大神様のお気に入り

茶柱まちこ

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序章『洞穴の少女』

(三)

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 ヒノとすずという風変わりな姉妹が生まれたのは、霊峰・鉈切山なたぎりやまのふもとにある小さな農村である。
 姉妹の両親は、祖母が亡くなるずっと前――妹のすずが生まれて数ヶ月の頃に他界していた。すずを連れて山の中にある神社へお参りに行った時、その道中で正体不明の何者かに襲われたのである。
 唯一生き残ったすずには、顔の上半分に赤黒い痣ができていて、村人たちはその不吉な見た目から、物の怪のしわざだと震え上がっていた。
 ヒノは、物の怪ならいっそ妹ごと殺してくれればよかったものを、と恨めしく思った。どうして父母だけが死んでしまったのか。どうして物の怪は、憎き妹だけをわざわざ生かしたのか。
 父母を殺した犯人が分からない以上、湧いた怒りや憎しみは妹にぶつけるしかなかった。彼女の憎悪の矛先はすべて、妹のすずへと向けられたのだった。祖母に見つからないところでの罵詈雑言はいつものことで、時には暴力もふるった。
 ところが驚いたことに、そして幸いなことに――すずにはいじめなど微塵も効かなかった。前述の通り、彼女はとんでもなく屈強な精神を持った少女だったのだ。
 たとえば、すずが五歳の時のこと──彼女の目を診た医者が、幼い子にするにはとても可哀想だが、と躊躇いながら行った治療。大の大人でも悲鳴をあげるほどの治療の痛みを、彼女は声をあげることなく我慢し、終わった後は去っていく医者に「またね」と手を振るくらいけろっと立ち直っていた。
 だから、叩いたり罵ったりする程度の攻撃など、硬い鎧の上から針で刺すようなもの。ヒノがいじめをしたところで、すずは大して泣きもしない。何事もなかったかのように厳しい唄の稽古に励み、ヒノの傍で美味そうに飯を食い、すやすやと寝てしまうのである。
 一体、誰からこんな気質を受け継いだのやら。遺伝などではなく、天からのお恵みで授かり、そのままポンと生まれてきたとしか思えない。姉妹の気質を喩えるならば、姉・ヒノは玉のように傷つきやすい女で――対する妹・すずは叩かれてもビクともしない、鋼のような少女だった。


 *
 

 すずは残飯のような朝食を平らげて、あばら家の掃除をしていた。

(これはもう、どうにもならんろっか……)

 鋼鉄のすずといえども、さすがに三味線を壊されてしまったのには応えたが、ぐずぐず泣いてもどうにかなるものではない。壊れていようと祖母の形見。捨てることはできないし、せめて三味線の破片だけでも大事にしようと、すずは拾い集めていく。
 破片を風呂敷でひとまとめにして部屋の隅に置き、今度は散らかした着物を片付ける。先ほどまで着ていた寝巻きを拾ったところで、すずは、あ、と気づいた。
 
(また着物に穴が空いてる)
 
 すると、すずはあばら家の奥にやった葛龍の中を探り、針箱を取り出した。以前、ヒノに頭を下げて与えてもらったものだ。
 針箱の中に収められた針山から、これだと一本の針を選び取り、その小さな穴に難なく糸を通す。そして、指先の感覚を頼りに穴を探りつつ、ひと針ずつ正確に繕っていく。すずは盲目にもかかわらず、自力で縫い物をすることができた。

(ばあばの教えてくれたお裁縫、役に立つもんだなあ)

 言うまでもないことだが、目の見えない者が裁縫を習得するのは容易ではない。すずも慣れないうちは何度も針で指を刺し、ぴいぴい泣いたものだ。それでも祖母は、針に糸を通せないとなれば容赦なく夕飯をおあずけにし、すずがどんなに喚いても徹底的に突き放した。
 あの頃は祖母を恨んだこともあったが、今はそのありがたみもいっそう身に染みるというものだ。おかげで今は、着物が虫に食われても自分で繕い、冬が近づけば着物に藁を詰めて備えることができる。針仕事をする度、すずは心を鬼にしてしつけてくれた祖母に感謝していた。

