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二章『童女遊戯』

その三

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「……窓硝子を割っても駄目、か」
 星空を映していた車窓にベルトのバックルをぶつけて割ることはできた。それでも、外に出ようと窓枠をくぐって足をつければ、どういう訳かまた別の車両に降り立っている。順当に先頭車両を目指して進んでも突き当たりは見えてこないし、乗降口も駄目、車窓も駄目ときた。ならば壁や天井を破壊したとしても、得られるのは同じ結果だろう。
 おれがその気になれば『子猫の嫁さがし』の時のように、この異空間のそのものを覆う外殻をぶち壊して脱出することは可能だ。だが、それだけではリツを見つけて救出することはできない。
(考えろ。この禁書は何のために、ここの乗客を巻き込んだ?)
 おれは一度立ち止まって、今まで経験してきた禁書の事件を分析してみることにした。
(『先生の匣庭』では、珱仙先生が行き場を失った子供たちを救うために自分の世界に引きずり込んだ。『子猫の嫁さがし』では、鯖が姉御を禁書の中にさらって自分の嫁にしようとした)
 人間を異空間に引きずり込んだこの二つの禁書事件には、共通している点がある。おれが唯助と共に『先生の匣庭』に囚われた時、おっさんは『禁書の世界に染まると帰って来られなくなるから気をつけろ』と注意していた。姉御が『子猫の嫁さがし』に囚われた時も、おっさんは姉御が禁書に染まってしまうことに何よりも焦りを見せていた。
 ――つまり、引きずり込もうとしてくる禁書側の目的は、人間を取り込み、禁書の世界の存在にすることで達成される。
(単に閉じ込めるだけが目的なわけねぇよな。そろそろおれの身にもなにかが起きていいはずなんだが……)
 閉じ込められてから既に体感で十五分は経っている。相手は人に害をなす禁書だし、『先生の匣庭』と同じような手合いなら、おれにも何らかの接触をしてくるはずだ。
「…………。あーだめだ。考えるのは苦手でいけねぇや」
 脳筋はこれだから。喧嘩っ早いおれの代わりに、そういった熟考の部分は唯助が今まで担ってきてくれた。けれど、唯助はもう傍にいない。兄弟それぞれ別の地でやっていくと決めたのだから、このままじゃいけないってのは分かってたつもりだが。
「とりあえず動くしかできねぇか」
 ――そう思いながら、次の車両に続く扉を開けたその矢先のことだった。

 *****

「――なんだ、ここ」
 そこは、明らかに列車の車両と異なる空間だった。星空を一面に散りばめた壁で囲われた、西洋建築の一室。
 おれは扉をくぐり抜けた先で、天井を見上げる。大きく仰がなければならないほど高くなった天井を、見上げる。そこには顔のついた月と太陽が描かれていて、さながら西洋の絵画の世界に入ってしまったかのようだった。
 大きな部屋の隅には、なにやら色鮮やかな物がゴミのように積み上がっている。着物にシルクハット、ワンピースに和柄の羽織、燕尾服にハイヒールという、てんでばらばらな組み合わせの衣服を着た等身大の人形たちだった。
 そのまま辺りを見回すと、所々に銃や槍を携えた兵隊、馬に乗った鎧の騎士の人形なんかも置いてある。雑に積み上げられた人形たちとは違い、こちらはきっちり横一列に並んでいて、今にも行進し始めそうだ。
 おれが先ほど通ってきた背後の列車は、まるで玩具箱の中へ放り込まれたブリキの玩具のように、ぐちゃっと横たわっていた。
「お兄ちゃん、どうしてここに来たの?」
 戸惑っているおれに、誰かが話しかけてくる。子供の声だった――子供のものとは思えない、飴玉にブランデーを垂らしたような、甘く蠱惑的な声だった。
「お兄ちゃん、呼んでないのにどうしてここにいるの?」
 そこに立っていたのは、おれの腰くらいの背丈をした女の子だった。大陽本ではそうそう見かけない金髪碧眼に、ワイン色のワンピースを身にまとった、いかにも良いお宅のお嬢さんという感じの子だ。
「……人を探してるんだ。知らないか? 青い石のペンダントをした、長い黒髪を下ろしてる女」
 呼んでない、という言葉にひっかかりを感じたが、おれはここに来た一番の目的をその子に告げる。すると、女の子は悪戯っぽく笑いながら答えた。
