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続25. 酩酊(1)
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安達が電話をかけてきたのは金曜日の深夜、正確には土曜日になって三十分ほど経過した頃だった。
『今夜そちらに行ってもいいですか』
何かあったのだろうか、というのが率直な感想だった。安達は夜遅く電話をかけてくるということを一切しない。日付が変わってからこちらの部屋にやってくるということもまずしない。
「構わないが、どうした。確か飲み会だったよな。もう解散したのか。今何処にいるんだ」
『……ええと……どうもしていません。……飲み会はもう終わって、今……今は駅にいます。これから歩いて……アパートに戻るところです』
何がおかしいのか、安達は言い終わるとくすくす笑った。どうも酔いが回っているらしく、喋り方や笑い方が妙にふわりとしている。これもまた非常に珍しいことだった。自分は携帯電話を耳に当てたままソファから腰を上げた。
「わかった。今から迎えに行くから、駅前のバス停のベンチに座って待ってろ。寝るなよ」
『……迎えに行く……こんな時間に誰を?』
「お前だ」
寝巻代わりのスウェットをジーンズに穿き替え、外に出た。急ぎ足で駅に向かう。バス停のベンチに人影があるのを確認したとき、自分が少し汗ばんでいることに気づいた。歩調を緩めて近づくと、少しずつ彼の姿が鮮明になっていく。街灯や二十四時間営業の店々が放つ光のせいで、周囲はそう暗くはない。安達の白い顔は少し上に向けられており、種々の光源に照らされていつもより無機質に映る。その姿は、まるでビルの隙間に夜空を探しているようでもあり、遥か遠い星について思いを巡らせているようでもある。これ以上近寄ってよいのだろうか、声をかけてもよいのだろうか、そんな無意味な躊躇いが、一瞬言葉を詰まらせる。
「――可澄」
安達はゆっくりと瞬きした。視線がこちらに落ちてくる。目が合うと同時に、表情らしい表情のなかった顔に、硝子細工の笑みが浮かんだ。
「樋川さん」
自分は何故かほっとした。彼の傍に歩み寄り、顔を覗き込む。
「気分はどうだ」
「……すごくいいです。……わざわざ迎えに来てくれて、どうもありがとうございます」
実際、顔色は悪くなかった。かなり飲んだようだが、嫌な酔い方をしているわけではないらしい。自分は一つ肯いて、彼の膝の上にあった鞄とスーツの上着を手にした。
「帰ろう」
安達はベンチに座ったまま首を傾げた。
「荷物くらい自分で持てますよ」
「お前はお前が思っているよりずっと酔っ払っている。俺に甘えておいた方がいい」
安達は首を傾げたまま、考え込むような顔つきをした。
「……俺って酔ってるんですか?」
どうしようもなかった。
並んで歩き始めると、安達の足取りは意外としっかりしていた。機嫌がよいのか、嬉しそうに天気の話をする。天気の話の何処に喜ばしい要素があるのかこちらには見当もつかなかったが、彼がとにかく嬉しそうなので、自分も柔らかな気持ちで相槌を打った。
「樋川さんと一緒に帰るの、随分久しぶりな気がします。……ああ、でも、ホテルに行ったときは帰りも一緒だったかな……」
ひととおり天気の話をしたあとで、安達はふと思いついたように言った。自分は、そうだな、と肯いた。二人で出歩く機会はあまりないため、こうして駅からアパートまでの道のりを歩いていると、決まって初めて二人で連れ立って帰った日のことを思い出す。あれは彼と二度目に顔を合わせたときのことで、当時は口下手で社交性の欠如した新たな隣人と、こんな関係になるとは思わなかった。全ては偶然の積み重ねであり、そんな偶然の積み重ねを、人は運命と呼ぶのかもしれない。