「あげんしょ あげんしょ♪
 黄色い花を つみんしょ♪
 そこかしこに 見えるは♪
 ひらりひらひら ちょうのまい♪」

「うえんしょ うえんしょ♪
 早苗たずさえ うえんしょ♪
 そよ風 来たらば♪
 さらりさらさら あおのなみ♪」

 てきぱきと針仕事を進めながら、すずは唄を口ずさむ。田舎の田園風景にそのまま節をつけたようなそれは、村の子どもも口ずさむわらべ唄だった。
 例年通りならば、今頃は村人たちもせっせと田植えの準備に勤しんでいるはずなのだが、今年は雪がまだ厚い。苗代に植えておいた苗も、そろそろ伸びきってしまっているだろう。姉も蓄えておいた米が稲刈りの前に底をつきそうだとぼやいていた。

(よろっとままを抜かれそうだな……飢えて動けんくなる前に、ここを出た方がいいかもしれん)

 元々、祖母が亡くなった後にすずは出ていくつもりだったのだ。幸いなことに、身を寄せるあてはある。しかし。

(問題はあねさがそれを許すかどうかだ……上手いこと言いくるめられんものか……)

 ヒノはすずが村を出ようとすると、必ず止めて妨害してくる。妹が嫌いなら出ていくのを止めなければいいのに、と思うのだが、ヒノはどうしてもすずをそばに置いて虐めていたいらしい。「目が見えないのだから変なことをしないで。怪我をしたらどうするの」と言って、すずを村の中へ連れ戻してしまうのである。

(目さえ見えていれば、抜け道でも使って上手く抜け出せるろうになあ)

 残念ながら、盲目のすずにはまず抜け道を見つけることができない。いつもと違う道を行こうとすれば、うっかり足を滑らせて川に落ちたり、転んで足を擦りむくのが関の山だ。下手をすれば、崖から落ちて死ぬ危険だってある。人に道を訪ねながら行動しなければ、目的地に行くことさえままならないので、人気ひとけのない晩にこっそり出ていくことも不可能なのである。
 
「あげんしょ あげんしょ♪
 黄色い花を つみんしょ♪
 そこかしこに 見えるは♪
 ひらりひらひら ちょうのまい♪」

 すずは落ち込みそうになる自分を慰めるように、さらに大きな声で唄う。
 この唄は、すずが祖母から初めて教わった唄でもあった。喉が裂けるまで何度も練習し、寝ても醒めても頭の中をぐるぐると回っていた唄。いっときは聞くのも嫌になったくらいだが、今の彼女にとっては思い出深い一曲である。
 目が見えなくても芸で稼いで生きていけるようにと、旅芸人だった祖母が仕込んでくれた唄。これを唄っていると、すずは不思議と心が潤っていくように感じるのだ。
 ――しかし、コンコンと二度戸を叩かれる音によって、唄は阻まれた。
 
「あらあら、瞽女ごぜさんの真似をして唄っていたの? 上手ねえ」

 ヒノの声だった。ヒノは相変わらず、人を馬鹿にするような声音で、ぱちぱちと適当な拍手を送ってくる。
 今度はなんのちょっかいをかけに来たのだろうと、すずは唄うのをやめ、意識を傾けた。

「今朝はごめんなさいね。さすがに大人げなかったわ。あねさを許してくれるわよね、貴方はいい子だもの」

 ヒノは勝手にあばら家に入ってくると、謝罪とも言い難い謝罪をしてきた。人の大事なものを壊しておきながら、それを許すのは当然だと言わんばかりの態度で腹立たしい。が、それを顔に出せばまた彼女に殴られかねないので、すずは大人しく頷いておくことにした。

「それでなんだけど……村の人から、ひとついい話を聞いたの」

 ヒノはぽん、と手を合わせて言う。
 
「鉈切山の中腹に神社があるのは知っているわよね。あそこにいらっしゃる神様にお祈りをすると、病気や怪我がたちまちよくなるそうよ。貴方の盲目や痣も、もしかしたら治るかもしれない」

