貸本屋七本三八の譚めぐり ~熱を孕む花~

茶柱まちこ

文字の大きさ
11 / 51
二章『童女遊戯』

その三

しおりを挟む
「……窓硝子を割っても駄目、か」
 星空を映していた車窓にベルトのバックルをぶつけて割ることはできた。それでも、外に出ようと窓枠をくぐって足をつければ、どういう訳かまた別の車両に降り立っている。順当に先頭車両を目指して進んでも突き当たりは見えてこないし、乗降口も駄目、車窓も駄目ときた。ならば壁や天井を破壊したとしても、得られるのは同じ結果だろう。
 おれがその気になれば『子猫の嫁さがし』の時のように、この異空間のそのものを覆う外殻をぶち壊して脱出することは可能だ。だが、それだけではリツを見つけて救出することはできない。
(考えろ。この禁書は何のために、ここの乗客を巻き込んだ?)
 おれは一度立ち止まって、今まで経験してきた禁書の事件を分析してみることにした。
(『先生の匣庭』では、珱仙先生が行き場を失った子供たちを救うために自分の世界に引きずり込んだ。『子猫の嫁さがし』では、鯖が姉御を禁書の中にさらって自分の嫁にしようとした)
 人間を異空間に引きずり込んだこの二つの禁書事件には、共通している点がある。おれが唯助と共に『先生の匣庭』に囚われた時、おっさんは『禁書の世界に染まると帰って来られなくなるから気をつけろ』と注意していた。姉御が『子猫の嫁さがし』に囚われた時も、おっさんは姉御が禁書に染まってしまうことに何よりも焦りを見せていた。
 ――つまり、引きずり込もうとしてくる禁書側の目的は、人間を取り込み、禁書の世界の存在にすることで達成される。
(単に閉じ込めるだけが目的なわけねぇよな。そろそろおれの身にもなにかが起きていいはずなんだが……)
 閉じ込められてから既に体感で十五分は経っている。相手は人に害をなす禁書だし、『先生の匣庭』と同じような手合いなら、おれにも何らかの接触をしてくるはずだ。
「…………。あーだめだ。考えるのは苦手でいけねぇや」
 脳筋はこれだから。喧嘩っ早いおれの代わりに、そういった熟考の部分は唯助が今まで担ってきてくれた。けれど、唯助はもう傍にいない。兄弟それぞれ別の地でやっていくと決めたのだから、このままじゃいけないってのは分かってたつもりだが。
「とりあえず動くしかできねぇか」
 ――そう思いながら、次の車両に続く扉を開けたその矢先のことだった。