アパートに着くと、安達は彼自身の住まいのドアに向かった。どうしたと訊ねると、シャワーと着替えのためだと答える。どうやら寝支度を済ませてからこちらの部屋に来るつもりらしい。
「酔った状態でシャワーを浴びて大丈夫なのか。転んで怪我をしたら大変だろう。着替えなら俺の部屋にもあるし、シャワーは明日の朝にして、今夜はこのままこっちで寝れば――どうした?」
気づくと安達は声をたてずに笑っていた。鍵を鍵穴に差し込んだまま笑いながら頭を振り、それから眩しそうな目をする。
「……どうしてそんなに優しいんですか」
今度はこちらが首を傾げたくなる番だった。
「ただ単に心配性なんだ。お前に関してだけ」
安達は俯いた。何も言わずにこちらの手を取り、きゅっと握る。言葉が見つからないというよりも、言葉以外の手段で感情を表現したい様子だった。結局彼の部屋に上がり込み、安達が入浴を済ませるまで待つことにした。
彼の部屋は相変わらず片付いていた。特別家具が増えていたり減っていたりすることもなく、何かの模型のように綺麗に保たれている。水槽とプラスチックの魚に関しては、随分前にしまわれていた。今はクローゼットに保管しているという。安達はテレビでも見て待っていてほしいと言っていたが、リモコンに手を伸ばす気にはならなかった。何もせずにじっと待つ時間というのも、案外よいものだ。もちろんそれは、待つ対象が好ましいものである場合に限ってだが。
そんなふうにぼんやりと時を過ごしていると、安達がリビングに入ってきた。Tシャツにジャージ姿で、視線が合うなりにっこりする。赤みを帯びた肌はしっとりとして、吸いつきたくなる質感をしていた。
「……さっぱりしました。樋川さんもいかがですか」
「俺はもう済ませた。水を持ってこよう」
自分でできます、という声を聞きながら、台所へ行き冷蔵庫を開ける。自分でできるとは言ったものの、何かしてもらうのは嬉しいようで、安達はグラスに水が注がれるさまを、笑みを浮かべて眺めていた。グラスを渡してやると、礼を述べてほぼ一気に飲み干す。おかわりは、と訊ねると、ください、と柔らかな返事があった。そこで自分は再びグラスに水を注ぎ、彼もまた先ほどと同じように嬉しそうにその様子を眺めた。
「ゆっくり飲めよ」
「……ありがとうございます」
もしかしたら、自分は心配性なのではなく過保護なのかもしれない。ちらりとそんな思いがよぎった。だが、人には幸福を追求する権利がある。安達が自分の渡したグラスから水を飲むだけで幸せな気持ちになれるなら、自分には水を注ぐ権利があるのだ。
彼にグラス二杯分の水を補給させたあと、濡れた唇にキスをした。ミントの味がするのは、彼が歯を磨いたばかりだからだろう。
「このまま俺の部屋で寝ませんか」
妙に艶めかしいシャンプーの香りを吸い込みながら、相手の言葉に肯いた。
安達のベッドは安達の匂いがする。清潔で何処となく甘い匂いだ。シーツの上に身体を横たえながらそう告げると、隣で彼はふふっと笑った。
「樋川さんのベッドも、樋川さんの匂いがします。……すごく安心して、ちょっと落ち着かなくなる匂いです」
こちらから手を伸ばす前に、相手の身体が擦り寄ってくる。いつものように額に口づけしてから、抱え込むようにして頭を撫でた。
「安心して落ち着かなくなるなんて、矛盾した匂いだな」
「……でも、ほんとなんです」
聴いていると鼓膜がとろりと溶けてしまいそうな、糖度の高い声だった。まだだいぶ酔っているのかもしれない。電気を消す前にくっつかれてしまい、少し迷ったが、このまま寝かしつけることに決めた。彼は寝つきがよく、部屋が明るくてもすぐに眠ってしまう。安達が寝入ってから電気を消せばよいだろう。そう思い、黙って彼の背中に手を回した。掌に感じる体温に安らぎを覚えていると、安達の手がこちらの手首を掴んだ。背中ではなく頭を撫でてほしいのかもしれない。自分は腕の力を抜き、彼のしたいようにさせた。するとどういうわけか、安達は掴んだこちらの手を自身のTシャツの中に引っ張り込んだ。よく知った滑らかな肌が、掌に直に触れる。
