硝子の魚(glass catfish syndrome)

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続27. 写真

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「……クロが随分大きくなっていました。俺がソファに座ったら、自分から膝の上に乗ってきて、身体を撫でさせてくれたんですよ。お腹や肉球まで触らせてくれました。……樋川さんにも抱っこさせてあげたかったです。母にも妹にも、どうして今日は一人で来たんだと文句を言われました」
「そうか。じゃあ今度は一緒に行こうか」
 安達はこっくりと肯いた。
「是非」
 久しぶりに妹が帰省したということで、昨夜から実家に戻っていた安達は、今朝そのまま実家から出勤し、仕事が終わるとアパートに帰ってきた。自分は彼を部屋に呼び、いつものように水槽の前に座って二人で発泡酒を飲んだ。
「妹がクロをとても気に入って、連れて帰りたいと何度も言っていました。広島に戻ったら猫を飼い始めるかもしれませんね。……最近できた恋人が、猫嫌いでなければですけど」
 昨夜の出来事について、いつものように言葉を組み立てながら一生懸命語る様子は、非常に楽しそうだった。久々に家族が集まったこと、妹が新しいパートナーを見つけたことが、本当に嬉しかったのだろう。彼の話を聞いていると、自分も自然と笑顔になった。
「……ところで、頼まれていた件ですが」
 一通り家族について話したあと、安達はそう言って脇に置いていたビニール袋を手にした。自分は彼が部屋にやってきたときから、相手が手にしていたその袋の存在に気づいていたが、敢えて触れていなかった。楽しみは最後まで取っておく主義なのだ。
「ちゃんと持ってきました。……ただ、何の面白味もありませんよ」
 袋から出てきたのは、高校の卒業アルバムだった。安達はアルバムを開くとぱらぱらとめくり、あるページで手を止めた。
「……これが俺です」
 白い指が、写真の一つを軽く叩く。
「…………修学旅行の写真です。高二だから、十七歳のときでしょうか。京都に行きました。これは清水寺で撮ったものですね」
 そこには数人の高校生が並んで映っていた。どういう関係性なのかわからないが、彼らの間には妙なよそよそしさが感じられ、中でも一人だけ、ほかの生徒とは露骨に距離をおいて立っている少年がいた。安達の指が示したのは、その少年だった。
「……ひどい写真ですよね。修学旅行って、グループ行動が基本でしょう。俺は先生の手で余り者グループに入れられたんですが、その中ですら余っていました」
 自分はブレザー姿の少年を見つめた。
「友達がいなかったと言っていたな」
「……ええ、一人も。だから余り者なんです」
 予想どおり、安達は制服をやや着崩していた。もちろん不良には見えない。スラックスを腰で穿いていたり、ピアスをつけていたり、髪を染めていたりするわけではない。だが、現在の安達が恒常的に身にまとっている優等生風の雰囲気は、そこにはなかった。反対に、現在の彼が時折、何かの名残のように見せる薄い剃刀のような鋭さと危うさが、十七歳の安達にははっきりと見て取れた。
「いじめられることはなかったんですが、上手く話せないので、いないことにされていました。…………学校生活には、楽しい思い出はありません」
 自分は首を横に振った。いないことになどされていたわけがない。こんな同級生がいたら、誰だって意識せざるをえないはずだ。少なくとも自分なら、常に目で追ってしまうだろう。
「皆、お前とどう接すればいいかわからなかっただけだと思う。美人に話しかけるのは誰だって緊張するし、その美人が寡黙なら尚更だ」
 十七歳の安達は端正な顔をしていた。頬にはまだあどけなさが残り、現在のように無機質なまでに洗練されているというわけではないが、それでも周りの同級生たちとは全く違っていることは、見比べるまでもなく明らかだった。
「昔から綺麗だったんだな。今の方が綺麗だが」
 安達は少しの間沈黙した。それから小さく溜め息をつく。
