貸本屋七本三八の譚めぐり ~熱を孕む花~

茶柱まちこ

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八章『悪鬼羅刹 後編』

その二

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 私が食島ではなくこの島に流れ着いたのは、私が相応しい場所で死ねるように、神様が導いたのだろうか。
 私は崖下に広がる真っ暗闇を見つめながら、神様とやらを呪った。
 ああ、でもそれなら神様。どうして私に世助を斬らせたの。どうして大好きな人を、二度も斬らせたの。心底恨むわよ。自分の身が滅ぶだけならまだしも、わざわざこんな地獄みたいな罰を与えなくたっていいじゃない。
 しかし、そんなふうに毒づいたところで何かが変わる訳でもない。私はすでに二人を手にかけてしまった。ならばいっそ、と私は手にしていた刀を握り直す。
「今更、何人殺したって変わらないわよね。……なら、父さんも殺さなきゃ」
 私が纏っていた赤い制服が、真夜中の潮風に揺れる。星明かりにさらされた衣服が、幽霊のように青白く輝く。ゆらゆら揺れて、真っ白な炎のような姿になって、私を焼くように包み込む。
 私は鬼女になろうとしているのだろうか。鬼火をまとった化け物になるのだろうか。
 ……ならば、それがいい。
 禁書などに安易に手を出し、愛する人たちを手にかけた私には、実に相応しい終わりじゃないか。どうせ地獄のような報いを受けるなら、いっそこの島のすべての業を背負って死んでいこうじゃないか。
 私は島の内側、村がある方角に足を向けようとして――最後にもう一度だけ、海の方を見やる。
「……おやすみ、世助。あの世で私なんか待ってないで、早く眠りなさいね」
 私はいつの間にか、花嫁のような綺麗な白無垢を纏っていた。

