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忍耐の決壊 前編
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いつもと同じ退屈な毎日。
やり甲斐のある仕事について毎日が充実している。なんて人間はおそらくごくひと握りであろう。
たいていの人たちは暮らしていくのに仕方なく、家族を養うために仕方なくといった様々な理由でやりたくもない仕事をやって賃金をもらっている。
そんな中でのストレスもかなりのものだ。
言いたい事、時には怒りたい事や泣きたい事も多々あるが、理性という防波堤が何とか抑えてくれているおかげでぐっと堪えることが出来る。
その防波堤が決壊してしまったらどうなるか。
おそらくは行き着くところまで行ってしまうだろう。
その日、会社で西巻明日香はいつもの如く部長の安西に小言を食らっていた。
彼女は入社して五年、ずっと顧客関連書類の入力業務を行っていたが、去年の春から異動で経理部に配属された。
今までとまるで違う業務内容にてんてこ舞いの日々であった。
無論、本人にとって合う合わないもあるので、明日香はこの仕事が自分に向いていないと思っていた。
そこに新入社員の永井絵里奈が配属されて来ると、安西は何かにつけて明日香に文句を言うようになっていた。
明日香も最初は自分の仕事覚えが悪いと思い、素直に聞いてはいたが、安西の小言を超えた嫌味は日を追うごとに増していった。
明日香は眼鏡をかけていて、どちらかというと目立たない方だ。
髪は肩より少し下に伸びたロングヘアをゴムバンドで束ねている。
仕事は決して出来なくはない。
むしろ以前の部署ではトップレベルであった。
だが、性格的に不向きな上に勝手の違う仕事でいちいち嫌味を言われて明日香はだんだん心に傷を追うようになっていった。
絵里奈はいかにも年配の男上司が好みそうな美人で、お洒落で目立つ子だった。
安西への忖度も巧みにやってのけて、お気に入りである事は一目瞭然であった。
そうやって絵里奈を持ち上げられ、みんなの前で常に小言を言われる明日香は知らない人間から見たら出来の悪い社員に見えてしまうだろう。
絵里奈は先輩である明日香をだんだん見下す態度になっていった。
それに伴い他の社員たちも明日香を軽んじて見るようになっていき、さすがの明日香も精神的に苦痛から倒れてしまい、一ヶ月の休養を取る事となってしまった。
休養の挨拶をした時、部長の安西をはじめ他の社員たちはにこやかだった。
まるで邪魔者がいなくなってせいせいするような態度を明日香は感じていた。
この休養で少し気分転換して過労と体調不良を治して仕事に復帰出来たら。
明日香はそう思いながら休養に努めた。
だが、復帰したと同時にその思いは砕かれる。
復帰初日からいきなり大量の仕事を押し付けられ、てんてこ舞いする明日香に安西の怒号が飛ぶ。
「一ヶ月のサボっていたんだからこれくらい片付けてよね」
絵里奈の毒ついた言葉が明日香の心に突き刺さる。
「永井を見ろ。お前より一年あとに入ってきたのに、ひと通りの業務を全部こなせるようになっている。後から来たものに追い抜かれて悔しくないのか?情けないな。俺なら恥ずかしくて会社に居られないな」
「得手不得手の問題もあると思うのですが」
明日香は無駄とわかっていながらも反論するが、安西は聞く耳を持たない。
「そんな事言っているから追い抜かれるんだよお前は。覚えが悪いのと努力が足りない。社会人としての自覚もない。まったくよくこれでうちの会社に入れたものだ。いっぺん死んでやり直してみたらどうだ」
部長の言葉に明日香は自分の中で何かが切れる音がした。
「ならば、あいつがいなくなればいいんですね」
ぽつりとそう言った明日香の言葉は部長の耳には届かないくらい小さな呟きだった。
その後も安西の嫌味は一時間近く続いたが、もう明日香の耳に安西の言葉は入らなかった。
「ついでにお前も居なくなればいい」
明日香は薄笑いを浮かべる。
⭐︎⭐︎⭐︎
「こんなところに呼び出して何か用?」
絵里奈は明日香に呼び止められていかにも不機嫌そうな表情を浮かべた。
口の聞き方といい、先輩に対するものではないが、絵里奈にとってはすでに自分の方が上という頭がある。
歳も入社年も関係ない。上に認められて出世した者勝ち。それが仕事じゃなくて忖度だろうと。
そういう考えであった。
「はっきり言って時間の無駄なんだから、大した用事じゃなかったら明日の仕事代わりにやってもらうわよ。どうせあんた部長に小言喰らって時間潰してるだけなんだから」
「ねえ、死んでくれない」
明日香の唐突の言葉に絵里奈は耳を疑った。
「今、なんて言った?よく聞き取れなかったんだけど」
「死んでくれない。あんたがいると邪魔なの」
