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五章『花、熱る 前編』
その五
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「不服だわ。私はただ貴方を庇っただけなのに、なんで怒られなきゃならないのよ」
「当たり前だろ、下手したら怪我人が出てたかもしれねえんだから」
リツがいなくても、おれ一人で上手い対処は十分できていた……とまでは言うまい。けれど、少なくともリツよりはまともな行動を取っていたはずだ。言っちゃなんだが、男湯で女二人が取っ組み合いを始めるなんて論外だし、正気の沙汰ではない。
それに、リツは相手を厳しく諭すことはあっても、積極的に喧嘩を買って煽るような性格ではなかったはずだ。しかも、相手は子供だというのに。なんというか、今回の彼女は彼女らしくない。
「なんで気づかないのよ」
おれが一人首を傾げていると、リツが本当に不思議だと言いたげな目つきでおれを見て来る。
「なにもかもあの子のやりたい放題よ。計画的犯行。私が先回りして邪魔してなければ、貴方もっととんでもない目に遭わされていたかもしれない。それに、このままじゃあの子の行動がもっと過激化しかねないわ」
「まあ……令嬢の立場を利用して好き勝手にやってるってのは分かるよ。でも、所詮は子供のやることだろ? 言ってることは確かに結婚とかなんとかとんでもないことばっかりだけど、あの子も構ってほしいだけなんじゃ」
「世助」
ひときわ通る声でおれの名を呼び、言葉を遮るリツ。彼女の目尻がギュッと上がる。元々つり目気味でキツい性格に見えることもあるリツだが、その眼光はよりいっそう険しくなった。
「計画的犯行って言ったでしょ。昨日私たちが泊まったお部屋、今日は元から宿泊客なんていなかったのよ」
「え?」
「お風呂に行く前、本当にあのお部屋に泊まりの客がいたのか自分の目で確かめてきたの。そしたら誰もいないどころか、人がいた形跡もなかったのよ。荷物もないし、くずかごも空。お茶菓子の用意もなかった。受付でそれを言ったら色々誤魔化されそうになったけど、予約台帳の内容を指摘したらようやく白状したわ」
……飯を食ったあとで急に姿が見えなくなったと思ったら、受付にまで乗り込んでたのか、この人。暴漢をぶっ飛ばしたり、自分を襲った禁書の遊び相手を平然と引き受けたり、半裸で男湯に乱入してきたり……やることなすことが随分と大胆というか、豪胆な人だ。
「夏目って名前を聞いた途端、あの子の目の色が変わったから、世助のことを狙っているんだろうなとは思ったの。それに、そばにいる私のことは目の敵にしていたし、変な方向に話が拗れそうだとも思った」
つまり、金のないおれたちに無料で寝床を提供してきた時点では、リツはナナヱのことを既に怪しんでいたのだ。あのなんとなく暗かった表情は気後れから来たものではなく、ナナヱが何かを企んでいると察知してのものだったのだろう。
「それに、二人同室が決まっている宿泊券で若い男と女が来たから、宿の人たちは私たちを恋仲だと思っていたらしいの。なら、別の部屋に移ってもらうとしても、恋人たちが泊まっている部屋をわざわざ別々に分けたりなんて無粋なことをすると思う?」
「……し、ないと思う。普通は」
「なら、この宿の支配人である加峯家のご令嬢が、宿の人に頼んで私たちの部屋を分けさせたと考えるのが自然でしょう」
……つまり、リツが言おうとしていることは、ナナヱはおれとリツがそういう関係にあると踏んだ上で、邪魔をしてきている――自分の目的のために意図的にリツを遠ざけ、おれに接近する機会を作っていた。ということだ。
「甘い考えは捨てた方がいいわ。貴方が思っている以上にあの子は強かよ」
