89 / 258
隠暮篇(かくれぐらしへん)
過去の欠片
しおりを挟む
「おかあさん」
...昔はそうして、よく後ろをついて回っていた。
父親がいなかったことを寂しいと思ったことは母のおかげで1度もない。
「そんなに走り回ったら転んじゃうから、こっちにおいで。手を繋ごうね」
「うん!おかあさんすき!」
幼い私は父親がいないことを普通だと思っていた。
だが、残念ながら一般的ではないと知ったのは幼少期に入ってからだ。
「七海、どうしたの?」
「...ほいくえん、きらい」
周りの子どもたちに父親がいないのはおかしいとからかわれているなんて、母には言えなかった。
「ごめんね...」
今なら分かる。母は働いていたのだから仕方のないことだ。
けれどこの頃の私は分からなくて、一緒に仕事に連れていってほしいと頼んだこともあった。
「...あそこ、誰かいる」
「そうかな?私には見えないな...」
小学校にあがると、私はすぐにお留守番を覚えた。
そうすれば、他の子たちとの関わりも最低限で済むと考えたからだ。
詮索もされない、いるのかどうかすら分からない。
そんな毎日を送っていた。
「お母さん、ご飯を作ったよ」
「これを全部作ってくれたの?」
「──さんに手伝ってもらったの」
「七海、それは他の人には視えないものなの。私からの遺伝ね。...後でお揚げを用意しないと」
ここからは何故か朧気で、いつも思い出せない。
母は私より弱かったものの、視える力がある人だった。
そして私の友だちは、私にしか見えていない...何か大切なことを忘れている。
それからしばらくは平和だった。
母は私が作った不恰好なご飯を食べてくれて、それが毎日の楽しみで...けれど、それは長くは続いてくれない。
「...お母さん?」
「七海、かくれんぼしよう。私がいいって言うまで絶対に出てきては駄目。いい?」
母とふたりで過ごす休日、彼女は突然そんなことを言い出した。
どう答えていいのか分からず戸惑っていると、クローゼットの中に入れられる。
「...大丈夫だから」
このとき見た笑顔が最期になるなんて、誰が考えるだろうか。
1番お気に入りのぬいぐるみを抱きしめたまま、私は目を閉じて呼ばれるのを待った。
かたん、と音がして扉が開かれる。
息を潜めていると、母ではない誰かがいた。
「──さん、今かくれんぼしてて、」
「...七海」
何かに運ばれた場所で目に写ったのは、真っ赤に染まった母の姿だった。
「お母さん!」
「七海、ごめんね。お母さん...負けちゃった。
お願い、──さん。娘を、娘だけでも...」
瞬間、強い風がふく。
嫌だ。置いていかないで。
そんなふうに笑いかけて、1人で行かないでほしい。
一緒にいる誰かも泣いている。
お願い、私も一緒に...
「...み、七海」
「木葉...」
「大丈夫?嫌な夢でも見た?」
「...昔のこと」
木葉には大雑把にしか説明していない。
けれど、それだけで意味は通じたようだった。
「大丈夫。僕は置いていったりしないから」
「...うん」
「そのまま掴まってて」
いつの間にかチューブが抜かれている体を抱きあげてくれて、そのままお会計までしてくれた。
「ありがとうございました」
「もっとしっかり休みをとるように。それから...こいつを頼む」
「勿論です」
「ちょっと、それは男の僕が言われるはずの台詞じゃ、」
「おまえさんより彼女の方がしっかりものそうだからな」
「それは否定できない...」
ふたりの微笑ましい会話を聞きながら、少しの違和感を覚える。
...かくれんぼをしようと母に言われたけれど、鬼は誰だったのだろう。
些細なことだけれど、どうしても気になってしまうのだ。
「今日の夕飯は...七海?」
「ごめん、ぼうっとしてた。ぶりのムニエルもどきが食べたいな」
「そうしよう!」
あまり来たことがない道を木葉と手を繋いで歩き出す。
いつもより力強く握られているような気がした。
...昔はそうして、よく後ろをついて回っていた。
父親がいなかったことを寂しいと思ったことは母のおかげで1度もない。
「そんなに走り回ったら転んじゃうから、こっちにおいで。手を繋ごうね」
「うん!おかあさんすき!」
幼い私は父親がいないことを普通だと思っていた。
