夜紅の憲兵姫

黒蝶

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第11章『夜紅の昔話-異界への階段・弐-』

第80話『受け継いだもの』

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僕は無力だ。死んじゃうかもしれないのに、詩乃ちゃんは身を呈して護ってくれた。
「どうして…」
『──流山』
「先生…?」
詩乃ちゃんのポケットに入っていたウォークマンの液晶画面が光っていて、そこにはさっき逃した子どもたちと他のみんながいる。
『落ち着いて状況を説明してくれ』
「えっと、」
《それなら僕がしてあげる!》
お影さんは楽しそうにそう言って、大きなテレビ画面を指さした。
《僕はふたりを元の世界に還すお代に、彼の過去を見せてもらおうと思ったんだ。
それなのに、お姉さんがこの子を庇ってうっかり刺さっちゃった》
『おまえ…』
ひな君がすごく怒っていたけど、そんなことは関係ない様子でお影さんはテレビの電源を入れた。
《楽しい上映会のはじまりはじまり!》


──私はただ、普通に生きてみたかっただけなのに。
どうしてこんなことになってしまったのか。
「お母さん、ただいま」
「おかえりなさい」
「今日は具合いいの?」
「ええ。詩乃が毎日頑張ってくれるおかげね」
お母さんはよく体調を崩す。
生まれつき体が弱かったらしく、入退院を繰り返していた。
「おかあさん、ただいま!」
「おかえりなさい。先に手を洗ってきてね、穂乃」
「うん!」
小さな穂乃はお転婆で、お母さんの体調がいいときにはよく遊んでいた。
ふたりが楽しそうにしている姿を、私は今でも覚えている。
カッターシャツにスカートという出で立ちの私は、帰ったら夕飯を作るのが日課になっていた。
……あのろくでなしさえいなければ、もう少しマシな生活を送れていたのかもしれない。
「俺だよ、ドアを開けろ!」
鳴り止まないチャイムにうんざりして扉を開く。
その先に立っていた酒浸りの男に、いきなり顔を殴られた。
「いるなら出ろやクソガキ!」
「煩い。ここはあんたの家じゃない。来ないでくれ」
父親なんてものはいないも同然だった。
お金が尽きるとお母さんにたかる。そうしてお金だけもらって消えていく。
その頃からこっそり内職をしていた私は、そのバイト代を足りない生活費に充てていた。
「おねえ、ちゃ…」
「大丈夫だよ。怖い人はもういないから」
涙を堪えている穂乃の頭をお母さんは優しく撫でて、先に寝るよう促した。
「おかあさん、いっしょにねよう?」
「穂乃が眠るまで隣にいるわ。…詩乃、後で少し話をしましょう」
保冷剤とハンカチを渡されて、頬にできた痣を冷やす。
穂乃はあの人間がどれだけ恐ろしいものなのか理解しはじめている。
この家には、私しかいない。私がふたりを護らないと。
「お待たせ。ごめんね、穂乃を寝かしつけるのに時間がかかっちゃった」
「それはいいんだけど…向こうで横になった方がいいよ」
ふらつく体を支えて、穂乃が寝ている部屋とは反対方向にあるお母さんの部屋に連れていった。
「大丈夫?少し休んだ方が、」
「ううん。今は詩乃と話していたいの。詩乃が嫌じゃなければ、もう少しお母さんにつきあってくれないかしら?」
「…分かった。何か飲み物を持ってくる」
お母さんがよく飲んでいたのは、温かいほうじ茶だった。
いつものように持っていって、少しずつ飲んでいた手が止まる。
「あなたに渡したいものがあるの」
お母さんはそう言うと、大切にしている小箱から口紅を取り出した。
「これは詩乃が持っていて。きっとふたりを護ってくれるわ」
「それってどういう、」
「…この前、妖が視えていたでしょ?あれはみんなが視えるものじゃないのよ。それに、穂乃から遠ざけるようにして戦っていたのも知っているわ。…多分、あなたには素質があるの。
これには紅日虹べにじつこうという顔料が使われていて、力を発揮できる時間が決まっているのよ。
予備はこのマンションの倉庫に入れさせてもらっているから、好きなように使ってね。お母さんは朝紅だったわ」
意味をよく理解しないまま受け取った私は、お母さんが祓い屋に近いことをしていたのをそのとき初めて知った。
「ここにある資料は好きに使っていいし、今みたいに弓道部で弓を極めることをおすすめしておこうかな。
…それとね、詩乃。あなたはなんでもできるけど、甘えベタだから心配だわ」
「甘えベタ?」
「困ったときは、もっと周りの人を頼っていいのよ。でないと、あなたの心は折れてしまう」
この言葉の意味も、よく理解していなかった。
それから、恐らくこれが虫の知らせだったことも。
「どんなことになっても、私はあなたたちのことが大好きよ」
「私もお母さんと穂乃が大好きだよ」
お母さんは嬉しいなんて言ってたけど、本当はもう限界だったのかもしれない。
──翌日の夕方、学校が終わって家に帰るとお母さんは目を覚まさなかった。
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