なるほど、ナナヱのリツに対する態度が何となく冷めているように見えた理由はそういうことだったのか。リツがおれの交際相手であると勘違いしていたから、恋敵として敵視していたのだ。
……しかし、それならそれで、余計に分からない。人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られるのがお決まりなので、普通なら恋人がいるとわかった時点で引き下がるところだ。どうしてわざわざこんな大掛かりな邪魔をしてまで、おれをリツから奪い取ろうなんて考えるのだろう(もちろんナナヱの勘違いだが)。そんなことをすれば面倒な展開は避けられないことくらい、さすがに子供と言えども予想はつくはずだ。なぜおれにそこまで固執するのだろう。
「――だとしたら……だとしたら、余計に放っておけねえよ。あんな小さな子が、なんで本気で結婚しようとおれを狙ってるんだ」
「そんなこと知るもんですか。どんな理由があろうと、あの子がやっていることはただの迷惑行為よ」
「けど……」
「世助。貴方の優しい心意気は買うけど、一方的に敵視されて蚊帳の外に置かれている私の気持ちも考えてくれないかしら。何も悪いことをしていないのに邪魔者扱いなんかされたら、私だって面白くないわよ」
「う……」
リツの不満も、いよいよ溜まりに溜まってきている。確かに彼女からしてみれば、いわれのないことで除け者にされているのだ。ナナヱのやっていることは、リツにしてみれば嫌がらせ以外の何物でもない。
「……ごめん。リツがすごく嫌な思いをしているって話が分からないわけじゃないんだ。でも、ナナヱもリツをいたずらに傷つけるためにやっているわけじゃないんだと思う。単に嫌な性格をしてるんじゃなくて、訳があるんじゃないか」
「訳って?」
「……前のおれみたいに特殊な環境下で育てられて、なにかに追い詰められて、無理やりでも結婚しなきゃって考えてるんじゃないか……って、おれは予感してて」
夏目家はそれこそ、偏見だらけの価値観と極端な評価で満ちていた。おれは世間一般を知らなかったが故に、それに縛られて苦しんだのだ。他の四大武家の子供も全てそうだとは思いたくないのだが、残念なことに有り得ない話とも言い切れない。仮にそういったお家の価値観が関係していなかったとしても、まだ小学校に通っているような年齢の少女が、恋仲と思っている二人を引き裂こうとしてまで結婚にこだわっているのだ。ナナヱが普通でない状況に置かれているのはほぼ間違いないだろう。似た状態に心当たりがあるからこそ、ナナヱを無視することはどうしてもおれにはできないのだ。
リツは苛立たしげに腕を組みつつも、おれの話の続きに黙って耳を傾けている。
「リツ。一度、ナナヱと一対一でしっかり話をさせてくれないか。リツがいると、あの子はそっちに気が持っていかれちまうだろうから。もしあの子が困ってるなら、助けてやりたいんだ。もちろん結婚なんて引き受けないし、リツを除け者にすることもやめるように言うつもりだ」
頼む、と彼女の目を見て懇願する。リツはしばらく眉間に皺を寄せたままだったが、おれが本気だと分かると、ふうっ、と大きくため息をついた。
「そういう人よね、貴方って。私を助けたことについても、同じような境遇だったから、みたいなことを言ってたもの。同情した相手を放ってはおけないんでしょう?」
「……ごめん」
馬鹿で仕方のない奴め、と言われたような気がして、おれはつい、謝罪の言葉をまた口にする。
「いいえ、いいの。それが貴方でしょうし。貴方らしい言葉だわ」
リツはそう言うと、薄く笑みを浮かべた。
「分かった、しばらくは大人しくしてる。でも、状況次第では私も介入させてもらうから」
「悪い、世話かける。……ありがとうな、リツ」
*****
「……!? ッッッきゃあああああああああああ!?!?」
さて、邑咲苑二泊目の夜のことである。その時、とある客室からあがったのは、リツの悲鳴ではなくおれの悲鳴だった。
