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弐 隣のひまわり
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工房に戻って、玄関先でがたがたしていると、隣の紙問屋の二階の雨戸が開いた。
ひょっこりと、娘が顔を出す。
「あら? 虎はん、いつから新選組に入りはったん?」
浅葱の羽織を見てそう言ったのは、お玉だった。七人姉妹の末娘で、今年で十六。童顔で明るい娘だ。
上の六人の姉に、あれやこれやとさんざん吹き込まれて育ったせいで、顔はあどけないが、やたらと耳は肥えている。
和紙人形を作るのが趣味で、それが高じて、近頃はからくり人形にも凝りだした。
半年ほど前から虎右衛門の工房に押しかけて、ぜんまいの作り方などを習っている。
隣とはいえ、男の家に気安く出入りする娘を両親は心配しているようだが、本人はどこ吹く風だ。
その、お玉の姿を見上げて、尾形はきりっと居住まいを正し、挨拶した。
「これは夜分に失礼いたしました。さきほど四条河原でちょっとした騒動がありまして、その被……」
「尾形、でかい声でわめいてねぇで、ここ、開けてくれねぇか?」
尾形の声を遮って、虎右衛門は工房の戸を開けるように促す。少女を抱いているので両手がふさがっているからだ。
「どないしはったん? その子」
声をひそめて、お玉が訊いた。
「えっ。あ、川に落ちまして、気を失っ……」
「尾形」
余計なことを言うなと虎右衛門が目配せした。
が、遅かったようだ。
「わあ、難儀やなぁ。ほな、うち、お手伝いします」
そう言ったかと思うと、もう、二階の窓に人影はない。
お玉は、それはそれは気だてのいい娘だった。手先が器用で、料理も裁縫も達者。今すぐに嫁に出て恥ずかしくないほどだ。
ただ、娘としての慎みが足りない。なににでも興味を持つし、考えるより早く体が動いてしまう。
「やれやれ」
虎右衛門は、明日、隣の紙問屋の主人に何と言い訳したものかと、重い気持ちになった。
そんな虎右衛門の心中などあずかり知らぬお玉は、あっという間に降りてきて、やる気満々だ。身だしなみもきっちり。大きな風呂敷包みまで抱えている。川に落ちた女の子が必要とするだろうものを、自分の部屋から適当にかき集め、持ち出してきたらしい。本当に、良く気の回るいい娘だった。
「あっ、お玉さん、それ、私が持ちます」
尾形は、お玉が抱えてきた風呂敷包みを受け取る。
「ほな、尾形はん、おぶう沸かしてくれはります? 虎はんは、お布団、お願いします」
お玉は、たすきの紐をキュッと結び、てきぱきと指示をする。
布団を敷いて少女を寝かせた尾形は、ふと、部屋の隅に置いてある、鯉口を麻布でぐるぐる巻きにした長刀に目をとめた。
痩せても枯れても新選組隊士。そういったものには目ざとい。
「あれ? 一色さんは、剣術の心得がおありで?」
刀をちらりと見た虎右衛門の表情が、かすかに曇った。
「ああ、預かりものでね。『新月』という。もう十年になるかな。持ち主が現れないんだ」
「へぇ。曰くありげですね」
「どうかな」
虎右衛門は、口の端で笑った。
「さあ、殿方はお外に出とって下さい」
男二人の間に割って入り、お玉は笑顔で促した。
お玉に追い出され、再び寒空に逆戻りの虎右衛門と尾形。
自分も川に飛び込んだことを言いそびれた虎右衛門は、やっとのことで奪取してきた掻巻にくるまって、体の芯からくる震えに耐えながら玄関先に座り込んだ。
どこかで野犬の遠吠えが聞こえる。
「あのう……、お玉さんは、やっぱりお父上の決めた方のところに嫁がれるんですかね?」
隣に座った尾形が、こそこそと虎右衛門に耳打ちする。
どうも、工房へ寄るたびにお玉のことが気になっていたようだ。
「へっくしっ!」
虎右衛門は、でかいくしゃみをして、洟をすすった。
「あぁ? なんだって?」
「だから、お玉さんですよ。可愛いですよねぇ。よく気が付くし。よく笑うし」
「まあ、そうだな」
「お玉さんは、誰か意中の人がいる様子ですか? そういう話って、しないんですか?」
「いや、しねぇな」
「お玉さんは、どんな男が好きなんでしょうね? やっぱり、商人じゃなきゃだめですかねぇ?」
「さあ、しらねぇな」
「お玉さんは、私のことをどう……」
「へっぶしっ!」
虎右衛門は、ずるずると洟をすすると、ぐったりと膝の間に顔を埋めた。
「あ~……。やべー……」
「だっ、大丈夫ですか?」
「うーん。だめかもしんねー……」
と言ったきり、虎右衛門はぐったりと正体を失う。
