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隠暮篇(かくれぐらしへん)
過去の欠片
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「おかあさん」
...昔はそうして、よく後ろをついて回っていた。
父親がいなかったことを寂しいと思ったことは母のおかげで1度もない。
「そんなに走り回ったら転んじゃうから、こっちにおいで。手を繋ごうね」
「うん!おかあさんすき!」
幼い私は父親がいないことを普通だと思っていた。
だが、残念ながら一般的ではないと知ったのは幼少期に入ってからだ。
「七海、どうしたの?」
「...ほいくえん、きらい」
周りの子どもたちに父親がいないのはおかしいとからかわれているなんて、母には言えなかった。
「ごめんね...」
今なら分かる。母は働いていたのだから仕方のないことだ。
けれどこの頃の私は分からなくて、一緒に仕事に連れていってほしいと頼んだこともあった。
「...あそこ、誰かいる」
「そうかな?私には見えないな...」
小学校にあがると、私はすぐにお留守番を覚えた。
そうすれば、他の子たちとの関わりも最低限で済むと考えたからだ。
詮索もされない、いるのかどうかすら分からない。
そんな毎日を送っていた。
「お母さん、ご飯を作ったよ」
「これを全部作ってくれたの?」
「──さんに手伝ってもらったの」
「七海、それは他の人には視えないものなの。私からの遺伝ね。...後でお揚げを用意しないと」
ここからは何故か朧気で、いつも思い出せない。
母は私より弱かったものの、視える力がある人だった。
そして私の友だちは、私にしか見えていない...何か大切なことを忘れている。
それからしばらくは平和だった。
母は私が作った不恰好なご飯を食べてくれて、それが毎日の楽しみで...けれど、それは長くは続いてくれない。
「...お母さん?」
「七海、かくれんぼしよう。私がいいって言うまで絶対に出てきては駄目。いい?」
母とふたりで過ごす休日、彼女は突然そんなことを言い出した。
どう答えていいのか分からず戸惑っていると、クローゼットの中に入れられる。
「...大丈夫だから」
このとき見た笑顔が最期になるなんて、誰が考えるだろうか。
1番お気に入りのぬいぐるみを抱きしめたまま、私は目を閉じて呼ばれるのを待った。
かたん、と音がして扉が開かれる。
息を潜めていると、母ではない誰かがいた。
「──さん、今かくれんぼしてて、」
「...七海」
何かに運ばれた場所で目に写ったのは、真っ赤に染まった母の姿だった。
「お母さん!」
「七海、ごめんね。お母さん...負けちゃった。
お願い、──さん。娘を、娘だけでも...」
瞬間、強い風がふく。
嫌だ。置いていかないで。
そんなふうに笑いかけて、1人で行かないでほしい。
一緒にいる誰かも泣いている。
お願い、私も一緒に...
