硝子の魚(glass catfish syndrome)

文字の大きさ
上 下
23 / 67

23. 最後通牒

しおりを挟む
「へえ、それで合鍵を持つ仲になったわけか。しかしひどいな樋川。俺には鍵なんて寄越さない癖に」
「お前に合鍵を渡したら冷蔵庫が空になる」
「なんだ、まだあのときのことを根に持ってるのか。いい加減、時効にしろよ。俺とお前の仲だろ?」
 安達に話をさせると長くなるので、自分が事情を簡単に説明すると、橋本はにやにやしながら向かいに座る安達を見た。安達はといえば、橋本に押しつけられた発泡酒を手にしたまま、背骨をセメントで固められたみたいに正座している。
「でも安達君、こんな図体ばっかりでかくて愛想のない男と話してもつまらないだろ?」
 安達は、いいえ、と彼にしては珍しく即答してみせた。しかし眼差しは宙を漂っている。
「…………反対に、俺の方が樋川さんを退屈させているんじゃないかと」
「それはない」
 きっぱりと否定する。安達は受け止めるように瞬きしてから、微かに笑みを浮かべた。
「……樋川さんは、優しいから」
 優しいという形容詞ほど、自分に相応しくない単語はない。言葉を失っていると、突然横から脇腹の辺りを小突かれた。隣に視線を流すが、橋本は何食わぬ顔で、そうかそうか、と肯いた。
「しかしそんなにしょっちゅうここに来てたら、彼女に怒られるんじゃないの?」
 安達は首を横に振った。彼女はいません、という言葉が辛うじて聞こえた。たちまち橋本の顔に例の小悪党じみた笑みが広がる。
「意外だな! イケメンだからモテるだろうに。それともあれか、もしかして女の子には興味がないとか? むしろ男の方が――」
「おい、いい加減にしろ」
 話の流れがどんどん不穏になっていくのに耐えきれず口を挟むと、橋本は白々しいほど朗らかに笑って、別にいいじゃないかと言った。
「なあ、安達君は男同士に偏見はあるかい。例えば俺や樋川がゲイだったらどう? 口もききたくないと思う?」
 安達はぽかんとした。それから自分と橋本にそれぞれ視線を注ぎ、次いで何処か一点を見つめて考え込むような表情をして、最終的に真っ青になった。
 そのあとはほとんど地獄のような一対一の質疑応答が続き、安達は首の動きで答えられる個人情報についてはほぼ全て橋本に明け渡してしまった。酒と問いが底をつく頃には午前一時になっていたが、それでも橋本は帰ろうとせず、遂には泊めてくれと言い出した。
「もう電車もないわけだし」
「タクシーを拾え」
「いいじゃないか。最近ご無沙汰だっただろ」
 これ以上会話をするのも面倒になり、自分はぞんざいに肯いた。
「勝手にしろ。――安達さん」
 安達は玄関へ向かおうとしていた。声をかけると、彼はぴたりと足を止めた。その後ろ姿に近寄りかけて、辛うじて思いとどまる。
「安達さん。今夜は付き合わせて悪かった」
 振り返った彼の顔は、薄い硝子板でできているように見える。元々壊れ物のような男だったが、こんなにも危うかっただろうか。
 安達はこちらを見ると、いいえ、と静かに首を振った。そして唇を僅かに震わせた。どうやら微笑を作ろうとしているらしかった。しかし、上手くいかなかった。やがて彼は諦めたように目を閉じて息をついた。
「…………楽しかったです」
 嘘はつかなくていい、と言いかけたが、しかし嘘をつく方が楽なこともある。特に、いつも言葉を探して彷徨い続けている彼にとっては。
「悪い男じゃないんだ」
 安達はいったん口を開き、すぐに閉じた。視線を足許に落としてから、独り言のように呟く。
「俺は……樋川さんとは、違います」
 それは自分にとって、最後通牒のように響いた。
 安達が帰ると、橋本は急に酔いが醒めたような白けた顔をして、テレビをつけた。
「恐ろしく不安定な男だな」
「お前のせいだ」
「ああいう男が好みなのか」
 安達が合鍵でドアを開けた時点で観念していたので、否定はしなかった。
「意外だな。お前、はっきり喋らない女は嫌いだったろ」
 言いながら橋本はつまらなそうにザッピングする。
「喋り方はどうでもいい。要は中身だ」
「そうか。まあ、そうだな」
 不意にテレビの画面が暗くなった。電源を切ったらしい。リモコンを放り出すと、橋本は立ち上がった。
「じゃあ、帰る」
「泊まるんじゃなかったのか」
 橋本は質問には答えなかった。代わりに何処となく冷たい目でこちらを見据える。
「問題は向こうじゃなくてお前にあるな」
 肯定するほかなかった。
「わかってる」
 わざわざ指摘されるまでもないことだった。しかし、橋本は片目を細めた。
「……本当にわかってるのか?」
 いつも陽気な男にしては、いやに低い声だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

R指定

ヤミイ
BL
ハードです。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

放課後教室

Kokonuca.
BL
ある放課後の教室で彼に起こった凶事からすべて始まる

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

処理中です...