さくらの剣

葉月麗雄

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遊郭阿片事件編

遊郭阿片事件六

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桜と情報を交わした翌日、朝霧は廊下で偶然顔を合わせた紅玉にそっと顔を近づけて声をかける。

「紅玉はん、昨夜桜花はんを襲った男たち、全員やられたでござりんす」

その言葉に紅玉は内心ビクっとしたが、辛うじて表面上は冷静を保った。

「何のことかわっちには心当たりがないでありんすが」

「桜花はんは柔術も剣術も達人でありんす。あの程度の男たちなら二十人は雇わなければ桜花はんを抑えるのは難しいでござんしょうな。老婆心ながらこれ以上関わるのはやめなんした方がいいと忠告しなんす」

「何のご忠告か存じあげませんが、あいわかったでありんすとだけお答えしておきんしょう」

紅玉はその場は何ごともないように立ち去ったが、朝霧の姿が見えなくなると冷や汗が滲み出てきた。

「ただの芸者がそれだけ腕が立つとは思えんでありんす。桜花はおそらく幕府の隠密。朝霧の申す通り、これ以上あの女に関わらない方が良さげでありんすね。。」

⭐︎⭐︎⭐︎

紅玉は見世のある江戸町二丁目の表通りから羅生門河岸通りに入ると辺りを見渡し、誰にも見つかっていない事を確認すると離れに入った。
中には玉屋の「上客」と呼ばれる貸金屋、卸問屋に呉服屋といった商売人の若旦那たちが遊女を片手に抱きながらキセルを燻らせて阿片を吸っている。

この遊女たちはいずれも下級遊女と呼ばれる切見世の者たちであった。
部屋の中は煙が立ち込め、遊女たちは目に生気がない。

玉屋ほどの大見世となると金持ちの客は毎晩のようにやってくる。
その客の中でこれと思う人物に阿片を売りつけていた。
一種の会員制倶楽部のようなもので、立ち入りは共通の割り札を持っている者のみ。
会費は月に二両。
これは阿片の代金と合わせての金額で見世で遊女と過ごすのに比べれば格安だが、そこに盲点があった。

阿片は一度吸ってしまうと中毒症状が出る。
つまり一度吸った客は阿片を吸うために見世に通い続けなければならなくなる。
少ない元手で大儲け出来る仕組みだ。
実際には河岸沿いで商売をしている下級遊女を連れ込んで阿片を吸わせて相手にさせている。

普通なら一朱ほどで客を取っている下級遊女をあてがって一人当たり二両をせしめているのだから詐欺と言ってよい。
だが、判断力を失っている客たちはそれでも喜んで帰って行った。〔一朱金十六枚で一両〕

紅玉は霧右衛門の姿を確認すると、近づいていき単刀直入に用件を言う。

「霧右衛門はん例の薬をおくんなんし」

紅玉の手が震えだした。

「何だ?これが欲しいのか」

霧右衛門が紙に包まれた阿片を紅玉に見せつける。

「これでお願いしなんす。。」

紅玉は一分金を差し出した。
〔当時のレートは一分金四枚で一両〕

「仕方のないやつだ」

霧右衛門が阿片を紅玉に手渡す。

「また金を持ってくれば渡してやる」

紅玉とて大夫だが、それほど大金を持っているわけではない。
一回ごとに一分金で買わされては年季を過ぎても到底借金の返済はままならず、死ぬまでこの吉原から出られなくなる。
それでも買わずにいられないのが阿片の恐ろしさである。
霧右衛門が一人の男を呼び寄せる。

「また新たな隠密が潜入して来た。桜とか申したが、知っておるか?」

「松平桜と言って幕府最強の御庭番だ。彼女を送って来たと言う事は上様は本腰を入れて玉屋を調べているという事になる」

「桜がこの離れを見つけたらどうする?」

「俺の手で斬ります」

「お前の腕で斬れるのか?相手は幕府最強と自分で言ったばかりではないか」

「差し違えても斬る」

「そうか、では期待しておるぞ」

霧右衛門の声に男はうなづいた。

⭐︎⭐︎⭐︎

一方の源心はいったん吉原を離れて平田長安について調べていた。
羽振りがよくなったのはこの一年ほどの間であった。
玉屋に頻繁に顔を出すようになったのもほぼ同時期。
時期的には合っている。
長安は月に五、六回は巡回と称して吉原に出向いている。

仮に一回に三十両使って月六回通ったとなると百八十両もの大金を積む事になる。
これを何ヶ月にも渡って続けているのだから千両は軽く超えているであろう。
到底町医者に出せるような金額とは思えなかった。

「ケシの花を医療用として買い付けて巡回と称しては玉屋に運び込み、霧右衛門に売りつける。霧右衛門はそれを上客たちに高値で売りつけ、阿片を吸わせて中毒にし、自分の見世に通わずにいられなくする。こうして金儲けしているというわけだ」

源心はそう推測したが、証拠となる阿片がまだ見つからない。

「朝霧さんの禿が亡くなった件についても調べた方がいいな。この二つはおそらく繋がっている」

源心は左近を呼び寄せて、手分けして調査に当たった。

「やはり怪しいのは朝霧さんの言っていた離れか」

⭐︎⭐︎⭐︎

桜は芸者として潜入しているため、吉原の外に出る事が出来ない。
従って平田長安の件は自由に動ける源心と左近に調査を依頼し、自分は阿片密売に関する確証となるものがないかを調べていた。
そんな折、予想外の人物に出会う事となる。