 だから、一緒に行こう。姉はそう持ちかけてきた。

(これはいよいよ山に捨てられるかもしれないな)
 
 察しのいいすずは、姉がなにか企んでいることも、すぐに察知した。
 この姉の善意など、すずははなから信用していない。心からの善意で言葉をかけられたことなど、これまでに一度もなかったのだから当たり前だ。姉の言葉はどんなに耳触りがよかろうと、いつだって悪意を孕んでいる。
 ヒノも、妹が自分の言葉をすぐに信用しないであろうことは予想していたようで、
 
「大丈夫よ、捨てたりなんかしない。本当よ」

 と、先回りして言ってくる。

「嫁入り先で姉妹喧嘩をするわけにはいかないでしょ。だから、私は心を入れ替えることにしたの」
「はあ」

 すずの脳内に、姉と喧嘩をした記憶はほとんどない。喧嘩をふっかけられたことなら多々あったが、喧嘩しているつもりなのはいつだってヒノだけだ。すずはよほどのことがない限り、彼女の怒りにまともに取り合ったことがない。いちいち小さなことで腹を立てる姉を『はあ』と受け流すのが常であった。

「心機一転したいのよ。だからお願い、一回でいいから着いてきて?」
「はあ」
 
 それは変わり身の早いことで。
 しかし、姉が心機を一転させようが、そこから二転三転させようが、すずにはまったく関係ない。だというのにこんなに寒い中、山の中腹まで向かおうだなんて、実に面倒くさい話だ。
 ――が、断ればやっぱり殴られるだろう。なじられるだけなら受け流せるが、暴力による痛みはそうもいかない。すずは暴力が嫌いだ。

「……ならば、こうしましょう。あねさはおらの目がよくなるようにお祈りして、おらはあねさが嫁入り先で怪我をしないようにお祈りする。そうして村に帰ったら、おらは瞽女屋敷に向かいます。あねさも嫁入りして、二人で心機一転です」

 だから、どうか自分のことは放っておいてくれ。さっさといなくなるから、これ以上は関わらないでくれ。
 すずは暗にそう伝えるが、ヒノはそんなすずの返しに眉をひそめた。
 
「……貴方、まだそんなことを言うの? 相手は貴方も暮らすことを承知の上で、結婚してくれるのよ?」
「だども、お荷物は少ないに越したことはありません。もしもおらが旦那さんのお家に迷惑かけたら、あねさの肩身を狭くしてしまいます。そんげの、おらだって嫌です」
「……」
「これで最後にしましょう、あねさ。おらなんかに構っていても、なんもいいことはありません。あねさはあねさの幸せだけを考えればいいんです」

 自分は姉の幸せを妨害するつもりはない。ただ、妹への執着を忘れて、自由にさせてほしいのだ。姉のお荷物でしかないことが嫌だったのは、事実なのだし。

「……はあ。分かったわ。貴方がそこまで言うのなら、そうしましょう。寂しいけれど、お別れね」

 ヒノは切なそうな声で、すずの提案に頷いた。


 *


 数日後の昼、姉妹は鉈切山の中腹を目指して、雪道を歩いていた。なるべく雪の少ない道を選んでいるとはいえ、斜面となれば険しさは倍増する。目の明るいヒノが先を歩いて道を作り、盲目のすずは斜面を転がり落ちないよう、杖と姉のみのに掴まって後に続いた。

「酷い雪ね。四月とは思えないわ」

 ヒノはふうふう白い息を吐きながら、雪をかき分けて進む。さすがに息も上がってきたようだ。すずは長らくあばら家の周辺だけで生活していたからなおのこと。先を行くヒノについていくのがやっとで、返答することもできない。
 登っている間に汗が出て、着物の中はびちゃびちゃだ。少しでも体を冷やしたら、あっという間に凍え死んでしまいそうである。今、雪道に放り出されでもしたらたまらないと、すずは必死に着いていった。

