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141話◆浅い眠りと先の見えない焦燥感。
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「サイモン、もう少し言い方ってモンがあるでしょう?」
見るからに落ち込んだわたしを見兼ねたお義母様が、わたしの身体を「よしよし」とあやす様にサイモンから離して自分の方に寄せた。
お義母様に庇われた様なわたしを見たサイモンが、気まずそうに口元を隠して「うむ…」と呟く。
「でもねメグミン、冷たい言い方をされたと思ったろうけどサイモンは間違ってないわよ。
貴女は我が家の女主人であり、今は身重かも知れない大事な身体。
私達は誰より何より貴女を守りたいの。
だからメグミン自らが何かをしようとするのはもっての外だけど、考えるだけでも貴女は一生懸命になるでしょう?
あまり振り回されないで欲しいのよ。」
お義母様はわたしをソファーに座らせて隣に座り、慰める様にわたしの頭を撫で続けて諭すように語りかける。
振り回されないで、は余計な事に首を突っ込むなって事かしら。
「そうですね…すみません軽率でした。」
とは、返事をしたものの━━
前世を思い出した日から、今のわたしの感覚は日本人の女子高生だった頃の自分に近い。
こちらの世界で貴族令嬢として20年近く過ごして来たとは言え、貴族の令嬢ミランダと言うよりは、山崎めぐみとしての気持ちの方が強くて……
だから、使用人の命よりも女主人であるわたしの精神的な平穏の方が大事とか、ちょっと分からない。
いや、ミランダとしては何となく「それが普通」って感覚があって分かるんだけど、めぐみとしては身分差に合わせて人の命に優劣をつけるってのが理解出来ない。
人の命がかかってんだもん。
何か出来ないかって考える位はいいじゃない?
なんて思っていたりする事は隠しておこう。
ソファーに座るわたしとお義母様の前のテーブルに、侍女がレモンを浮かべた紅茶を置いた。
温室でのティータイムはわたしのお気に入りのひとときだ。
寝室に閉じこもりきりだったわたしには久しぶり。
「メグミン、ほらこれ美味しいわよ食べて。
メグミンの大好きなバナナもあるわよ。」
お義母様は慰めているつもりなのか、わたしに餌付けを始めた。
温室で実ったフルーツを使ったパイを頬張りながらティータイムを満喫。
しょんぼりしていたわたしの表情に明るさが戻った為に、わたしが落ち着いたと感じたのかサイモンが呟いた。
「めぐみ……
師匠が言うには、君はトラブルメーカーなんだそうだ。」
「ブフォッ!!!」
半ば諦めにも似た呆れの溜め息をつき、困った様な口調でのサイモンの呟き。
思わず紅茶を噴き出しちゃったじゃないの、向かい側に座るサイモンに向けて。
ジャンセンさん、サイモンにナニ吹き込んでるのよ。
トラブルメーカーなんて言葉、こちらには無いでしょ。
「すすす、すみません…!
