
あの夢は本当に怖かったから。
…こんな形で人の優しさに触れるのは久しぶりで、心がぽかぽかしたから。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる