芥川繭子という理由

新開 水留

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24「伊藤乃依について 1」

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2016年、9月19日。
翌日の、何事もなかったように整理整頓された、会議室にて。
並んで座る、30年来の友人同士が浮かべた表情には意図しない隔たりが感じられる。
一方は普段と変わらない、温かくチャーミングな笑顔。
片や疲弊と困惑を隠せない、悲しみに暮れた微笑み。
誰よりも強い絆を持つはずの2人の顔が今は、相容れない陰と陽に見えた。



池脇竜二(R)×伊藤織江(O)。


-- まず、出会いからお伺い出来ますか。皆さんが中学の頃に出会ったというお話は以前お伺いしましたが、その時ノイさんはおいくつですか?
O「私の2つ下だから、13とかじゃないかな。私達が中3の時に1年生で入って来て、だから」
-- まだまだ子供の頃に出会っているわけですね。
O「そうだね」
-- どんな感じだったんですか? その頃のお二人は。
O「竜二とノイ? 出会ったのがその年ってだけで、さすがにまだ何も。前にも言ったけど、ガキンチョのくせに当時から怖さのある人達だったからね。ノイなんて最初はいつも私の後ろに隠れて、恐る恐る皆を見てる感じだったよ」
-- なるほど。織江さんと似てるんですか?
O「顔は、似てないよね?」
R「似て…ねえかなあ。いや似てるっていや雰囲気は似てるかもしれないけど、顔は違うかな。最初は姉妹だって分からなかったし」
O「私が言わなかったんだよね、確か。乃依だよって紹介した時、ノエっていう響きが珍しかったみたいで翔太郎が『え?何?どんな字?』って食いついて」
R「あはは、怖がってたもんな」
O「うん。しかも字もまた珍しいっちゃー珍しいじゃない。当て字に近いような。書いて見せてもちゃんと読めないし」
-- どんな字なんですか?
O「紙ある?」
-- はい。…あー、へー。確かに。あ、それであだ名が『ノイ』さんなんですか?
O「そう」
-- なるほど。私以前織江さんが仰ってた言葉で勝手に想像していたのですが、ノイさんって結構気の強い方だったのかなーと。
O「うん、大人になってからはね。というかやっぱり竜二と付き合ってからかな」
-- 大人になられてからなんですか?
R「大人ってか、え、17とか18だぞ。あ、俺が大人ってこと?」
O「はあ? あなた今でも子供でしょう?」
R「あははは!」
O「ずっと一緒に遊んでたからね、いつってのは当人同士にしか分からないし、ノイがいつから竜二を見てたかまでは知らないなあ。気が付いたらなんじゃないのかなあ」
-- 初めは織江さんの後ろに隠れて恐る恐る見ていた少女が、いつ、竜二さんにとって掛け替えのない女性になったのでしょう。
R「最初っからだよ」
-- え。
R「最初っからだよ。こいつ良いなあって最初に思ってからずっと、翔太郎達に釘さして、指一本でも触ったら殺すからなって言い続けて」
O「あー!駄目だ、ノイの話は私120%泣く。これは今日ずっと仕事のスイッチ入らないよ。竜二ありがとう」
R「なはは、なんだよ、どっちなんだ。また翔太郎が揶揄いに来るぞ!」
O「あはは、うん、それでもいい!」
-- (笑)。あのー、今回、竜二さんの書かれた歌詞の意味をお伺いしたいと思ってはいます。ですのでそういう意味でカメラを回していますが、あまりにもプライベートな部分なのでそのまま外には出すつもりはありません。記事にする時には外せない情報だけを抜き取りますので、その辺はご心配なく。
R「いやいや、別に全部使えばいいだろ。前から思ってるし何度か言ってるかもしれねえけどさ、俺は別に全部使えばいいと最初から思ってんだよ。見たくない奴は見なきゃいいだけでさ、こっちは何も、編集されてフル加工済みのいわゆる作品を撮ってもらってるつもりじゃないからな」
O「えー、それはだって、竜二が良いなら皆良いとはならないじゃない」
R「問題があるからこそ、撮る価値があるんじゃねえのか? ドキュメンタリーってそういう事だろう。整理されたお綺麗な映像なんて俺達相手に撮れるわけねえし、そんなの密着してまで作る意味ねえと思うけど」
-- なかなか難しい問題ではありますが、私もどちらかと言えば、竜二さんの意見に近いです。ただ、皆さんあっての企画なので、何一つ私は強制しませんし、嫌な部分は遠慮なく言ってもらいたいです。
O「うん。ありがとう」
-- 竜二さんが、ノイさんに永遠の愛を誓ったのは、どういった魅力に対してでしょうか。
R「あははは、永遠の愛か」
-- あの歌詞は読めば読む程、辛くもなりますが、強いを愛情を感じずにはいられません。
R「さっき、ノイの性格が強いか弱いかみたいな話になったけどさ。基本的には怖がりなんだよ。すぐ驚くし、ビビリだし、一見弱っちいんだけど、けど誰よりも芯が強い。それは別に、大人だからとか成長の度合いによってっていうより、俺の目にはもう最初からずっと同じように見えたんだよ」
-- 頑固な面があったり。
R「頑固。…いや、別に人の話を聞かないような固い人間でもねえな」
O「逆かな?順応性の塊みたいな子だよ。頭が固いのは私の方」
R「いやいや(笑)」