そろそろ寝るかと布団で横になり、うとうと微睡んでいたその時。ずしっと腰の辺りに重いものが乗ったのを感じたのだ。最初は足音が軽かったこともあり、寅松がやってきたという可能性も考えたが、いくら寅松が肥満体型と言ってもこれは明らかに重すぎだ。間違いなく人間だと確信したところで、おれの顔を覗き込む寝間着姿のナナヱと目が合い、おれは吃驚して叫んでしまった。
「今度はなに!?」
「夜這い、でしょうか」
「でしょうかじゃねえんだよ、頓珍漢!! もっとまともな釈明をしろ!」
あまりにも彼女の顔との距離が近かったので、おれの心臓は頻りにばくばく跳ねている。
「自他共に夫婦であると認めてもらうには、既成事実を作るのが良いと思いまして」
「十二歳のガキとそんなもん作れるわけねえだろ!! だいたい既成事実の意味分かってんのか、お前!?」
「ですからこうして夜這いに来ました」
「あっ、分かってるっぽい!! なおタチ悪いわ!!」
ナナヱがませているのか、最近の十二歳の精神が早熟すぎるのかは知らないが、教育の結果としてこれはどうなのか。おれの身動きを封じるように、ナナヱはしっかりと腰の上に馬乗りになっていた。
「ちょっと、どうしたの!? 今すごい声がした、けど……」
そこへ折悪く、おれの悲鳴を聞いたリツがすっ飛んできた。驚いていたリツの表情が、みるみるうちに鈍色に曇っていく。
「……なにしてるの」
「ち、違う! 違うんだ、リツ! これは……」
「認めて下さらないのであれば強硬手段も辞さぬということです」
「何言ってんの、この子!?」
ナナヱはおれに跨った状態で、やって来たリツにしっかり敵意を向けながら、毅然とした態度でとんでもないことを言い放つ。それを受けたリツは一瞬だけよろめき、険しい顔でこめかみの辺りを押さえていた。
「……ちょっと気分が悪くなってきた」
「え!? 待て、リツ! どこに行く!」
「ごめんなさい」
「リツ!? リツさーーん!?!?」
ナナヱと一対一で話し合いたいとは確かに言ったが、なにか盛大な勘違いをされたまま置いていかれるのはさすがに嫌だ。おれは若干覚束ない足取りで部屋の外へ出ていくリツを呼び止めようとしたが、その前にナナヱがおれの上半身に体重をかけてのしかかってきた。
「これでやっと二人きりですね。では世助様、目を閉じてくださいませ。すぐに終わりますので」
「待て待て、お前ちょっと待て! まず状況が訳分からんから説明してくれ」
「ですから、世助様に娶って貰おうと」
「そうじゃなくて!」
おれは仰向けだった体をぐるりと返し、のしかかっていたナナヱごと転がって起き上がった。「きゃうっ」という声とともに、ナナヱが畳の上にごろりと転がる。
とりあえずおれはその場で正座し、ナナヱにもそこへ座るように促す。ナナヱはおれが指をさしたその場所へちょこんと正座した。
「おれが聞きたいのは、お前がおれに娶られようとしてる理由だよ。お前はまだ十二だろ。なんで既成事実とかそんなこと言ってまで躍起になってんだ」
十二歳がこんなことをするなんて、いくら彼女がませているにしても度が過ぎるというものだ。何があって夜這いまでけしかけているのだとおれは問い質した。
ナナヱはしばらくふわふわとした様子でおれを見ていたが、やがてゆっくりと、その小さな口を動かした。
「……人様にあまり話すような内容ではないと思うのですが、それでも話さなければなりませんか?」
彼女はそう言うと、唇へくっくっと歯を立てて噛んでいた。まるで、そわそわと落ち着かない自分を無理やり落ち着かせようとするように。
「全部とは言わない。お前が言いたくないことまで言わなくていい。でも、おれにどうでも娶られなきゃならないと思ってる理由があるなら、それを教えて欲しい」
「…………」
ナナヱは一度顔を俯かせ、再びおれの方へ向けた。その時見えた彼女の目に、おれは――かつての自分を思い浮かべた。
