硝子の魚(glass catfish syndrome)

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続21. ホテル(4)

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 風呂から出てベッドに向かうと、安達はタオルを腰に巻いただけの状態で、既にベッドの端に腰かけていた。手にはミネラルウォーターのペットボトルを二つ持っている。視線が合うと、彼はにこりとした。
「どうぞ」
「ありがとう」
 差し出されたボトルは、よく冷えていて熱を帯びた掌に心地よかった。二人で並んで座り、ボトルのキャップを開ける。しかし口をつけようとしたとき、そっと腕を掴まれた。
「もしよろしければ、お手伝いしますが」
 妙に奥ゆかしい言い方だった。しかし下心を隠す気もなさそうだった。実によい恋人をもったものだとつくづく実感する。
「頼む」
 即答してキャップを閉めボトルを放り出し、彼がこちらの膝の上に乗るのを助ける。安達は手にしていた自身のボトルを開封すると、水を口に含んだ。
「ん……」
 滑らかな背中を撫でながら、与えられたものを飲み干す。彼の口を経由するだけで、ただのミネラルウォーターがいやに甘くなる。そんな水の味に、初めて彼を抱いた夜のことをふと思い出した。あれからまだ一年もたっていないのに、随分遠くまで来た気がする。もちろん悪い意味ではない。
 安達の口から少しずつ水を飲み、ボトルが完全に空になると、次は自分が彼に飲ませてやるため、放り出したボトルを取ろうとした。しかし安達の方が僅かに早くそれを掴み、どういうわけか一人で飲んでしまった。
「可澄?」
「……続きをしましょう」
 口許を手の甲で拭いながら、彼はそう言った。我慢できなくなったらしい。待てができないのは、最初の夜から変わらないようだ。思わず笑いそうになったが、耳朶に柔らかく吸いつかれてセックスをねだられると、それどころではなくなった。
「優しくしてくれるんですよね?」
 囁き声は既に期待で濡れていた。渇きとも飢えともつかない激しい欲が、身体の底から湧き上がる。互いに我慢は必要ない。欲に身を任せ、ベッドの上に彼を押し倒し、覆い被さって髪に指を絡める。暫く硝子玉のような瞳を観賞してから顔を近づけると、誘うように睫が下りた。自分は素直に相手の唇を吸った。舌先が軽く触れ合い、微かな快感が広がる。
「可愛いな」
 唾液で潤んだ相手の唇を指で拭ってから、口の端に触れるだけのキスをする。思ったことがそのまま声になった。
「世界でいちばん可愛い。こんなに可愛くていいのか」
 すると安達は視線を逸らした。壁の方を向き小さな声で、早くしましょう、と呟く。そこには何か狼狽したような響きがあった。恥ずかしいらしい。思わず口許が緩んだ。
「可愛いと言われて恥ずかしがるところも可愛い」
「…………あの」
「肌が白いからすぐ赤くなるところも可愛い」
「……あの」
「困った顔まで可愛いな」
「あの!」
 両手で顔を挟まれて、自分は口を噤んだ。赤みが差して食べ頃といった色味の肌や、こちらを見つめるたっぷりと水分を湛えた瞳に目を奪われて言葉が何処かに行った、と言い換えてもよいのかもしれない。
「……褒めてくださるのはありがたいんですけど、いい加減抱いてください。……あそこ、今すごく、じゅくじゅくしてて……硬くて太いの入れてもらわないと、頭がおかしくなりそうです」