 *****

「――なんだ、ここ」
 そこは、明らかに列車の車両と異なる空間だった。星空を一面に散りばめた壁で囲われた、西洋建築の一室。
 おれは扉をくぐり抜けた先で、天井を見上げる。大きく仰がなければならないほど高くなった天井を、見上げる。そこには顔のついた月と太陽が描かれていて、さながら西洋の絵画の世界に入ってしまったかのようだった。
 大きな部屋の隅には、なにやら色鮮やかな物がゴミのように積み上がっている。着物にシルクハット、ワンピースに和柄の羽織、燕尾服にハイヒールという、てんでばらばらな組み合わせの衣服を着た等身大の人形たちだった。
 そのまま辺りを見回すと、所々に銃や槍を携えた兵隊、馬に乗った鎧の騎士の人形なんかも置いてある。雑に積み上げられた人形たちとは違い、こちらはきっちり横一列に並んでいて、今にも行進し始めそうだ。
 おれが先ほど通ってきた背後の列車は、まるで玩具箱の中へ放り込まれたブリキの玩具のように、ぐちゃっと横たわっていた。
「お兄ちゃん、どうしてここに来たの?」
 戸惑っているおれに、誰かが話しかけてくる。子供の声だった――子供のものとは思えない、飴玉にブランデーを垂らしたような、甘く蠱惑的な声だった。
「お兄ちゃん、呼んでないのにどうしてここにいるの?」
 そこに立っていたのは、おれの腰くらいの背丈をした女の子だった。大陽本ではそうそう見かけない金髪碧眼に、ワイン色のワンピースを身にまとった、いかにも良いお宅のお嬢さんという感じの子だ。
「……人を探してるんだ。知らないか? 青い石のペンダントをした、長い黒髪を下ろしてる女」
 呼んでない、という言葉にひっかかりを感じたが、おれはここに来た一番の目的をその子に告げる。すると、女の子は悪戯っぽく笑いながら答えた。
「知ってるわ。さっき、ここに入れてあげたから」
「入れてあげた? なら、出してやってくれないか」
「やだ」
「どうしてだ」
「嫌だから」
「…………」
 嫌だから、嫌。完全に子供の理屈じゃないか。語彙の少ない子供らしい、極めて単純かつ直球な言葉のやりとり。だが、これはこれでやりやすいかもしれない。
「じゃあ、違う質問。どうしてあの女をここに連れ込んだんだ?」
 相手は単純な受け応えならできる子供だ。単純なやり取りしかできない子供だ。なら、駆け引きなどは大人のようには上手く行くまい。角度を変えて質問していけば、案外この禁書の読み解きは楽に行くかもしれない。
 女の子はまたしても、実に単純な返答をしてきた。
「遊びたいから」
「遊び?」
「うん、遊び。お兄ちゃんも遊びたい?」
「…………」
「うふふふふ」
 禁書であるこの子の言う遊びがどんなものか予測がつかないだけに、おれは女の子の目を見て勘ぐるしかなかった。女の子はそんなおれを前に、ますます可笑しいとでも言うように目を細めている。挑発しているのか、馬鹿にしているのか、悪戯してやろうと企んでいるのか――いずれにせよ、この誘いには乗ってあげないと先に進まないらしい。
「分かった、遊ぶ。条件を設定しよう。おれが勝ったら、その女を解放してくれ」
 おれが有無を言わせず勝手に条件を設定してきたのが気にくわなかったらしい。女の子は眉をひそめて、おれへの不快感を顕わにする。
「いいわよ。でも、お兄ちゃんが負けたら出てってね。お兄ちゃんはいらないから」
「…………」
 こんな小さな子供にバッサリ『いらないから』なんて言われると傷つく。歯に衣など着せるわけもないし、大人の悪口よりもだいぶ凹む。道場では長男として弟妹の面倒をたくさん見てきたこのおれだ、子供受けは良いほうだろうと自覚していただけに、この酷評はなかなか堪えた。
「……ついでに聞きたいんだけど。その後ろの人形、何だったんだ?」
「もちろん、人よ。みんなこっそりお人形さんにしちゃったの」
 道理で人形たちが着ていた服の柄に見覚えがあったはずだ。だから予想はしていたのだが――やはり、あの人形は列車にいた乗客たちで間違いないらしい。
 おれは人間が物言わぬ人形に変えられてしまっている、という状況に戦慄したし、可愛らしい笑顔で答える女の子からは、その数倍の不気味さを感じた。
「あのお姉ちゃん、とってもかわいいから、お人形遊びしたいの。いっぱいきせかえして、かわいくおめかしして、おままごとするのよ」
 吐き出す言葉は無邪気であどけない子供そのものだが、無邪気ゆえに何をしでかすか分からないのが子供というものだ。人形が元人間だというなら、誤って腕を千切られてしまった場合――なんて想像しただけでぞっとする。
「悪いな、嬢ちゃん。おれもな、あのお姉ちゃんは大事なんだよ。だからお前に渡すわけにはいかない」
「あ、わかった! お兄ちゃんもお人形遊び、好きなのね? かわいいものね、きれいだものね。わたしみたいにおきがえさせて、いーっぱい見たいんでしょ?」
「…………」
 ……その言い方だと、おれが特殊性癖の持ち主みたいに聞こえるから嫌だ。いや、可愛い服を着ているリツはものすごく見たいし、リツの人形みたいに綺麗な寝顔を穴が開くほど見ていたのはまごうことなき事実だ。特殊性癖は全力で否定するが、おれは真っ当な変態であることだけは認めている。しかし、子供からの指摘があながち間違いではなかっただけに、大人らしいスマートな対応ができなかったのが実に悔しい。邪念に充ち満ちた大人の欲望を子供に指摘されることほど、決まりが悪いものはない。