口に含んだモノを噴き出すなんて汚い事を…」
わたしの噴き出した紅茶を顔面に浴びたサイモンが、ハンカチを出して顔を軽く拭った。
「濡れはしたが君が噴き出したもの、汚くはない。」
そ、そうかなぁ…
わたしが出したから、ばっちぃと思わないなんて、いくらなんでも……いやぁ、ある意味スゲェわ…。
メグミン馬鹿のサイモンは、ある意味濃ゆい変態か。
「トラブルメーカーだと師匠が君をそう言った。
君自身が行動をするにしろ、しないにしろ、災難を呼び込む性質だと。」
ジャンセンさんがかぁ……
そう言えば、あの方がおっしゃるには地球女子は…何かイベント呼び込む的な事言ってたよなぁ。
ディアーナ含めて。
「だから、君に勝手に動かれては困る。
俺が居ない場で君が災難に巻き込まれたりしたら…。
俺は自分が許せずに気が狂ってしまう。」
なんて大袈裟な…て思うけど、サイモンだったら本当にそうなりそう。
って言うかさ、さりげにわたしの身に何か起こる事が前提だとおっしゃっているのね。サイモンは。
分かりました、気をつけます…。
▼
▼
▼
マンバドナの襲撃を受けた翌朝。
カチュアとオースティンは従者の青年を伴い、昨夜の夜会を催したハウンゼン伯爵邸に赴いた。
オースティンは貴族の青年の装いをし、カチュアは騎士の装いで従者の青年と共にオースティンのソファの後ろに控えた。
オースティンはマンバドナの事を警戒していたハウンゼン伯爵にマンバドナが捕らえられた事を話し、マンバドナが魔剣を手に入れた経緯について何か知らないかと訊ねた。
ハウンゼン伯爵はマンバドナが捕らえられたと聞いても警戒を解かなかったが、捕らえられたマンバドナが魔剣と共に力を失い、年相応以上に老人のような見た目となり、会話も出来ない状態になったとまで話してやっと、安堵した様に表情が柔和になった。
「ある日……奴が私の前に、若い頃と同じ姿で現れた。
マンバドナの若い姿に驚いた私に、奴が『協力』を持ちかけてきた。」
ハウンゼン伯爵は重い口をやっと開き、その時を思い出す様に間を空けながらポツリ、ポツリと話していく。
「顔なじみのよしみで、お前も若さを望むならば与えてやっても良いと。
その代わりに贄をよこせと奴は言った。
要は死んで欲しい奴がいるなら殺してやると…。
魔剣を手に入れた自分には、その力があるのだからと」
「魔剣の所有者でない伯爵に若さを与えるなんて本当に出来たのですかね。
伯爵様は、どうお答えに?」
膝の上に両肘を乗せて指を組み、オースティンは身を乗り出して訊ねた。
オースティンの赤い瞳に射すくめられたハウンゼン伯爵が目を伏せる。
「魔剣が現存しているなんて思わなかったからな。
人を殺してやるなんて言われて最初は悪い冗談だと思った。」
「では伯爵はマンバドナの申し出を、断られたのですね。」
オースティンがハウンゼン伯爵に訊ねれば、ハウンゼン伯爵は、ゆるく首を横に振った。
「いや…最初は冗談かと思っていたが…奴の狂人の様な目に気付き、断われる様な雰囲気ではなかった。
魔剣が現存している事を知った私はもう退路を断たれたのだ。
断われば私が殺されていただろう。
アレは、若さと引き換えに人の命を絶え間なく欲しがるのだと言っていたからな。
だから私は奴の申し出に乗ったフリをして、その贄とやらを見つけるのを先延ばしにしていた。」
「その魔剣の入手方法については何か聞いておられませんか?」
「いや、私は何も…ただ…」
マンバドナの背後に居る者についての情報は結局何も手に入らなかった。
ただ、ハウンゼン伯爵がオースティンの真紅の瞳を見た際に、以前マンバドナが「赤い宝石」という言葉を口にしたのを思い出したと言った。
だが、どんな会話の流れで出た言葉かは覚えてないとの事。
帰りの馬車の中でカチュアは目を閉じて腕を組み、僅かな休みを取る。
殆ど眠れてないのであろう、疲労の色の濃いカチュアを見た意気消沈気味のオースティンがボソボソと呟いた。
「何のお役にも立てず、申し訳ありません…カチュア殿…。
私は、あまりにも自分が不甲斐なくて……」
オースティンの自責の言葉を聞いたカチュアが薄く目を開いた。
「貴方が謝る様な事ではありません。
これは仕方の無い事です。
オースティン様、私は貴方にはとても助けられました。」
「ああ、なんて優しい言葉を…
カチュア殿…ありがとうございます…」
「さあ涙を拭いて。
美しい貴方の顔に涙は似合いませんよ。」
「…………………」
━━自分は空気と同じ扱いなのか━━
従者の青年は居ない者とされたかの様に、馬車の狭い空間で目の前のグダグダな三流恋愛歌劇の様なやり取りを見せられている。