「あっ、あれっ? 一色さん! 大丈夫ですか? 一色さんっ!」
耳元で呼ぶ尾形の声を子守歌に、虎右衛門はどこか深いところにすうっと堕ちていった。
ひょっこりと、娘が顔を出す。
「あら? 虎はん、いつから新選組に入りはったん?」
浅葱の羽織を見てそう言ったのは、お玉だった。七人姉妹の末娘で、今年で十六。童顔で明るい娘だ。
上の六人の姉に、あれやこれやとさんざん吹き込まれて育ったせいで、顔はあどけないが、やたらと耳は肥えている。
和紙人形を作るのが趣味で、それが高じて、近頃はからくり人形にも凝りだした。
半年ほど前から虎右衛門の工房に押しかけて、ぜんまいの作り方などを習っている。
隣とはいえ、男の家に気安く出入りする娘を両親は心配しているようだが、本人はどこ吹く風だ。
その、お玉の姿を見上げて、尾形はきりっと居住まいを正し、挨拶した。
「これは夜分に失礼いたしました。さきほど四条河原でちょっとした騒動がありまして、その被……」
「尾形、でかい声でわめいてねぇで、ここ、開けてくれねぇか?」
尾形の声を遮って、虎右衛門は工房の戸を開けるように促す。少女を抱いているので両手がふさがっているからだ。
「どないしはったん? その子」
声をひそめて、お玉が訊いた。
「えっ。あ、川に落ちまして、気を失っ……」
「尾形」
余計なことを言うなと虎右衛門が目配せした。
が、遅かったようだ。
「わあ、難儀やなぁ。ほな、うち、お手伝いします」
そう言ったかと思うと、もう、二階の窓に人影はない。
お玉は、それはそれは気だてのいい娘だった。手先が器用で、料理も裁縫も達者。今すぐに嫁に出て恥ずかしくないほどだ。
ただ、娘としての慎みが足りない。なににでも興味を持つし、考えるより早く体が動いてしまう。
「やれやれ」
虎右衛門は、明日、隣の紙問屋の主人に何と言い訳したものかと、重い気持ちになった。
そんな虎右衛門の心中などあずかり知らぬお玉は、あっという間に降りてきて、やる気満々だ。身だしなみもきっちり。大きな風呂敷包みまで抱えている。川に落ちた女の子が必要とするだろうものを、自分の部屋から適当にかき集め、持ち出してきたらしい。本当に、良く気の回るいい娘だった。
「あっ、お玉さん、それ、私が持ちます」
尾形は、お玉が抱えてきた風呂敷包みを受け取る。
「ほな、尾形はん、おぶう沸かしてくれはります? 虎はんは、お布団、お願いします」
お玉は、たすきの紐をキュッと結び、てきぱきと指示をする。
布団を敷いて少女を寝かせた尾形は、ふと、部屋の隅に置いてある、鯉口を麻布でぐるぐる巻きにした長刀に目をとめた。
痩せても枯れても新選組隊士。そういったものには目ざとい。
「あれ? 一色さんは、剣術の心得がおありで?」
刀をちらりと見た虎右衛門の表情が、かすかに曇った。
「ああ、預かりものでね。『新月』という。もう十年になるかな。持ち主が現れないんだ」
「へぇ。曰くありげですね」
「どうかな」
虎右衛門は、口の端で笑った。
「さあ、殿方はお外に出とって下さい」
男二人の間に割って入り、お玉は笑顔で促した。
お玉に追い出され、再び寒空に逆戻りの虎右衛門と尾形。
自分も川に飛び込んだことを言いそびれた虎右衛門は、やっとのことで奪取してきた掻巻にくるまって、体の芯からくる震えに耐えながら玄関先に座り込んだ。
どこかで野犬の遠吠えが聞こえる。
「あのう……、お玉さんは、やっぱりお父上の決めた方のところに嫁がれるんですかね?」
隣に座った尾形が、こそこそと虎右衛門に耳打ちする。
どうも、工房へ寄るたびにお玉のことが気になっていたようだ。
「へっくしっ!」
虎右衛門は、でかいくしゃみをして、洟をすすった。
「あぁ? なんだって?」
「だから、お玉さんですよ。可愛いですよねぇ。よく気が付くし。よく笑うし」
「まあ、そうだな」
「お玉さんは、誰か意中の人がいる様子ですか? そういう話って、しないんですか?」
「いや、しねぇな」
「お玉さんは、どんな男が好きなんでしょうね? やっぱり、商人じゃなきゃだめですかねぇ?」
「さあ、しらねぇな」
「お玉さんは、私のことをどう……」
「へっぶしっ!」
虎右衛門は、ずるずると洟をすすると、ぐったりと膝の間に顔を埋めた。
「あ~……。やべー……」
「だっ、大丈夫ですか?」
「うーん。だめかもしんねー……」
と言ったきり、虎右衛門はぐったりと正体を失う。
「あっ、あれっ? 一色さん! 大丈夫ですか? 一色さんっ!」
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