「樋川さんは、時々恥ずかしいことを平然と言う節がありますよね。嫌いではありませんけど」
 どうだろう。恥ずかしいことを言ったつもりはなかった。ただ素朴な感想を述べたまでだ。が、安達が嫌いではないというのなら、何でも構わなかった。
「あとはクラスの集合写真と個別に撮った写真がありますが、学校で撮影したものなので、修学旅行の写真以上に面白味がありません。それでも見ますか?」
「もちろん」
 二枚の写真に写る安達は、まるでコピーしたかのように同じだった。綺麗な顔をした色白の少年が、にこりともせずにこちらを見ている。彼は学校で笑ったことがあるのだろうか。ふと、そんな疑問を抱いた。
「文集も読んでいいか」
「……絶対に駄目です」
 安達はアルバムを閉じて袋にしまった。
「次にお前の実家に行くときは、お母さんにお願いして、可澄の子供の頃の写真を見せてもらうことにしよう」
「…………母がはしゃぐのが容易に想像できます。きっと大量のアルバムを解説つきで見せられますよ。……義理の弟も、よく被害に遭ったものでした。妹の写真ならともかく、彼に俺の写真を見せたところで何の意味もないと思うんですが」
 なるほど、と自分は思った。安達は気づいていないようだが、彼の母親は、自分に顔立ちのよく似た綺麗な息子が自慢なのだろう。
「確かに、お前は母親似だからな」
 肯いてそう答える。すると安達は文脈が理解できなかったのか、不思議そうな顔をした。
「そうですね。おっしゃるとおり顔に関しては、俺は母親似、妹は父親似です。……性格に関しては、両親は似たもの夫婦で、妹も両親に似ましたが、どういうわけか俺は彼らとは正反対になりました」
「お前が両親や妹と同じ性格をしていたら、俺たちが出会うこともなかっただろう」
 彼は何度か瞬きした。そして微笑した。周囲の光を複雑に反射させて煌めく、硝子細工の笑みだ。
「……親に感謝しなければいけませんね」
 囁くような声が、耳をくすぐった。思わず顔を寄せると、口許にそっと唇を押し当てられる。アルコールで僅かに赤みの差した白い首筋からは、風呂上がりのよい匂いがした。このままペッティングに雪崩れ込む流れだ、そう思った。彼も同じことを考えたようで、僅かに残っていた発泡酒を飲み干すと、グラスを離れたところへ押しやった。
「今度は樋川さんの卒業アルバム……見せてください」
 彼の薄手のスウェットの内側に手を突っ込み、肉のない腹や腰を撫でながら石鹸の香りのする首筋を熱心に舐めていると、僅かに息を乱しながら安達が甘えた声を出した。
「きっと女の子にもてたでしょう……んっ」
「いや、口をきくのは男ばかりだった」
 乳首を指の間で転がしながら答える。我ながらほとんど上の空だった。それが相手にも伝わったのか、彼は呆れたように笑った。
「本当に胸を触るのが好きですよね……俺もそこを弄られるの、好きですけど…………ふふ、高校生のときの樋川さんのセックス、体験してみたかったです」
「お前に痛い思いをさせるだけだろう。それまで付き合った相手はいたが、二十歳まで童貞だったからな。突っ込んで腰を振ることしかできないはずだ」
 素っ気なく答え、キスをするために視線を上げると、何故か安達は虚空を見つめていた。自分は愛撫の手を止め、相手の顔を覗き込んだ。その表情は、どんな言葉を返せばよいか考え込んでいる様子だった。どうやら自分は予想を裏切ってしまったらしい。だったらいったいお前は俺にどんなイメージを抱いていたんだ、と思わないこともなかったが、しかしそんな質問をする勇気は何処にもなかった。最終的に彼は、まあ俺は今でも童貞ですし、と言って上品に笑った。そしてふと思いついたようにつけ加えた。
「……いつも俺が樋川さんに処女を奪ってもらっているので、お礼に今度は、俺が樋川さんの筆おろしをしましょうか?」
 自分は一瞬言葉に詰まってから、気持ちだけで充分だと返事をした。すると安達は甘ったるい息を吐き、気が変わったらいつでも言ってくださいね、と言ってまた笑ったので、自分は耐え切れず、相手の唇を自分の唇で塞いだ。
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