夜紅の憲兵姫

黒蝶

文字の大きさ
上 下
117 / 302
第13章『まどろみさんと具現化ノートの噂』

第96話

しおりを挟む
うねうねと不自然な動きをする長い髪、動揺している表情…まどろみさんは伴田に向かって手をかざす。
私のすぐ後ろでソファーに向かってゆっくり倒れる音がした。
《どうしてこの楽園から出ていこうとするの?》
「私はおまえの話が聞きたくて来たんだ。人間を殺さなかったってことは、食事用に集めたわけじゃないんだろ?
それならどうして次々人間を攫っていくのか知りたいと思った」
誰かにとっての安らぎを簡単に壊してしまえばいいとは思えない。
《だって人間は愚かでしょう?すぐに他の人間を傷つける。そうなると、現実は辛すぎて耐えられない人間が何人が出てくる…。
それなら私はその子たちが望む世界を見せてあげたい。私みたいな思いをしなくてすむように》
「やっぱり死霊なんだな」
噂と融合されたのか、死んだ後身についていた能力なのかまでは分からない。
それでも、人々の悲しみを消し去りたいという想いはきっと本物だ。
《劣悪な環境、報われない努力、変えようがない絶望…私はただ、そういう人たちの想いを救いたいの。
私にとっては眠ることがそれだったから…あなたも苦しいんでしょう?だったらここで夢を見ればいい》
とんできたのは、見覚えのあるぬいぐるみ。
恐らく昔大切にしていたものに似ているものだ。
《あなたの大切は理不尽な人間たちに壊された。形見のうちのひとつだったのに、引きちぎられた》
「そんなこともあったな」
《助けを求めたら妹が危害をくわえられた。あの家の人たち最低》
「そういう人種なんだ。ただ、妹には申し訳なかったと思ってる」
神宮寺本家との苦い思い出の中に、穂乃への虐待という経験がある。
私に対してだけならともかく、あんなに理不尽な思いをさせるくらいなら二度と近づくつもりはない。
たまたま優しい性格のお母さんがいただけで、世界は私たちに優しくなかった。
…だから大人に期待するのをやめたんだ。
《だったら、ここで暮らした方が幸せになれるわ》
「…それは違う」
相手に悪気がないのは分かってる。
それでも私は相手を完全肯定するわけにはいかない。
「中学の頃の私ならその誘いにのったかもしれない。現実なんていらない、消えたいって思ってたから。
けど、今は現実が色鮮やかになったんだ。ここはたしかに休憩所としてはいい場所だけど、ずっと閉じ込められることが幸せだとは思わない」
放っておけない妹、一緒にいて楽しい仲間たち…大切なものを手に入れた今なら、現実だって怖くない。
《だってここにいれば、もう傷つけられないんだよ?》
「おまえは傷つけられてきたんだろうけど、ここに留まるか選ぶのはここにいる人間たちだ。
だから、閉じ込めるんじゃなくてみんなが笑顔でいられる場所を創るのはどうだろう」
《…あなたは私を消そうとしないのね》
「憩いの場が必要な人間だっているからな。けど…おまえはずっと寂しかったんだろうな」
もし自分が目の前の少女の立場なら、こうして抱きしめてほしい。
まどろみさんの目から涙がぽろぽろ零れ、そのまま強く抱きつかれた。
《この子たちも傷つけない、私も癒やされる…そういう場所がほしかったの。ごめんなさい》
「今ならまだやり直せる。この人たちを現実に帰してほしい。それから、また困っている人を見かけたら休ませてやってくれ。
この場所に救われた人が沢山いるはずだから」
《でも、上手くできないの》
まどろみさんが俯いた直後、ポケットからじじじと音がした。
『【こんな噂を知っていますか?…辛い現実、叶わぬ望み、それらから解放される癒しの空間があることを。
その場所にはとても寂しがり屋なまどろみさんという管理人が住んでいて……】』
いつから聞かれていたのだろう。
桜良の心地よい声が響くなか、まどろみさんは優しく微笑んだ。
《ありがとう。これで私も寂しくないわ》
周囲がきらきら光りだしたかと思うと、次の瞬間には広がっていた部屋がただの廊下に変わっていた。
倒れている人間たちも続々と起きていて、放っておいても大丈夫そうだ。
周囲の人間たちに声をかけず、空間が崩れる寸前のまどろみさんの言葉を思い出していた。


──もっと周りを頼っていいと思うの。でないと、あなたの心は今度こそ壊れてしまうだろうから。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...