ヴァルネラブル

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第十七章 溺死者の回顧録(3)

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 【断章】

 今となってはもう何もかも手遅れだが、それでもやはり、〈君〉は自分がいかに危うい均衡の上に立っているかについて、もう少し敏感であるべきだったように思われてならない。
 アンフェアを承知で、〈私〉は前もって罠を仕掛けておいた。といっても、どれも〈君〉がいつもどおりの〈君〉であれば乗り切れる程度のものだ。けれど少しでも〈君〉がいつもの〈君〉を見失ってしまうと、少々傷を負うことになる。一つや二つなら問題はない。〈君〉はある意味では――とても慎重に限定されたある意味においては――誰よりも強い人間だから。しかし三つ四つと罠に踏み込んでいくうちに、〈君〉はどんどん疲弊し消耗していく。そしてあるべき自分を、〈君〉という聖域を、保てなくなっていく。
 そうやって、少しずつ、心臓に遠いところからゆっくりと、〈君〉は〈君〉の知らない〈君〉になっていく。
 考えたことがないと言ったら嘘になる。もうどんなディスクールもどんなエクリチュールも届かない場所でなら、〈君〉はシニフィエを失ったシニフィアンのように無残な自由を獲得できるのかもしれない、と。そして〈私〉はそうなることを望んでいるのかもしれない、とも。
 だが、人間というものは矛盾の塊だ。我ながら愚かしいと解っていても、どうしても切り捨てられない感情がある。こんなものを書いている時点で自明だろうが、筋金入りのロマンティストなんだよ、〈私〉は。
 しかし〈私〉はたびたび考える。もしかしたら〈私〉を含め、〈君〉を取り巻くあらゆる人間の行為は、主人たる〈君〉への奉仕に過ぎないのではないか。我々のテクストは最初から最後まで〈君〉のために存在し、〈君〉によって成り立っているのではないか。
 これはひどく危険な妄想だ。しかし、〈君〉を知る人間には首肯してもらえるような気がしている。だがやはり、〈君〉自身には解らないだろう。〈君〉というテクストには――それが引用の織物であってなお――〈君〉しかいないのだから。
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