「はっ?バカじゃない。。」
そこまで言ったところで突然首を目に見えない何かが締め付けて来た。
絵里奈は必死で抵抗するが、まるでプロレスラーか力士にでも掴まれているかのような力であった。
「う。。ぐ。。」
首の骨が折れるかと思うくらいの力に絵里奈は意識が朦朧として抵抗する力を失い口から泡を吹き出した。
明日香の顔に薄ら笑いが浮かんで目が光る。
手には斧が握られていた。
「死んでくれないじゃお願いになっちゃうね。はっきり言うわ。死ね」
それから一時間後、明日香は安西の自宅前に立っていた。
チャイムを鳴らすと怪訝そうな表情の安西が玄関に出てきた。
「部長、少しお話があるのですがよろしいでしょうか」
近くの公園まで安西を連れ出した明日香に安西はこんな夜に自宅まで来られて怒り心頭であった。
相手が若い女だけに何もなくとも女房や子供の手前もある。
「こんな夜分に何の用だ?うちの住所をどこから調べた」
「会社で部長に親しい人に聞けば住所なんて簡単に割り出せます。それより部長、見てほしいものがあるんです」
そう言ってリュックの中から絵里奈の首を安西の前に差し出した。
あまりの事に思わず「ひ!」と声を上げる部長。
「これでどうですか。私を追い抜いた人間はいなくなりました」
「お、お前正気か」
「だって部長おっしゃったじゃないですか。後から入ったものに抜かれて悔しくないのかって。はい。悔しいです。ですから殺しました。居なくなれば追い抜かれる事もないので」
明日香の怪しく光る目に安西は思わず後退りした。
「ついでにあなたも居なくなれば、私の事をどうこういう人はいなくなります」
部長は思わず走りだした。
この女は狂っている。逃げなければ。
危険を知らせるシグナルが部長の頭の中で鳴り響く。
「逃げても無駄ですよ」
明日香の目が光ると安西の両足はボキリと鈍い音を立ててへし折れた。
「うぐあああ」
激痛に悲鳴をあげる安西。
「部長、昼間いっぺん死んでやり直せって言いましたよね。ですから本当に死んでやり直しがきくのか見たいのであなたには死んでもらいます」
「こいつ、狂ってる。。」
それが安西がこの世で発した最後の言葉となった。
明日香は持っていた斧を部長の首に振り下ろした。
胴体から離れた安西の首を地面に置いて明日香は話かける。
「有言実行ですよ部長。せっかく殺してさしあげたんですからやり直してみて下さい。どうしたんですか?まさか自分で出来ない事を私に言ったわけじゃないですよね?さあ、早くやり直してみて下さい」
やり甲斐のある仕事について毎日が充実している。なんて人間はおそらくごくひと握りであろう。
たいていの人たちは暮らしていくのに仕方なく、家族を養うために仕方なくといった様々な理由でやりたくもない仕事をやって賃金をもらっている。
そんな中でのストレスもかなりのものだ。
言いたい事、時には怒りたい事や泣きたい事も多々あるが、理性という防波堤が何とか抑えてくれているおかげでぐっと堪えることが出来る。
その防波堤が決壊してしまったらどうなるか。
おそらくは行き着くところまで行ってしまうだろう。
その日、会社で西巻明日香はいつもの如く部長の安西に小言を食らっていた。
彼女は入社して五年、ずっと顧客関連書類の入力業務を行っていたが、去年の春から異動で経理部に配属された。
今までとまるで違う業務内容にてんてこ舞いの日々であった。
無論、本人にとって合う合わないもあるので、明日香はこの仕事が自分に向いていないと思っていた。
そこに新入社員の永井絵里奈が配属されて来ると、安西は何かにつけて明日香に文句を言うようになっていた。
明日香も最初は自分の仕事覚えが悪いと思い、素直に聞いてはいたが、安西の小言を超えた嫌味は日を追うごとに増していった。
明日香は眼鏡をかけていて、どちらかというと目立たない方だ。
髪は肩より少し下に伸びたロングヘアをゴムバンドで束ねている。
仕事は決して出来なくはない。
むしろ以前の部署ではトップレベルであった。
だが、性格的に不向きな上に勝手の違う仕事でいちいち嫌味を言われて明日香はだんだん心に傷を追うようになっていった。
絵里奈はいかにも年配の男上司が好みそうな美人で、お洒落で目立つ子だった。
安西への忖度も巧みにやってのけて、お気に入りである事は一目瞭然であった。
そうやって絵里奈を持ち上げられ、みんなの前で常に小言を言われる明日香は知らない人間から見たら出来の悪い社員に見えてしまうだろう。
絵里奈は先輩である明日香をだんだん見下す態度になっていった。
それに伴い他の社員たちも明日香を軽んじて見るようになっていき、さすがの明日香も精神的に苦痛から倒れてしまい、一ヶ月の休養を取る事となってしまった。
休養の挨拶をした時、部長の安西をはじめ他の社員たちはにこやかだった。
まるで邪魔者がいなくなってせいせいするような態度を明日香は感じていた。
