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第一章 エトランゼ
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カナタは今、炊事場にいる。
目の前には火が燃えるかまどと、その上に乗せられた巨大な鍋の中で野菜と肉を煮込んだスープが美味しそうな匂いを立てていた。
くぅと鳴いたお腹に、他に誰もいないと判っていながらも周囲を見渡して、一人安堵する。ここは間違いなく家事最前線。
「カナタさん。お野菜、追加です!」
「はーい! そこにお願いします!」
幾つもの野菜を抱えながら部屋に入って来た女性が大きなテーブルの上にそれを乗せていく。
鍋を掻き混ぜるカナタの横に来ると、一緒になってそれを覗き込んだ。
「よく煮えてますね。これはもう配膳室に運んでしまって、次を作りましょう」
「判りました!」
修道服にも似た、癒し手の装束と呼ばれる白い法衣を纏った女性の名はサアヤ。暁風に協力するエトランゼで、《リザレクション》と呼ばれる傷を癒すギフトの持ち主だった。
彼等の中では非常に重要な役割を果たし、本来ならばこんな雑用を手伝うような立場ではないのだが。
「人手不足ですからね。奴隷から解放した人達には、たくさんご飯を食べてもらって一刻も早く元気を取り戻してもらわないと」
そう言いながら、鍋を持ち上げて運んでいく。
彼女を見送ると、カナタは次なる鍋を用意するべく山盛りに置かれた野菜をまな板の上に乗せて包丁を入れる。
「……なんでボク、こんなことしてるんだっけ?」
懐から取り出した、通信用のイヤリングに問いかけても返事は返ってこない。
「これ不良品じゃん! ヨハンさんの馬鹿! なんでメイド服ばっかりしっかり作ってこっちは駄目駄目なの!? むっつりすけべ!」
今はいない相手を全力で罵倒していると、人の気配がしてカナタは慌てて口を噤む。
「お前、なんで一人で賑やかなんだよ?」
呆れながら入ってきたのはトウヤだった。新品の装備を身に付けた彼は今やヨシツグ達の戦闘隊長の一人だ。
「トウヤくーん。帰ろうよ~。ボクもう炊事飽きた~」
「帰ろうって言っても、ここが何処だか判らないんじゃどうしようもないだろ。ヨシツグさんは俺達を手放したくないみたいだし」
厳密には俺達、ではなくトウヤ一人だ。
あれからカナタ達は拠点を移動した。奴隷から解放されたばかりのエトランゼが動けるようになるまでとの約束だったが、未だ解放される気配はない。
「それに、ここで戦うのも悪くないんじゃないか? ほら、エトランゼのためなら結果的には変わらないわけだしさ」
「それはそうかも知れないけど……。でもボク、ここの生活退屈……」
「それは仕方ないって。お前のギフトを見てヨシツグさんがそう判断したんだから。むしろ前線に駆り出されないでよかったと思えよ」
切った野菜を纏めて皿に乗せながら、カナタは頬を膨らませる。
それが嫌なのだ。
ここは完全実力主義……。そう言ってしまえば聞こえはいいが、要はギフトの強さで役割が決められていた。意味不明なギフトを持つカナタは晴れて炊事係に命じられたというわけだった。
「いいじゃないか。無理に戦わなくていいんだぜ? ここに来て助かったっていう元冒険者だってたくさんいるんだからさ」
エトランゼが進んで荒事に身を置いているわけではない。むしろそれは少数派だと判ってはいるのだが、自分のやるべきことを勝手に決められるのはどうにも居心地が悪い。
「おい、トウヤ!」
床を乱暴に踏み鳴らしながら、また別の男が部屋に入ってくる。
「なんだ。彼女とお楽しみ中か?」
「こいつはそんなんじゃないって。で、なんだよ?」
大柄な体格の、如何にも粗暴者といった外見の彼もエトランゼで、彼等の中では斬り込み役として名を馳せている。
「またこの辺りにイシュトナルの斥候が現れたらしい。先んじて仕留めるからついてこい!」
「またかよ……。なぁ、やっぱりスパイでもいるんじゃないのか?」
「んなわけないだろって。ここにいるのは全員エトランゼなんだぜ? なんでエトランゼが連中の味方をするんだよ?」
「それは……」
言いにくそうに、トウヤは目を逸らす。
「おい、炊事係! 俺達は今から先頭に出るからよ、戻ってくる前に食事を用意しとけよ! 俺達にはお前みたいなチビをただで食わせる余裕なんかないんだからな!」
言い残して、トウヤと連れだって出ていった。
「……はぁ~あ」
とにかく居心地が悪い。
無心で野菜を刻み皿に乗せる。まだ火が消えてないかまどの上で鍋を煮立たせて野菜を投入。適当に味付け。
つまりここはギフトの適正で、戦闘を行える者とそうでない者達で決定的に階級差ができているのだ。リーダーであるヨシツグはどちらにも公平に接しているが、彼の部下までそうだとは限らない。
結局のところ、なにも変わっていない。少なくともカナタにとっては。
むしろこんなときに愚痴を聞かせられるヨハンがいない分、余計に状況は悪くなっている。
「……ボクだって強いギフトがあれば、今すぐにでも飛んでってみんなの役に立って見せるのに」
ぐるぐると鍋を掻き混ぜる手が、次第に乱暴になっていく。
ここに来て最も嫌なことがこれだ。
彼等の中にいて、あからさまな差別をされるとこんな感情ばかりが湧き上がってくる。
強いギフトを持たなかった劣等感。それどころか、ここに来てからもう二度ほど使い道のないギフトを笑われている。ヨシツグも苦笑いを浮かべたほどだ。
沸騰したお湯が渦を巻く鍋のように、カナタの心もぐるぐる、ふつふつと嫌な何かが沸き上がる。
自分の中にこんな感情が芽生えることが何よりも嫌だったが、それでもとめどなく溢れてくるこの泥は、ちょっとした隙間からでも簡単に漏れ出してしまうのだ。
「……カナタさん?」
「うひゃい!」
背後にサアヤが来ていたことに全く気付かず、高速で鍋を掻きませていたカナタは、突然の声に飛び上がって振り向いた。
「あの、大丈夫ですか? 体調悪そうな顔してましたけど」
「あ、はい。ええ、うん。大丈夫、大丈夫。ボクちょっとお腹空いちゃって……」
「あら、そうですか。なら」
サアヤは小皿を手に取ると、鍋の中をすくって適当に盛り付ける。そこに調味料で少しばかり味を付けて、カナタに差し出した。
「え、あ、いや。別にそういう意味じゃ……」
「いいんですよ。人手不足だからって一人でみんなの分の食事の支度なんて疲れるでしょう? 役得、ということで」
そして示し合わせたかのように、カナタのお腹が再度くぅとなった。どうにもさっき一度音を立てただけでは主張が足りないと判断されたようだ。
「……いただきます」
観念していただくことにする。
「責任はわたしが取りますから。それに、辛い思いをさせてしまっているのも判りますし」
「もぐ……」
今は耐えろと、ヨシツグは言う。
戦って、そしていつかはこの大地をエトランゼのものにすると、その言葉に希望を持つ者は決して少なくはない。
しかし、彼のやり方は本当に正しいのだろうか?
エトランゼのだけの世界が成立するとは、カナタにはとてもではないが思えない。
もっと頭がよければ一人で答えを出せるのに! そんな苛立ちを誤魔化すように、夢中でスープを口の中に放り込む。
「敵襲ー!」
「あら?」「むぐっ!」
そこに飛び込んできたのは、ヨシツグの恋人であり貴重な戦力の一人であるナナエだった。派手な格好をした女性で、見た目の通り少しばかり過激な言動が目立つ。
「やばいよ! 罠に掛けられた。斥候は陽動だったみたい! 敵の本隊がこっちに向かって真っすぐ来てる!」
「ならまずは戦えない人達の避難をさせないといけませんね。ナナエさん、残っている戦力はどのぐらいですか?」
「戦えそうなのはアタシと、他に数人ぐらい……。まぁ、こっちにはギフトがあるから大丈夫だとは思うけど」
「ボクも行きます!」
カナタがそう宣言すると、ナナエは怪訝そうな顔でこちらを見た。
「アンタが? だって意味不明なギフトしか持ってないじゃん。っていうかメイド服だし」
「これ、機能的だから大丈夫です! 囮ぐらいはできますから!」
「……ま、こっちも人が足りないし。足手まといにならなきゃ別にいいけど」
了承を得られたので、今度はサアヤの方へ振り返る。
「サアヤさん。避難をお願いします」