「可澄」
指先が彼の胸の突起に引っかかり、自分は溜め息をつきたくなった。しかし彼は特に悪びれた様子もなく、他人の手を使って自らの乳首を弄りながら、蜜のような声で囁いた。
「樋川さんの匂いを嗅いでたら、おっぱいの先、腫れてきちゃいました」
「とんでもない酔っ払いだ」
もちろん安達に誘われて、嫌な気分になるわけがない。望まれるまま、彼の乳首を触った。首から下は布団で隠れて見えないせいで、必然的に視線は相手の顔に集中する。乳首を指の間でこりこりと刺激してやると、安達は唇を僅かに開いて甘い息を吐いた。きつく摘んだり爪を押し込んだり、強めの刺激を与えたときは、少し眉を寄せて苦しげな表情を浮かべる。耐えることで煽るような、そんな淫らな表情だ。眺めているだけで、股間が窮屈になってくる。欲望のまま彼の唇に吸いつくと、安達も期待していたのか口を開いて舌を絡ませてきた。彼の舌はいつもより熱く、柔らかく、そして動きがやや鈍かった。酔っているせいなのかもしれない。キスをしたあと指で相手の唇を拭っていると、物欲しそうな視線と声がこちらの視覚と聴覚を愛撫した。
「……ねえ、いいことしませんか」
僅かに笑いを含んだ、掠れた声。断られることなど絶対にありえないのに、それでも律儀に誘惑のための台詞を吐く男は、やはり爪の先まで真面目である。
「いいことより、悪いことの方が好きなんじゃないのか」
彼は声をあげて笑った。
「俺のこと、よくわかってますね。……でも今夜は、いいことがしたい気分なんです」
「なるほど」
こちらとしては何でもよかった。そこで邪魔な布団を剥ぎ取り、仰向けにさせた相手の身体に覆い被さった。片手でTシャツをめくって乳首を露出させ、もう片方の手を顔の横に添えて、再び深めのキスをする。それから顎、首、鎖骨と、順に唇を押しつけていった。ぐったりと力の抜けた彼の身体に思いつくまま口づけをしていると、まるで泥酔した相手に悪戯をしているような罪悪感に襲われる。いいことをしているはずが、悪いことをしているような、そんな錯覚。
「随分酔っ払っているようだが、最後までできるのか。今夜は触るだけにしておこうか」
膨れた乳輪の縁をなぞりながら訊ねる。先ほどの愛撫のせいで、右の乳首だけ赤くなっているのが恐ろしくいやらしい。
「ん……」
「可澄」
「……最後までしたいです……さっきちゃんと準備しましたし……」
酔っ払っていてもセックスに関しては冷静なのか、あるいはセックスを盛り上げるために酔っ払っている振りをしているのか。今この段階で見抜くことはできなかったが、いずれにせよ挿入しないという選択肢はなかった。仮に選択肢があるとすれば、右の乳首から吸うか左の乳首から吸うかといった程度のものだ。
「そうか。準備を無駄にするわけにはいかないな」
濡れた眼差しに肯いてみせてから、既に赤くなっている右の乳首に唇をつけた。キスマークをつける要領で周囲の肉ごと軽く吸い上げ、そのあとざらついた舌の表面で乳首を擦る。吸って舐めるということを繰り返していると、触れた肌が徐々に熱くなっていくのがわかる。互いの性癖で殴り合うような激しいセックスもいいが、ゆっくりと互いの身体を味わい合う緩やかなセックスも悪くない。安達も同じ気持ちなのか、気持ちよさそうに息を零しながらこちらの髪に指を埋めていた。
「っ、……ふ……、ねえ、そっちばっかりしないで……」
蕩けた声が耳をくすぐる。どうやら反対側の乳首も弄ってほしいようだ。今回は我慢をする気もさせる気もなかったので、ねだられるまま左の乳首を吸いながら、片手で自身の性器を取り出した。彼の身体が震え始めるまで乳首をしゃぶったあと、顔を上げて視線を合わせる。
