上 下
2 / 17

第2話

しおりを挟む
ある日の事、お屋敷の中にいる私の元を一人の男性が訪れた。

「セレーナ、来ちゃったよ。元気にしてるかい?」

優しい口調でそう言葉をかけてくれるのは、私がここに居なければきっと結ばれていたであろう相手、オクトだ。
彼と私は幼馴染の関係にあって、小さな時からずっと一緒だった。
お互いが貴族家の生まれというだけあり、親同士の関係も近くて仲が良く、毎日会う事が当たり前の事だった。
ちなみにセレーナと言うのは、私がエリスになることを命じられる前の本来の私の名前。

「オクト、こんなことしてたら危ないよ…。今日もまたお屋敷の監視の目を盗んで入ってきたんでしょ?」
「良いじゃないか。セレーナだって知ってるでだろ?俺昔からこういうのは得意だからさ」
「と、得意って…」

彼は貴族家の令息でありながら、昔から少しやんちゃなところがあった。
夜中に遊びたくなったと言って私のお屋敷に忍び込んで、そのまま私を連れ出して遊びに出かけたりすることなんてこともよくあった。

「シュノード様に見つかったら大変なことになっちゃうよ…。一応今の私、第一王子様の婚約者なんだから…」

あの時は見つかってもお互いの両親に怒られるだけで済んだ。
でも、今は全くそうではない。
こんな形で私に接触していたという事が発覚したなら、彼だけでなく彼の家ごと大きな罰を与えられてしまうかもしれない。
もしかしたら、貴族家としての立場を失ってしまうことになるかもしれない…。

「心配するなって。セレーナに会いに来るなら、それくらいのリスクは負わないといけないことくらいわかってるからね」
「ま、またそんなことを言って…」

口ではオクトにそう言いながらも、やはり内心では彼がここに来てくれたことをうれしく思っている私。
毎日のようにシュノード様からいびられる生活を繰り返す中で、私が自分の心を失わずにいられているのは、こうして彼が私のもとに定期的に来てくれているからなのだろう。

「…もう、オクトだけだよ。私の事をセレーナって呼んでくれるのは…」

私がここに来てから、しばらくの時が経過した。
その過程で、私がかつてセレーナという女であったという記憶は人々の記憶から薄れていっており、もう私の存在はエリスという事が当たり前になっていきつつあった。
…かくいう私自身も、最近はセレーナとしての自分を見失う時が時々あり、自分という存在が日に日にエリスに侵食されて行っているのを感じていた。

「…セレ―ナ?」
「私、時々分からなくなる時があって…。一体どっちが本当の自分なんだろうかって…」

私は小さな小さな貴族家に生まれた令嬢だった。
その影響もあってか、私がシュノード様から婚約の申し出を受けたという事を知った私の両親は、即決で私の事を送り出すことを決意した。
…それ以来二人には会っていないけれど、シュノード様に手配してもらった場所で今頃どこかで優雅に暮らしているのだろうと思う。
シュノード様と結ばれるからには、私は幸せになるに決まっていると確信したのだろう。
だからきっと、私のことを思い出すこともないのだろう。

「セレーナ、聞いてくれ」
「…?」

その時、それまで楽しそうな笑みを浮かべていたオクトが一転、かなり真剣な表情を浮かべながらそう言葉を発し、私の顔を見つめる。

「誰が何と言おうとも、君はセレーナだ。今は仕事でエリスを演じているだけで、君は昔から変わらず君のままだよ。俺はいつも、エリスに会いに来ているんじゃない。セレーナに会いに来てるんだから」
「オクト…」

オクトははっきりとした口調でそう言いながら、私の事をはげましてくれる。
その言葉が、今の私には本当にうれしく感じられた。
私の事をみんながエリスと呼び、エリスとしての振る舞いを求めてくる中で、彼だけは本当の私の事を見てくれていることがわかるから。

…けれど、私ももうオクトの思いに甘えてはいられない。
これ以上彼に甘えていたら、それこそ本当に彼の事を破滅させてしまうかもしれないのだから…。

「オクト、本当にありがとう。おかげで元気出た」
「そうか?」
「…でも、会うのは今日が最後」
「…?」
「これ以上オクトを巻き込んでしまったら、取り返しのつかないことになってしまうかもしれない。私はもうどうなってもいい身だけれど、あなたは違う。あなたには、あなたのお父様の後を継ぐっていう使命がある。…なのに、私に構っているってことがシュノード様に知られてしまったら、あなたやあなたのお父様にまで迷惑がかかってしまう…。だから私は…」
コツン、コツン、コツン…
「!?!?」

その時、私たちの部屋に向かって誰かが歩いてくる足音が聞こえてきた。
誰かは分からないけれど、ここにオクトがいるところを見られてしまったらまずい!

「は、はやく隠れて!」
「い、いきなり言われても…!」
「見つかっちゃったらオクトが大変!わ、私が何とか言いくるめるから、とにかく隠れて!」
ガチャッ!

