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大変申し訳ございません。ヤマダさまは聖女さまではありませんでした!
しおりを挟む「大変申し訳ございません。ヤマダさまは聖女さまではありませんでした!」
神殿の近くにある宿舎の一室で、椅子に座るわたしに金髪の若い男性が、勢いよく頭を下げてきた。
「ちょっと、なに言ってるの? わたし、聖女なんでしょう? だから、この世界に召喚されたんでしょう?」
「それが、こちらのミスでございまして。人違いといいますか……」
「人違いで召喚? そんなことってあるの?」
「お恥ずかしながら、人違いだけでなく、聖女さまの隣にたまたまいらしたご友人まで一緒に召喚してしまったなど、召喚ミスには様々な事例がございまして」
男性が眉を八の字に下げる。
……なんてことだ。
これはいよいよ本当らしい。
2日前だった。
わたしが仕事から自分のアパートに帰宅すると、古ぼけた部屋にこの金髪の男性――リックがいた。
朗らかに笑いかけてきたリックを、わたしはすぐさまショルダーバッグに常備している防犯スプレーで撃退した。
治安の悪さとアパートの安さは比例している。
いざというときに持っていたスプレーが、まさか自分の部屋で役立つなんて。
わたしは転がるリックを足で踏み抑えつつ、警察に電話を入れようとした。
と、そのとき。
リックがなけなしの力を振り絞って、アパートの壁に「聖女さま召喚のご案内」の映像を映し始めたのだった。
「人違いって言うけど。……だったら、わたし、どうなるの?」
時差ボケならぬ、召喚ボケによる体の不調も、ここ2日でようやく治ったところだった。
お世話係のシスターから「いよいよ明日あたり、ヤマダさまには神殿に移っていただきます」と言われたばかりだったのに。
「ヤマダミツキさまには、大変申し訳なく思っております。ヤマダさまのこの先についてですが、わたくしたちにできることは、一分一秒でも早く元の世界に、ニホンにお戻しすることだと思っております」
「戻す? 冗談じゃないわ。今さら戻れないわよ。会社なんて、一番忙しい決算をほっぽり出してきたのよ。あのセクハラ課長がどんだけ怒っているか。それに、しつこくつきまとってくる元カレもいる。あいつ、懲りずにアパートの前で待っているんだろな……。スマホには、親から電話がじゃんじゃか入っているだろうし。自分たちのマンションのローンが払えないからわたしに出してくれって、信じられない。ほんと、なんでわたしがこんな目に合うのってくらい、もとの世界は嫌なことだらけで。……だからわたし、戻ったところでいいことなんて一つもないのよ」
「申し訳ございません。しかし、わたくしどもといたしましても、聖女さまでない方を聖女さまとしてお迎えすることはできないのです」
同情作戦、失敗。
リックはひたすら低姿勢ではあるものの、わたしの意見に同調しようとはしないようだ。
これは、いくらごり押しをしても意見を崩せないパターンだ。
わたしの心にじりじりとした焦りとも、落胆ともいえない感情が渦巻く。
そしてその感情は、徐々に怒りへと発展していった。
「やっぱり納得できない。全部そっちのせいなのに、なんでわたしだけが面倒を引き受けなくちゃいけないわけ? 百歩譲って、間違いを受け入れたとして、だったらこっちでわたしが生活できるように、環境を整えることもできるんじゃないの?」
すると、リックは眉をますます八の字にして、いかにも申し訳ないといった風に口を開く。
「異世界からいらした聖女さま以外の方々が、わたくしたちの世界で暮らす方法はあるにはあるのですが」
「それを聞かせてよ」
「寿命は7日です」
「は?」
「ですから、寿命は7日間です。ヤマダさまの場合は既に2日経過していますので、残りの寿命は5日となりますが、それでもよろしいでしょうか?」
「よろしいわけなかろうが!」
冗談じゃない。
ここにいたら、あと5日の命。
もし帰れば、女性の平均寿命85歳越えの日本。ただし、面倒ごとつき。
はぁ、とため息をつき天井を見上げる。
新しい人生がおくれると思ったけれど、世の中そううまくはいかないらしい。
目の前に立つ八の字眉毛をちらと見る。
