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第5章『先生の懺悔と透明人間』
第37話
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ふたりのちぐはぐな会話を聞いて、私たちはこっそり来た道を引き返す。
「放送室で涼みましょうか」
「暑かったら熱暴走すると思って置いたものが役にたちそうだな」
流石にエアコンをつけるほどの予算はなかったが、持ち運び可能な小さいクーラーを購入することができた。
「桜良、いる?」
「また来たの?…あ、詩乃先輩こんにちは」
「今日は行きたい気分にならなかったのか?」
「…はい」
桜良があまり教室に行かずに放送室で勉強している理由は、なんとなく察しがついている。
私につっこむ権利はないので今は様子を見ようと思っているが、具体的に何かされているのであれば監査部として動くつもりだ。
「あれから機材は大丈夫そうか?」
「今のところ、故障したものはありません」
「それならよかった」
先生がまとめていた資料に目をやると、私が持っていた束は星座に関するものばかりだった。
「…そうか」
「先生って星好きですよね」
「それもそうだが、流山瞬との繋がりも星座で持ってたみたいだった」
「流山瞬って、誰ですか?」
「桜良はあの場にいなかったな。…実は──」
できるだけ噛み砕いて話したが、自分が思っていたより長くなってしまった。
「あくまで憶測だけど、先生はその男子生徒と話をしたいのかもしれない」
「あり得ると思います」
不器用な先生のことだ、単刀直入に話を聞くのが難しいと思っているのかもしれない。
「そろそろ持っていってみましょう。…桜良、また後で」
「またな」
桜良は一礼して、書きかけの原稿に目を向けている。
透明人間の話というタイトルを見て、感謝しかなかった。
「先生、失礼します!」
「岡副と…折原も来たのか」
「今日は午前中は行かなくても大丈夫そうだから、それでいいかなって思ってる」
「…そうか」
詳しいことを訊かないでくれる先生の隣から、驚いたような声がした。
《授業、受けないの?》
「必要最低限行けば問題ないだろ?」
《僕と同じだね》
「学校が嫌いだったのか?」
《好きじゃなかったけど、嫌いでもなかったかな。星の話ができる人がいたし、痛いこともされなかった》
痛いことをされない…考えられる可能性はひとつだ。
あまり深く訊かれたくなさそうな顔をしていたので、そうかと答えて資料を並べた。
「他に運ぶものあるか?」
「岡副は次の時間受けた方がいい。数学があんまり好きじゃないなら、先に終わらせておけば後が楽だ」
「分かりました」
陽向が出ていったのを確認してから、先生は私に向きなおった。
「何か嫌なことを言われたのか?」
「別にそんなわけじゃないよ。いつものことだし慣れてる」
曖昧にしようとしたが、先生は今回それを許さなかった。
「…教頭か?」
「まあ、そんなところだ。けど、嫌な大人に何を言われても構わない。
理解しようとしてくれているわけじゃない相手に構っている暇はないし、価値観が違うんだから分かってもらえるはずもない」
《詩乃ちゃんは僕に少し似てるね》
「私は瞬みたいないい子じゃないと思うけど」
「…折原、少し任せていいか?」
「次授業だったな。分かった。私はここにいる」
先生が急いで監査室を出たのは、瞬が話すのを邪魔したくなかったからだろうか。
「なあ、瞬。本当は先生のことが大好きなんだろ?どうして伝えずにいるんだ?」
窓に向かって話しかけると、瞬は困ったように笑った。
《死ぬ前も先生にはよくしてもらってたんだ。色々相談に乗ろうともしてくれたし、星物語も沢山聞いてくれた。
その時間だけが僕の支えで、多分今も少しまともでいられるのはそれが理由》
「なおのこと伝えた方がいいんじゃないか?」
瞬は今にも泣き出しそうな顔をしていたが、無理して笑顔を作った。
《人から大切にされるって感覚は初めてで、どう接していいのか分からなかったんだ。
近づかれたら傷つけてしまいそうで…今もそれが怖い。先生は優しいからきっと傷つく》
やはりこの少年の心は美しい。
自分のせいで誰かが傷つくのが嫌な気持ちは分かる。
それでも、敢えて話してみよう。
「意図的にやろうとしなくても、無意識に誰かを傷つけることはある。けど、それが人と一緒にいるってことなんだ。だから、極度に怯える必要はないと思う。
あくまで持論だけど、意思を持って傷つける奴からは全力で逃げて、そうじゃない人たちとは真っ向から向き合うのがいいんじゃないか?」
《…僕もそうすればよかったのかもしれないね》
瞬はそう話した直後姿を消した。