「ああ、見えてきた。あれが神様のいらっしゃるお社よ。思ったより小さいのね」

 ヒノの視線の先には、一基の鳥居と、拝殿があった。雪まみれで真っ白な視界の中、朱色の鳥居はひときわ鮮やかに映える。
 一礼してから鳥居をくぐり抜ければ、雪に覆われた二体の狛犬――ならぬ狛狼こまおおかみが姉妹を迎えた。

「さすが……祀られているのが大神おおがみ様とだけあって、遣いも犬じゃなくて狼なのね」

 ヒノの言う『大神様』とは、照日ノ国の四島の一つ、北国島を守護する神だ。狼の姿をした神様なので、人々には『おおがみさま』と呼ばれている。
 しかし、大神様のご利益は、確か五穀豊穣と厄除けだったはずだ。怪我や病気を治してくれるなんて話は、聞いたことがない。

「村の人たちによれば、無病息災のご利益もあるらしいの」

 ヒノはそう言うが、果たして本当だろうか。なにか悪巧みでもしていて、適当な言葉で騙そうとしているのではないか。
 訝ってはみるものの、場所はもう神社の境内だ。ここで踵を返すのも大神様に失礼な気がするので、すずは大人しくヒノについていく。
 拝殿の前までやってきて、ヒノはぴたりと立ち止まり、後方のすずに振り返った。

「じゃあ、私は貴方の目がよくなるようにお祈りするわね」
「では、おらはあねさが嫁に行っても病気にならんようお祈りします」
「私がお賽銭を投げるから、貴方は鈴を鳴らしてちょうだいな」
「分かりました」

 ヒノが投げた賽銭の音を聞いてから、すずは本坪鈴ほんつぼすずの縄を揺らし、ガラガラと鳴らす。二つ手を叩いて、お祈りをして、最後に一礼をすれば参拝は終わりだ。
 とりあえず、ここに来るまでの道のりは覚えた。これで万が一、帰り道に捨てられてもなんとか戻って来れるだろう。
 ――すずが少し安心した、その矢先のことだった。

「うわっ!?」

 何者かが、すずの背中をどん! と強く押した。
 ほんの一瞬、気を抜いた時を狙ったかのようで、すずの体は前に倒れてしまう。険しい道を歩いてきた疲れもあり、すずがすぐに起き上がれずにいると、その人物は彼女の体をあっという間に肩に担ぎ上げた。

「な、なんだあ!?」

 いくらすずの体重が軽いといっても、女性のヒノにこんなことができるわけがない。抱えられた腕の太さからしても、担いだのは間違いなく男だ。すずは姿を視認できずとも気づいた。
 男はすずを担いだまま拝殿の扉を開けると、その奥へ彼女を連れ込む。
 何をするつもりか分からないが、これは非常にまずい。ひょっとしたら、山に捨てられるよりもまずいかもしれない。
 ――彼女の悪い予感は、すぐに現実となった。

「許してくれ、村のためだ」
「ごめんなあ、お嬢ちゃん」
「わしらのために、ごめんなあ」

 拝殿の奥――本殿の手前までやってきたところで、すずの体はぽいっと投げ出される。床に体を打ちつけられた彼女が痛みに悶えていると、男以外にも複数の人間が入り込んできて、彼女を押さえつけた。

「なんだ! なにするが!? 離せ、離せえーっ!」

 すずは力の限りバタバタと暴れるが、小柄な少女の力などたかが知れている。彼女はあっという間に手首と足首を縄で縛られてしまった。
 分かりきっていた――姉の言葉が嘘であることくらい、すずは分かっていたのだ。だから、仮に山に置き去りにされても対処ができるよう、足元を探るための杖を持ち、ここまでの道のりを必死に記憶していたのだ。
 しかし、こんなところで他の村人が待ち伏せしていることは、さすがに想定していなかった――ヒノは村の男たちまで味方につけてしまったらしい。

「もう村は限界なんだ、こうするしか方法がねえ……」
生贄いけにえになって、おれたちを助けてくれ」

 いったいどうやって村人たちを動かしたのか――その答えは、村人たちの言葉から察せられた。

(そうか……これが、ばあばの話していた『生贄』か)

