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三章「焼け跡の記憶」
その六
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眩しい。――眩しい。
視界は間違いなく真っ暗だが、眩しいのは分かった。
真っ暗な視界が徐々に白んで、眼前に青空が広がった時、
「……んぁ」
と唯助の口から、喉の奥から漏れ出るように、声にもならぬ声が出た。
「あ、戻ってきた」
どうやら、青空を仰いだまま意識を失っていたらしいことを唯助は悟る。我ながら器用な気絶のしかただと思いつつ、意識も漠然としたまま、彼はあたりを見渡した。
「まだ粗削りだけど、一歩前進かな。君、心眼を使うと目の色が変わるんだねぇ」
「――へぁッ?」
青空をめいっぱい視界に入れていたところへ、突然真っ黒な物体を見つけたものだから、唯助は目を白黒させて後ずさった。
口をポカーンと開けているその間抜け面は、見ている側からすれば面白いのだろう。正体不明の真っ黒な物体と間違えられた当のミツユキは、唯助の珍妙な動きを見て笑っている。
「そんなに驚いた?」
「おう。お前が黒すぎるのに驚いた」
「なにそれ、当たり前じゃん。私は影なんだよ」
黒い癖毛に黒い眼帯、長身に纏った服も黒づくめ、辛うじて肌だけが生っ白いというその見た目は、明らかに異質である。彼を知らない者は必ず二度見三度見するだろうし、慣れている唯助でも呆けていればぎょっと驚くくらいはしかたがない。それを胸を張って言うのは、ちょっとどうなのか。
「えぇと、目の色がなんだって?」
「あぁ。君、心眼使っている間、瞳の色が変わるんだーって思ったんだ。焦げ茶色から綺麗な琥珀色になってたよ」
「へぇそうなの。……いや、そんな場合じゃなかったわ」
通常、変色するはずのない虹彩の色が変わっているという事実には、少なからず驚いてもいいはずなのだが、唯助的にはそれどころではないらしい。ミツユキが「あらま」と肩をすくめている。
唯助は懐から慌てて手帳を出すと、急いで何かを書き始めた。
「夢日記、夢日記。忘れねえうちに全部書き留めとかないと」
「あ、やっぱそれって夢と同じ感覚なんだ?」
ふうん、と興味深そうにしながら、手帳を覗き込むミツユキ。
唯助はミツユキの言葉には返答せず、ただひたすらにペンを走らせている。その勢いたるやまさしく殴りつけるような力強さであり、筆跡は傍から見ているミツユキにも解読が難しい、文字通りの酷い殴り書きだった。
「……よし、大体こんなところだ」
「字ぃきったな」
「るせえ」
「これなんて読むの」
「えんそうかい」
「それくらい漢字で書けよ。見習いでも作家でしょ」
「仕方ねえだろ、焦って書いたんだから」
文句を垂れるミツユキの頭を唯助が軽く小突く。一応、じゃれ合いをするだけの心の余裕はまだあるらしい。だが、唯助は悩ましげに首を捻り、頭を捻っている。
「正直、何が何だか。断片的すぎてどれがどの時系列なのかすら分からねえ」
「時系列、ねえ」
初めに見えた火事の場面は、時系列的には一番最後に来るのだろう。なにせ、この実井邸が燃えている、最期の場面なのだから。そして、七本三八が実井邸を訪ねてきたのは火事の少し前であるはずだから、これは一つ前の場面だろう。
「……ねえ。これ、全部ひっくり返してみたら?」
「うん?」
「見えた場面の順番をそっくり逆にするんだよ。一番先に見えたのが火事。その次が、主がここを訪れたところでしょ。それが一番最後にくるんだ」
「あぁ、なるほど?」
言われるままに、唯助は心眼で見た夢の内容の殴り書きを破り取ると、それをまた新しい頁に書き直す。今度はミツユキに文句を言わせまいと、彼なりに綺麗な文字で綴っていった。
「一番最後の、子供が何かを演奏している音と、それを褒める大人たちの声。それが時系列の一番最初で」
ぶつぶつ言いながら整理している唯助に、ミツユキも同じようにして横から口を挟んだ。
「その次に激しい雷雨の音。女性の話し声を、小さな女の子が部屋の外から覗いていた場面」
「次が正蔵さんと寧々子さんの会話。察するに、正蔵さんは無理しながら演奏会を催していた。その収入で寧々子さんを養うためだろうな。顔色もこの時点ではまだマシな方だった、と」