「知ってるわ。さっき、ここに入れてあげたから」
「入れてあげた? なら、出してやってくれないか」
「やだ」
「どうしてだ」
「嫌だから」
「…………」
 嫌だから、嫌。完全に子供の理屈じゃないか。語彙の少ない子供らしい、極めて単純かつ直球な言葉のやりとり。だが、これはこれでやりやすいかもしれない。
「じゃあ、違う質問。どうしてあの女をここに連れ込んだんだ?」
 相手は単純な受け応えならできる子供だ。単純なやり取りしかできない子供だ。なら、駆け引きなどは大人のようには上手く行くまい。角度を変えて質問していけば、案外この禁書の読み解きは楽に行くかもしれない。
 女の子はまたしても、実に単純な返答をしてきた。
「遊びたいから」
「遊び?」
「うん、遊び。お兄ちゃんも遊びたい?」
「…………」
「うふふふふ」
 禁書であるこの子の言う遊びがどんなものか予測がつかないだけに、おれは女の子の目を見て勘ぐるしかなかった。女の子はそんなおれを前に、ますます可笑しいとでも言うように目を細めている。挑発しているのか、馬鹿にしているのか、悪戯してやろうと企んでいるのか――いずれにせよ、この誘いには乗ってあげないと先に進まないらしい。
「分かった、遊ぶ。条件を設定しよう。おれが勝ったら、その女を解放してくれ」
 おれが有無を言わせず勝手に条件を設定してきたのが気にくわなかったらしい。女の子は眉をひそめて、おれへの不快感を顕わにする。
「いいわよ。でも、お兄ちゃんが負けたら出てってね。お兄ちゃんはいらないから」
「…………」
 こんな小さな子供にバッサリ『いらないから』なんて言われると傷つく。歯に衣など着せるわけもないし、大人の悪口よりもだいぶ凹む。道場では長男として弟妹の面倒をたくさん見てきたこのおれだ、子供受けは良いほうだろうと自覚していただけに、この酷評はなかなか堪えた。
「……ついでに聞きたいんだけど。その後ろの人形、何だったんだ?」
「もちろん、人よ。みんなこっそりお人形さんにしちゃったの」
 道理で人形たちが着ていた服の柄に見覚えがあったはずだ。だから予想はしていたのだが――やはり、あの人形は列車にいた乗客たちで間違いないらしい。
 おれは人間が物言わぬ人形に変えられてしまっている、という状況に戦慄したし、可愛らしい笑顔で答える女の子からは、その数倍の不気味さを感じた。
「あのお姉ちゃん、とってもかわいいから、お人形遊びしたいの。いっぱいきせかえして、かわいくおめかしして、おままごとするのよ」
 吐き出す言葉は無邪気であどけない子供そのものだが、無邪気ゆえに何をしでかすか分からないのが子供というものだ。人形が元人間だというなら、誤って腕を千切られてしまった場合――なんて想像しただけでぞっとする。
「悪いな、嬢ちゃん。おれもな、あのお姉ちゃんは大事なんだよ。だからお前に渡すわけにはいかない」
「あ、わかった! お兄ちゃんもお人形遊び、好きなのね? かわいいものね、きれいだものね。わたしみたいにおきがえさせて、いーっぱい見たいんでしょ?」
「…………」
 ……その言い方だと、おれが特殊性癖の持ち主みたいに聞こえるから嫌だ。いや、可愛い服を着ているリツはものすごく見たいし、リツの人形みたいに綺麗な寝顔を穴が開くほど見ていたのはまごうことなき事実だ。特殊性癖は全力で否定するが、おれは真っ当な変態であることだけは認めている。しかし、子供からの指摘があながち間違いではなかっただけに、大人らしいスマートな対応ができなかったのが実に悔しい。邪念に充ち満ちた大人の欲望を子供に指摘されることほど、決まりが悪いものはない。
「で、なにして遊ぶんだ? 鬼ごっこか?」
 とりあえず、痛い指摘は黙殺して話題を逸らす。
「かくれんぼ。かくれんぼよ、お兄ちゃん」
 女の子は片目を瞑りながら、人差し指を微笑む唇にあてがう。
「このお部屋のどこかにね、あのお姉ちゃんがいるわ。お姉ちゃんを見つけられたら、お兄ちゃんの勝ち。じゃあ、わたしが合図するね。よーい」
 おれが身構えるよりも前に、女の子が人差し指を振り上げた。
「どんっ!」
 振り上げた指がおれに向かって下ろされたのと同時に、細い風がおれの背後から走り抜け、頬を掠める。
(――狙撃された!?)