 村人たちが建物の外から、祈祷のような呪文を唱え始める。神楽鈴と村人たちの声が不快に混ざり合っていく中、すずは祖母が生前語ってくれたことを思い出した。
 曰く――この村には天災によって危険が迫った時、村の若い娘を生贄にして奉納する習わしがある。娘の命と引き換えに、災厄を沈めてくれと神に祈るのだそうだ。
 考えてみれば、生贄の儀式が水面下で議論されていたとしても、なんら不思議ではなかった――村は長らく続くこの大雪のせいでいつまでも田植えができずにいるし、農閑期のために蓄えておいた食糧ももうすぐ底をつく頃だ。ヒノはこの機に乗じて、憎き妹を神への生贄にするよう仕向けたのだろう。
 いずれにせよ――姉はどうしても、妹のことを自由にしたくないらしい。徹底的に、自分が望む形で不幸にしなければ、気が済まないらしい。

「ごめんね、すず。許してちょうだいね。皆のために、犠牲になってくれて――ありがとう」

 不愉快な呪文が空間を満たす中――すずは、久しぶりに姉の口から自分の名前を聞いた気がした。今まで名前を呼ぶことも嫌がっていたくせに、こんな時だけはさらりと呼ぶんだな、と静かに落胆した。
 そして――自分が生贄にされることを、誰も止めてはくれなかったのだな、と落胆した。


 *

 
 閉じ込められてからしばらくして――村人たちの気配は去り、日もとっぷり沈んでしまった。
 かんぬきをはめられた神社の拝殿の中で、すずは一人、ただ無気力に横たわっていた。

『ごめんね、すず。許してちょうだいね』
『皆のために、犠牲になってくれて――ありがとう』
 
 眠気が迫る中、ヒノが最後に言った言葉が何度も頭の中で反響する。

(ありがとう、か……考えてみれば、おらは感謝されたことがなかったな)

 すずは誰かの役に立てたことがない――姉の役にも、村の誰かの役にも立てなかった。大好きな祖母にも世話を焼かれるばかりで、手助けになるなにかをできた記憶がなかった。
 いや、彼女がもっと奮起して、やってやるという気持ちで臨んでいたのなら、多少村の役に立つことはできたのかもしれない。けれど、周りは彼女に少しも期待してくれなかった。彼女に一体何ができると言うのか――田植えもできない、畑仕事もできない、煮炊きもできない、そんな少女がなんの役に立つというのか。
 祖母はすずに裁縫や芸などを叩き込んでくれたが、周囲の無言の失望が、それを発揮させてはくれないのだ。『どうせ何もできない、どころか手間を増やすだけなのだから、大人しくしていろ』と。だから、すずは祖母が言うところの『人形』も同然だった。
 目が見えないということは、その事実自体が、想像以上に厄介な性質を孕んでいるのだ。

(まあ、おらがどうあがいたところで、お株は全部あねさに持っていかれたんろうな……)

 例えば、貴方は目が見えないんだから働かなくていいのよ、とか。善意を装った言葉をかけて、すずを役立たずに仕立てあげたりすることくらい、あの姉ならばさらっとやる。そして自分は『盲目の妹のためにせっせと働く頑張り屋の姉』として、村人たちから愛されるのだ。

(馬鹿馬鹿しい……おらはどうしたって『めくらのでくの坊』だったわけだ)

 分かっていた。幼い頃から、すずはそれを悟っていた。
 七歳かそこらの時か――同じ年頃の子供たちと遊んだ時、皆で赤い花を集めてくるという遊びをする中、自分だけは何度も違う色の花を摘んで来てしまったことがある。『すずは目が見えないから、色が分からないんだ』と言われ、その時は仲間外れにされた。
 だから、楽しいとは欠片も思わなかった唄の稽古にも、必死に耐えてきたのだ。誰かの役に立たねば、爪弾きにされて、捨てられてしまうから。瞽女ごぜになり、人々に唄を届けることが、自分が誰かの役に立てる唯一の道だと信じて、つとめ通してきた。
 しかし、今――またしても、同じことが起きている。すずは村人たちから、完全に仲間外れにされた。幼い頃の遊びと違っていることと言えば、完全な役立たずではなく、『生贄として役に立っている』という点だろうか。