――死の一途まで追い詰められた、七本屋に来る前の自分を。
五章『花、熱る 前編』・了
後編へ続く
「当たり前だろ、下手したら怪我人が出てたかもしれねえんだから」
リツがいなくても、おれ一人で上手い対処は十分できていた……とまでは言うまい。けれど、少なくともリツよりはまともな行動を取っていたはずだ。言っちゃなんだが、男湯で女二人が取っ組み合いを始めるなんて論外だし、正気の沙汰ではない。
それに、リツは相手を厳しく諭すことはあっても、積極的に喧嘩を買って煽るような性格ではなかったはずだ。しかも、相手は子供だというのに。なんというか、今回の彼女は彼女らしくない。
「なんで気づかないのよ」
おれが一人首を傾げていると、リツが本当に不思議だと言いたげな目つきでおれを見て来る。
「なにもかもあの子のやりたい放題よ。計画的犯行。私が先回りして邪魔してなければ、貴方もっととんでもない目に遭わされていたかもしれない。それに、このままじゃあの子の行動がもっと過激化しかねないわ」
「まあ……令嬢の立場を利用して好き勝手にやってるってのは分かるよ。でも、所詮は子供のやることだろ? 言ってることは確かに結婚とかなんとかとんでもないことばっかりだけど、あの子も構ってほしいだけなんじゃ」
「世助」
ひときわ通る声でおれの名を呼び、言葉を遮るリツ。彼女の目尻がギュッと上がる。元々つり目気味でキツい性格に見えることもあるリツだが、その眼光はよりいっそう険しくなった。
「計画的犯行って言ったでしょ。昨日私たちが泊まったお部屋、今日は元から宿泊客なんていなかったのよ」
「え?」
「お風呂に行く前、本当にあのお部屋に泊まりの客がいたのか自分の目で確かめてきたの。そしたら誰もいないどころか、人がいた形跡もなかったのよ。荷物もないし、くずかごも空。お茶菓子の用意もなかった。受付でそれを言ったら色々誤魔化されそうになったけど、予約台帳の内容を指摘したらようやく白状したわ」
……飯を食ったあとで急に姿が見えなくなったと思ったら、受付にまで乗り込んでたのか、この人。暴漢をぶっ飛ばしたり、自分を襲った禁書の遊び相手を平然と引き受けたり、半裸で男湯に乱入してきたり……やることなすことが随分と大胆というか、豪胆な人だ。
「夏目って名前を聞いた途端、あの子の目の色が変わったから、世助のことを狙っているんだろうなとは思ったの。それに、そばにいる私のことは目の敵にしていたし、変な方向に話が拗れそうだとも思った」
つまり、金のないおれたちに無料で寝床を提供してきた時点では、リツはナナヱのことを既に怪しんでいたのだ。あのなんとなく暗かった表情は気後れから来たものではなく、ナナヱが何かを企んでいると察知してのものだったのだろう。
「それに、二人同室が決まっている宿泊券で若い男と女が来たから、宿の人たちは私たちを恋仲だと思っていたらしいの。なら、別の部屋に移ってもらうとしても、恋人たちが泊まっている部屋をわざわざ別々に分けたりなんて無粋なことをすると思う?」
「……し、ないと思う。普通は」
「なら、この宿の支配人である加峯家のご令嬢が、宿の人に頼んで私たちの部屋を分けさせたと考えるのが自然でしょう」
……つまり、リツが言おうとしていることは、ナナヱはおれとリツがそういう関係にあると踏んだ上で、邪魔をしてきている――自分の目的のために意図的にリツを遠ざけ、おれに接近する機会を作っていた。ということだ。
「甘い考えは捨てた方がいいわ。貴方が思っている以上にあの子は強かよ」
なるほど、ナナヱのリツに対する態度が何となく冷めているように見えた理由はそういうことだったのか。リツがおれの交際相手であると勘違いしていたから、恋敵として敵視していたのだ。