ヤリチンボンボンとカチュアに言わしめたオースティンが、このクサイ恋愛歌劇のヒロインだ。
だが、クサイかろうが、グダグダであろうが、これがオースティンにとっての初めての恋であり、初めての真剣な求愛行動なのだ。
それは無様であろうがたどたどしくあろうが、手探り状態の中で懸命にもがき続けながら、カチュアの心を少しでも自分の方に向けたくて必死なのだと見ていて分かる。
ただの傍観者として他人の目で見るならば、見ている方が恥ずかしくなる三文芝居の様なやり取りであっても、
この三文芝居の主人公は、長く仕えた我が主だ。
恋愛は肉体関係を結ぶまでの遊びとしか解釈していなかったオースティンを長く見てきた従者の青年にしてみれば、この初々しい初恋に一生懸命な主人を応援したい気にもなる。
━━が、カチュア殿にあしらわれている感が否め無いんだよな……
冷たくされているワケでもないし、どうフォローしたら良いか分からない。━━
オースティンには、ここまで執心なカチュアとの恋愛を成就して貰いたいと思いはするが、恋愛ごっこに付き合っているだけの様なカチュアの態度を見ていると先行き不安にしかならない。
カチュアがオースティンの「愛」に応える要素が微塵も浮かばないのだ。
「赤い宝石という言葉が気になります。
私はヒールナー伯爵邸に帰ります。
オースティン様、これまで私の我儘に付き合ってくださり、心より感謝致します。」
「そんな…!待って下さい!
私にもお手伝いさせて下さい!」
ウィットワース伯爵邸の門前に馬車が着き、カチュアがオースティンに礼を述べて立ち上がった。
カチュアと共に居たいオースティンは協力を申し出るがカチュアは首を横に振った。
マンバドナからスファイへと続く道は断たれ、早々に他の方法を探さねばならない。
焦りと共に疲労の色が濃いカチュアが馬車から降りようとした際に、足元がおろそかになりタラップを踏み外した。
「カチュア殿!」
オースティンの長い腕が馬車の中から伸び、カチュアの肩を掴んで倒れかけた身体を支えた。
「ありがとうございます、オースティン様…
恥ずかしい姿をお見せして………」
オースティンの腕に手を掛け支えとし、態勢を整えたカチュアがオースティンに詫びを口にした。
「カチュア様、殆ど寝てらっしゃらないですよね?
オースティン様、危なっかしくてカチュア様にこのままお帰り頂く事は出来ませんよ。」
従者の青年が言えばオースティンが頷き、馬車から降りてカチュアの細い身体を抱き上げた。
「オースティン!!貴様、何をする!!」
冷静さを欠いたカチュアはオースティンに女性らしく扱われる事に嫌悪の態度を見せオースティンの腕から降りようとしたが、オースティンは暴れるカチュアを離さないまま邸に向かった。
「カチュア様、どうか一度ゆっくりと休まれて下さい。
それから、もう一度考えましょう。
貴女の憂いを無くす方法を。」
「カチュア様、オースティン様は貴女様の身を案じているのです。
今のカチュア様は心身共に疲れ果てており、とても危うい。
どうか睡眠をしっかりとって身体と心を休ませて下さい。」
従者の青年の言葉を聞き、やっと自身の状態を把握したカチュアは、オースティンの腕の中で一度大きな息を吐き、オースティンの肩に頭を預けた。
「見苦しい真似をして、すみません……少し休みます。」
落ちる様に眠りについたカチュアを見てほっとしたオースティンは、カチュアを寝室へと運びベッドに横たえるとすぐに部屋を出た。
「ヒールナー伯爵邸に使いの者を。」
従者の青年にそう告げてオースティンは応接室のソファに横たわる。
「オースティン様も、ご自身のベッドでお眠りになられた方が良いのでは。」
「深く眠りたくないんだ……
悲しい事をたくさん考えてしまいそうで。」
目を覚ませばカチュアはウィットワース伯爵邸を出て行くだろう。
そうなれば、もうカチュアと自分を繋ぐ糸が断たれてしまう。
閉じ込めておく事も、側に居て欲しいと縋り付いて請う事も出来ない。
「カチュア殿……愛されなくてもいい……
ただ、貴女の側に………」
オースティンは目の上に腕を乗せ、浅い眠りについた。
見るからに落ち込んだわたしを見兼ねたお義母様が、わたしの身体を「よしよし」とあやす様にサイモンから離して自分の方に寄せた。
お義母様に庇われた様なわたしを見たサイモンが、気まずそうに口元を隠して「うむ…」と呟く。
「でもねメグミン、冷たい言い方をされたと思ったろうけどサイモンは間違ってないわよ。
貴女は我が家の女主人であり、今は身重かも知れない大事な身体。
私達は誰より何より貴女を守りたいの。
だからメグミン自らが何かをしようとするのはもっての外だけど、考えるだけでも貴女は一生懸命になるでしょう?