「次が正蔵さんが女性の部屋で、手紙を手に泣き崩れていたところ。ここで気になったのが、なんで正蔵さんが女性の部屋をあれこれいじり回してたかって点だけど……まあ、今は後回しにしておこう」
「で、その後正蔵さんはピアノを売ってますます憔悴する。『お父様はお前だけは守るからね』という発言もあったし、この時点でかなり追い詰められてたように見えるな」
「そして主が実井邸を訪問して」
「六年前の火事が起こった」
言い終えると同時に、ペンの音も鳴り止んだ。
そこから、数秒間の静寂。
かといって、彼らは沈思黙考していたわけではない――単なる空白の時間だった。
「……わっっっかんねぇ」
「だねぇ。これじゃあ大雑把すぎる」
唯助が見たものを無駄だと言い捨てるつもりは毛頭ないが、登場した要素が繋がりそうで、まるで繋がらないのだ。細切れにされた地図の、ほんの切れ端を渡されたようなものである。隣り合ってもいない地図の破片など眺めてみても、全体像はおろか、そこに記された地名や地形すら浮かんでこない。
「でも、火事が起こる前の実井家が見られたのは収穫だよ。菅谷がどんなふうに実井家と関わっていたかを読み解く、重要な手がかりになる」
「菅谷、……」
唯助が覗いた譚の断片の中に菅谷は登場してこなかったが、しかし。
「……なぁ、ミツユキ」
唯助としては、どこか引っかかりを覚えたようで。
「これはおれの勘っていうか、憶測や想像……いや、もう妄想みたいなもんなんだけどよ」
そんな思わせぶりな言い方をして。期待を誘うような言い淀み方をして。
「ごめん、やっぱやめとく。余計なこと話してお前の推理を狂わせちまうかもしれねぇ」
既に聞く態勢を取っていたミツユキに詫びて、唯助は撤回した。
「そう? でも直感は意外と宛てになるよ。君は譚の感受性が高いし、もしかして無意識に何かを感じ取っているのかも」
「だとしても、曲解は避けるに越したことはねぇ。まだおれの中に留めておくべきだと、おれは思う」
「そっか」
ちぇっ、とかわいこぶった舌打ちをするミツユキ。
「なんで残念そうにするんだよ」
「残念に決まってるじゃない。感受性の強い愛子の君は、一体どんな妄想をしちゃったのかなって、興味あったんだもん」
「気色悪い言い方するな」
あからさまに残念がる彼に、やっぱり旦那に似て性格が悪いな、と唯助は改めて感じた。
視界は間違いなく真っ暗だが、眩しいのは分かった。
真っ暗な視界が徐々に白んで、眼前に青空が広がった時、
「……んぁ」
と唯助の口から、喉の奥から漏れ出るように、声にもならぬ声が出た。
「あ、戻ってきた」
どうやら、青空を仰いだまま意識を失っていたらしいことを唯助は悟る。我ながら器用な気絶のしかただと思いつつ、意識も漠然としたまま、彼はあたりを見渡した。
「まだ粗削りだけど、一歩前進かな。君、心眼を使うと目の色が変わるんだねぇ」
「――へぁッ?」
青空をめいっぱい視界に入れていたところへ、突然真っ黒な物体を見つけたものだから、唯助は目を白黒させて後ずさった。
口をポカーンと開けているその間抜け面は、見ている側からすれば面白いのだろう。正体不明の真っ黒な物体と間違えられた当のミツユキは、唯助の珍妙な動きを見て笑っている。
「そんなに驚いた?」
「おう。お前が黒すぎるのに驚いた」
「なにそれ、当たり前じゃん。私は影なんだよ」
黒い癖毛に黒い眼帯、長身に纏った服も黒づくめ、辛うじて肌だけが生っ白いというその見た目は、明らかに異質である。彼を知らない者は必ず二度見三度見するだろうし、慣れている唯助でも呆けていればぎょっと驚くくらいはしかたがない。それを胸を張って言うのは、ちょっとどうなのか。
「えぇと、目の色がなんだって?」
「あぁ。君、心眼使っている間、瞳の色が変わるんだーって思ったんだ。焦げ茶色から綺麗な琥珀色になってたよ」
「へぇそうなの。……いや、そんな場合じゃなかったわ」
通常、変色するはずのない虹彩の色が変わっているという事実には、少なからず驚いてもいいはずなのだが、唯助的にはそれどころではないらしい。ミツユキが「あらま」と肩をすくめている。
唯助は懐から慌てて手帳を出すと、急いで何かを書き始めた。
「夢日記、夢日記。忘れねえうちに全部書き留めとかないと」
「あ、やっぱそれって夢と同じ感覚なんだ?」
ふうん、と興味深そうにしながら、手帳を覗き込むミツユキ。
