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熊の親父は灰色熊。

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ベルゼルト皇国を有した広大な大陸の南の方に、ガインの故郷であるヴィルムバッハ伯爵領がある。
領地はさほど広くはないが海にも面しており、規模は小さいが漁業も営んでいる。
農作物はガルバンゾーがメインとなっており、ヴィルムバッハの特産物でもある。


平和でのどかなこの領地を任された当主の伯爵はガインだが、ガインは王都に居を構えており、本人は王城に在住している為に領地にはほぼ来ない。

今、当主の代わりに領地の管理を任されているのは前当主だったガインの父親であるヴィルムバッハ前伯爵である。

ミーシャにとっては自分の祖父の兄にあたり、実母の伯父である。



ミーシャと王都の邸から護衛を兼ねて共に来た2人の従者は大きな深呼吸をし、意を決した様に朝イチでヴィルムバッハ邸を訪れた。
訪問すると連絡する間も無く、朝っぱらに唐突に来たのだ。
ただでさえ鬼の様に恐ろしい人だと噂される御仁。
良い顔をされるとは思えない。


伯爵邸としては少し規模の小さめの邸ではあるが、田舎にしては立派な邸である。
そんな邸に到着してみれば門扉は開きっぱなしで門番も居らず誰でも自由に入れる様な状態だった。


「入っても、いいのかしら。」


ミーシャと従者は顔を見合わせて頷くと誰にも断る事も出来ぬまま門扉をくぐり、アプローチを歩いて邸の玄関の扉の前に立った。
従者がドアノッカーを叩いて人を呼ぶ。
コツコツと、しばしドアの叩かれる音が辺りに鳴ったが玄関の観音開きの扉が開く気配はない。

さすがに勝手にドアを開くワケにはいかず、何度も続けてドアをノックする。


「んー?見慣れない方々ですが、どなたですかー?」


背後から声を掛けられ、ミーシャと2人の従者が一斉に振り返った。

ボサボサの茶色い頭に、薄汚れたボロボロの皮の胸当てを着けた青年が、手に練習用の木剣を持って立っている。
警戒はされていない様だが、ボンヤリしている様であるのに隙が無い。
ミーシャは前に進み出て、青年に答えた。


「これは申し訳ございません。
わたくしヴィルムバッハ伯爵家当主のガインが娘、ミーシャと申します。
急ではありますが、先代のヴィルムバッハ伯爵様はおいでになられますか?」


「え、伯爵様の娘?
て事は将軍の孫娘さんて事ー?
将軍なら邸の裏庭……と言うか鍛錬場に居ますよー。
一緒に行きますか?案内いたしますよー。」


「ありがとう、お願いしますわ。」


青年の後について行き、邸の庭を突っ切り邸の左側から裏手へと回る。

ミーシャがこの邸を訪れたのはこれが二度目。
10年前に両親が亡くなった際、祖父母も既に他界していたミーシャの親戚筋は、母の伯父にあたるヴィルムバッハ伯爵家しかなかった。
父子共々に戦で武勇をあげた軍人家系で、見た目も人柄も鬼神のように恐ろしいと噂の家だった。
その戦鬼と喩えられた鬼の棲む邸に、頼る者が居なかったミーシャは訪れるしかなかった。



邸の左側をグルッと回って裏庭の方に出れば、そこは庭とは名ばかりの立派な鍛錬の場となっており、20人ばかりの男性達が剣や体術の訓練をしていた。
大きな怒声の様な声が上がり熱気があり………暑苦しくて、むさ苦しい。
王城の訓練場よりも汗臭くて泥臭くて、何かがムンムンムレムレした感じがする。

そんな中で、目立つ程にひときわ大きな体躯の白髪頭の男が激しく檄を飛ばす。


「オラァ!そこぉ!腰引けてんぞ!
ちんたらすんじゃねぇ!!」


ミーシャと2人の従者は、その男を見て胃のあたりを押さえた。
伯爵当主のガインと似通った男の姿を。


「ちょーっと待っててー。
将軍に、お孫さんが来たって伝えて来るよー。」


この場にミーシャ達を案内して来た茶髪の青年が、大きな白髪頭の男に近付いて行った。


「貴族には見えませんが、ミーシャ様が伯爵様のご令嬢だと聞いた上で、あのような態度なんですね。
あの青年は。」


従者の1人が少し呆れ気味には言うが、ミーシャももう1人の従者も「そうだね」程度に頷く。
ガインもそうではあるが、砕けた態度に寛容なのはヴィルムバッハ伯爵家の血筋かも知れない。
貴族としての垣根が低く、身分の隔たりを感じさせずに他人を受け入れる。
逆に目上の者に不遜な態度を取る事もあるが王族とは旧知の仲であり、それを許された者達でもある。

