大神様のお気に入り

茶柱まちこ

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二章『お忍びでえと』

(五)

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 すずが心を決めて大神の部屋を訪ねたのは、その日の夕食後だった。

(贈り物だったら、今度こそきちんとお断りせねば……)

 大神からの贈り物は、もはやそれだけですずの身の回り品が揃いそうな勢いとなっていた。厚遇してくれる気持ちはありがたいのだが、そろそろ他の使用人に対して申し訳が立たなくなってしまう。

「お、大神様、失礼いたします」
「おう、すず。呼び出して悪いな」

 のし、のしという足音が、すずのもとへ近づいてくる。差し出された手は、柔らかな毛に覆われていた。
 今は夜なので、大神は獣人の姿になっているようだ。

「あ、鬼火ども、お願いがあるんだけど」

 大神はすずが部屋に入るなり、彼女の両肩に乗っていた二体の鬼火に言う。

「ここから先はすずと二人きりで話したいことなんだ。他のあやかしたちに、最上階には来ないよう伝えてくれないか」

 まさかの人(あやかし)払いの指示に、すずはぎょっとする。そんなすずの動揺などつゆ知らぬ様子で、鬼火たちは

「はあ~い」「がってんしょうち~」

 とすずの肩から離れていった。

「ごめん、俺と二人きりはやっぱり緊張するかな」
「い、いえ……っ」

 なんとか平静を装おうとするすずだが、声は完全にうわずってしまっている。

「ちょっと待っててくれ。今、モノを持ってくる」

 ああ、やっぱりそうだ――彼はまた、贈り物をくれるつもりなのだ。言わなければ、今度こそ。
 すずは喉につかえた声を無理やり押し出すようにして言った。

「あ、あの――申し訳ありません、大神様っ! 贈り物はもう受け取れませんっ!」
「えっ?」

 大神が驚いた様子で、声を上げる。
 すずはさらに、ぐっと頭を低く下げて続けた。

「私のために心を砕いてくださって、本当に感謝しています。けれど、これ以上は他の方々への面目が立ちません。だから、その贈り物は他の方に差し上げてください」

 すずがそこまで言い切ると、大神は黙り込んでしまう。
 大神のせっかくの厚意を無下にしているのだ。彼の心象を悪くしてしまったに違いない――しかし、すずもこれ以上は譲れない。小さく体を丸めて、「ごめんなさい」と謝罪する。

「……そっか。すずに気を遣わせないようにしてたつもりだったけど、逆に肩身を狭くさせちまってたみたいだな」

 やがて、大神はそう言って、乾いた笑いをこぼす。彼にいらぬ責任を感じさせてしまったように思えて、すずはバッと顔を上げた。

「ち、違うんです……! 大神様はなにも悪くありません!」
「いや、俺の不器用が招いたことだ。申し訳なかった」

 大神が困ったように言いながら、すずの正面に腰を下ろす。
 どうしよう。謝罪する必要などまったくない大神に、頭を下げさせてしまった。そんなことを伝えたかったわけじゃないのに。
 けれど、何を言えばうまく収まるかも分からなくて、すずはおろおろしているうちに泣きそうになる。

「でも、これだけはちゃんと、お前の手で受け取ってくれ」

 大神は、みっともなく口をぱくぱくさせているすずに、手にしていたモノを差し出す。

「俺からの贈り物は好きにしてくれていいから。お願い」

 大神の静かで低い声は、妙に切実な雰囲気を孕んでいる。すずはしばらく首を横に振って拒んでいたが、結局また押し負けて、差し出されたモノにそっと触れた。
 ――触れて、言葉を失った。

「…………う、そ」

 言葉だけではない――それまで抱えていた罪悪感も、喉の奥に詰まった苦しさも、一瞬のうちにすべてが吹き飛んだ。

「お前の大事なモノだろう」

 触れた指先が、ぴたっと吸い付くような錯覚に陥る。まるで、失っていた体の一部が戻ってきたときのような――しっくりと馴染むような感触。
 あり得ない。けれど、これ以外に考えられない。
 