窓ガラスから離れて視えなくなっただけだと思っていたのに、声ひとつしないのはおかしい。
「瞬?」
その直後、近くの教室から悲鳴が聞こえた。
「放送室で涼みましょうか」
「暑かったら熱暴走すると思って置いたものが役にたちそうだな」
流石にエアコンをつけるほどの予算はなかったが、持ち運び可能な小さいクーラーを購入することができた。
「桜良、いる?」
「また来たの?…あ、詩乃先輩こんにちは」
「今日は行きたい気分にならなかったのか?」
「…はい」
桜良があまり教室に行かずに放送室で勉強している理由は、なんとなく察しがついている。
私につっこむ権利はないので今は様子を見ようと思っているが、具体的に何かされているのであれば監査部として動くつもりだ。
「あれから機材は大丈夫そうか?」
「今のところ、故障したものはありません」
「それならよかった」
先生がまとめていた資料に目をやると、私が持っていた束は星座に関するものばかりだった。
「…そうか」
「先生って星好きですよね」
「それもそうだが、流山瞬との繋がりも星座で持ってたみたいだった」
「流山瞬って、誰ですか?」
「桜良はあの場にいなかったな。…実は──」
できるだけ噛み砕いて話したが、自分が思っていたより長くなってしまった。
「あくまで憶測だけど、先生はその男子生徒と話をしたいのかもしれない」
「あり得ると思います」
不器用な先生のことだ、単刀直入に話を聞くのが難しいと思っているのかもしれない。
「そろそろ持っていってみましょう。…桜良、また後で」
「またな」
桜良は一礼して、書きかけの原稿に目を向けている。
透明人間の話というタイトルを見て、感謝しかなかった。
「先生、失礼します!」
「岡副と…折原も来たのか」
「今日は午前中は行かなくても大丈夫そうだから、それでいいかなって思ってる」
「…そうか」
詳しいことを訊かないでくれる先生の隣から、驚いたような声がした。
《授業、受けないの?》
「必要最低限行けば問題ないだろ?」
《僕と同じだね》
「学校が嫌いだったのか?」
《好きじゃなかったけど、嫌いでもなかったかな。星の話ができる人がいたし、痛いこともされなかった》
痛いことをされない…考えられる可能性はひとつだ。
あまり深く訊かれたくなさそうな顔をしていたので、そうかと答えて資料を並べた。
「他に運ぶものあるか?」
「岡副は次の時間受けた方がいい。数学があんまり好きじゃないなら、先に終わらせておけば後が楽だ」
「分かりました」
陽向が出ていったのを確認してから、先生は私に向きなおった。
「何か嫌なことを言われたのか?」
「別にそんなわけじゃないよ。いつものことだし慣れてる」
曖昧にしようとしたが、先生は今回それを許さなかった。
「…教頭か?」
「まあ、そんなところだ。けど、嫌な大人に何を言われても構わない。
理解しようとしてくれているわけじゃない相手に構っている暇はないし、価値観が違うんだから分かってもらえるはずもない」
《詩乃ちゃんは僕に少し似てるね》
「私は瞬みたいないい子じゃないと思うけど」
「…折原、少し任せていいか?」
「次授業だったな。分かった。私はここにいる」
先生が急いで監査室を出たのは、瞬が話すのを邪魔したくなかったからだろうか。
「なあ、瞬。本当は先生のことが大好きなんだろ?どうして伝えずにいるんだ?」
窓に向かって話しかけると、瞬は困ったように笑った。
《死ぬ前も先生にはよくしてもらってたんだ。色々相談に乗ろうともしてくれたし、星物語も沢山聞いてくれた。
その時間だけが僕の支えで、多分今も少しまともでいられるのはそれが理由》
「なおのこと伝えた方がいいんじゃないか?」
瞬は今にも泣き出しそうな顔をしていたが、無理して笑顔を作った。
《人から大切にされるって感覚は初めてで、どう接していいのか分からなかったんだ。
近づかれたら傷つけてしまいそうで…今もそれが怖い。先生は優しいからきっと傷つく》
やはりこの少年の心は美しい。
自分のせいで誰かが傷つくのが嫌な気持ちは分かる。
それでも、敢えて話してみよう。
「意図的にやろうとしなくても、無意識に誰かを傷つけることはある。けど、それが人と一緒にいるってことなんだ。だから、極度に怯える必要はないと思う。
あくまで持論だけど、意思を持って傷つける奴からは全力で逃げて、そうじゃない人たちとは真っ向から向き合うのがいいんじゃないか?」
《…僕もそうすればよかったのかもしれないね》
瞬はそう話した直後姿を消した。
窓ガラスから離れて視えなくなっただけだと思っていたのに、声ひとつしないのはおかしい。
「瞬?」
その直後、近くの教室から悲鳴が聞こえた。
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