彼方の大地で綴る【四章まで完結済み】

しいたけ農場

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第三章 名無しのエトランゼ

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「本当に大丈夫なのか?」


 ヨハンの隣でそうトウヤが問いかける。


「……ああ。そのはずだ」


 ヨハン達が次に起こす行動。それは西側に向かって逃げるというものだった。

 西に展開している敵陣を抜ければ、そこから先は森林地帯が広がっている。森の中を通り、そこから各自フィノイ河の越えてイシュトナルに戻ることができる。

 もし敵の警備が強まっても、ヨハンの予想が正しければ数日で和平が成立する。そうすれば命を狙われることもない。

 最悪の場合でも武器防具を捨ててその辺りの集落に紛れてしまえば、当面の安全を確保することは難しくはないだろう。

 問題は、その『時』がまだ来ていないことだった。


「報告! 東南両面の敵軍に動きあり! 再び隊列を組み直し、こちらに向けて進軍中です!」


 伝令の兵からの報告に、トウヤが勢いよくヨハンの顔を見る。


「戦える者は武器を取れ。可能な限りここで敵を引きつける」

「はっ、ですがヨハン様は……?」

「後は小隊長の指示に従って西からイシュトナルに逃げるだけだ。俺もここに残って殿を務める」


 今ここで敵の包囲を受けているのは間違いなく、ヨハンのミスだ。その責任は取らなければならない。

 それに、今ここでヨハンが命を落とすことで上手く行く交渉もあるだろう。ヘルフリートがそれを聞けば、多少は溜飲も下がる。そうなればまだ兄妹の間に話しあいの余地もできる。

