上 下
29 / 51
五章『花、熱る 前編』

その五

しおりを挟む
「不服だわ。私はただ貴方を庇っただけなのに、なんで怒られなきゃならないのよ」
「当たり前だろ、下手したら怪我人が出てたかもしれねえんだから」
 リツがいなくても、おれ一人で上手い対処は十分できていた……とまでは言うまい。けれど、少なくともリツよりはまともな行動を取っていたはずだ。言っちゃなんだが、男湯で女二人が取っ組み合いを始めるなんて論外だし、正気の沙汰ではない。
 それに、リツは相手を厳しく諭すことはあっても、積極的に喧嘩を買って煽るような性格ではなかったはずだ。しかも、相手は子供だというのに。なんというか、今回の彼女は彼女らしくない。
「なんで気づかないのよ」
 おれが一人首を傾げていると、リツが本当に不思議だと言いたげな目つきでおれを見て来る。
「なにもかもあの子のやりたい放題よ。計画的犯行。私が先回りして邪魔してなければ、貴方もっととんでもない目に遭わされていたかもしれない。それに、このままじゃあの子の行動がもっと過激化しかねないわ」
「まあ……令嬢の立場を利用して好き勝手にやってるってのは分かるよ。でも、所詮は子供のやることだろ? 言ってることは確かに結婚とかなんとかとんでもないことばっかりだけど、あの子も構ってほしいだけなんじゃ」
「世助」
 ひときわ通る声でおれの名を呼び、言葉を遮るリツ。彼女の目尻がギュッと上がる。元々つり目気味でキツい性格に見えることもあるリツだが、その眼光はよりいっそう険しくなった。
「計画的犯行って言ったでしょ。昨日私たちが泊まったお部屋、今日は元から宿泊客なんていなかったのよ」
「え?」
「お風呂に行く前、本当にあのお部屋に泊まりの客がいたのか自分の目で確かめてきたの。そしたら誰もいないどころか、人がいた形跡もなかったのよ。荷物もないし、くずかごも空。お茶菓子の用意もなかった。受付でそれを言ったら色々誤魔化されそうになったけど、予約台帳の内容を指摘したらようやく白状したわ」
 ……飯を食ったあとで急に姿が見えなくなったと思ったら、受付にまで乗り込んでたのか、この人。暴漢をぶっ飛ばしたり、自分を襲った禁書の遊び相手を平然と引き受けたり、半裸で男湯に乱入してきたり……やることなすことが随分と大胆というか、豪胆な人だ。
「夏目って名前を聞いた途端、あの子の目の色が変わったから、世助のことを狙っているんだろうなとは思ったの。それに、そばにいる私のことは目の敵にしていたし、変な方向に話が拗れそうだとも思った」
 つまり、金のないおれたちに無料で寝床を提供してきた時点では、リツはナナヱのことを既に怪しんでいたのだ。あのなんとなく暗かった表情は気後れから来たものではなく、ナナヱが何かを企んでいると察知してのものだったのだろう。
「それに、二人同室が決まっている宿泊券で若い男と女が来たから、宿の人たちは私たちを恋仲だと思っていたらしいの。なら、別の部屋に移ってもらうとしても、恋人たちが泊まっている部屋をわざわざ別々に分けたりなんて無粋なことをすると思う?」
「……し、ないと思う。普通は」
「なら、この宿の支配人である加峯家のご令嬢が、宿の人に頼んで私たちの部屋を分けさせたと考えるのが自然でしょう」
 ……つまり、リツが言おうとしていることは、ナナヱはおれとリツがにあると踏んだ上で、邪魔をしてきている――自分の目的のために意図的にリツを遠ざけ、おれに接近する機会を作っていた。ということだ。
「甘い考えは捨てた方がいいわ。貴方が思っている以上にあの子は強かよ」
 なるほど、ナナヱのリツに対する態度が何となく冷めているように見えた理由はそういうことだったのか。リツがおれの交際相手であると勘違いしていたから、恋敵として敵視していたのだ。
 ……しかし、それならそれで、余計に分からない。人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られるのがお決まりなので、普通なら恋人がいるとわかった時点で引き下がるところだ。どうしてわざわざこんな大掛かりな邪魔をしてまで、おれをリツから奪い取ろうなんて考えるのだろう(もちろんナナヱの勘違いだが)。そんなことをすれば面倒な展開は避けられないことくらい、さすがに子供と言えども予想はつくはずだ。なぜおれにそこまで固執するのだろう。
「――だとしたら……だとしたら、余計に放っておけねえよ。あんな小さな子が、なんで本気で結婚しようとおれを狙ってるんだ」
「そんなこと知るもんですか。どんな理由があろうと、あの子がやっていることはただの迷惑行為よ」
「けど……」
「世助。貴方の優しい心意気は買うけど、一方的に敵視されて蚊帳の外に置かれている私の気持ちも考えてくれないかしら。何も悪いことをしていないのに邪魔者扱いなんかされたら、私だって面白くないわよ」
「う……」
 リツの不満も、いよいよ溜まりに溜まってきている。確かに彼女からしてみれば、いわれのないことで除け者にされているのだ。ナナヱのやっていることは、リツにしてみれば嫌がらせ以外の何物でもない。
「……ごめん。リツがすごく嫌な思いをしているって話が分からないわけじゃないんだ。でも、ナナヱもリツをいたずらに傷つけるためにやっているわけじゃないんだと思う。単に嫌な性格をしてるんじゃなくて、訳があるんじゃないか」
「訳って?」
「……前のおれみたいに特殊な環境下で育てられて、なにかに追い詰められて、無理やりでも結婚しなきゃって考えてるんじゃないか……って、おれは予感してて」
 夏目家はそれこそ、偏見だらけの価値観と極端な評価で満ちていた。おれは世間一般を知らなかったが故に、それに縛られて苦しんだのだ。他の四大武家の子供も全てそうだとは思いたくないのだが、残念なことに有り得ない話とも言い切れない。仮にそういったお家の価値観が関係していなかったとしても、まだ小学校に通っているような年齢の少女が、恋仲と思っている二人を引き裂こうとしてまで結婚にこだわっているのだ。ナナヱが普通でない状況に置かれているのはほぼ間違いないだろう。似た状態に心当たりがあるからこそ、ナナヱを無視することはどうしてもおれにはできないのだ。
 リツは苛立たしげに腕を組みつつも、おれの話の続きに黙って耳を傾けている。
「リツ。一度、ナナヱと一対一でしっかり話をさせてくれないか。リツがいると、あの子はそっちに気が持っていかれちまうだろうから。もしあの子が困ってるなら、助けてやりたいんだ。もちろん結婚なんて引き受けないし、リツを除け者にすることもやめるように言うつもりだ」
 頼む、と彼女の目を見て懇願する。リツはしばらく眉間に皺を寄せたままだったが、おれが本気だと分かると、ふうっ、と大きくため息をついた。
「そういう人よね、貴方って。私を助けたことについても、同じような境遇だったから、みたいなことを言ってたもの。同情した相手を放ってはおけないんでしょう?」
「……ごめん」
 馬鹿で仕方のない奴め、と言われたような気がして、おれはつい、謝罪の言葉をまた口にする。
「いいえ、いいの。それが貴方でしょうし。貴方らしい言葉だわ」
 リツはそう言うと、薄く笑みを浮かべた。
「分かった、しばらくは大人しくしてる。でも、状況次第では私も介入させてもらうから」
「悪い、世話かける。……ありがとうな、リツ」
 
 *****

「……!? ッッッきゃあああああああああああ!?!?」
 さて、邑咲苑二泊目の夜のことである。その時、とある客室からあがったのは、リツの悲鳴ではなくおれの悲鳴だった。
 そろそろ寝るかと布団で横になり、うとうと微睡んでいたその時。ずしっと腰の辺りに重いものが乗ったのを感じたのだ。最初は足音が軽かったこともあり、寅松がやってきたという可能性も考えたが、いくら寅松が肥満体型と言ってもこれは明らかに重すぎだ。間違いなく人間だと確信したところで、おれの顔を覗き込む寝間着姿のナナヱと目が合い、おれは吃驚して叫んでしまった。
「今度はなに!?」
「夜這い、でしょうか」
「でしょうかじゃねえんだよ、頓珍漢!! もっとまともな釈明をしろ!」
 あまりにも彼女の顔との距離が近かったので、おれの心臓は頻りにばくばく跳ねている。
「自他共に夫婦であると認めてもらうには、既成事実を作るのが良いと思いまして」
「十二歳のガキとそんなもん作れるわけねえだろ!! だいたい既成事実の意味分かってんのか、お前!?」
「ですからこうして夜這いに来ました」
「あっ、分かってるっぽい!! なおタチ悪いわ!!」
 ナナヱがませているのか、最近の十二歳の精神が早熟すぎるのかは知らないが、教育の結果としてこれはどうなのか。おれの身動きを封じるように、ナナヱはしっかりと腰の上に馬乗りになっていた。
「ちょっと、どうしたの!? 今すごい声がした、けど……」
 そこへ折悪く、おれの悲鳴を聞いたリツがすっ飛んできた。驚いていたリツの表情が、みるみるうちに鈍色に曇っていく。
「……なにしてるの」
「ち、違う! 違うんだ、リツ! これは……」
「認めて下さらないのであれば強硬手段も辞さぬということです」
「何言ってんの、この子!?」
 ナナヱはおれに跨った状態で、やって来たリツにしっかり敵意を向けながら、毅然とした態度でとんでもないことを言い放つ。それを受けたリツは一瞬だけよろめき、険しい顔でこめかみの辺りを押さえていた。
「……ちょっと気分が悪くなってきた」
「え!? 待て、リツ! どこに行く!」
「ごめんなさい」
「リツ!? リツさーーん!?!?」
 ナナヱと一対一で話し合いたいとは確かに言ったが、なにか盛大な勘違いをされたまま置いていかれるのはさすがに嫌だ。おれは若干覚束ない足取りで部屋の外へ出ていくリツを呼び止めようとしたが、その前にナナヱがおれの上半身に体重をかけてのしかかってきた。
「これでやっと二人きりですね。では世助様、目を閉じてくださいませ。すぐに終わりますので」
「待て待て、お前ちょっと待て! まず状況が訳分からんから説明してくれ」
「ですから、世助様に娶って貰おうと」
「そうじゃなくて!」
 おれは仰向けだった体をぐるりと返し、のしかかっていたナナヱごと転がって起き上がった。「きゃうっ」という声とともに、ナナヱが畳の上にごろりと転がる。
 とりあえずおれはその場で正座し、ナナヱにもそこへ座るように促す。ナナヱはおれが指をさしたその場所へちょこんと正座した。
「おれが聞きたいのは、お前がおれに娶られようとしてる理由だよ。お前はまだ十二だろ。なんで既成事実とかそんなこと言ってまで躍起になってんだ」
 十二歳がこんなことをするなんて、いくら彼女がませているにしても度が過ぎるというものだ。何があって夜這いまでけしかけているのだとおれは問い質した。
 ナナヱはしばらくふわふわとした様子でおれを見ていたが、やがてゆっくりと、その小さな口を動かした。
「……人様にあまり話すような内容ではないと思うのですが、それでも話さなければなりませんか?」
 彼女はそう言うと、唇へくっくっと歯を立てて噛んでいた。まるで、そわそわと落ち着かない自分を無理やり落ち着かせようとするように。
「全部とは言わない。お前が言いたくないことまで言わなくていい。でも、おれにどうでも娶られなきゃならないと思ってる理由があるなら、それを教えて欲しい」
「…………」
 ナナヱは一度顔を俯かせ、再びおれの方へ向けた。その時見えた彼女の目に、おれは――かつての自分を思い浮かべた。
 ――死の一途まで追い詰められた、七本屋に来る前の自分なつめよすけを。