……しかし、それならそれで、余計に分からない。人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られるのがお決まりなので、普通なら恋人がいるとわかった時点で引き下がるところだ。どうしてわざわざこんな大掛かりな邪魔をしてまで、おれをリツから奪い取ろうなんて考えるのだろう(もちろんナナヱの勘違いだが)。そんなことをすれば面倒な展開は避けられないことくらい、さすがに子供と言えども予想はつくはずだ。なぜおれにそこまで固執するのだろう。
「――だとしたら……だとしたら、余計に放っておけねえよ。あんな小さな子が、なんで本気で結婚しようとおれを狙ってるんだ」
「そんなこと知るもんですか。どんな理由があろうと、あの子がやっていることはただの迷惑行為よ」
「けど……」
「世助。貴方の優しい心意気は買うけど、一方的に敵視されて蚊帳の外に置かれている私の気持ちも考えてくれないかしら。何も悪いことをしていないのに邪魔者扱いなんかされたら、私だって面白くないわよ」
「う……」
リツの不満も、いよいよ溜まりに溜まってきている。確かに彼女からしてみれば、いわれのないことで除け者にされているのだ。ナナヱのやっていることは、リツにしてみれば嫌がらせ以外の何物でもない。
「……ごめん。リツがすごく嫌な思いをしているって話が分からないわけじゃないんだ。でも、ナナヱもリツをいたずらに傷つけるためにやっているわけじゃないんだと思う。単に嫌な性格をしてるんじゃなくて、訳があるんじゃないか」
「訳って?」
「……前のおれみたいに特殊な環境下で育てられて、なにかに追い詰められて、無理やりでも結婚しなきゃって考えてるんじゃないか……って、おれは予感してて」
夏目家はそれこそ、偏見だらけの価値観と極端な評価で満ちていた。おれは世間一般を知らなかったが故に、それに縛られて苦しんだのだ。他の四大武家の子供も全てそうだとは思いたくないのだが、残念なことに有り得ない話とも言い切れない。仮にそういったお家の価値観が関係していなかったとしても、まだ小学校に通っているような年齢の少女が、恋仲と思っている二人を引き裂こうとしてまで結婚にこだわっているのだ。ナナヱが普通でない状況に置かれているのはほぼ間違いないだろう。似た状態に心当たりがあるからこそ、ナナヱを無視することはどうしてもおれにはできないのだ。
リツは苛立たしげに腕を組みつつも、おれの話の続きに黙って耳を傾けている。
「リツ。一度、ナナヱと一対一でしっかり話をさせてくれないか。リツがいると、あの子はそっちに気が持っていかれちまうだろうから。もしあの子が困ってるなら、助けてやりたいんだ。もちろん結婚なんて引き受けないし、リツを除け者にすることもやめるように言うつもりだ」
頼む、と彼女の目を見て懇願する。リツはしばらく眉間に皺を寄せたままだったが、おれが本気だと分かると、ふうっ、と大きくため息をついた。
「そういう人よね、貴方って。私を助けたことについても、同じような境遇だったから、みたいなことを言ってたもの。同情した相手を放ってはおけないんでしょう?」
「……ごめん」
馬鹿で仕方のない奴め、と言われたような気がして、おれはつい、謝罪の言葉をまた口にする。
「いいえ、いいの。それが貴方でしょうし。貴方らしい言葉だわ」
リツはそう言うと、薄く笑みを浮かべた。
「分かった、しばらくは大人しくしてる。でも、状況次第では私も介入させてもらうから」
「悪い、世話かける。……ありがとうな、リツ」
*****
「……!? ッッッきゃあああああああああああ!?!?」
さて、邑咲苑二泊目の夜のことである。その時、とある客室からあがったのは、リツの悲鳴ではなくおれの悲鳴だった。
そろそろ寝るかと布団で横になり、うとうと微睡んでいたその時。ずしっと腰の辺りに重いものが乗ったのを感じたのだ。最初は足音が軽かったこともあり、寅松がやってきたという可能性も考えたが、いくら寅松が肥満体型と言ってもこれは明らかに重すぎだ。間違いなく人間だと確信したところで、おれの顔を覗き込む寝間着姿のナナヱと目が合い、おれは吃驚して叫んでしまった。