「……カナタさん。わたしも誘導が終わったら戻りますから、無理は禁物ですよ」
その言葉に力強く頷いてから、ナナエと共にカナタは隠れ家の外へと飛び出していった。
目の前には火が燃えるかまどと、その上に乗せられた巨大な鍋の中で野菜と肉を煮込んだスープが美味しそうな匂いを立てていた。
くぅと鳴いたお腹に、他に誰もいないと判っていながらも周囲を見渡して、一人安堵する。ここは間違いなく家事最前線。
「カナタさん。お野菜、追加です!」
「はーい! そこにお願いします!」
幾つもの野菜を抱えながら部屋に入って来た女性が大きなテーブルの上にそれを乗せていく。
鍋を掻き混ぜるカナタの横に来ると、一緒になってそれを覗き込んだ。
「よく煮えてますね。これはもう配膳室に運んでしまって、次を作りましょう」
「判りました!」
修道服にも似た、癒し手の装束と呼ばれる白い法衣を纏った女性の名はサアヤ。暁風に協力するエトランゼで、《リザレクション》と呼ばれる傷を癒すギフトの持ち主だった。
彼等の中では非常に重要な役割を果たし、本来ならばこんな雑用を手伝うような立場ではないのだが。
「人手不足ですからね。奴隷から解放した人達には、たくさんご飯を食べてもらって一刻も早く元気を取り戻してもらわないと」
そう言いながら、鍋を持ち上げて運んでいく。
彼女を見送ると、カナタは次なる鍋を用意するべく山盛りに置かれた野菜をまな板の上に乗せて包丁を入れる。
「……なんでボク、こんなことしてるんだっけ?」
懐から取り出した、通信用のイヤリングに問いかけても返事は返ってこない。
「これ不良品じゃん! ヨハンさんの馬鹿! なんでメイド服ばっかりしっかり作ってこっちは駄目駄目なの!? むっつりすけべ!」
今はいない相手を全力で罵倒していると、人の気配がしてカナタは慌てて口を噤む。
「お前、なんで一人で賑やかなんだよ?」
呆れながら入ってきたのはトウヤだった。新品の装備を身に付けた彼は今やヨシツグ達の戦闘隊長の一人だ。
「トウヤくーん。帰ろうよ~。ボクもう炊事飽きた~」
「帰ろうって言っても、ここが何処だか判らないんじゃどうしようもないだろ。ヨシツグさんは俺達を手放したくないみたいだし」
厳密には俺達、ではなくトウヤ一人だ。
あれからカナタ達は拠点を移動した。奴隷から解放されたばかりのエトランゼが動けるようになるまでとの約束だったが、未だ解放される気配はない。
「それに、ここで戦うのも悪くないんじゃないか? ほら、エトランゼのためなら結果的には変わらないわけだしさ」
「それはそうかも知れないけど……。でもボク、ここの生活退屈……」
「それは仕方ないって。お前のギフトを見てヨシツグさんがそう判断したんだから。むしろ前線に駆り出されないでよかったと思えよ」
切った野菜を纏めて皿に乗せながら、カナタは頬を膨らませる。
それが嫌なのだ。
ここは完全実力主義……。そう言ってしまえば聞こえはいいが、要はギフトの強さで役割が決められていた。意味不明なギフトを持つカナタは晴れて炊事係に命じられたというわけだった。
「いいじゃないか。無理に戦わなくていいんだぜ? ここに来て助かったっていう元冒険者だってたくさんいるんだからさ」
エトランゼが進んで荒事に身を置いているわけではない。むしろそれは少数派だと判ってはいるのだが、自分のやるべきことを勝手に決められるのはどうにも居心地が悪い。
「おい、トウヤ!」
床を乱暴に踏み鳴らしながら、また別の男が部屋に入ってくる。
「なんだ。彼女とお楽しみ中か?」
「こいつはそんなんじゃないって。で、なんだよ?」
大柄な体格の、如何にも粗暴者といった外見の彼もエトランゼで、彼等の中では斬り込み役として名を馳せている。
「またこの辺りにイシュトナルの斥候が現れたらしい。先んじて仕留めるからついてこい!」
「またかよ……。なぁ、やっぱりスパイでもいるんじゃないのか?」
「んなわけないだろって。ここにいるのは全員エトランゼなんだぜ? なんでエトランゼが連中の味方をするんだよ?」
「それは……」
言いにくそうに、トウヤは目を逸らす。