だが、残念ながら一般的ではないと知ったのは幼少期に入ってからだ。
「七海、どうしたの?」
「...ほいくえん、きらい」
周りの子どもたちに父親がいないのはおかしいとからかわれているなんて、母には言えなかった。
「ごめんね...」
今なら分かる。母は働いていたのだから仕方のないことだ。
けれどこの頃の私は分からなくて、一緒に仕事に連れていってほしいと頼んだこともあった。
「...あそこ、誰かいる」
「そうかな?私には見えないな...」
小学校にあがると、私はすぐにお留守番を覚えた。
そうすれば、他の子たちとの関わりも最低限で済むと考えたからだ。
詮索もされない、いるのかどうかすら分からない。
そんな毎日を送っていた。
「お母さん、ご飯を作ったよ」
「これを全部作ってくれたの?」
「──さんに手伝ってもらったの」
「七海、それは他の人には視えないものなの。私からの遺伝ね。...後でお揚げを用意しないと」
ここからは何故か朧気で、いつも思い出せない。
母は私より弱かったものの、視える力がある人だった。
そして私の友だちは、私にしか見えていない...何か大切なことを忘れている。
それからしばらくは平和だった。
母は私が作った不恰好なご飯を食べてくれて、それが毎日の楽しみで...けれど、それは長くは続いてくれない。
「...お母さん?」
「七海、かくれんぼしよう。私がいいって言うまで絶対に出てきては駄目。いい?」
母とふたりで過ごす休日、彼女は突然そんなことを言い出した。
どう答えていいのか分からず戸惑っていると、クローゼットの中に入れられる。
「...大丈夫だから」
このとき見た笑顔が最期になるなんて、誰が考えるだろうか。
1番お気に入りのぬいぐるみを抱きしめたまま、私は目を閉じて呼ばれるのを待った。
かたん、と音がして扉が開かれる。
息を潜めていると、母ではない誰かがいた。
「──さん、今かくれんぼしてて、」
「...七海」
何かに運ばれた場所で目に写ったのは、真っ赤に染まった母の姿だった。
「お母さん!」
「七海、ごめんね。お母さん...負けちゃった。
お願い、──さん。娘を、娘だけでも...」
瞬間、強い風がふく。
嫌だ。置いていかないで。
そんなふうに笑いかけて、1人で行かないでほしい。
一緒にいる誰かも泣いている。
お願い、私も一緒に...
「...み、七海」
「木葉...」
「大丈夫?嫌な夢でも見た?」
「...昔のこと」
木葉には大雑把にしか説明していない。
けれど、それだけで意味は通じたようだった。
「大丈夫。僕は置いていったりしないから」
「...うん」
「そのまま掴まってて」
いつの間にかチューブが抜かれている体を抱きあげてくれて、そのままお会計までしてくれた。
「ありがとうございました」
「もっとしっかり休みをとるように。それから...こいつを頼む」
「勿論です」
「ちょっと、それは男の僕が言われるはずの台詞じゃ、」
「おまえさんより彼女の方がしっかりものそうだからな」
「それは否定できない...」
ふたりの微笑ましい会話を聞きながら、少しの違和感を覚える。
...かくれんぼをしようと母に言われたけれど、鬼は誰だったのだろう。
些細なことだけれど、どうしても気になってしまうのだ。
「今日の夕飯は...七海?」
「ごめん、ぼうっとしてた。ぶりのムニエルもどきが食べたいな」
「そうしよう!」
あまり来たことがない道を木葉と手を繋いで歩き出す。
いつもより力強く握られているような気がした。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語
六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
Tell me eMotion
黒蝶
キャラ文芸
突きつけられるのは、究極の選択。
「生き返るか、僕と一緒にくるか...」
全てに絶望した少女・雪芽は、ある存在と出会う。
そしてその存在は告げる。
「僕には感情がないんだ」
これは、そんな彼と過ごしていくうちにお互いの心を彩づけていく選択の物語。
※内容が内容なので、念のためレーティングをかけてあります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる