ギガンティア大陸戦記

葉月麗雄

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ロマリア帝国事件編

悪鬼の末路

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ソレーヌとアンナは睨み合い対峙していた。

「必ず捕らえてやる」

「お前も私の糧になるだけだ」

そう言い合い、再び互いの間合いに入ろうしたところでナスターシャが二人の間に割って入った。

「待って、ソレーヌさん」

「ナスターシャさん?何故止めるのですか?」

ソレーヌは戦いを続けようとしたが、ナスターシャの身体から感じる気が尋常でない事に思わず一歩引いた。

(この人は本当に何者だ?医師でありながら一流剣士に匹敵する気を持っている)

万一自分がナスターシャと戦う事になればどちらかが死ぬ事になる。
それほど彼女の身体から出ている気は凄まじかった。

「少しばかりこのお嬢さんと話しがしたいので。すぐに終わります」

ミリアムの手当てを終えたナスターシャが一連の会話を聞いて二人の間に入ると、アンナは羨望の眼差しでナスターシャを見ていた。

「あなた、美しいわ。あなたの血はさぞかし肌にいいでしょうね」

「人間の血が肌にいいなどという事は医学的に聞いた事がない。あなたがそんな誇大幻想をどこから見出したのか、私はそちらに興味がありますね」

「誇大妄想なんかじゃないわ。医学的な効果がなくても私がよければそれでいいじゃない。あなたも私の糧になってくれないかしら」

「私はオカルト分野は専門じゃないので、あなたの糧というのは辞退するわ。そんなに血が欲しいならこれはどうかしら?」

そう言うとナスターシャはアンナに向かって直径五ミリのコインほどの小さな袋を投げつけた。
袋がアンナの右頬に当たると中から血のような液体が出てきた。

「何よこれ?」

「それは数日前に流行り病で亡くなった老人の血よ」

「何ですって!」

それまで余裕を見せていたアンナが初めて動揺した。

「その血を浴びればあなたも病に侵され、数日のうちに死に至る」

「うわあああ」

アンナは恐怖で絶叫した。

「ソレーヌさん、今のうちに」

「かたじけない」

ナスターシャのひと声にソレーヌが素早く対応し、アンナを取り押さえた。

「早く。。早くこの血を落として。。死にたくない。。」

「数多くの人を殺してきたあなたでも自分が死ぬのは嫌なの?」

ナスターシャの冷ややかな声にソレーヌもミリアムも背筋が凍りつく感覚であった。
さっきまでの暖かく自愛に満ちていた時と正反対である。
暖かい陽の光から冷たい氷柱に変化を遂げると、相手を凍りつかせるほど冷徹な一面があった。
それはナスターシャの怒りでもあった。

「当たり前じゃない。この若さで死んでたまるものですか」

「あなたに殺された女性たちもみんなそう思っていた。でも死んだ。あなたに糧と呼ばれてね」

「下等な連中と私を一緒にしないで。私は高貴な血が流れている。生きる価値も権利もあるのよ」

「血に高貴も権利もないわ。あなたは犯した罪の分だけ牢の中で死の恐怖に苛み、打ちひしがれなさい」

アンナは半狂乱になっていたが、ソレーヌは構わず縛り付けて警備兵に引き渡した。

「ナスターシャさん、ありがとうございました。しかしあの血は本当なんですか?」

「あれは私の腕をちょっと切って出た血。流行り病にかかった老人の血と言うのも、数日のうちに死ぬと言うのも嘘ですよ。彼女は人の血に異常な反応を示していたので、医者流の脅しと言ったところです」

そう言ってナスターシャは短刀で切った自分の左腕を見せた。

「これは。。参りました」

「ではソレーヌさん、ミリアム。私はザラメスの診療所を長くあける訳にはいきませんので、これで失礼致します」

ナスターシャは丁寧にお辞儀をしてセリアたちとミリアムに別れの挨拶をした。
最後に一度立ち止まり、ミリアムに声をかけた。

「ミリアム、もう心配ないわね。お守りの中の薬ももう飲む必要はないわ。これからは自分を大切にして、今までの分を取り返すような楽しい日々を過ごしてね」

「ナスターシャ。。色々ありがとう」

ナスターシャは氷から再び陽の光のような笑顔をミリアムたちに向けて帰路についた。

「凄い腕と明晰な頭脳を持った人だ。あの人だけは味方にこそすれ、敵に回したくはないな」

ソレーヌもナスターシャという人物に好感を抱いていた。
敵に回したくないと言ったが、彼女が敵に回る事はないだろうと確信めいたものがあった。
何故かと言われても理由は思い浮かばないが、少なくとも彼女が敵になる事はないし、そのような事態は避けなければと思うだけであった。

「ソレーヌ。助けてくれてありがとう」

「ミリアムも私を助けてくれたんだし、当然だろ。私たち親友同士なんだから」

「たとえ嘘でもそう言ってくれて嬉しい」

「嘘じゃないさ」

「私、ソレーヌと再会しなかったらファビアンと相打ち覚悟で死ぬつもりだった。でもソレーヌに会えたらやっぱり生きたいと思ったんだ。それで情けなく助けてって叫んじゃって。。ごめんなさい」

「何を謝るんだ。助けを求めてくれて嬉しいよ。それに生きようとしてくれて嬉しい。私は神なんて信じないけど、ミリアムと出会えて命を救ってくれたんだから、少しは信じてやってもいいかな」