「起き上がれるか」
安達は涙目でこくこくと肯いた。乳首だけで達しかけていたせいで、上手く喋れないようだった。そのさまが可愛いと思ったので、抱き起こしてやる前に、彼の目許に自分の気が済むまでべたべたとキスをした。一般的な感覚であれば嫌がられそうな行為だったが、安達は恋人に甘すぎる男なので、キスが終わるまでじっとしていた。
彼の身体を起こすと、自分は相手の白い手首を掴み、その指を既に勃起した男根に触れさせた。
「可澄が可愛いからこんなふうになった。どうしような」
安達は唾を飲んだ。小さな声で、おっきい、と呟く。
「そうだ、大きいな。この大きいのを、可澄のと一緒に擦るか、それとも可澄が口でするか、どっちがいいだろう」
彼は人差し指と中指の腹で、そろそろと性器の先端を撫でた。恥じらっているというよりも、思案しているような仕種だった。暫くして、彼は上目遣いでこちらを見た。涙をたっぷりと蓄えた瞳が、濡れた睫の縁取りの中で艶やかに光る。最早眼球が動くだけで官能的だった。
「……口でしたいです」
どうやら口淫は、彼にとっていいことに含まれるらしい。
「じゃあ、好きなだけ搾り取ってくれ」
彼が咥えやすいよう、膝立ちして相手に性器を近づける。安達はこちらの腰に両手をかけると、反り返った赤黒い肉塊を口に含んだ。歯を立てないように気をつけながら、唾液を絡ませてゆっくりと喉奥に吸い込もうとしている。乱暴なセックスをするときなら、彼の頭を抱えて無理やり動かし、オナホだの何だのと罵声を浴びせかけるところだが、今夜は違う。彼が一生懸命男根を咥え、少しずつ自力で喉を開いていくのを感じながら、ひたすら褒めた。
「可澄は咥えるのが上手になった。中も熱くて柔らかくてとても気持ちがいい。舌の使い方もすごくいいな。口に入れるだけでも大きくて苦しいのに、頑張って喉で扱こうとしている。可澄は本当にいい子だ」
そもそも喉は習慣的なイラマチオで開拓済みだったので、安達はさほど時間をかけずに全てを口の中に収めた。彼が頭を動かし始めると、ちゅぽちゅぽという男根と粘膜が擦れる濡れた音が微かに聞こえた。
『今夜そちらに行ってもいいですか』
何かあったのだろうか、というのが率直な感想だった。安達は夜遅く電話をかけてくるということを一切しない。日付が変わってからこちらの部屋にやってくるということもまずしない。
「構わないが、どうした。確か飲み会だったよな。もう解散したのか。今何処にいるんだ」
『……ええと……どうもしていません。……飲み会はもう終わって、今……今は駅にいます。これから歩いて……アパートに戻るところです』
何がおかしいのか、安達は言い終わるとくすくす笑った。どうも酔いが回っているらしく、喋り方や笑い方が妙にふわりとしている。これもまた非常に珍しいことだった。自分は携帯電話を耳に当てたままソファから腰を上げた。
「わかった。今から迎えに行くから、駅前のバス停のベンチに座って待ってろ。寝るなよ」
『……迎えに行く……こんな時間に誰を?』
「お前だ」
寝巻代わりのスウェットをジーンズに穿き替え、外に出た。急ぎ足で駅に向かう。バス停のベンチに人影があるのを確認したとき、自分が少し汗ばんでいることに気づいた。歩調を緩めて近づくと、少しずつ彼の姿が鮮明になっていく。街灯や二十四時間営業の店々が放つ光のせいで、周囲はそう暗くはない。安達の白い顔は少し上に向けられており、種々の光源に照らされていつもより無機質に映る。その姿は、まるでビルの隙間に夜空を探しているようでもあり、遥か遠い星について思いを巡らせているようでもある。これ以上近寄ってよいのだろうか、声をかけてもよいのだろうか、そんな無意味な躊躇いが、一瞬言葉を詰まらせる。
「――可澄」