唯助はミツユキの言葉には返答せず、ただひたすらにペンを走らせている。その勢いたるやまさしく殴りつけるような力強さであり、筆跡は傍から見ているミツユキにも解読が難しい、文字通りの酷い殴り書きだった。
「……よし、大体こんなところだ」
「字ぃきったな」
「るせえ」
「これなんて読むの」
「えんそうかい」
「それくらい漢字で書けよ。見習いでも作家でしょ」
「仕方ねえだろ、焦って書いたんだから」
文句を垂れるミツユキの頭を唯助が軽く小突く。一応、じゃれ合いをするだけの心の余裕はまだあるらしい。だが、唯助は悩ましげに首を捻り、頭を捻っている。
「正直、何が何だか。断片的すぎてどれがどの時系列なのかすら分からねえ」
「時系列、ねえ」
初めに見えた火事の場面は、時系列的には一番最後に来るのだろう。なにせ、この実井邸が燃えている、最期の場面なのだから。そして、七本三八が実井邸を訪ねてきたのは火事の少し前であるはずだから、これは一つ前の場面だろう。
「……ねえ。これ、全部ひっくり返してみたら?」
「うん?」
「見えた場面の順番をそっくり逆にするんだよ。一番先に見えたのが火事。その次が、主がここを訪れたところでしょ。それが一番最後にくるんだ」
「あぁ、なるほど?」
言われるままに、唯助は心眼で見た夢の内容の殴り書きを破り取ると、それをまた新しい頁に書き直す。今度はミツユキに文句を言わせまいと、彼なりに綺麗な文字で綴っていった。
「一番最後の、子供が何かを演奏している音と、それを褒める大人たちの声。それが時系列の一番最初で」
ぶつぶつ言いながら整理している唯助に、ミツユキも同じようにして横から口を挟んだ。
「その次に激しい雷雨の音。女性の話し声を、小さな女の子が部屋の外から覗いていた場面」
「次が正蔵さんと寧々子さんの会話。察するに、正蔵さんは無理しながら演奏会を催していた。その収入で寧々子さんを養うためだろうな。顔色もこの時点ではまだマシな方だった、と」
「次が正蔵さんが女性の部屋で、手紙を手に泣き崩れていたところ。ここで気になったのが、なんで正蔵さんが女性の部屋をあれこれいじり回してたかって点だけど……まあ、今は後回しにしておこう」
「で、その後正蔵さんはピアノを売ってますます憔悴する。『お父様はお前だけは守るからね』という発言もあったし、この時点でかなり追い詰められてたように見えるな」
「そして主が実井邸を訪問して」
「六年前の火事が起こった」
言い終えると同時に、ペンの音も鳴り止んだ。
そこから、数秒間の静寂。
かといって、彼らは沈思黙考していたわけではない――単なる空白の時間だった。
「……わっっっかんねぇ」
「だねぇ。これじゃあ大雑把すぎる」
唯助が見たものを無駄だと言い捨てるつもりは毛頭ないが、登場した要素が繋がりそうで、まるで繋がらないのだ。細切れにされた地図の、ほんの切れ端を渡されたようなものである。隣り合ってもいない地図の破片など眺めてみても、全体像はおろか、そこに記された地名や地形すら浮かんでこない。
「でも、火事が起こる前の実井家が見られたのは収穫だよ。菅谷がどんなふうに実井家と関わっていたかを読み解く、重要な手がかりになる」
「菅谷、……」
唯助が覗いた譚の断片の中に菅谷は登場してこなかったが、しかし。
「……なぁ、ミツユキ」
唯助としては、どこか引っかかりを覚えたようで。
「これはおれの勘っていうか、憶測や想像……いや、もう妄想みたいなもんなんだけどよ」
そんな思わせぶりな言い方をして。期待を誘うような言い淀み方をして。
「ごめん、やっぱやめとく。余計なこと話してお前の推理を狂わせちまうかもしれねぇ」
既に聞く態勢を取っていたミツユキに詫びて、唯助は撤回した。
「そう? でも直感は意外と宛てになるよ。君は譚の感受性が高いし、もしかして無意識に何かを感じ取っているのかも」
「だとしても、曲解は避けるに越したことはねぇ。まだおれの中に留めておくべきだと、おれは思う」
「そっか」
ちぇっ、とかわいこぶった舌打ちをするミツユキ。
「なんで残念そうにするんだよ」
「残念に決まってるじゃない。感受性の強い愛子の君は、一体どんな妄想をしちゃったのかなって、興味あったんだもん」
「気色悪い言い方するな」
あからさまに残念がる彼に、やっぱり旦那に似て性格が悪いな、と唯助は改めて感じた。
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