その時、私たちのいる部屋の扉が開かれ、一人の人物がこの場に姿を現した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

妹だけを可愛がるなら私はいらないでしょう。だから消えます……。何でもねだる妹と溺愛する両親に私は見切りをつける。

しげむろ ゆうき
ファンタジー
誕生日に買ってもらったドレスを欲しがる妹 そんな妹を溺愛する両親は、笑顔であげなさいと言ってくる もう限界がきた私はあることを決心するのだった

【完結】キズモノになった私と婚約破棄ですか?別に構いませんがあなたが大丈夫ですか?

なか
恋愛
「キズモノのお前とは婚約破棄する」 顔にできた顔の傷も治らぬうちに第二王子のアルベルト様にそう宣告される 大きな傷跡は残るだろう キズモノのとなった私はもう要らないようだ そして彼が持ち出した条件は婚約破棄しても身体を寄越せと下卑た笑いで告げるのだ そんな彼を殴りつけたのはとある人物だった このキズの謎を知ったとき アルベルト王子は永遠に後悔する事となる 永遠の後悔と 永遠の愛が生まれた日の物語

初恋の幼馴染に再会しましたが、嫌われてしまったようなので、恋心を魔法で封印しようと思います【完結】

皇 翼
恋愛
「昔からそうだ。……お前を見ているとイライラする。俺はそんなお前が……嫌いだ」 幼馴染で私の初恋の彼――ゼルク=ディートヘルムから放たれたその言葉。元々彼から好かれているなんていう希望は捨てていたはずなのに、自分は彼の隣に居続けることが出来ないと分かっていた筈なのに、その言葉にこれ以上ない程の衝撃を受けている自分がいることに驚いた。 「な、によ……それ」 声が自然と震えるのが分かる。目頭も火が出そうなくらいに熱くて、今にも泣き出してしまいそうだ。でも絶対に泣きたくなんてない。それは私の意地もあるし、なによりもここで泣いたら、自分が今まで貫いてきたものが崩れてしまいそうで……。だから言ってしまった。 「私だって貴方なんて、――――嫌いよ。大っ嫌い」 ****** 以前この作品を書いていましたが、更新しない内に展開が自分で納得できなくなったため、大幅に内容を変えています。 タイトルの回収までは時間がかかります。

どうか、お幸せになって下さいね。伯爵令嬢はみんなが裏で動いているのに最後まで気づかない。

しげむろ ゆうき
恋愛
 キリオス伯爵家の娘であるハンナは一年前に母を病死で亡くした。そんな悲しみにくれるなか、ある日、父のエドモンドが愛人ドナと隠し子フィナを勝手に連れて来てしまったのだ。  二人はすぐに屋敷を我が物顔で歩き出す。そんな二人にハンナは日々困らされていたが、味方である使用人達のおかげで上手くやっていけていた。  しかし、ある日ハンナは学園の帰りに事故に遭い……。

全てを捨てた私に残ったもの

みおな
恋愛
私はずっと苦しかった。 血の繋がった父はクズで、義母は私に冷たかった。 きっと義母も父の暴力に苦しんでいたの。それは分かっても、やっぱり苦しかった。 だから全て捨てようと思います。

婚約者の態度が悪いので婚約破棄を申し出たら、えらいことになりました

神村 月子
恋愛
 貴族令嬢アリスの婚約者は、毒舌家のラウル。  彼と会うたびに、冷たい言葉を投げつけられるし、自分よりも妹のソフィといるほうが楽しそうな様子を見て、アリスはとうとう心が折れてしまう。  「それならば、自分と妹が婚約者を変わればいいのよ」と思い付いたところから、えらいことになってしまうお話です。  登場人物たちの不可解な言動の裏に何があるのか、謎解き感覚でお付き合いください。   ※当作品は、「小説家になろう」、「カクヨム」にも掲載しています

【完結】初夜に大暴言を吐かれた伯爵夫人は、微笑みと共に我が道を行く ―旦那様、今更擦り寄られても困ります―

望月 或
恋愛
「お前の噂を聞いたぞ。毎夜町に出て男を求め、毎回違う男と朝までふしだらな行為に明け暮れているそうだな? その上糸目を付けず服や装飾品を買い漁り、多大な借金を背負っているとか……。そんな醜悪な女が俺の妻だとは非常に不愉快極まりない! 今後俺に話し掛けるな! 俺に一切関与するな! 同じ空気を吸ってるだけでとんでもなく不快だ……!!」 【王命】で決められた婚姻をし、ハイド・ランジニカ伯爵とオリービア・フレイグラント子爵令嬢の初夜は、彼のその暴言で始まった。 そして、それに返したオリービアの一言は、 「あらあら、まぁ」 の六文字だった。  屋敷に住まわせている、ハイドの愛人と噂されるユーカリや、その取巻きの使用人達の嫌がらせも何のその、オリービアは微笑みを絶やさず自分の道を突き進んでいく。 ユーカリだけを信じ心酔していたハイドだったが、オリービアが屋敷に来てから徐々に変化が表れ始めて…… ※作者独自の世界観満載です。違和感を感じたら、「あぁ、こういう世界なんだな」と思って頂けたら有難いです……。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

処理中です...