青年に声を掛けられた白髪頭の大きな男がコチラを向いた。

60歳はとうに過ぎたであろうが、現役と言って差し支え無い筋骨隆々な肉体をしている。
ガインが熊なら、この男は灰色熊だ。

その灰色熊がミーシャに気付いた瞬間、とてつもない瞬発力でミーシャの元に来ると、そのままミーシャを抱き上げて腕に座らせた。


「ミーシャ!久しぶりだな!
随分と大人になって、美しくなった!」


「お祖父様、お久しぶりです。
相変わらずでいらっしゃいますわね。」


戦場に出れば鬼神と恐れられる男は、ミーシャの前では孫娘にデレデレなおじいちゃんである。
養女ではあるが唯一の孫がミーシャである為に、距離感が分かってない。
過剰にスキンシップをしたがる。


「急に来るなんて、どうしたミーシャ!
何か買って欲しいモンでもあるのか!?
わしと街に買い物に行くか!?」


「いえ、お祖父様。そうではなく…。」


「ガインは優しくしてくれているか?
王都の邸で不自由はしてないか?」


「いえ、お祖父様。実は私、今は王城に勤め…」


「都会の生活に疲れたなら、いつでも帰って来るといい!
田舎だが生活に不自由な事は無い!
ミーシャほどの器量良しなら婿になりたいってヤツもたくさん名乗りをあげるだろう!
わしが良い男を見つけてやろう!」


「いえ、お祖父様。私、婚約者がおりま……」


「おお、そうだ!
婿と言えば、ガインの奴にもいい人が出来たりしてないのか!?
戦も終わり一応は平和になったんだ!
もうそろそろ身を固めても良いと………」


「おじいちゃん!!
一回止まって私の話を聞いてくれませんかね!?」


返事をする間も与えられずに捲し立てる様に話し続ける将軍に苛ついたミーシャは、将軍の耳を掴んで引っ張ってしまった。

思わずとった行動にミーシャはハッとしたが、将軍は怒るどころかしょもん……と落ち込んだ様な悲しげな表情を見せた。


「すまん、ミーシャ……嬉しくて、つい……。」


「10年ぶりですものね。
あの頃は幼かった私も、今は20歳です。
今はお城に勤め、キリアン皇帝陛下の専属侍女をしておりますわ。
お城に勤めている騎士の方と婚約致しましたので、その報告を両親の墓前にと思い、こちらに参りました。」


将軍はキリアンの名を聞いた瞬間、スッと真面目な顔つきとなり、抱き上げていたミーシャを下に下ろした。

将軍はこれ見よがしにミーシャに強く引っ張られた耳を撫でて慰められたい表情を見せたが、ミーシャはこれを無視した。


「そうか、キリアン皇帝陛下の……。
サニーの孫は、立派な皇帝をやっている様だな。」


「サニー……先々代サニエン皇帝陛下の事ですか。
本当に、ヴィルムバッハ伯爵家は親子共々に王族の方々と仲がよろしいのですのね。」


「ああ!?サニーとは絶交中だ!
絶交したままポックリ逝きやがって!
あの世で会った時に、謝るまで許さん!
アイツはな、俺が特注して作ってやった眼鏡を「面倒だからルーペでいい」と数回使ってしまい込みやがったんだぞ!」