あまり振り回されないで欲しいのよ。」
お義母様はわたしをソファーに座らせて隣に座り、慰める様にわたしの頭を撫で続けて諭すように語りかける。
振り回されないで、は余計な事に首を突っ込むなって事かしら。
「そうですね…すみません軽率でした。」
とは、返事をしたものの━━
前世を思い出した日から、今のわたしの感覚は日本人の女子高生だった頃の自分に近い。
こちらの世界で貴族令嬢として20年近く過ごして来たとは言え、貴族の令嬢ミランダと言うよりは、山崎めぐみとしての気持ちの方が強くて……
だから、使用人の命よりも女主人であるわたしの精神的な平穏の方が大事とか、ちょっと分からない。
いや、ミランダとしては何となく「それが普通」って感覚があって分かるんだけど、めぐみとしては身分差に合わせて人の命に優劣をつけるってのが理解出来ない。
人の命がかかってんだもん。
何か出来ないかって考える位はいいじゃない?
なんて思っていたりする事は隠しておこう。
ソファーに座るわたしとお義母様の前のテーブルに、侍女がレモンを浮かべた紅茶を置いた。
温室でのティータイムはわたしのお気に入りのひとときだ。
寝室に閉じこもりきりだったわたしには久しぶり。
「メグミン、ほらこれ美味しいわよ食べて。
メグミンの大好きなバナナもあるわよ。」
お義母様は慰めているつもりなのか、わたしに餌付けを始めた。
温室で実ったフルーツを使ったパイを頬張りながらティータイムを満喫。
しょんぼりしていたわたしの表情に明るさが戻った為に、わたしが落ち着いたと感じたのかサイモンが呟いた。
「めぐみ……
師匠が言うには、君はトラブルメーカーなんだそうだ。」
「ブフォッ!!!」
半ば諦めにも似た呆れの溜め息をつき、困った様な口調でのサイモンの呟き。
思わず紅茶を噴き出しちゃったじゃないの、向かい側に座るサイモンに向けて。
ジャンセンさん、サイモンにナニ吹き込んでるのよ。
トラブルメーカーなんて言葉、こちらには無いでしょ。
「すすす、すみません…!