 五章『花、熱る 前編』・了
 後編へ続く
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜

なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」  静寂をかき消す、衛兵の報告。  瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。  コリウス王国の国王––レオン・コリウス。  彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。 「構わん」……と。  周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。  これは……彼が望んだ結末であるからだ。  しかし彼は知らない。  この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。  王妃セレリナ。  彼女に消えて欲しかったのは……  いったい誰か?    ◇◇◇  序盤はシリアスです。  楽しんでいただけるとうれしいです。    

十年目の離婚

杉本凪咲
恋愛
結婚十年目。 夫は離婚を切り出しました。 愛人と、その子供と、一緒に暮らしたいからと。

【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?

つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。 彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。 次の婚約者は恋人であるアリス。 アリスはキャサリンの義妹。 愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。 同じ高位貴族。 少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。 八番目の教育係も辞めていく。 王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。 だが、エドワードは知らなかった事がある。 彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。 他サイトにも公開中。

何を間違った?【完結済】

maruko
恋愛
私は長年の婚約者に婚約破棄を言い渡す。 彼女とは1年前から連絡が途絶えてしまっていた。 今真実を聞いて⋯⋯。 愚かな私の後悔の話 ※作者の妄想の産物です 他サイトでも投稿しております

6年後に戦地から帰ってきた夫が連れてきたのは妻という女だった

白雲八鈴
恋愛
 私はウォルス侯爵家に15歳の時に嫁ぎ婚姻後、直ぐに夫は魔王討伐隊に出兵しました。6年後、戦地から夫が帰って来ました、妻という女を連れて。  もういいですか。私はただ好きな物を作って生きていいですか。この国になんて出ていってやる。  ただ、皆に喜ばれる物を作って生きたいと願う女性がその才能に目を付けられ周りに翻弄されていく。彼女は自由に物を作れる道を歩むことが出来るのでしょうか。 番外編 謎の少女強襲編  彼女が作り出した物は意外な形で人々を苦しめていた事を知り、彼女は再び帝国の地を踏むこととなる。  私が成した事への清算に行きましょう。 炎国への旅路編  望んでいた炎国への旅行に行く事が出来ない日々を送っていたが、色々な人々の手を借りながら炎国のにたどり着くも、そこにも帝国の影が・・・。  え?なんで私に誰も教えてくれなかったの?そこ大事ー! *本編は完結済みです。 *誤字脱字は程々にあります。 *なろう様にも投稿させていただいております。

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

婚約者の浮気相手が子を授かったので

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ファンヌはリヴァス王国王太子クラウスの婚約者である。 ある日、クラウスが想いを寄せている女性――アデラが子を授かったと言う。 アデラと一緒になりたいクラウスは、ファンヌに婚約解消を迫る。 ファンヌはそれを受け入れ、さっさと手続きを済ませてしまった。 自由になった彼女は学校へと戻り、大好きな薬草や茶葉の『研究』に没頭する予定だった。 しかし、師であるエルランドが学校を辞めて自国へ戻ると言い出す。 彼は自然豊かな国ベロテニア王国の出身であった。 ベロテニア王国は、薬草や茶葉の生育に力を入れているし、何よりも獣人の血を引く者も数多くいるという魅力的な国である。 まだまだエルランドと共に茶葉や薬草の『研究』を続けたいファンヌは、エルランドと共にベロテニア王国へと向かうのだが――。 ※表紙イラストはタイトルから「お絵描きばりぐっどくん」に作成してもらいました。 ※完結しました

処理中です...