「桜殿。桜殿ではござりませんか?」

突然声をかけて来た男の顔を桜は知っていた。

「あなたは?大岡様の」

「はい。お奉行の御庭番を努めております平蔵と申します」

桜は少し驚いた表情で平蔵を見つめた。
何故なら吉宗からも大岡越前からも先に潜入した御庭番は全員やられたと聞いていたからだ。

「あなたは死んだと大岡様から聞いていたけど」

「死んだ?それはおかしいです。私はずっとお奉行に報告を送っておりました。もしやその報告がどこかで見破られてお奉行の手元に届かなかったのか。。」

「だとするとあなたは既に正体を見破られていて監視されている事になる」

「そんな。。いや、しかし桜殿がここにいるという事はそう見て間違いないという事か。。」

「潜入捜査していて不審な点はなかったの?」

「私が見た限りでは何も不審な点は探し出せませんでした」

「あなたの後にお松さんとおそねさんが潜入したんだけど会わなかった?」

「お松とおそねが?いや、会わなかったが。。まさか、それも私に会わせないために。私は見世番〔大夫道中で箱提灯を持って行列の先頭を歩いたり花魁に傘を差したりする役〕として潜入したので必要以外で遊女たちに不用意には近づけません。

お松たちは遊女か芸者として忍び込んでいるでしょうから、会う機会なくここまで来てしまったのだと思います」

「わかったわ。あなたはもう素性が知られている。いったん大岡様の元に戻った方がいい」

桜の言葉に平蔵はうなづいた。

⭐︎⭐︎⭐︎

吉原の最深部にある京町一丁目。

京町に限らずこの吉原の中には裏茶屋と呼ばれる場所が何軒か存在している。
ここは遊女や芸者がタブーとされている客との恋愛をしてしまった際に密会の場所として使われる店である。

中には楼主と遊女の逢瀬すらあったという。
この日、霧右衛門は巡回と称して来ていた平田長安と京町一丁目の裏茶屋を使って会合していた。

「先生のお陰を持ちまして、阿片を売ってそれなりに稼がせて頂いております」

「霧右衛門殿。明日、また巡回時に阿片を持って来きますからな。その際は朝霧をよろしく頼むぞ」

「それはもう。それより先生、また新たな隠密が入り込んでいるのでご注意を。桜花と申す小娘ですが、まだ若いが幕府最強と言われるだけの事はありますな。

平蔵と同じように寝ているところに阿片を吸わせようとしましたが、その隙がまったくありませんでした。僅かな物音や気配ですら察知して近寄ることすら出来なかったですからな」

「天下の霧右衛門殿が手を焼くようでは相当な者だな。桜花か、惜しいのう。隠密でなければわしが可愛がってやったものを」

平田長安はそう言って酒をお猪口に入れ、ぐいと飲み干した。
霧右衛門は長安がお猪口を膳に置いたタイミングで五百両の小判を差し出す。

「先生、これはほんのお礼にございます」

「お礼などと申しても、この金もまたお主のところに戻るだけであろう。お主の見世には「わしの朝霧」がおるからのう」

「朝霧は先生のお気に入りでございますからな」

「穂花はお前さんが殺してしまったようなものだからな。あれもわしが可愛がっていたのにのう」

「殺したとは他人聞きひとぎきのわるい。あれはうちの稼ぎ頭でしたからな。年季が迫っていたといってやめられては困る。そこで少しばかり阿片を吸わせて判断力を奪い、証文に朱印を押させて二年延期させたら自殺しよりました」

「惜しい事をしたものよのう。ところで、朝霧は材木問屋に身請け話しが出ていると聞いたが、あれはわしのものだ。その材木問屋に阿片密売の罪を着せて町方に捕らえさせよう。そうなれば朝霧は嫌でもわしに身請けせざるを得なくなる」

「その件につきましては、私めに名案がございます。材木問屋には娘がおりまして、この娘を自殺に見せかけて殺害するのです。その際に阿片を部屋のどこかに隠しておきます。

役人が駆けつけた後に先生が調べまして、阿片が発見され、娘は阿片中毒を苦にした自殺とします。そうなれば材木問屋は御禁制の品を扱った罪にてお取潰し。主人は打ち首という筋書きでございます」

「なるほど。お主もなかなか悪知恵が働くものよのう」

「これくらい出来なければ遊郭の楼主などとても務まりません」

「わしは晴れて朝霧を身請けする事が出来るという訳だな」

「その折には千両は貰い受けますぞ」

「おいおい霧右衛門殿、それは少し強欲なのではないか?年季もあと一年足らずの上に儲けさせてやっているのだから、せめて八百両に負けぬか」

「これは、先生にはお敵いませんな」

部屋に二人の笑い声が響き渡る。
この様子を屋根裏でひと通り聞いていた人物がいた。
十文字左近である。

〔どこまでも汚い奴ら。このままでは材木問屋の大旦那が危ない
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