 *****

 世助と一緒に入ったあの奇妙な小屋へ、私はもう一度足を踏み入れる。奥の部屋に入り、机にあったノートの字を改めて確認して、私は確信した。これは間違いなく、父さんの筆跡――几帳面な父さんらしい、かっちりした字の並びだ。
 しかし、私には医療の知識がないから、カルテ代わりのノートを見てもなんの事かさっぱり分からない。他にも手がかりはないかと引き出しを探ると、日記帳のようなものを見つけた。
 中の記述によると、父さんは私たちに秘薬を渡す前から、医者の立場を利用して実験していたことが分かった。あろうことか、自分を頼ってやってくる患者たちに、治療薬だと偽って禁書の試薬を仕込んでいたらしい。試薬を打たれた人たちは最初、なんの変化もなかったようだが、徐々に奇妙な行動が目立ってくるようになったという。突然、同じ場所をぐるぐると回り始めたり、どこで使われているかも分からない言葉を話し出したり、突然危険な場所に身を投げたり――症状は様々だったようだ。 
 私が次々ページをめくって詳細を探っていたところに、突然、小屋の扉がコンコンと二回叩かれた。島の周囲を徘徊していた薄気味悪い気配を、扉の向こうから感じる。
「ごめんください、先生。お薬もらいにきました」
 嗄れた声だった。男か女かは分からない。ただ、私はその声に生物らしさというものを感じなかった。いや、生物らしさというか、生きているものらしさ、と言った方がいいのか。
「ごめんください、先生。お薬もらいにきました」
 違和感はさらに色濃くなる。二回目に聞こえた声は、一回目に聞こえたものと全く同じ速さ、同じ声の高さ、同じ調子をしていた。
 ノックと共に扉の向こうから聞こえてくるのが肉声ではなく、ラジオの音声のようだった。 
「ごめんください、先生。お薬もらいにきました」
 三回目、ノックの音がさらに強くなる。ドンドンドン、みしみしみし。扉を壊すような勢いだ。
「ご、ごめんくだささい、お、お薬りりりりもらいににきき、きました?」
 そして四回目――声がラジオが壊れた時のような、歪なものに変わる。
 私は相手の正体を確信して、刀に手をかけた。
「先生、おくずりッ――」
 シャン! という音に合わせて、刃が描いた軌跡通りに扉が横一文字に両断される。つがいが外れていたのか、扉としてはめられていた板はあっさり外れ、その場にバタンと落ちた。
「ぜんせぇ、おく、おく、おく、おくくくく」
 扉の向こうで血を吐きながら倒れていたのは、一人の老婆だった。歪な台詞を吐いている彼女の名前こそ知らないが、顔は知っている。彼女は、この島に住んでいた住民――そして、父さんのもとを時折訪れていた患者の一人だった。
 まだかろうじて息をしていた老婆に刀を振り下ろしてとどめを刺す。老婆が今度こそ事切れたのを確認して、私は周囲に目を向けた。
「……貴方たちも終わりよ。残念だけど」
 小屋の周りを、私を取り囲んでいたのは、老婆と同じようにおかしくなった人々だった。何も知らないまま、父さんの実験台にされてしまった、人だったモノ。父さんの本性に気づかないまま、怪我や病気の治療を求めてやってきて、禁書の試薬を飲まされてしまった哀れな人々。
 姉さんが起こした惨殺事件で、島から生存者がいなくなった後も――彼らは意味もなく奇行をただひたすら繰り返していたのだろう。
 その虚しい光景を想像すると、涙が出てくるようだった。
「可哀想にね。すぐ楽にしてあげるわね」 
 彼らは今や、私と同じ、亡霊も同然だった。
 私は彼らを憐れみながら刀を握り――周囲に集まってきた人々を切り刻んだ。
 もう二度と、目を覚ますことがないように。
 もう二度と、人としての尊厳を侵されないように。
 誰かに冒涜されることのないように。
「おいで、私が殺してあげる」
 村人たちはすがるように私の方へ近づいてきた。神様に救いを求めるかのように。
 私はそれに応じて、やってくる村人たちを次々に斬った。
「殺す、殺す。殺す! 皆、みんな、みーんな! 私が殺してあげるからね!」
 やってくる村人たちを斬っているうちに、私の太刀筋は加速していく。
 水が流れるような滑らかさで身体が動く。
 その周りを飾るように、赤い血飛沫が咲き乱れる。
「あぁ、全部! 全部斬らなきゃ! この島にあるものぜーんぶ! 全部全部全部! あは、あははははっ!」
 抵抗することなく、村人たちが私に斬られていく。
 胴を二つに斬り裂かれ、首を断ち斬られ、四肢を斬り落とされ――三者三様、百人百様、千差万別の赤い花を咲かせていた。
 斬りつけては真紅が飛び散る。
 斬り刻んでは真紅が飛び散る。
 私は鬼神のように暴れていた。
 いや、暴れるというよりも、気分としては舞を舞っているようなものだ。
 斬って跳んでまた斬って。
 回って斬ってまた跳んで。
 ただひたすら、同じことの繰り返し。
 途切れることなく続く、死の円舞だ。
 白銀の刃を片手にくるりくるりと踊っているうちに、真っ白だった私の白無垢は完全なる真紅に染まろうとしていた。
 長い髪に鉄の香りをまとい、唇には鮮やかな紅を引き、乱れた衣装から覗く肌も血に染めて。
 私の純白が血泥の真紅に埋め尽くされるまで、時間はそうかからないだろう。そして、真紅の花嫁が生まれた瞬間こそが――きっと、この舞台の終焉だ。
「ふふ、ふふふふっ、あははははっ」
 真紅舞い散る舞台で、私は笑う。
「あは、あふ……う、う……うう……!」
 笑いながら、涙を流す。
 全身に血を浴び、鉄の香りをまとうのが気持ちよくて、仕方がない。そんなことに快楽を見出していること自体が、酷く悲しい。
 視界に映った獲物を片っ端から斬りつけ、噴き出す血を全身に浴びて――その度に、自分の心が潤っていくのが分かる。
 ――ああ、私は化け物だ。人殺しの魔物になったんだ。
 涙は止まらなかった。
 もう、人には戻れないのだと、悟ってしまったから。
 ――大事な姉も。愛した恋人も。私は殺してしまった。
 ――それが酷く悲しいのに、酷く楽しかった。
 ――もっと斬らなければ。私はもう、醜い化け物なのだから。
 ――もう、椿井家には戻れないのだから。
「みんな、私が斬ってあげる。みんな、みんな……ふふふふふ」
 ――このまま“私”でなくなったなら。
 ――禁書に侵されてしまえば、彼らを殺してしまった苦痛も忘れられるのだろうか、と。
 ――そんなことを考えながら。
 ――ほとんど消えた理性で、考えながら。
 獲物を求めて、私は村々を歩く。
 何が起きているかも分からず、奇行を繰り返している元住民たちを、ひたすら斬り刻む。
「終わらせなきゃ――姉さんと同じように、皆も助けてあげないと」
 念仏のように唱えながら、言い聞かせながら、私は笑顔で血の海を作り続けた。  