 妙に露骨な表現だった。少なくとも、可愛いと言われただけで恥ずかしがる男が口にするような台詞ではない。セックスしたくて泣きそうになるところも可愛いと言いたかったが、優しくすると言った手前、焦らすわけにはいかない。自分は相手の腰のタオルを剥ぎ取り、ついでに穿いたばかりの自らの下着を脱いだ。そうして彼に横向きになるよう指示すると、ベッドの上に用意していた避妊具を手早く装着し、そのまま添い寝する形で背後から挿入した。しっかりと解れていたのと飢えていたのとで、軽く先を押しつけてやるだけで、小さな窪みは積極的に性器を飲み込み始める。それでも安達にしてみれば少し辛いのか、うう、と苦しそうな呻き声が耳を掠めた。確かに彼の身体にとって、他人の性器は純然たる異物だ。可哀想になって強張った背中を抱き締めると、それだけで安心したらしく彼は身体の力を抜いた。
「ちゃんと入ったぞ。よく頑張ったな」
 形のよい後頭部に顔を寄せる。水気の残る髪からはフローラルグリーンが強く香った。その匂いを嗅ぎながら、緩やかに腰を揺する。互いに横たわった状態なのであまり激しくすることはできないが、じっくりと時間をかけて楽しむにはちょうどよい。彼の好きなところを擦り上げるうちに、今にも消え入りそうだった淡い吐息が煮詰めた砂糖のように甘い鳴き声へと変化していく。肌の密着している部分がしっとりと濡れだして、男根を咥え込ませた蕾がきゅうと萎む。胸を探ると、今にも授乳できそうなほど膨らみきった乳首が指に触れた。一突きするごとに、彼の内部で快感が蓄積されていくのが手に取るようにわかる。
「ん……ぁ、う……」
「気持ちよさそうだな」
「…………い、い」
 このままいかせることができるだろうか。そう考えて彼の性器を探ってみると、そこは反応を示していなかった。射精せずに達することを覚えたせいかもしれない。可哀想と可愛いは紙一重だ。
「今日は一度も白いのを出してないから、今回は出していこうな」
 これまでさんざん中出ししてきた手前、彼も射精させてやらなければ悪いような気がした。しかし安達はよくわかっていないようで、こちらの問いにも甘い鳴き声を立てただけだった。自分は彼の中から性器を引き抜き、コンドームのパッケージに手を伸ばした。安達は身体を一瞬引き攣らせたあと寝返りを打ち、泣きそうな目でこちらを見上げた。気持ちのよいものを急に取り上げられて、不服なのだろう。
「すぐ入れ直すから少しだけ我慢してくれ。可澄はいい子だから、待てるだろう?」
 我ながら薄気味悪いほど優しく告げ、まだ柔らかい性器にゴムをつけてやる。サイズは少々合わないが、飛び散るのを防ぐだけなので特に問題はない。安達は自らの性器が物のように弄られるのを、身を竦めて見ていた。いつもは綺麗な曲線を描いている下睫が、涙でぺたりと目の下に貼りついている。優しくするはずが、結局泣かせてしまったようだ。だが、再び先ほどと同じ体勢で挿入してやると、機嫌を直してすぐに快感を貪り始めるあたりは、さすが安達といったところである。
「後ろは俺が可愛がってやるから、前は自分で扱くといい」
 鼓膜を愛撫するようにそっと囁く。安達は目を閉じて震えた。自分は人形じみた痩身を抱え込み、肉の薄い尻に軽く腰を打ちつけて浅いところを擦った。骨がぶつかる感覚にすら興奮してしまう。脂肪のない身体には、不思議な清潔感と奇妙な生々しさとが、互いに打ち消し合うことなく同居しており、一言でいえば卑猥、二言でいえばどうしようもなく淫らだ。
「んぅ、ん、あ、うぁ」
 感じるところだけをひたすら可愛がられたせいだろう。腕の中の身体がとろとろと溶けていく。両手はこちらの腕にしがみついていて、自慰をする気はない様子だった。彼なりの甘えなのかもしれない。このままだとまたドライで達してしまうと思ったので、自分は腰の動きを止め、自由がきく方の手で彼の性器を握り込んだ。
「こっちでいってごらん」
 安達は驚いたように短く息を吸った。つられるように彼の内側も蠢く。ゴム越しとはいえローションと精液で既にどろどろになった肉に性器をしゃぶられ、暴力的な快感に我を忘れそうになり、思わず汗ばんだうなじに吸いつくと、彼は肉食獣に仕留められた草食動物の子供のように力なくもがいた。