この人、ほんの少しだけどタイプだった。
すらりとした肢体に、優し気な顔立ち。
話し方も穏やかだった。
こんな男の人ひとがいる世界なら、きっと安心して暮らせるだろうな。
そう思ったのだ。
全ては夢物語だったけどね。
「……わかったわ。しかたないとは言いたくないけれど、受け入れるしかないわね。ところで、参考までに聞きたいんだけど、本物の聖女さまってどこの誰だったの?」
「本物の聖女さまはヤマダさまのアパートの隣人の女性です」
「えっ、隣? わたしは2階の角部屋だったから、隣の部屋といえば田山さんだけど」
リックが大きく頷く。
「嘘でしょう? 田山さんの奥さん? あの恰幅が良くて、いつもコロコロ笑ってる。たしか、去年還暦を迎えたって聞いたけど。……あの人が聖女?」
「はい、タヤマミズキさまです」
ほぉ、と感心する。
聖女さまに年齢制限なし。
ますますこの世界に好感を持ったけれど、残された田山さんの夫は気の毒だ。
さてと、じっとリックを見据える。
ここからが交渉のしどころだ。
「慰謝料、当然もらえるわよね」
「慰謝料と呼んでいいのかわかりませんが、ヤマダさまが元の世界に戻っても、何不自由なく生活できる基盤作りは済んでおります。人間関係においてもすっきり爽やかに整理して、ヤマダさまが憂う事態はないと確信しております」
「あら、そんなサービスをしてくれていたんだ。それなら、そうと早く言ってよ。こっちにいたのも、せいぜい1日、2日。近場に旅行に行ったようなものだって考えるようにするわ」
しかし異世界、凄いな。短期間の間に、いろいろな物事を解決してくれたなんて。
「……あの、ヤマダさま。以前、説明をしたと思いますが、こちらと、ヤマダさまの世界では時間の流れが違うのです」
「そういえば、そんな話を聞いたような? それなら、わたしがいなくなってから、どれくらい時が流れたの?」
「軽く、37年でしょうか」
「……は?」
「ですから、ミツキさまはあちらに戻りましたら、65歳でございます」
65歳?
「ふざけるんじゃないわよ。あ、勘違いしないでね。わたしね、65歳が嫌なんじゃないの。ちゃんと、毎年としを重ねて65歳になるならいいの。でもね。27歳なのに、帰ったら65歳って。こんなの、ゆるさない! 責任者出て来い!」
わたしがわめき出すと、さすがのリックも慌てだした。
「ヤマダさま、どうかお気持ちを確かに。これはもう、どうしようもないことなのです」
そう言いながら、ぺこぺこと頭を下げるリックの姿が、もやがかかったように白くなり、淡くなり、消え出した。
「やだ、リック、消えないでよ!」
「ヤマダさま、さようなら~」
「嫌よ、待ってよ! こんなのゆるさないわよ~~~~!!」
はっと意識が覚醒して、わたしは体を起こした。
眠っていたのはふかふかの上質なベッドの上。
高さもややあるようだ。
明らかに、今まで住んでいたアパートではない。
では、ここはどこ?
「ヤマダさま、お疲れさまでした」
声に驚きベッドの左右に見ると、両サイドにイケメンがずらりと片膝をついていた。
「うわぁ、なに、あなたたち!」
「お待ちしていました。お帰りなさいませ、ヤマダさま」
広い部屋に豪華なベッド。
その両側には、片膝をついたイケメン軍団。
しかも、彼らの顔をよくよく見れば、わたしが10代の頃に好きだったアイドルに似ている。
……異世界のリサーチ力、凄し。
軍団のリーダーと思われる、明るい茶髪の男性が立ち上がる。
「この度は、ヤマダさまに多大なご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。この不始末、この先、わたしたちメンバーで誠心誠意を尽くすことで、ゆるしていただきたいと思うのですが」
リーダーの言葉を合図に、他のメンバーもすっくと立ち上がる。
なんという景色だ。
いや、だめだ。
ゆるすなんてできない。
わたしは65歳になった自分のハリのない手の甲を見る。
でも……。
再び顔を上げ、彼らの輝くような顔を見る。
そんな仔犬のようなつぶらな瞳でわたしを見つめてもね、
ゆるさないんだからね!
―――――多分。
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