 *****

 そうして舞い続けて、どのくらい経ったか。
 雲ひとつなく、どこまでも透き通るような星空の下、気づけば私だけが立っていた。
 星明かりに照らし出された肌も衣裳も、髪も刀も、全てが返り血で染まっていた。
 私以外は、誰一人立っていなかった。
 地面に体を横たえて、肌も衣服も地面も赤く染めて、一人残らず息絶えていた。
 まるで、踏み荒らされた赤い花畑だ。ぐちゃぐちゃに潰れた花たちの中で、私だけが、奇跡的に踏まれなかった最後の一輪のように咲いている。
「ああ。もう終わりか」
 自分の体だから、よく分かる――私はもう、五分ともたないだろう。あと少しで、私は私でなくなる。身も心も、私ではないものに変わる。だから、ここでもう、この幕は終わりなのだ。
 私は空を見上げた。星の煌めきが優しくて、私はほうっと息を吐きながら笑う。
 ようやく終わりが来たのだ。父さんのことだけが心残りだけど。村人たちは斬れても、父さんは最後まで見つからなかった。
 まあ、ここまでやれば十分だろう。この島で生まれた全ての厄災が、外の世界に危害を加えることはあるまい。
 これで最後だ――と、私は手にした刀の切っ先を、自身の喉へあてがった。
「……あぁ」
 でも、やっぱり死にたくないな。
 張り詰めていた喉の奥から、吐息とともに何かが込み上げてくる。
 死を受け入れた私の頭に、また優しい譚が浮かびあがる。
 記憶を取り戻した今にして思えば、椿井家で過ごした日々はなんて幸福な時間だったのだろう。人殺しの業を背負った私は、ほんの少しの間だけ、普通の女の子に戻ることができた。可愛い服に袖を通して、祭囃子にはしゃいで、普通の女の子として会話して、一人の人に恋をして。これが記憶を失っている間の仮初ではなくて、すべて本物だったなら、どんなに良かったか。
 悔しさと憎しみで涙を流して、姉さんと励まし合いながら訓練を重ね、禁書で作った秘薬で自分の身体を侵し、そして大切な姉を殺し――私の譚はどす黒く染まっている。
 もしかして、神様は私を哀れんだのだろうか。こんな結末を迎える前に少しだけ、幸せな夢を見させてくれたのかもしれない。 
 ――……ああ、でも、神様。そんなに私を哀れんだのなら、最期に彼の顔を見させてほしかったな。ここに彼がいたら、私のために泣いてくれたのだろうか。ぶっきらぼうで乱暴だけど、とても優しい人だから。化け物に堕ちて、散々人を斬り続けていく私の姿を見て、悲しんでくれただろうか。悲しい化け物だって、思ってくれたのかな。いつだって彼は私に笑いかけて、励ましてくれた。私の体を気にかけて、ずっと寄り添っていてくれた。彼の思いやりに、私は何度救われただろう。
 けれど、単にそれだけだったなら、私の心はこうはなっていない。不器用なところもたくさん持っているからこそ、私は彼がひどく愛おしかった。ひどく、愛したくなった。
 もう会えない、愛しい人の姿を思い浮かべて、目の奥が熱くなる。見上げた空の星が、滲んでいく。
 ――なんて、烏滸がましい。なんて、図々しい。
 殺人鬼わたしを憐れむ人なんて、いるわけがない。そもそも、禁書の毒による衝動を抑えられないまま彼を殺してしまったのは、他でもない私だ。私は愛してくれた人を自分の手でほふってしまった、罪深い女だ。
 そんな女に愛される資格なんてあるわけがない。
 私は一人で死ぬのが相応しい。
 一人で地獄に落ちればいい。
 一人で全てを背負って、消えればいいのだ。
 愛した人も、知らぬ場所で。
「……さようなら」
 私は刀を握り直し、今度こそ、と心を決める。
「ありがとう。世助」
 息をひと吸いし、勢いをつけて、刀の先を自分の方へ引き寄せる。
 しかし、切っ先が喉に僅かに触れたところで――私の手はピタリと止まった。
「……?」
 どんなに力を込めようとしても、手が動かない。
 見えない手にがっちりと掴まれて、それ以上喉に突き込むことは許さないと言われているようだった。
「は、は……なによ、それ。私、自分で死ぬこともできないの?」
 確かな力によるもの。禁書の意思によるもの。
 姉さんが殺してと懇願していた真の理由を、私はここに来て理解した。
 私はすでに、禁書の傀儡くぐつなのだ――禁書の支配下にある傀儡に、自害は許されない。
「……そんなの、そんな」
 しかし、私はここで死ななければならないのだ。そうでなければ、私は単なる人を殺すだけの兵器になってしまう。
 いやだ。そんなの、嫌すぎる。
「嫌よ、助けてよ」
 助けて、誰か。
 私を。
「誰か……助けてよぉっ!」
 
「おう、助けてやるよ」
 
 パキン! と硬い音がこだまする。
 私は弾かれたように、手に握っていた刀を目視で確かめる。そして、息を飲んだ。
 私がいっとき目を瞑ったその間に、喉を貫くはずだった刀身の、ちょうど真ん中から先が
 ただの刀ではない――何十何百という数の人間を斬っても、折れも曲がりもしなかった、禁書の刀だというのに。それがまるで折り紙を破りとったかのように、折られていたのである。
「そんな格好でなにしてんだよ、リツ」
 その声がもう一度鼓膜を叩いた瞬間、折れた刀と声の主が、頭の中で一本の線に繋がった。
「よす、け……?」
 見れば、思い描いた通りの姿が、そこにはあった。
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