この休養で少し気分転換して過労と体調不良を治して仕事に復帰出来たら。
明日香はそう思いながら休養に努めた。
だが、復帰したと同時にその思いは砕かれる。
復帰初日からいきなり大量の仕事を押し付けられ、てんてこ舞いする明日香に安西の怒号が飛ぶ。
「一ヶ月のサボっていたんだからこれくらい片付けてよね」
絵里奈の毒ついた言葉が明日香の心に突き刺さる。
「永井を見ろ。お前より一年あとに入ってきたのに、ひと通りの業務を全部こなせるようになっている。後から来たものに追い抜かれて悔しくないのか?情けないな。俺なら恥ずかしくて会社に居られないな」
「得手不得手の問題もあると思うのですが」
明日香は無駄とわかっていながらも反論するが、安西は聞く耳を持たない。
「そんな事言っているから追い抜かれるんだよお前は。覚えが悪いのと努力が足りない。社会人としての自覚もない。まったくよくこれでうちの会社に入れたものだ。いっぺん死んでやり直してみたらどうだ」
部長の言葉に明日香は自分の中で何かが切れる音がした。
「ならば、あいつがいなくなればいいんですね」
ぽつりとそう言った明日香の言葉は部長の耳には届かないくらい小さな呟きだった。
その後も安西の嫌味は一時間近く続いたが、もう明日香の耳に安西の言葉は入らなかった。
「ついでにお前も居なくなればいい」
明日香は薄笑いを浮かべる。
⭐︎⭐︎⭐︎
「こんなところに呼び出して何か用?」
絵里奈は明日香に呼び止められていかにも不機嫌そうな表情を浮かべた。
口の聞き方といい、先輩に対するものではないが、絵里奈にとってはすでに自分の方が上という頭がある。
歳も入社年も関係ない。上に認められて出世した者勝ち。それが仕事じゃなくて忖度だろうと。
そういう考えであった。
「はっきり言って時間の無駄なんだから、大した用事じゃなかったら明日の仕事代わりにやってもらうわよ。どうせあんた部長に小言喰らって時間潰してるだけなんだから」
「ねえ、死んでくれない」
明日香の唐突の言葉に絵里奈は耳を疑った。
「今、なんて言った?よく聞き取れなかったんだけど」
「死んでくれない。あんたがいると邪魔なの」
「はっ?バカじゃない。。」
そこまで言ったところで突然首を目に見えない何かが締め付けて来た。
絵里奈は必死で抵抗するが、まるでプロレスラーか力士にでも掴まれているかのような力であった。
「う。。ぐ。。」
首の骨が折れるかと思うくらいの力に絵里奈は意識が朦朧として抵抗する力を失い口から泡を吹き出した。
明日香の顔に薄ら笑いが浮かんで目が光る。
手には斧が握られていた。
「死んでくれないじゃお願いになっちゃうね。はっきり言うわ。死ね」
それから一時間後、明日香は安西の自宅前に立っていた。
チャイムを鳴らすと怪訝そうな表情の安西が玄関に出てきた。
「部長、少しお話があるのですがよろしいでしょうか」
近くの公園まで安西を連れ出した明日香に安西はこんな夜に自宅まで来られて怒り心頭であった。
相手が若い女だけに何もなくとも女房や子供の手前もある。
「こんな夜分に何の用だ?うちの住所をどこから調べた」
「会社で部長に親しい人に聞けば住所なんて簡単に割り出せます。それより部長、見てほしいものがあるんです」
そう言ってリュックの中から絵里奈の首を安西の前に差し出した。
あまりの事に思わず「ひ!」と声を上げる部長。
「これでどうですか。私を追い抜いた人間はいなくなりました」
「お、お前正気か」
「だって部長おっしゃったじゃないですか。後から入ったものに抜かれて悔しくないのかって。はい。悔しいです。ですから殺しました。居なくなれば追い抜かれる事もないので」
明日香の怪しく光る目に安西は思わず後退りした。
「ついでにあなたも居なくなれば、私の事をどうこういう人はいなくなります」
部長は思わず走りだした。
この女は狂っている。逃げなければ。
危険を知らせるシグナルが部長の頭の中で鳴り響く。
「逃げても無駄ですよ」
明日香の目が光ると安西の両足はボキリと鈍い音を立ててへし折れた。
「うぐあああ」
激痛に悲鳴をあげる安西。
「部長、昼間いっぺん死んでやり直せって言いましたよね。ですから本当に死んでやり直しがきくのか見たいのであなたには死んでもらいます」
「こいつ、狂ってる。。」
それが安西がこの世で発した最後の言葉となった。
明日香は持っていた斧を部長の首に振り下ろした。
胴体から離れた安西の首を地面に置いて明日香は話かける。
「有言実行ですよ部長。せっかく殺してさしあげたんですからやり直してみて下さい。どうしたんですか?まさか自分で出来ない事を私に言ったわけじゃないですよね?さあ、早くやり直してみて下さい」
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