「ばあばの、三味線……?」

 渡されたのは間違いなく、姉に壊されたはずの三味線だった。
 なめらかな木の触り心地も、竿についていた傷の位置も、すずが覚えていたとおりだ。ちょうど姉に壊されていた箇所だけ、つるりとした真新しい感触がする。

「ど、どうして、これが……?」

 すずの声は震えていた。ここにはないはずのモノが、間違いなくこの手の中にある――その事実が、信じられない。
 すずにしてみれば、夢を見ているんじゃないかと疑うほどの奇跡だった。

「先日、村まで偵察に行ってた青梅と紅梅が、お前のじゃないかって持ってきてくれたんだ。俺もにおいを嗅いで、すぐにすずのだって分かった」
「で、でも……壊れていたはずなのに、どうして……?」
「屋敷のあやかしに修理を頼んだんだよ。手先が器用なやつに心当たりがあったんでな。相談したら『すずのためなら』ってすぐに引き受けてくれた」

 大神は柔らかく包むような声で答えると、すずの頭にそっと手を乗せてきた。

「すず。それはな、お前自身が引き寄せたんだよ。善い行いってのは、善い結果で返ってくるもんだ」
「善い行い……? おらが?」

 自分は、屋敷のあやかしたちに対して、特別な何かをしていたのだろうか。彼らとは関わりはじめて日も浅いし、さほど会う機会もなかったと思うのだけど。

「お前、屋敷のあやかしたちにも気に入られてるんだよ。目が見えないのに、文句一つ言わずに一生懸命仕事してさ。子供をあやすのも上手だし、いつだって誰かのことを気遣ったり手伝ったりして。そんな善意の塊みたいなお前の姿を、屋敷の奴らは毎日見てたんだぜ」
「そんな……おら、全然気づいてなかったです……」
「みたいだな。けど、誰かに見られているって意識もないのに、それでも善い行いができるのは、間違いなくお前の美点だぜ」

 すずは目が見えないからと言って甘えたり、怠けたりするようなことを、決してしなかった。自分にできることを常に模索し、自分にできる方法で、屋敷の役に立とうとしていた。
 それが、助けてもらった自分にできるせめてもの恩返しだ、と考えて。
 そんな彼女の周囲には、常に屋敷のあやかしたちがいた。ほんの少し挨拶を交わしただけの者や、会話したことさえない者まで――屋敷に住む誰もが、盲目の彼女を心配しながら、その仕事ぶりを見守っていたのだ。

「今まで俺や使用人たちに頼ってばかりだった奴らが、お前に感化されて動き始めた。お前に何か恩返しできないかって必死に考えてた奴もいる。全部、お前のしてきた行いの結果だ」

 大神が、すずの頭を優しく撫でながら言う。
 その時、すでにすずは目の奥から、熱いなにかが湧き上がってくるのを感じていた。

大神屋敷ここの奴らは、お前を憎んだりしない。みんな、真面目で一生懸命なすずを気に入ってるんだ。だから、そういう奴らの気持ちだけは、どうか受け取ってくれないか」

 まぶたの内側に収まりきらなくなった熱いなにかが、大粒の涙となって、ぼろっとこぼれ出た。
 涙は堰を切ったようにぼろぼろとこぼれ、三味線の上に落ちていく。弦に触れていた指が、涙で濡れた時――すずの中で、むくむくと膨れ上がっていたなにかが、爆発した。

「わあぁぁん!」

 上げようと思ったって上げられるようなものではない――すずが上げた泣き声は、きわめて衝撃的で、ひどく衝動的なものだった。
 すず自身でさえ、自分もこんな泣き方ができたのか、と心のどこかで思ったほどだ。
 彼女は生まれて初めて、号泣していた。

「あ、ありがとう、ございます……! 本当に、ありがとうございます……!」

 ここへ来るまでに飲み込んできたすべての苦しみと悲しみが、溶けて消えたようだった。
 祖母の言ったことは、決して間違いではなかった――ようやく、すずの頑張りは報われたのだ。
 すずは直った三味線を抱きしめて、わんわん泣いた。

「すず」

 大神が小さく名を呼ぶ。すずの頭を撫でていた手が、後頭部へと移動する。
 もう片方の手がそっと背中に回されたとき、泣いていたすずはハッとして、大神の胸を押し離した。