安達はゆっくりと瞬きした。視線がこちらに落ちてくる。目が合うと同時に、表情らしい表情のなかった顔に、硝子細工の笑みが浮かんだ。
「樋川さん」
自分は何故かほっとした。彼の傍に歩み寄り、顔を覗き込む。
「気分はどうだ」
「……すごくいいです。……わざわざ迎えに来てくれて、どうもありがとうございます」
実際、顔色は悪くなかった。かなり飲んだようだが、嫌な酔い方をしているわけではないらしい。自分は一つ肯いて、彼の膝の上にあった鞄とスーツの上着を手にした。
「帰ろう」
安達はベンチに座ったまま首を傾げた。
「荷物くらい自分で持てますよ」
「お前はお前が思っているよりずっと酔っ払っている。俺に甘えておいた方がいい」
安達は首を傾げたまま、考え込むような顔つきをした。
「……俺って酔ってるんですか?」
どうしようもなかった。
並んで歩き始めると、安達の足取りは意外としっかりしていた。機嫌がよいのか、嬉しそうに天気の話をする。天気の話の何処に喜ばしい要素があるのかこちらには見当もつかなかったが、彼がとにかく嬉しそうなので、自分も柔らかな気持ちで相槌を打った。
「樋川さんと一緒に帰るの、随分久しぶりな気がします。……ああ、でも、ホテルに行ったときは帰りも一緒だったかな……」
ひととおり天気の話をしたあとで、安達はふと思いついたように言った。自分は、そうだな、と肯いた。二人で出歩く機会はあまりないため、こうして駅からアパートまでの道のりを歩いていると、決まって初めて二人で連れ立って帰った日のことを思い出す。あれは彼と二度目に顔を合わせたときのことで、当時は口下手で社交性の欠如した新たな隣人と、こんな関係になるとは思わなかった。全ては偶然の積み重ねであり、そんな偶然の積み重ねを、人は運命と呼ぶのかもしれない。
アパートに着くと、安達は彼自身の住まいのドアに向かった。どうしたと訊ねると、シャワーと着替えのためだと答える。どうやら寝支度を済ませてからこちらの部屋に来るつもりらしい。
「酔った状態でシャワーを浴びて大丈夫なのか。転んで怪我をしたら大変だろう。着替えなら俺の部屋にもあるし、シャワーは明日の朝にして、今夜はこのままこっちで寝れば――どうした?」
気づくと安達は声をたてずに笑っていた。鍵を鍵穴に差し込んだまま笑いながら頭を振り、それから眩しそうな目をする。
「……どうしてそんなに優しいんですか」
今度はこちらが首を傾げたくなる番だった。
「ただ単に心配性なんだ。お前に関してだけ」
安達は俯いた。何も言わずにこちらの手を取り、きゅっと握る。言葉が見つからないというよりも、言葉以外の手段で感情を表現したい様子だった。結局彼の部屋に上がり込み、安達が入浴を済ませるまで待つことにした。
彼の部屋は相変わらず片付いていた。特別家具が増えていたり減っていたりすることもなく、何かの模型のように綺麗に保たれている。水槽とプラスチックの魚に関しては、随分前にしまわれていた。今はクローゼットに保管しているという。安達はテレビでも見て待っていてほしいと言っていたが、リモコンに手を伸ばす気にはならなかった。何もせずにじっと待つ時間というのも、案外よいものだ。もちろんそれは、待つ対象が好ましいものである場合に限ってだが。
そんなふうにぼんやりと時を過ごしていると、安達がリビングに入ってきた。Tシャツにジャージ姿で、視線が合うなりにっこりする。赤みを帯びた肌はしっとりとして、吸いつきたくなる質感をしていた。
「……さっぱりしました。樋川さんもいかがですか」
「俺はもう済ませた。水を持ってこよう」
自分でできます、という声を聞きながら、台所へ行き冷蔵庫を開ける。自分でできるとは言ったものの、何かしてもらうのは嬉しいようで、安達はグラスに水が注がれるさまを、笑みを浮かべて眺めていた。グラスを渡してやると、礼を述べてほぼ一気に飲み干す。おかわりは、と訊ねると、ください、と柔らかな返事があった。そこで自分は再びグラスに水を注ぎ、彼もまた先ほどと同じように嬉しそうにその様子を眺めた。