「...み、七海」
「木葉...」
「大丈夫?嫌な夢でも見た?」
「...昔のこと」
木葉には大雑把にしか説明していない。
けれど、それだけで意味は通じたようだった。
「大丈夫。僕は置いていったりしないから」
「...うん」
「そのまま掴まってて」
いつの間にかチューブが抜かれている体を抱きあげてくれて、そのままお会計までしてくれた。
「ありがとうございました」
「もっとしっかり休みをとるように。それから...こいつを頼む」
「勿論です」
「ちょっと、それは男の僕が言われるはずの台詞じゃ、」
「おまえさんより彼女の方がしっかりものそうだからな」
「それは否定できない...」
ふたりの微笑ましい会話を聞きながら、少しの違和感を覚える。
...かくれんぼをしようと母に言われたけれど、鬼は誰だったのだろう。
些細なことだけれど、どうしても気になってしまうのだ。
「今日の夕飯は...七海?」
「ごめん、ぼうっとしてた。ぶりのムニエルもどきが食べたいな」
「そうしよう!」
あまり来たことがない道を木葉と手を繋いで歩き出す。
いつもより力強く握られているような気がした。
...昔はそうして、よく後ろをついて回っていた。
父親がいなかったことを寂しいと思ったことは母のおかげで1度もない。
「そんなに走り回ったら転んじゃうから、こっちにおいで。手を繋ごうね」
「うん!おかあさんすき!」
幼い私は父親がいないことを普通だと思っていた。
だが、残念ながら一般的ではないと知ったのは幼少期に入ってからだ。
「七海、どうしたの?」
「...ほいくえん、きらい」
周りの子どもたちに父親がいないのはおかしいとからかわれているなんて、母には言えなかった。
「ごめんね...」
今なら分かる。母は働いていたのだから仕方のないことだ。
けれどこの頃の私は分からなくて、一緒に仕事に連れていってほしいと頼んだこともあった。
「...あそこ、誰かいる」
「そうかな?私には見えないな...」
小学校にあがると、私はすぐにお留守番を覚えた。
そうすれば、他の子たちとの関わりも最低限で済むと考えたからだ。
詮索もされない、いるのかどうかすら分からない。
そんな毎日を送っていた。
「お母さん、ご飯を作ったよ」
「これを全部作ってくれたの?」
「──さんに手伝ってもらったの」
「七海、それは他の人には視えないものなの。私からの遺伝ね。...後でお揚げを用意しないと」
ここからは何故か朧気で、いつも思い出せない。
母は私より弱かったものの、視える力がある人だった。
そして私の友だちは、私にしか見えていない...何か大切なことを忘れている。
それからしばらくは平和だった。
母は私が作った不恰好なご飯を食べてくれて、それが毎日の楽しみで...けれど、それは長くは続いてくれない。
「...お母さん?」
「七海、かくれんぼしよう。私がいいって言うまで絶対に出てきては駄目。いい?」
母とふたりで過ごす休日、彼女は突然そんなことを言い出した。
どう答えていいのか分からず戸惑っていると、クローゼットの中に入れられる。
「...大丈夫だから」
このとき見た笑顔が最期になるなんて、誰が考えるだろうか。
1番お気に入りのぬいぐるみを抱きしめたまま、私は目を閉じて呼ばれるのを待った。
かたん、と音がして扉が開かれる。
息を潜めていると、母ではない誰かがいた。
「──さん、今かくれんぼしてて、」
「...七海」
何かに運ばれた場所で目に写ったのは、真っ赤に染まった母の姿だった。
「お母さん!」
「七海、ごめんね。お母さん...負けちゃった。
お願い、──さん。娘を、娘だけでも...」
瞬間、強い風がふく。
嫌だ。置いていかないで。
そんなふうに笑いかけて、1人で行かないでほしい。
一緒にいる誰かも泣いている。
お願い、私も一緒に...
「...み、七海」
「木葉...」
「大丈夫?嫌な夢でも見た?」
「...昔のこと」
木葉には大雑把にしか説明していない。
けれど、それだけで意味は通じたようだった。
「大丈夫。僕は置いていったりしないから」
「...うん」
「そのまま掴まってて」
いつの間にかチューブが抜かれている体を抱きあげてくれて、そのままお会計までしてくれた。
「ありがとうございました」
「もっとしっかり休みをとるように。それから...こいつを頼む」
「勿論です」
「ちょっと、それは男の僕が言われるはずの台詞じゃ、」
「おまえさんより彼女の方がしっかりものそうだからな」
「それは否定できない...」
ふたりの微笑ましい会話を聞きながら、少しの違和感を覚える。
...かくれんぼをしようと母に言われたけれど、鬼は誰だったのだろう。
些細なことだけれど、どうしても気になってしまうのだ。
「今日の夕飯は...七海?」
「ごめん、ぼうっとしてた。ぶりのムニエルもどきが食べたいな」
「そうしよう!」
あまり来たことがない道を木葉と手を繋いで歩き出す。
いつもより力強く握られているような気がした。
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