口に含んだモノを噴き出すなんて汚い事を…」
わたしの噴き出した紅茶を顔面に浴びたサイモンが、ハンカチを出して顔を軽く拭った。
「濡れはしたが君が噴き出したもの、汚くはない。」
そ、そうかなぁ…
わたしが出したから、ばっちぃと思わないなんて、いくらなんでも……いやぁ、ある意味スゲェわ…。
メグミン馬鹿のサイモンは、ある意味濃ゆい変態か。
「トラブルメーカーだと師匠が君をそう言った。
君自身が行動をするにしろ、しないにしろ、災難を呼び込む性質だと。」
ジャンセンさんがかぁ……
そう言えば、あの方がおっしゃるには地球女子は…何かイベント呼び込む的な事言ってたよなぁ。
ディアーナ含めて。
「だから、君に勝手に動かれては困る。
俺が居ない場で君が災難に巻き込まれたりしたら…。
俺は自分が許せずに気が狂ってしまう。」
なんて大袈裟な…て思うけど、サイモンだったら本当にそうなりそう。
って言うかさ、さりげにわたしの身に何か起こる事が前提だとおっしゃっているのね。サイモンは。
分かりました、気をつけます…。
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マンバドナの襲撃を受けた翌朝。
カチュアとオースティンは従者の青年を伴い、昨夜の夜会を催したハウンゼン伯爵邸に赴いた。
オースティンは貴族の青年の装いをし、カチュアは騎士の装いで従者の青年と共にオースティンのソファの後ろに控えた。
オースティンはマンバドナの事を警戒していたハウンゼン伯爵にマンバドナが捕らえられた事を話し、マンバドナが魔剣を手に入れた経緯について何か知らないかと訊ねた。
ハウンゼン伯爵はマンバドナが捕らえられたと聞いても警戒を解かなかったが、捕らえられたマンバドナが魔剣と共に力を失い、年相応以上に老人のような見た目となり、会話も出来ない状態になったとまで話してやっと、安堵した様に表情が柔和になった。
「ある日……奴が私の前に、若い頃と同じ姿で現れた。
マンバドナの若い姿に驚いた私に、奴が『協力』を持ちかけてきた。」
ハウンゼン伯爵は重い口をやっと開き、その時を思い出す様に間を空けながらポツリ、ポツリと話していく。
「顔なじみのよしみで、お前も若さを望むならば与えてやっても良いと。
その代わりに贄をよこせと奴は言った。
要は死んで欲しい奴がいるなら殺してやると…。
魔剣を手に入れた自分には、その力があるのだからと」
「魔剣の所有者でない伯爵に若さを与えるなんて本当に出来たのですかね。
伯爵様は、どうお答えに?」
膝の上に両肘を乗せて指を組み、オースティンは身を乗り出して訊ねた。
オースティンの赤い瞳に射すくめられたハウンゼン伯爵が目を伏せる。
「魔剣が現存しているなんて思わなかったからな。
人を殺してやるなんて言われて最初は悪い冗談だと思った。」
「では伯爵はマンバドナの申し出を、断られたのですね。」
オースティンがハウンゼン伯爵に訊ねれば、ハウンゼン伯爵は、ゆるく首を横に振った。
「いや…最初は冗談かと思っていたが…奴の狂人の様な目に気付き、断われる様な雰囲気ではなかった。
魔剣が現存している事を知った私はもう退路を断たれたのだ。
断われば私が殺されていただろう。
アレは、若さと引き換えに人の命を絶え間なく欲しがるのだと言っていたからな。
だから私は奴の申し出に乗ったフリをして、その贄とやらを見つけるのを先延ばしにしていた。」
「その魔剣の入手方法については何か聞いておられませんか?」
「いや、私は何も…ただ…」
マンバドナの背後に居る者についての情報は結局何も手に入らなかった。
ただ、ハウンゼン伯爵がオースティンの真紅の瞳を見た際に、以前マンバドナが「赤い宝石」という言葉を口にしたのを思い出したと言った。
だが、どんな会話の流れで出た言葉かは覚えてないとの事。
帰りの馬車の中でカチュアは目を閉じて腕を組み、僅かな休みを取る。
殆ど眠れてないのであろう、疲労の色の濃いカチュアを見た意気消沈気味のオースティンがボソボソと呟いた。
「何のお役にも立てず、申し訳ありません…カチュア殿…。
私は、あまりにも自分が不甲斐なくて……」
オースティンの自責の言葉を聞いたカチュアが薄く目を開いた。
「貴方が謝る様な事ではありません。
これは仕方の無い事です。
オースティン様、私は貴方にはとても助けられました。」
「ああ、なんて優しい言葉を…
カチュア殿…ありがとうございます…」
「さあ涙を拭いて。