 急いで振り返ろうとしたその時、幽かな鎖の音を捉える。背中に寒気が走って、ほとんど反射的にその場から退く。
 ――俺の立っていたその場所に、一瞬遅れて重々しい一振りが直撃した。
「ッ!!」
 鈍く光る棘つきの鉄塊は、カーペット下の床に窪みを作っていた。あと少し逃げるのが遅ければ、窪んでいたのは床ではなく、おれの頭蓋だったのだろう。背後から鈍器で攻撃してきたのは、先ほどまで部屋の中に整列していたはずの鎧の兵隊だった。
 思考する間は与えられない――またしてもおれの背後から、今度はふうっと籠もった息づかいが聞こえる。気配はやや左寄り、視界のほんの僅か外。白銀の閃きと、切り裂かれる空気の音。
 三回目の攻撃ともなれば、相手の呼吸も掴めてくる。受身の構えを反撃へと切り換えると、回避のための反射運動に、反撃のための随意運動が加わる。
 ちょうど首の高さに合わせてやってくるそれを、体勢を低くすることで回避する。それに連動し、腰を支点にして足払いを仕掛けると、背後にいた鎧の剣士が体勢を崩して転倒する。
 ガシャンとけたたましい音から即座に距離をとり、包囲網から素早く抜け出すと、
「あはははっ、お兄ちゃんおもしろーい!」
 と、女の子が手を叩いて笑っているのが見えた。
「おいおいおい、これの相手しながら探せってのかよ!」
 もとより禁書のやることだから警戒はしていたが、さすがに理不尽だ。包囲網を抜けてざっと周囲を見渡すと、先ほどまで部屋の隅に整列していた兵隊人形や鎧たちが、寄ってたかっておれを叩きに来ていた。その数、およそ四十といったところか。
「ほらほら、どうしたの~? はやく見つけないと負けちゃうよ~?」
 女の子が挑発してくるが、襲いかかってくる剣や鉄砲を躱すのが精一杯で探す余裕もない。勿論、女の子としてはそうすることでおれに意地悪をしているつもりなのだろう。
「随分と嫌われたもんだな」
 この空間に障害物になりそうなものはない。あるものといえば、元乗客の人形の山だけだ。リツが隠れられそうな場所など、そこしか見当たらない。あるいは、壁のどこかに隠し扉があったりでもするのだろうか。かくれんぼをしようなどと言っていきなり袋叩きにしようと仕掛けてきたのだから、考えられない話ではない。女の子は攻撃を避けながら跳ね回るおれを、曲芸でも見るかのように楽しそうに笑っている。自信満々そうな表情には、絶対に負けるはずがないという確信があるようにも見える。
「――けど、そう簡単にやられたりはしねえ、よ!」
 甲冑を装備した騎士が相手なら、こちらにも分がある。剣を振り下ろしてきた騎士の懐を目掛けて、おれは大きく一歩を踏み込んだ。
 隙間の多い大陽本の鎧兜とは違い、全身を鉄で覆うような西洋式の甲冑。人間が丸腰で戦うには些か分が悪いように見えるが、甲冑で拳の攻撃が通らないのであれば、甲冑であることを利用して攻撃してしまえばいい。そして、相手の動きを力学的に利用するのは、おれが今まで身につけてきた夏目流柔術の得意技の一つだ。
 脚に引っ掛かって前傾姿勢となったところでその首を絡めとり、上半身をひねる勢いで
「せぇいッ!」
 と思い切り床に叩きつけた。堅牢な鎧は中身を打ち据える武器に変わり、相手の力はそのまま技の威力に変換される――金属の音はその分だけ大きく響き、叩きつけられた騎士はそのままぐったりと動かなくなった。
「すごいすごーい! さっすがお兄ちゃん!」
 周囲が緊迫する中、ただ一人、女の子だけが歓声を上げる。褒められているんだか馬鹿にされているんだか分からなくなってきた。
 途端、足元に転がった騎士からぼんっと白い煙が上がる。すると、そこに転がっていたものは騎士ではなくなっていた。和服をまとった、特に強そうでもない普通の体格の男だった。
「――まさか、こいつらも乗客か!」
「あったりー! みーんなわたしのお人形さんよ! お兄ちゃんだけ仲間ハズレだもんねぇ~」
 騎士に姿を変えられていた乗客は、幸い気を失っただけのようだ。悪い魔法が解けたかのように、安らかな顔で眠っている。
「兵隊さんはまだまだいっぱいいるからね、頑張ってねぇ~!」
 ……甚だ疑問なのだが、おれはなんでこんなに厄介な子供に嫌われているんだろう。おれは何かしたんだろうか。
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