「おい、炊事係! 俺達は今から先頭に出るからよ、戻ってくる前に食事を用意しとけよ! 俺達にはお前みたいなチビをただで食わせる余裕なんかないんだからな!」
言い残して、トウヤと連れだって出ていった。
「……はぁ~あ」
とにかく居心地が悪い。
無心で野菜を刻み皿に乗せる。まだ火が消えてないかまどの上で鍋を煮立たせて野菜を投入。適当に味付け。
つまりここはギフトの適正で、戦闘を行える者とそうでない者達で決定的に階級差ができているのだ。リーダーであるヨシツグはどちらにも公平に接しているが、彼の部下までそうだとは限らない。
結局のところ、なにも変わっていない。少なくともカナタにとっては。
むしろこんなときに愚痴を聞かせられるヨハンがいない分、余計に状況は悪くなっている。
「……ボクだって強いギフトがあれば、今すぐにでも飛んでってみんなの役に立って見せるのに」
ぐるぐると鍋を掻き混ぜる手が、次第に乱暴になっていく。
ここに来て最も嫌なことがこれだ。
彼等の中にいて、あからさまな差別をされるとこんな感情ばかりが湧き上がってくる。
強いギフトを持たなかった劣等感。それどころか、ここに来てからもう二度ほど使い道のないギフトを笑われている。ヨシツグも苦笑いを浮かべたほどだ。
沸騰したお湯が渦を巻く鍋のように、カナタの心もぐるぐる、ふつふつと嫌な何かが沸き上がる。
自分の中にこんな感情が芽生えることが何よりも嫌だったが、それでもとめどなく溢れてくるこの泥は、ちょっとした隙間からでも簡単に漏れ出してしまうのだ。
「……カナタさん?」
「うひゃい!」
背後にサアヤが来ていたことに全く気付かず、高速で鍋を掻きませていたカナタは、突然の声に飛び上がって振り向いた。
「あの、大丈夫ですか? 体調悪そうな顔してましたけど」
「あ、はい。ええ、うん。大丈夫、大丈夫。ボクちょっとお腹空いちゃって……」
「あら、そうですか。なら」
サアヤは小皿を手に取ると、鍋の中をすくって適当に盛り付ける。そこに調味料で少しばかり味を付けて、カナタに差し出した。
「え、あ、いや。別にそういう意味じゃ……」
「いいんですよ。人手不足だからって一人でみんなの分の食事の支度なんて疲れるでしょう? 役得、ということで」
そして示し合わせたかのように、カナタのお腹が再度くぅとなった。どうにもさっき一度音を立てただけでは主張が足りないと判断されたようだ。
「……いただきます」
観念していただくことにする。
「責任はわたしが取りますから。それに、辛い思いをさせてしまっているのも判りますし」
「もぐ……」
今は耐えろと、ヨシツグは言う。
戦って、そしていつかはこの大地をエトランゼのものにすると、その言葉に希望を持つ者は決して少なくはない。
しかし、彼のやり方は本当に正しいのだろうか?
エトランゼのだけの世界が成立するとは、カナタにはとてもではないが思えない。
もっと頭がよければ一人で答えを出せるのに! そんな苛立ちを誤魔化すように、夢中でスープを口の中に放り込む。
「敵襲ー!」
「あら?」「むぐっ!」
そこに飛び込んできたのは、ヨシツグの恋人であり貴重な戦力の一人であるナナエだった。派手な格好をした女性で、見た目の通り少しばかり過激な言動が目立つ。
「やばいよ! 罠に掛けられた。斥候は陽動だったみたい! 敵の本隊がこっちに向かって真っすぐ来てる!」
「ならまずは戦えない人達の避難をさせないといけませんね。ナナエさん、残っている戦力はどのぐらいですか?」
「戦えそうなのはアタシと、他に数人ぐらい……。まぁ、こっちにはギフトがあるから大丈夫だとは思うけど」
「ボクも行きます!」
カナタがそう宣言すると、ナナエは怪訝そうな顔でこちらを見た。
「アンタが? だって意味不明なギフトしか持ってないじゃん。っていうかメイド服だし」
「これ、機能的だから大丈夫です! 囮ぐらいはできますから!」
「……ま、こっちも人が足りないし。足手まといにならなきゃ別にいいけど」
了承を得られたので、今度はサアヤの方へ振り返る。
「サアヤさん。避難をお願いします」
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