 鉄の具足が石床を叩く音が、強まる雨の音に負けないほどに強くなっていく。

 槍を持って最前線を悠々と進むのは、全身に鎧を纏った鋼鉄の兵士達。

 その背後に幾つかの光が見えて、ヨハンは咄嗟に叫んでいた。


「魔法兵だ! 伏せろ!」


 火球が、雨の粒を蒸発させながら幾つも降り注ぐ。

 先程までいた講堂は破壊され、炸裂する爆炎に吹き飛ばされ中央広場は一瞬にして人々の憩いの場であったその面影すらも消し飛ばされる。

 砕けた建物から飛び交う瓦礫が、それだけに幾人もの兵士を傷つけその場から動けなくさせていく。


「弓兵! 魔法兵を狙え!」


 上空に放たれた弓が、最前線の兵を飛び越えて魔法兵を射抜くが、それでも殲滅にはまだ足りない。

 次の魔法が展開されるよりも早く、敵陣を貫くためにトウヤ達率いるエトランゼが歩兵隊へと斬り込んでいく。

 迅速な攻めだが、それでも次の魔法を止めることは叶わない。

 赤い魔方陣が広がり、そこから放たれた無数の破壊の光が、再度広場に集うイシュトナルの兵達を焼き払おうとしていた。


「ジャマーを……!」


 ヨハンが懐から取り出した小瓶が空中で割れて、中に入っていた粉が空中に散布される。

 それに触れた魔法はまるで見えない壁にぶつかったかのようにそこで霧散して消えていった。

 一度は凌いだが、次はない。本来ならば数分間は空中で停滞している魔封じの粉末は、雨によってすぐに溶けて地面へと消えてしまうからだ。


「西側の斥候から報告です! 敵軍の動きに乱れ在りとこのこと!」

「ようやくか……! 総員、殿を務めるもの以外は西への脱出を最優先としろ!」


 各小隊長の指示に従い、兵達が一斉に西へと駆けていく。


「……ゼクス。上手くやってくれたか」


 カーステンへの偽報以降、ゼクスとその部下達にはそのまま敵軍へと侵入させておいたことが功を奏した。敵の進軍に合わせて内部で破壊工作を行い、混乱を起こす。

 一応の保険だったが、それがこの上なく有効な一打となった。唯一問題があるとするならば、


「……少しばかり遅かったか」


 ゼクスに不手際があったわけではない。むしろ完璧であったとすら言えるが、ルー・シンとラウレンツに率いられた部隊はそれを超えるほどに柔軟で迅速だった。


「側面から回り込め! 敵の魔法兵を止めなければここは十分と持たん!」


 ヨハンの指示を受けて、殿の兵達は建物の間を抜けて走っていく。

 そこに前線を支えていたトウヤ達が戻り、広場は次第に包囲されていった。


「……数、多いな」


 トウヤが呟く。


「五分でも十分でも時間を稼ぐ。既に戦いは俺達の勝ちだ。後は、何人の兵を生き残らせることができるかだ」


 例えディオウルを奪い返されても、今回の戦いは充分な戦果を挙げている。

 だから、ここでヨハンが倒れたところで何も問題はない。他の奪った街と捕虜を引き換えに停戦することは充分に可能だ。


「正面場だ。気合いを入れろ」

「応ッ!」


 味方の声が重なる。

 ここの残ったのは、殿を志願した者達だ。エトランゼもそうでないものも、凡そ半々ぐらいの割合で含まれている。

 兵達の士気は高く、実力以上の力を発揮することができた。


「敵軍、来るぞ!」


 敵の魔法が炸裂し、幾人もの味方が焼かれる。

 その反撃にとトウヤのギフトによる炎の竜巻が、敵の前線を焼き払いそこに穴を開ける。

 兵達は一塊になって槍を突きだして、敵の進撃を阻む。一殺の必要もない、傷を与えて動きを鈍らせれば、その分だけ仲間が助かる可能性が上がる。

 剣を振り、槍で薙ぎ、弓矢が放たれる。

 矢が尽きた兵士は短剣を抜いて、味方の斬りあう敵兵を背後から突き刺す。

 やがて側面から魔法兵への奇襲が成功したのか、魔法の攻撃が止んだ。しかしほぼ同時に、前線を支え切れなくなり広場へと敵兵が踏み込んでくる。

 ヨハンの散弾が、一度に十人以上の命を奪う。

 次弾を装填する間に、兵士が盾となり一人二人と命を落とす。

 飛び散った仲間の血を浴びながら、ヨハンは全ての弾薬が尽きるまで引き金を引き続けた。

 これだけの犠牲を出したのだ。最早地獄に落ちようと、文句も言えない。

 そう自分に言い聞かせる。この戦いで負けて死んだとしても、それはもう、受けるべき報いだと。

 そして戦いが続き、広場に降り注ぐ雨でも洗い流しきれない血が地面を染め上げて、敵味方の死体が数え切れないほどに重なり合い始めたころに。

 敵の動きが鈍り、数が減っていく。

 だが、それはこちらの勝利の兆しなどではなかった。

 剣閃が走り、瞬きする間に五人の兵士が倒れる。

 背中に寒気が走ったときにはもう遅く、捉えることのできない刃の輝きが容赦なく命を奪い去る。

 それはヨハンにとっても同様だった。

 何かがいる。そう判断して後ろに一歩後退ったとき、無様にもヨハンは雨に濡れた石畳に滑って仰向けに転びそうになる。

 見えない剣閃がヨハンの眼前を掠めたのは、それと全く同時の出来事だった。


「仕留め損ねたか。運のいい奴だ」


 僅かな兵を伴って、その影が揺れる。


「お前は……!」


 戻って来ていたトウヤが、ヨハンを助け起こしながらその男を睨みつけた。

 侍のような格好をしたエトランゼ、コテツはこの戦場に似つかわしくないほどに涼しげな表情で、悠然と歩みを進める。

 その先にあるもの全てを斬り捨てながら。


「大将首、貰い受ける」


 コテツが上段に構える。

 トウヤも抵抗しようとするが、彼我の実力差は自身がよく理解していた。武器を失ったヨハンと、二人で挑んだところで数秒と持たないだろう。


「おいおいおいおい。ちょーっと待てよ。いきなりそりゃ、粋じゃないんじゃねえの? サムライエトランゼさんよ」


 声と同時に、コテツの両脇に控えていた兵士二人が悲鳴を上げる間もなく命を奪われた。

 血と雨で全身を濡らしながら、金色の獣がそこに参上する。


「――ああ。拙もお前に会いたかったのだがな。果たして何処に雲隠れしたものかと探していたぞ」

「そこの頭でっかちに言われてあちこちで暴れてたんだよ。そっちこそ、随分と登場が遅かったじゃねえか。俺にビビってたのか?」

「こちらの頭でっかちに言われてな。一陣で動きを見て、第二陣、第三陣でとどめを刺すのだと。兵法に疎い拙からすれば、最初から全力で叩き潰すのと何が違うのか見当つかぬ」


 水が溜まり、既に浅瀬のようになった広場をゆっくりと歩きながら、ヴェスターはヨハンとトウヤを庇うようにその前に立った。


「話は聞いてるぜ、サムライ野郎。そこの坊主を痛めつけてくれたんだろ?」

「人聞きの悪い。痛めつけるも何も、敵ですらなかった」

「そう言ってくれんなよ。坊主だって頑張ってんだからよ。な?」


 振り向いて同意を求めるが、トウヤはヴェスターとコテツ両方を睨むだけで、言葉を発することはなかった。


「――もう時間稼ぎは充分だろ。行けよ」

「……ヴェスター、何を?」

「坊主。てめぇはこいつには勝てねえ。逆立ちしても、何やってもな。だからお前が今やることが何か、判るだろ?」


 ヴェスターはヨハンを見て、それから改めてトウヤに視線を合わせる。

 それだけで何が言いたいのかを察したのか、トウヤは何かに気が付いた顔をして、それから頷き返す。


「逃げるぞ」

「……そうだな。トウヤ、お前はこれからのイシュトナルに必要な人間だ。だから……」

「違うよ。馬鹿なこと言ってないで、あんたも一緒に来るんだよ!」


 有無を言わせず、トウヤはヨハンの身体を引っ張っていく。

 ヨハンはそれに抵抗しようとするが、そこにヴェスターの声が飛んだ。


「ヨハン! てめぇはここで死ぬつもりだったのかも知れねえが、残念なことにそうは問屋が卸さねえみたいだぞ!」


 ヴェスターの声に反応したのはトウヤだけではない。

 あの時、ヨハンに酒を進めてくれた二人の兵士が、トウヤとヨハンと敵兵の間に盾になるように立ち塞がる。


「生きてくださいよ、魔導師殿。あんたが変えてくれたイシュトナル、その先に俺達は興味があるんだからさ」

「そう言うこった。坊主、その馬鹿野郎を任せたぜ」


 トウヤは返事をすることなく、ヨハンを引っ張るように駆けていく。

 ヨハンもまたその兵達の言葉に背中を押されるように、戦場を離脱していった。
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