「ゆっくり飲めよ」
「……ありがとうございます」
もしかしたら、自分は心配性なのではなく過保護なのかもしれない。ちらりとそんな思いがよぎった。だが、人には幸福を追求する権利がある。安達が自分の渡したグラスから水を飲むだけで幸せな気持ちになれるなら、自分には水を注ぐ権利があるのだ。
彼にグラス二杯分の水を補給させたあと、濡れた唇にキスをした。ミントの味がするのは、彼が歯を磨いたばかりだからだろう。
「このまま俺の部屋で寝ませんか」
妙に艶めかしいシャンプーの香りを吸い込みながら、相手の言葉に肯いた。
安達のベッドは安達の匂いがする。清潔で何処となく甘い匂いだ。シーツの上に身体を横たえながらそう告げると、隣で彼はふふっと笑った。
「樋川さんのベッドも、樋川さんの匂いがします。……すごく安心して、ちょっと落ち着かなくなる匂いです」
こちらから手を伸ばす前に、相手の身体が擦り寄ってくる。いつものように額に口づけしてから、抱え込むようにして頭を撫でた。
「安心して落ち着かなくなるなんて、矛盾した匂いだな」
「……でも、ほんとなんです」
聴いていると鼓膜がとろりと溶けてしまいそうな、糖度の高い声だった。まだだいぶ酔っているのかもしれない。電気を消す前にくっつかれてしまい、少し迷ったが、このまま寝かしつけることに決めた。彼は寝つきがよく、部屋が明るくてもすぐに眠ってしまう。安達が寝入ってから電気を消せばよいだろう。そう思い、黙って彼の背中に手を回した。掌に感じる体温に安らぎを覚えていると、安達の手がこちらの手首を掴んだ。背中ではなく頭を撫でてほしいのかもしれない。自分は腕の力を抜き、彼のしたいようにさせた。するとどういうわけか、安達は掴んだこちらの手を自身のTシャツの中に引っ張り込んだ。よく知った滑らかな肌が、掌に直に触れる。
「可澄」
指先が彼の胸の突起に引っかかり、自分は溜め息をつきたくなった。しかし彼は特に悪びれた様子もなく、他人の手を使って自らの乳首を弄りながら、蜜のような声で囁いた。
「樋川さんの匂いを嗅いでたら、おっぱいの先、腫れてきちゃいました」
「とんでもない酔っ払いだ」
もちろん安達に誘われて、嫌な気分になるわけがない。望まれるまま、彼の乳首を触った。首から下は布団で隠れて見えないせいで、必然的に視線は相手の顔に集中する。乳首を指の間でこりこりと刺激してやると、安達は唇を僅かに開いて甘い息を吐いた。きつく摘んだり爪を押し込んだり、強めの刺激を与えたときは、少し眉を寄せて苦しげな表情を浮かべる。耐えることで煽るような、そんな淫らな表情だ。眺めているだけで、股間が窮屈になってくる。欲望のまま彼の唇に吸いつくと、安達も期待していたのか口を開いて舌を絡ませてきた。彼の舌はいつもより熱く、柔らかく、そして動きがやや鈍かった。酔っているせいなのかもしれない。キスをしたあと指で相手の唇を拭っていると、物欲しそうな視線と声がこちらの視覚と聴覚を愛撫した。
「……ねえ、いいことしませんか」
僅かに笑いを含んだ、掠れた声。断られることなど絶対にありえないのに、それでも律儀に誘惑のための台詞を吐く男は、やはり爪の先まで真面目である。
「いいことより、悪いことの方が好きなんじゃないのか」
彼は声をあげて笑った。
「俺のこと、よくわかってますね。……でも今夜は、いいことがしたい気分なんです」
「なるほど」
こちらとしては何でもよかった。そこで邪魔な布団を剥ぎ取り、仰向けにさせた相手の身体に覆い被さった。片手でTシャツをめくって乳首を露出させ、もう片方の手を顔の横に添えて、再び深めのキスをする。それから顎、首、鎖骨と、順に唇を押しつけていった。ぐったりと力の抜けた彼の身体に思いつくまま口づけをしていると、まるで泥酔した相手に悪戯をしているような罪悪感に襲われる。いいことをしているはずが、悪いことをしているような、そんな錯覚。