「で、なにして遊ぶんだ? 鬼ごっこか?」
 とりあえず、痛い指摘は黙殺して話題を逸らす。
「かくれんぼ。かくれんぼよ、お兄ちゃん」
 女の子は片目を瞑りながら、人差し指を微笑む唇にあてがう。
「このお部屋のどこかにね、あのお姉ちゃんがいるわ。お姉ちゃんを見つけられたら、お兄ちゃんの勝ち。じゃあ、わたしが合図するね。よーい」
 おれが身構えるよりも前に、女の子が人差し指を振り上げた。
「どんっ!」
 振り上げた指がおれに向かって下ろされたのと同時に、細い風がおれの背後から走り抜け、頬を掠める。
(――狙撃された!?)
 急いで振り返ろうとしたその時、幽かな鎖の音を捉える。背中に寒気が走って、ほとんど反射的にその場から退く。
 ――俺の立っていたその場所に、一瞬遅れて重々しい一振りが直撃した。
「ッ!!」
 鈍く光る棘つきの鉄塊は、カーペット下の床に窪みを作っていた。あと少し逃げるのが遅ければ、窪んでいたのは床ではなく、おれの頭蓋だったのだろう。背後から鈍器で攻撃してきたのは、先ほどまで部屋の中に整列していたはずの鎧の兵隊だった。
 思考する間は与えられない――またしてもおれの背後から、今度はふうっと籠もった息づかいが聞こえる。気配はやや左寄り、視界のほんの僅か外。白銀の閃きと、切り裂かれる空気の音。
 三回目の攻撃ともなれば、相手の呼吸も掴めてくる。受身の構えを反撃へと切り換えると、回避のための反射運動に、反撃のための随意運動が加わる。
 ちょうど首の高さに合わせてやってくるそれを、体勢を低くすることで回避する。それに連動し、腰を支点にして足払いを仕掛けると、背後にいた鎧の剣士が体勢を崩して転倒する。
 ガシャンとけたたましい音から即座に距離をとり、包囲網から素早く抜け出すと、
「あはははっ、お兄ちゃんおもしろーい!」
 と、女の子が手を叩いて笑っているのが見えた。
「おいおいおい、これの相手しながら探せってのかよ!」
 もとより禁書のやることだから警戒はしていたが、さすがに理不尽だ。包囲網を抜けてざっと周囲を見渡すと、先ほどまで部屋の隅に整列していた兵隊人形や鎧たちが、寄ってたかっておれを叩きに来ていた。その数、およそ四十といったところか。
「ほらほら、どうしたの~? はやく見つけないと負けちゃうよ~?」
 女の子が挑発してくるが、襲いかかってくる剣や鉄砲を躱すのが精一杯で探す余裕もない。勿論、女の子としてはそうすることでおれに意地悪をしているつもりなのだろう。
「随分と嫌われたもんだな」
 この空間に障害物になりそうなものはない。あるものといえば、元乗客の人形の山だけだ。リツが隠れられそうな場所など、そこしか見当たらない。あるいは、壁のどこかに隠し扉があったりでもするのだろうか。かくれんぼをしようなどと言っていきなり袋叩きにしようと仕掛けてきたのだから、考えられない話ではない。女の子は攻撃を避けながら跳ね回るおれを、曲芸でも見るかのように楽しそうに笑っている。自信満々そうな表情には、絶対に負けるはずがないという確信があるようにも見える。
「――けど、そう簡単にやられたりはしねえ、よ!」
 甲冑を装備した騎士が相手なら、こちらにも分がある。剣を振り下ろしてきた騎士の懐を目掛けて、おれは大きく一歩を踏み込んだ。
 隙間の多い大陽本の鎧兜とは違い、全身を鉄で覆うような西洋式の甲冑。人間が丸腰で戦うには些か分が悪いように見えるが、甲冑で拳の攻撃が通らないのであれば、甲冑であることを利用して攻撃してしまえばいい。そして、相手の動きを力学的に利用するのは、おれが今まで身につけてきた夏目流柔術の得意技の一つだ。
 脚に引っ掛かって前傾姿勢となったところでその首を絡めとり、上半身をひねる勢いで
「せぇいッ!」
 と思い切り床に叩きつけた。堅牢な鎧は中身を打ち据える武器に変わり、相手の力はそのまま技の威力に変換される――金属の音はその分だけ大きく響き、叩きつけられた騎士はそのままぐったりと動かなくなった。
「すごいすごーい! さっすがお兄ちゃん!」
 周囲が緊迫する中、ただ一人、女の子だけが歓声を上げる。褒められているんだか馬鹿にされているんだか分からなくなってきた。
 途端、足元に転がった騎士からぼんっと白い煙が上がる。すると、そこに転がっていたものは騎士ではなくなっていた。和服をまとった、特に強そうでもない普通の体格の男だった。
「――まさか、こいつらも乗客か!」
「あったりー! みーんなわたしのお人形さんよ! お兄ちゃんだけ仲間ハズレだもんねぇ~」
 騎士に姿を変えられていた乗客は、幸い気を失っただけのようだ。悪い魔法が解けたかのように、安らかな顔で眠っている。
「兵隊さんはまだまだいっぱいいるからね、頑張ってねぇ~!」
 ……甚だ疑問なのだが、おれはなんでこんなに厄介な子供に嫌われているんだろう。おれは何かしたんだろうか。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』

夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」 教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。 ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。 王命による“形式結婚”。 夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。 だから、はい、離婚。勝手に。 白い結婚だったので、勝手に離婚しました。 何か問題あります?

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

離婚する両親のどちらと暮らすか……娘が選んだのは夫の方だった。

しゃーりん
恋愛
夫の愛人に子供ができた。夫は私と離婚して愛人と再婚したいという。 私たち夫婦には娘が1人。 愛人との再婚に娘は邪魔になるかもしれないと思い、自分と一緒に連れ出すつもりだった。 だけど娘が選んだのは夫の方だった。 失意のまま実家に戻り、再婚した私が数年後に耳にしたのは、娘が冷遇されているのではないかという話。 事実ならば娘を引き取りたいと思い、元夫の家を訪れた。 再び娘が選ぶのは父か母か?というお話です。

身代わりで呪いの公爵に嫁ぎましたが、聖女の力で浄化したら離縁どころか国一番の溺愛妻になりました〜実家が泣きついてももう遅い〜

しょくぱん
恋愛
「お前のような無能は、死神の生贄にでもなっていろ」 魔力なしの無能と蔑まれ、家族に虐げられてきた伯爵令嬢レティシア。 彼女に命じられたのは、近づく者すべてを病ませるという『呪いの公爵』アレクシスへの身代わり結婚だった。 鉄格子の馬車で運ばれ、たどり着いたのは瘴気に満ちた死の城。 恐ろしい怪物のような男に殺される――。 そう覚悟していたレティシアだったが、目の前の光景に絶望よりも先に別の感情が湧き上がる。 (な、何これ……汚すぎるわ! 雑巾とブラシはどこ!?) 実は、彼女が「無能」と言われていたのは、その力が『洗浄』と『浄化』に特化した特殊な聖女の魔力だったから。 レティシアが掃除をすれば、呪いの瘴気は消え去り、枯れた大地には花が咲き、不気味だった公爵城はまたたく間にピカピカの聖域に塗り替えられていく。 さらには、呪いで苦しんでいたアレクシスの素顔は、見惚れるほどの美青年で――。 「レティシア、君は一体何者なんだ……? 体が、こんなに軽いのは初めてだ」 冷酷だったはずの公爵様から、まさかの執着と溺愛。 さらには、呪いが解けたことで領地は国一番の豊かさを取り戻していく。 一方で、レティシアを捨てた実家は、彼女の『浄化』を失ったことで災厄に見舞われ、今さら「戻ってきてくれ」と泣きついてくるが……。 「私は今、お城の掃除と旦那様のお世話で忙しいんです。お引き取りくださいませ」 これは、掃除を愛する薄幸令嬢が、その愛と魔力で死神公爵を救い、最高に幸せな居場所を手に入れるまでのお話。

処理中です...