美しい貴方の顔に涙は似合いませんよ。」
「…………………」
━━自分は空気と同じ扱いなのか━━
従者の青年は居ない者とされたかの様に、馬車の狭い空間で目の前のグダグダな三流恋愛歌劇の様なやり取りを見せられている。
ヤリチンボンボンとカチュアに言わしめたオースティンが、このクサイ恋愛歌劇のヒロインだ。
だが、クサイかろうが、グダグダであろうが、これがオースティンにとっての初めての恋であり、初めての真剣な求愛行動なのだ。
それは無様であろうがたどたどしくあろうが、手探り状態の中で懸命にもがき続けながら、カチュアの心を少しでも自分の方に向けたくて必死なのだと見ていて分かる。
ただの傍観者として他人の目で見るならば、見ている方が恥ずかしくなる三文芝居の様なやり取りであっても、
この三文芝居の主人公は、長く仕えた我が主だ。
恋愛は肉体関係を結ぶまでの遊びとしか解釈していなかったオースティンを長く見てきた従者の青年にしてみれば、この初々しい初恋に一生懸命な主人を応援したい気にもなる。
━━が、カチュア殿にあしらわれている感が否め無いんだよな……
冷たくされているワケでもないし、どうフォローしたら良いか分からない。━━
オースティンには、ここまで執心なカチュアとの恋愛を成就して貰いたいと思いはするが、恋愛ごっこに付き合っているだけの様なカチュアの態度を見ていると先行き不安にしかならない。
カチュアがオースティンの「愛」に応える要素が微塵も浮かばないのだ。
「赤い宝石という言葉が気になります。
私はヒールナー伯爵邸に帰ります。
オースティン様、これまで私の我儘に付き合ってくださり、心より感謝致します。」
「そんな…!待って下さい!
私にもお手伝いさせて下さい!」
ウィットワース伯爵邸の門前に馬車が着き、カチュアがオースティンに礼を述べて立ち上がった。
カチュアと共に居たいオースティンは協力を申し出るがカチュアは首を横に振った。
マンバドナからスファイへと続く道は断たれ、早々に他の方法を探さねばならない。
焦りと共に疲労の色が濃いカチュアが馬車から降りようとした際に、足元がおろそかになりタラップを踏み外した。
「カチュア殿!」
オースティンの長い腕が馬車の中から伸び、カチュアの肩を掴んで倒れかけた身体を支えた。
「ありがとうございます、オースティン様…
恥ずかしい姿をお見せして………」
オースティンの腕に手を掛け支えとし、態勢を整えたカチュアがオースティンに詫びを口にした。
「カチュア様、殆ど寝てらっしゃらないですよね?
オースティン様、危なっかしくてカチュア様にこのままお帰り頂く事は出来ませんよ。」
従者の青年が言えばオースティンが頷き、馬車から降りてカチュアの細い身体を抱き上げた。
「オースティン!!貴様、何をする!!」
冷静さを欠いたカチュアはオースティンに女性らしく扱われる事に嫌悪の態度を見せオースティンの腕から降りようとしたが、オースティンは暴れるカチュアを離さないまま邸に向かった。
「カチュア様、どうか一度ゆっくりと休まれて下さい。
それから、もう一度考えましょう。
貴女の憂いを無くす方法を。」
「カチュア様、オースティン様は貴女様の身を案じているのです。
今のカチュア様は心身共に疲れ果てており、とても危うい。
どうか睡眠をしっかりとって身体と心を休ませて下さい。」
従者の青年の言葉を聞き、やっと自身の状態を把握したカチュアは、オースティンの腕の中で一度大きな息を吐き、オースティンの肩に頭を預けた。
「見苦しい真似をして、すみません……少し休みます。」
落ちる様に眠りについたカチュアを見てほっとしたオースティンは、カチュアを寝室へと運びベッドに横たえるとすぐに部屋を出た。
「ヒールナー伯爵邸に使いの者を。」
従者の青年にそう告げてオースティンは応接室のソファに横たわる。
「オースティン様も、ご自身のベッドでお眠りになられた方が良いのでは。」
「深く眠りたくないんだ……
悲しい事をたくさん考えてしまいそうで。」
目を覚ませばカチュアはウィットワース伯爵邸を出て行くだろう。
そうなれば、もうカチュアと自分を繋ぐ糸が断たれてしまう。
閉じ込めておく事も、側に居て欲しいと縋り付いて請う事も出来ない。
「カチュア殿……愛されなくてもいい……
ただ、貴女の側に………」
オースティンは目の上に腕を乗せ、浅い眠りについた。
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