「随分酔っ払っているようだが、最後までできるのか。今夜は触るだけにしておこうか」
膨れた乳輪の縁をなぞりながら訊ねる。先ほどの愛撫のせいで、右の乳首だけ赤くなっているのが恐ろしくいやらしい。
「ん……」
「可澄」
「……最後までしたいです……さっきちゃんと準備しましたし……」
酔っ払っていてもセックスに関しては冷静なのか、あるいはセックスを盛り上げるために酔っ払っている振りをしているのか。今この段階で見抜くことはできなかったが、いずれにせよ挿入しないという選択肢はなかった。仮に選択肢があるとすれば、右の乳首から吸うか左の乳首から吸うかといった程度のものだ。
「そうか。準備を無駄にするわけにはいかないな」
濡れた眼差しに肯いてみせてから、既に赤くなっている右の乳首に唇をつけた。キスマークをつける要領で周囲の肉ごと軽く吸い上げ、そのあとざらついた舌の表面で乳首を擦る。吸って舐めるということを繰り返していると、触れた肌が徐々に熱くなっていくのがわかる。互いの性癖で殴り合うような激しいセックスもいいが、ゆっくりと互いの身体を味わい合う緩やかなセックスも悪くない。安達も同じ気持ちなのか、気持ちよさそうに息を零しながらこちらの髪に指を埋めていた。
「っ、……ふ……、ねえ、そっちばっかりしないで……」
蕩けた声が耳をくすぐる。どうやら反対側の乳首も弄ってほしいようだ。今回は我慢をする気もさせる気もなかったので、ねだられるまま左の乳首を吸いながら、片手で自身の性器を取り出した。彼の身体が震え始めるまで乳首をしゃぶったあと、顔を上げて視線を合わせる。
「起き上がれるか」
安達は涙目でこくこくと肯いた。乳首だけで達しかけていたせいで、上手く喋れないようだった。そのさまが可愛いと思ったので、抱き起こしてやる前に、彼の目許に自分の気が済むまでべたべたとキスをした。一般的な感覚であれば嫌がられそうな行為だったが、安達は恋人に甘すぎる男なので、キスが終わるまでじっとしていた。
彼の身体を起こすと、自分は相手の白い手首を掴み、その指を既に勃起した男根に触れさせた。
「可澄が可愛いからこんなふうになった。どうしような」
安達は唾を飲んだ。小さな声で、おっきい、と呟く。
「そうだ、大きいな。この大きいのを、可澄のと一緒に擦るか、それとも可澄が口でするか、どっちがいいだろう」
彼は人差し指と中指の腹で、そろそろと性器の先端を撫でた。恥じらっているというよりも、思案しているような仕種だった。暫くして、彼は上目遣いでこちらを見た。涙をたっぷりと蓄えた瞳が、濡れた睫の縁取りの中で艶やかに光る。最早眼球が動くだけで官能的だった。
「……口でしたいです」
どうやら口淫は、彼にとっていいことに含まれるらしい。
「じゃあ、好きなだけ搾り取ってくれ」
彼が咥えやすいよう、膝立ちして相手に性器を近づける。安達はこちらの腰に両手をかけると、反り返った赤黒い肉塊を口に含んだ。歯を立てないように気をつけながら、唾液を絡ませてゆっくりと喉奥に吸い込もうとしている。乱暴なセックスをするときなら、彼の頭を抱えて無理やり動かし、オナホだの何だのと罵声を浴びせかけるところだが、今夜は違う。彼が一生懸命男根を咥え、少しずつ自力で喉を開いていくのを感じながら、ひたすら褒めた。
「可澄は咥えるのが上手になった。中も熱くて柔らかくてとても気持ちがいい。舌の使い方もすごくいいな。口に入れるだけでも大きくて苦しいのに、頑張って喉で扱こうとしている。可澄は本当にいい子だ」
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