「その眼鏡はキリアン皇帝陛下から受け取ったお父様が今、使ってますわよ。」


「あー!?なんで!!」


「ちょーっ将軍ー、長旅でお疲れな、お嬢さんに立ち話も何でしょ。
一回邸に入って下さいよー。
鍛錬の方は俺が見てますんでー。」


ミーシャ達を案内して来た茶髪の青年が2人の間に割って入り、頭を掻きながら提案して来た。

将軍は、「おっ、そうだな」とミーシャを邸に案内する事にした。
当然の様に、ミーシャのあとをついて行こうとした2人の従者の肩が青年に掴まれる。


「お兄さん方はー、ここで俺達と一緒にカラダ鍛えましょーよ。」


「わ、私達も長旅で疲れて……」


「まぁまぁ、ぶっ倒れた時はちゃんとベッドに寝かせて介抱しますからー。
遠慮なさらずー。ねー?」


ミーシャ達は知らなかった。
この土地にまことしやかに囁かれる恐ろしい噂がある事を。
鬼が棲むヴィルムバッハ伯爵邸の門を男がくぐったならば、血ヘドを吐くような鍛錬を完遂しなければヴィルムバッハの邸から出られないという……。




将軍に案内され2人で邸に入ったミーシャは応接室に通された。
使用人の姿は無く、将軍自らが茶を淹れるのだと将軍は湯を沸かしに応接室を離れた。

応接室の窓の外には表の庭が見え、裏庭にある鍛錬場は見えないが、むさ苦しい掛け声と共に聞き覚えのある男の悲鳴の様な声が聞こえてきた。

…2人の従者を茶髪の青年に預けて来たが…そうか、そうゆう事か。

まぁ、死ぬ事は無いだろう。



「わしが淹れた茶ですまんな。
この時間に給仕をしてくれるようなモンは居なくてな。
昼を過ぎたら通いの者達が邸に来るんだが。」


銀製のトレイに湯の入ったポットとカップを用意して来た将軍は、ミーシャの向かいの席に座って楽しそうに茶を淹れ始める。


「構いませんわ。
それより……鍛錬場の方達は領地の方々ですの?
随分と厳しく鍛えてらっしゃるのね。」


「ああ庭のは、ほとんどが領民だな。
出入りの業者もいるし、農民もいる。
中には王城から送られて来たヤツもいるが。
何でも、陛下に一兵卒からやり直せと飛ばされて来たとか…。」


ああ、キリお兄ちゃんの魅惑の魔性に引っ掛けられた若者達か。

ミーシャが思わずほくそ笑む。


「王都から飛ばされた一兵卒はともかく、領民の方々にあれは厳し過ぎません?
田舎の警備兵にしては、あまりにも。
山賊か野盗でも出ますの?」


おじいちゃんみたいに背を丸め、将軍はぬるく薄い茶を微妙な顔つきでズズッと啜った後、大きく足を開いて腕を組み、ニッと笑った。


「幼いミーシャには教えていなかったが、ウチはベルゼルトの兵士養成地でもあるんだ。
鍛錬の場は裏庭だけではなく他にもある。
ミーシャが生まれる前の戦では、他所の大陸からの敵さん方がこの付近一帯の海岸から上陸しようとした。
あれ以来、わしはこの地を外海からベルゼルトを守る防衛の拠点として預かっている。」


「戦争が終わって、もう20年も経つのにですの。
いえ、つい1年ほど前までは皇国内での戦がありましたわね。」


「ヴィルムバッハの兵士は外の国から皇国を守るための兵士だ。
国内での争いには使わせん。
だが諸外国も巻き込む様な戦だ、その火種はまだ残っているのだろうな。
戦争は終わっていない、それが陛下のお考えなんだろう。
わしの役目は、国のために兵士を鍛え上げる事だ。
それは平和な世になったとしても変わりはせん。」


宣戦布告を受けるかも、とキリアンが言った言葉を思い出す。
ガインに至っては、もう戦争が起こるものだと考えている。


「キリお兄ちゃんが見て来て欲しいと言ったのは、この事なのね。」


他国から攻め入れられた際に戦える屈強な兵士達が、20年間、鍛錬した分だけ居るのだろう。

……そう言えば、どこの国が攻めて来るのか聞いてなかったわね。

でも大国ベルゼルト皇国に弓を引くなんて、よほどの理由が無い限りは誰も味方してくれないし無謀だわね。


「ところでミーシャ、ガインに良い人は出来たか?
わしもそろそろ初孫というものを……」


そわそわしながら訊ねる将軍に、ミーシャがヘラっと笑ってしまった。


「ええ、22歳のそれはそれは美しいお方と恋仲となっております。
ですが、プ……子を成すのは難しいかと…。」


ミーシャは困り果てつつも何だか可笑しくなり、思わず口を押さえて噴き出してしまった。


さて………どこまで説明して良いのやら。

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