ソレーヌはそう言って笑った。
全ての処理が終わるとイリーナがセリアたちの元に現れた。

「私はひと足先にフェルデンへ戻る。後はお前たちだけで大丈夫だろう」

「ああ。イリーナ、ありがとう」

ソレーヌが礼を言うとイリーナは軽く会釈した。
まだイリーナとセリアたちの仲は良好とは言えなかったが、これがイリーナなりの礼儀であった。
ミリアムはこの後、フェルデンの病院で治療とリハビリをする事となった。

事件を鎮圧してフェルデンに戻ったセリアたちに再び平穏な日々が戻ってきた。
タスタニアとの戦争中である以上、この平穏な日々は明日にでも壊れるだろうが、今このいっときだけはみんな平和な時間を過ごしている。
後世のロマリア帝国の戦史にドナウゼン事件と書き記された事件はこうして幕を閉じた。

地方都市の県令による横領行為の摘発と軍の癒着の是正であったが、その影で行われていた残虐行為もあり、一歩間違えれば国中が混乱に陥るところを防いだと後世の歴史家たちはこの一件を処理したモニカを評価している。
そしてファビアンと裏で癒着していたドナウゼン在中軍三千人は全員収容所行きとなった。
代わりにパトリックの私兵がドナウゼンの守りにつく事となった。

「この度はご苦労様。みんなの働きのおかげで私腹を肥やす県令と残虐な殺人鬼を拿捕する事が出来た。特にソレーヌは危険を顧みずよくやってくれた」

モニカはソレーヌを労った。

「いえ、私の力など微々たるものです。今回は我が友人であるミリアムの勇気のおかげです」

「それにしても人の血を浴びて若さを保てるなどという狂気の妄想など想像すらしていなかった。そんな狂気が事件の裏に潜んでいたとはな。もう少し早く内情を知る事が出来たら、もっと沢山の人たちを救う事も出来たと思うと決して手放しには喜べないな。

その後の調べでアンナの部屋からこれまで手にかけた女性たちの履歴を綴った書類が出てきたそうだ。実に二百二十人もの女性の名前に年齢、殺された日にちまで記載されていたという事だ」

モニカの報告にソレーヌは怒りが込み上げてきた。
モニカの言うように、もっと早く見つけていれば助けられた命もあったかも知れない。
セリアとソレーヌそう思うとやり切れなかったが、一方でこの残虐な殺人をここで食い止められて良かったと三人とも切り替えていた。
いくら悔やんでも過去は変えられない。
大事なのは同じ惨劇を二度と繰り返してはならないという事

「ええ。ですが、それでも助けられるだけの人たちは助けられた。そして大事なのは同じ悲劇を二度と繰り返さない事です。そのために私たちはこうして任務についているのですから」

「そうだな」

モニカはソレーヌの言葉に同意すると同時に二度とこの悲劇を繰り返させるものかと心に誓った。

「ソレーヌ、ミリアムさんはだいぶ怪我も回復されたようで何よりだ。身寄りも帰る場所もないと言う事だったから、フェルデンの市民権を申請しておいた。まもなく許可が降りるだろう。そうしたらこの役所で共に働くがいい」

モニカの心遣いにソレーヌは感謝した。

「モニカ様、色々とご手配をありがとうございます。きっとミリアムも喜んでいる事でしょう」

普段はモニカに憎まれ口を叩くセリアも、この時は何も言わずにモニカの手配を肯定していた。
セリアにとっては、ソレーヌの喜ぶ顔を見るのか何よりだったからだ。

こうしてミリアムはモニカの助けもあってソレーヌたちと同じフェルデンで役所勤めをする事となった。
そこにはファビアンへの復讐の念に駆られていたミリアムはもういなかった。

ファビアンがハーフェンで処刑されたという話しをソレーヌから聞き、自らの手で敵討ちは叶わなかったが、両親への報告が出来た事によって心の整理がついたからである。
また後日談ではあるが、アンナは処刑ではなく窓一つない真っ暗闇の牢に監禁された。

暗闇で自分の顔を見る事も出来ず、ナスターシャが顔につけた血を拭き取ってくれと毎日のように叫き、顔を掻きむしり、壁や床に擦り付けていたため、アンナの右頬は傷と化膿で見るも無残な顔になり、その傷が原因で一年後に牢の中で息絶えたという。

これが美を求めて数多くのネープ民族女性を生贄にした女の末路であった。
これはモニカやオスカーが命じた事ではなく、ハーフェンの裁判所での決定からで、あまりの狂気に楽に死なせるなというルーファスのひと声もあったという噂も流れている。
あくまでも噂で真相は闇の中であるが。

ミリアムに生まれて初めてと言ってもいい幸せな日々が訪れた。
ソレーヌとミリアムは終生の友人となった。
無論、ソレーヌにはセリアという相棒がいるので、セリアがソレーヌを必要としている時はミリアムは邪魔をしなかったし、ミリアムがソレーヌと会っている時にはセリアはソレーヌを自由にしていた。
そうしてお互いにいい関係を保っていった。

キルス歴一〇九五年十一月。
ドナウゼンを舞台に繰り広げられた狂気の事件はこうして幕を閉じた。
季節は紅葉の秋真っ盛りであった。
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