「や、だ、……い、れたまま、さわ……ないでっ」
「嫌なのか。それじゃあもう抜くか」
「ん……ぬくの、やだ……」
「前は触ってほしくないのか」
「……う……うぅー」
「――わかった。少し休憩しよう」
 風呂での行為で少し消耗していたのか、もしくは普段しない体位で抱かれているのが不安だったのか、彼は少々混乱しているようだ。落ち着かせるために性器から手を放し、みぞおちのあたりを掌で撫でてやる。
「お前は本当にいい身体をしている。綺麗だし感度がいいし締まりもいい、そして何より可愛げがある。こんな身体を独占できるなんて、俺は幸せ者だな」
 こういうときはひたすら褒めて甘やかすに限る。彼もこちらと同じでセックスの最中は精神構造が一気に単純化される傾向にあるため、理性が残っているときであれば呆れと慈愛の眼差しで受け流すような台詞も素直に受け取り、泣きそうな声を出すのをやめた。やはり可哀想と可愛いは紙一重だ。
 彼が落ち着いたことを確認するため、シーツの上に手をついて頭を上げ、上から彼の顔を覗き込む。すると彼もまた首を捻って顔をこちらに向けた。
「もう平気か?」
「……んん」
 何か言いたいのだろうか。そう思い彼の口へ顔を近づけると、顎の辺りを舐められた。かなり機嫌がよいようだ。続きをしても問題ないと踏み、彼の性器に手を添える。今度は安達も嫌がらなかった。悲鳴を上げることも暴れることもなく、聴いているこちらの耳が溶けそうなほど甘ったるい息を零してされるがままになっている。
「最近こっちではいっていなかったから、久しぶりで気持ちいいだろう」
「ん……ぁ……い、いい……」
「お尻も喜んで、一生懸命俺のを吸ってる。風呂でたくさん中出ししたからゴムをつけておいたんだが、ない方がよかったかもしれないな」
「……ない……?」
 快感で頭がぼやけているらしい。それでもこちらの言葉を拾おうとしているところは、彼らしい真面目さだといえるだろう。
「いや、たいしたことじゃない。今はいくことだけ考えればいい」
 恋人の身体に自らの性器を挿入した状態で、重大な話をする人間などいない。自分は彼の性器が張り詰めたのを見計らって愛撫をやめ、腰を打ちつける作業を再開した。
「ぅあ、ん、いい、……ふ……、でる……でちゃう……」
「出してごらん」
 低く囁いて促し、奥に突き入れてねっとりと腰を回す。安達は身体を縮めて、細く高く喘いだ。
「あ、ああ……ぁっ」
 彼の声を聴いて、自分も早々に我慢することを放棄することに決め、ゴムの中に射精した。



「次は俺の好きなものを着てくれるんだよな」
「……ええ、そうです」
「俺の好きなものでいいんだな」
「……はい、もちろん」
 馴染みのない天井を見上げ、自分は繰り返し念を押した。隣で枕を並べる男は、眠くて仕方がないようで明らかに適当な返事をしていたが、約束はきちんと覚えているようだった。
「もし絶対に着たくないものがあれば、事前に教えてもらえると助かるんだが」
「……んー……」
「可澄」
 すると安達は寝返りを打ち、こちらの肩に額を押しつけた。
「…………もし今黙って俺をだっこして上手に寝かしつけてくれたら、着ぐるみだろうがスクール水着だろうが、何だって着てあげますよ」
 実にクールかつクレバーな黙らせ方だった。間違いなく彼の方が四、五枚は上手だ。自分は言われたとおり口を閉じ、既にうとうとしている男を抱き寄せて閉じた瞼に唇を寄せ、シャンプーの匂いのする髪を撫でた。
「――いい子ですね」
 腕の中でそう呟くと、彼は満足そうな笑みを浮かべて眠りについた。
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