「だ、だめですっ! 今、そんげことしたら……大神様の毛に、おらの、っは、鼻水がついて、しまいます……っ!」

 大神の動きが、ぴたっと止まった。というか、固まった。
 そう、すずの顔は今、涙と鼻水でべしゃべしゃだった。大神の立派な毛並みをそんなもので汚してしまっては、申し訳が立たない――すずは大真面目にそんなことを考えて、大神の抱擁を拒んでいた。

「っぶ、ははははははッ!」 

 ……のだが。大神は大爆笑だった。それまでの暗い空気をたちどころに吹き飛ばすような、豪快な笑い声だ。

「はっ、鼻水って! 今、それ気にする!? すずってば、ほんと真面目すぎ……! あっははははっ!」

 確かに、鼻水で汚れてしまう、なんて情緒も何もあったものではない。
 しかし、すずにとっては情緒を壊すことよりも、大神に対して無礼を働くことのほうが問題だ。

「ご、ごめんなさ……」
「謝るな、それでこそお前だ。でも」

 大神はもう一度手を伸ばし、今度こそすずを抱きしめた。胸元や首回りのやわらかな毛並みが、涙に濡れたすずの顔を包み込む。

「そんなの気にしねえから。目の前で大事な女の子が泣いてるときくらい、抱きしめさせてくれよ」
「あ……っ」

 ふわふわで温かくて、優しい抱擁だった。沈香の優しい香り――それと、大神自身の、ほっとするようなにおい。
 ふかふかの布団にもぐって、きゅっと体を丸めたときのような安心感を、すずは思い出す。

「いっぱい泣きな。泣いて、泣き疲れて、たんと眠って……そしたらまた、元気に笑ってくれ」

 大神は静かにそう囁いて、すずが泣き止むまで、彼女を抱きしめていた。


 *


『昨日とらえた薬屋の狢が、牢屋で突然悲鳴を上げ、事切れた』

 ――そんな不穏な報せが大神のもとに届いたのは、ひとしきり泣いたすずが眠りについて、十数分後のことだった。
 大神はすずを自室に寝かせてから、すぐさま牢屋に赴いた。

「遠隔での呪殺、か」

 牢屋の番人によれば、狢はなにかの存在に怯えたようにもがき苦しみ、泡を吹いて死んだという。 遺体には、首の周りをぐるりと囲むように、赤黒い痣が残されていた――それは、
 明日の尋問の前に息絶えたということは、呪いをかけた術者は、彼を口封じのために始末したということだろうか――しかし、それにしては奇妙だ。

(痕跡を残すような殺し方を選ぶなんて、利口とは言えないな)

 呪いの痣は、それひとつ調べるだけでも、様々な情報が読み取れる。
 使用された術はどういったものか。術者の力量はどの程度か。独自の術式による痣ならば、それだけで決定的な手がかりになる。
 そんなものを残すなんて、自分が犯人ですとわざわざ名乗っているようなものだ。

(いや……名乗るためにあえて残したのか)

 この呪殺は口封じのためというより、むしろ、宣戦布告のつもりだったのかもしれない。
 仮に、狢を殺したのがだったとして――現在、すずを囲っている大神は、相手にとって『目の上のたんこぶ』である。

(相手が呪いで狢を支配していたのは間違いない。時機を見て遠隔で呪殺できたことを踏まえれば、術者はこいつを通して状況を見ていたんだろう。自分が狙っている獲物に、この大神おれが関与していると分かった上での挑発……とも取れるか)

 痣を残すことで、『お前からすずを奪いに行くぞ』と伝えようとしたのなら――相手は輪をかけて馬鹿だと言わざるを得まい。
 呪いですずを苦しめている時点で、大神の殺意をあおるには十分だというのに、喧嘩まで売ろうとは。よほど実力に自信があるのだろうか。命知らずもいいところだ。

(どちらにせよ、向こうから名乗りを上げてくれたおかげで、探す手間が省けたのはよしとするか)

 探し求めていた手がかりが思わぬ形で手に入ったのは、大神にとっても大きな幸運だった。

(待ってろ、すず。お前の願いは必ず叶えるから)

 そんな誓いの言葉を、大神は胸の中で呟いた。



 二章『お忍びでえと』・了
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