(生贄になることでしか、村の役には立てなかったのか……)

 そう思うと、途端に虚しくなった。
 今まで耐えてきた唄の稽古も、裁縫の練習も、その他諸々も……何もかもが無駄だった。お前など死んでも困らない、誰もお前など要らないと言われてしまったも同然だ。否――それ以前に、すず自身が、この『すず』という存在を必要としていなかったのかもしれない。
 誰にも生きることを望まれなかった人間――それが、この『すず』という少女だ。

(ごめんなさい、ばあば。おらは、ばあばが願ったとおりには、生きられんらしい)

 手足を縛られた痛みも、しみるような寒さも感じなくなった。怒りも悲しみも、恐怖心さえ湧かなかった。ぽっかりとした虚しさと、安らかな眠気だけが、そこにあった。

 彼女の意識が途切れそうになったその時――それを引き止めるように、拝殿の外からシャリン、シャリンという澄んだ鈴の音が聞こえてくる。
 熊避けの鈴だ――命知らずの旅人か、それとも猟師か。もしや遭難して、寒さをしのぎに来たのだろうか。そんなことを考えているうちに、鈴の音は少しずつ近づいてきて、拝殿の前でピタリと止まる。
 キイイ……という音とともに、拝殿の扉が開く。冷たい空気と一緒に、キシ、キシ、と床材の音を立てながら誰かが入ってくる。足音の感じからして、その人物はかなり大柄なようだった。

「……なぜ、ここにいる」

 びりびりと響くような低い声が、すずに向かって問いかける。

「どちら様ですか?」
「名は言えない。俺はお前たち人間が『大神』と呼ぶモノだ」
「ああ……左様でしたか」

 起き上がる力もないすずは、大神だと名乗る男に対して、力なく答えた。

「このようなお見苦しい姿で申し訳ありません、大神様。おらは生贄としてここへ参りました」
「生贄?」
「どうか、この身と引き換えに雪を止めてくださいませんか。村の者が、米が作れぬと困っているのです」
「それだけのために、ここへ来たのか」
「はい」

 すずはやはり、力なく答える――神に対する礼儀や畏怖はあれど、自分などもうどうにでもなれという、投げやりな受け答えをする。

「……お前、死ぬのか」

 男の問いかけに対し、すずは少し考えてから告げる。
 
「ええ。もとより今生には未練がないものですから。ずっと、終わってくれと願っておりました」
 
 すずはか細い声で、迷いもなく、恐れもなく答える。
 いかに鋼鉄の精神を持っていようとも、つらいものはつらいのだ――降りかかる苦難に耐えることができるというだけで、すずはこの生を一度も楽しんだことがなかった。

「なぜだ」
「……ただ、明るい目が欲しかったのです」

 目さえ明るければ、自分の人生はどれほど違っただろうか――。
 生まれてきてから十六年間、ずっと洞穴ほらあなの中をさまよっていたようなものだ。手探りで歩いてきた道のりは、本当に、本当に長かった。大好きな祖母が望んでいたからなんとか生きてきた、十六年というこの歳月――苦行を重ねてきて、ようやく終焉が訪れたのだ。
 光を失い、希望も持ちえぬ彼女は――来世に賭けるしかなかった。

「大神様。おらにお慈悲をくださるのであれば、どうか来世こそは明るい目をください。ただ、それだけを願って、おらはつとめてきたのです」

 すずは淡々としながらも、懇願する。ただ一つの望みを、大神に祈る。
 男はしばらく黙り込んでいたが、やがてすずの傍にそっと歩み寄り、しゃがんで問いかけた。

「……お前、名前は?」
「おらは、すずと言います」
「そうか」

 男の大きな手が、床に転がったすずの頭に触れる。
 ふわふわの毛に覆われた、大きくて温かい手だった。
 
「すず。お前の願い、確かに聞き届けた」

 すずは心から安心して微笑んだ。ぱっと手放した意識が、闇に溶けていった。
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