「今度はなに!?」
「夜這い、でしょうか」
「でしょうかじゃねえんだよ、頓珍漢!! もっとまともな釈明をしろ!」
あまりにも彼女の顔との距離が近かったので、おれの心臓は頻りにばくばく跳ねている。
「自他共に夫婦であると認めてもらうには、既成事実を作るのが良いと思いまして」
「十二歳のガキとそんなもん作れるわけねえだろ!! だいたい既成事実の意味分かってんのか、お前!?」
「ですからこうして夜這いに来ました」
「あっ、分かってるっぽい!! なおタチ悪いわ!!」
ナナヱがませているのか、最近の十二歳の精神が早熟すぎるのかは知らないが、教育の結果としてこれはどうなのか。おれの身動きを封じるように、ナナヱはしっかりと腰の上に馬乗りになっていた。
「ちょっと、どうしたの!? 今すごい声がした、けど……」
そこへ折悪く、おれの悲鳴を聞いたリツがすっ飛んできた。驚いていたリツの表情が、みるみるうちに鈍色に曇っていく。
「……なにしてるの」
「ち、違う! 違うんだ、リツ! これは……」
「認めて下さらないのであれば強硬手段も辞さぬということです」
「何言ってんの、この子!?」
ナナヱはおれに跨った状態で、やって来たリツにしっかり敵意を向けながら、毅然とした態度でとんでもないことを言い放つ。それを受けたリツは一瞬だけよろめき、険しい顔でこめかみの辺りを押さえていた。
「……ちょっと気分が悪くなってきた」
「え!? 待て、リツ! どこに行く!」
「ごめんなさい」
「リツ!? リツさーーん!?!?」
ナナヱと一対一で話し合いたいとは確かに言ったが、なにか盛大な勘違いをされたまま置いていかれるのはさすがに嫌だ。おれは若干覚束ない足取りで部屋の外へ出ていくリツを呼び止めようとしたが、その前にナナヱがおれの上半身に体重をかけてのしかかってきた。
「これでやっと二人きりですね。では世助様、目を閉じてくださいませ。すぐに終わりますので」
「待て待て、お前ちょっと待て! まず状況が訳分からんから説明してくれ」
「ですから、世助様に娶って貰おうと」
「そうじゃなくて!」
おれは仰向けだった体をぐるりと返し、のしかかっていたナナヱごと転がって起き上がった。「きゃうっ」という声とともに、ナナヱが畳の上にごろりと転がる。
とりあえずおれはその場で正座し、ナナヱにもそこへ座るように促す。ナナヱはおれが指をさしたその場所へちょこんと正座した。
「おれが聞きたいのは、お前がおれに娶られようとしてる理由だよ。お前はまだ十二だろ。なんで既成事実とかそんなこと言ってまで躍起になってんだ」
十二歳がこんなことをするなんて、いくら彼女がませているにしても度が過ぎるというものだ。何があって夜這いまでけしかけているのだとおれは問い質した。
ナナヱはしばらくふわふわとした様子でおれを見ていたが、やがてゆっくりと、その小さな口を動かした。
「……人様にあまり話すような内容ではないと思うのですが、それでも話さなければなりませんか?」
彼女はそう言うと、唇へくっくっと歯を立てて噛んでいた。まるで、そわそわと落ち着かない自分を無理やり落ち着かせようとするように。
「全部とは言わない。お前が言いたくないことまで言わなくていい。でも、おれにどうでも娶られなきゃならないと思ってる理由があるなら、それを教えて欲しい」
「…………」
ナナヱは一度顔を俯かせ、再びおれの方へ向けた。その時見えた彼女の目に、おれは――かつての自分を思い浮かべた。
――死の一途まで追い詰められた、七本屋に来る前の自分を。
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