O「覚えてるかなー。あの子さ、…あ、前もって言っておくとね、ノイは生まれつき体が弱かったの。心臓に先天性の病気があったから激しい運動ができなくて、虚弱体質だったのよ。気持ちは全然元気だけど、体力が追い付かない事がよくあったね。普段から病気もしがちでよく学校休んでたから、授業受けられる時はもう真面目も真面目。ちゃーんとノート取って、先生に質問もいっぱいして、休んだ分を取り返すんだーって頑張るような子」
-- はい。
R「ノイの書いたノートとか、すげえ懐かしいな。綺麗な字なんだよ」
-- へえ、そうなんですね!
O「それでね。まあそんなだから先生方からの覚えもいいわけだ。私も悪くはないんだけど、側にいるのがこういう男達でしょ。担任や進路指導から大丈夫なのかーっていつも心配されたり、注意されたりね。私は別になんとも思ってなかったけど、ちょっとノイにまで変な噂が立ったりしたら嫌だなあって思ってる所があったのは確かなの。だから学校内ではあまり顔を合わせないようにしたりね。学年も違うし、気を使って生活してたんだけど、それが却ってノイを怒らせたんだよね」
R「覚えてる。あいつさ、せっかく学校来てまともに動けるような日でもさ、授業抜け出して俺のクラスまで遊びに来るようになったんだよ」
-- へー!
O「自惚れないでよ?私達のクラスにだって来てたからね」
R「何自慢だよ(笑)」
O「自分がさ、こうしたいって思う事にはなんであれ頑張る子だったよ。それが勉強だったり、遊びだったりっていうのは世の中の常識や、良い事悪い事で選ぶんじゃなくて、自分の気持ちに正直になって、簡単に好きな方を選べる子だった」
R「それまですげえ頑張ってた勉強そっちのけで俺達の輪に入りだしたから、ちょっと学校内でも問題になったんだよ」
O「伊藤さんが不良になったらしい!どうしたらいいんだ!ってね」
R「ノイ本人は笑ってたけどな。別に普通だけどなーって」
O「あの時もだって、竜二が誘ったんでしょ?」
R「うん。『勉強面白いか?そうかー。でも俺達は俺達で面白いぞ』って。何が?って聞かれて、よく分からないけど、とりあず全部って答えたその日から、あいつ授業抜けてるからなあ。切り替え早いよな」
O「そうだね。それで、実際遊んでる方が楽しいってなっちゃったわけだ」
-- あはは。なるほど。素敵なエピソードですね。
R「中学生が授業抜け出すってそこそこだよな」
O「違うの、抜け出すのは簡単なの。体調悪いんで保健室行かせてくださいってあの子が言えば疑う先生がいなかったから」
R「あー(笑)」
O「それよりもさ、そのまま二つ上の階まで階段上がってさ、竜二のいる3年の教室へ忍び込んで行く方が勇気いるよね。私真似出来ないもん」
R「言われてみりゃそうだよなあ。教室の後ろの扉ゆーっくり開けて、四つん這いで入って来るんだから、勇気あるよ。義務教育でそれやってんだもん、今じゃ考えられねえよ。中卒の俺が言うのも違うけど」
O「そりゃ不良って言われるよね。でもそれは、ただ単に遊ぶ事がっていうより、この人達と一緒に過ごす時間が楽しいっていう事なんだけどね」
-- はい、それは絶対そうだと思います。
R「だから当時、うちの学校じゃあ割と有名だったよ、ここの姉妹は」
-- それも想像できちゃいますね。
O「なんでよっ」
-- 古い言い方になりますが、学園のマドンナだったんじゃないかと思います。
O「私が?んー、…もうちょっと現代風アレンジでお願いします」
R「古いじゃねえか十分。学生時代なんて何年前だって」
O「うるさいなっ」
R「今よりも化粧濃くて、髪の毛も今みたいな洒落た長い感じじゃなくて、やっぱどっかヤンキー風だったよな」
O「あなた翔太郎と違って記憶が曖昧なのよ。全然違うからね、前髪でヒサシとか作ってないからね」
R「工藤静香的な?」
O「違うから」
-- やっぱり、モテモテの学生時代を過ごされた感じですか。
O「不遇だったよ。こんなのがあと3人周りにいるんだから、誰も寄ってこないよ!」
-- それを不遇とは言いません。
O「あはは。あー、そうか。それもそうだね」
R「いやいや。でも確かに変な虫は寄り付かねえけど、評判は色々耳に入って来てたよな、やっぱり。特に織江は見た目ちょっと怖いイメージあったけど、オシャレだったし」
O「オシャレ(笑)」
R「誰にでも分け隔てなく優しかったし、皆好きだったんじゃねえかな。そういう話はよく聞いたぞ。手紙渡して欲しいとか。高校上がってからはあんまり知らねえけど、生徒会に立候補してくれませんかって学校側から依頼があったんだろ?中学ん時から、ノイが1年で入ってくるとやっぱ姉妹で目立ってたからな。作りが他と全然違うぞ、すげえ上品だ、なんだよあいつらって。ダチの嫁さん捕まえて何褒めちぎってんだって話だけど」
O「あはは、ありがとう、とても気分が良い。お酒飲みたい」
-- ああ、いいですね。ダチの嫁さん、か。確かにそうですもんね、すぐ忘れちゃいますけど。織江さんをめぐって男達で波乱があったりはしなかったんですか。
O「どうだった?あった?正直に言ってみな」
R「取り合うって事? いやー、だってお前最初から大成見てハアハアしてたじゃねえか」
O「ハアハアなんてしてないよ(笑)!」
R「してたよ。大成はガキの頃からああいう甘い顔だったし、2人とも煮え切らない感じはあったけど、結局そうなんだろうなって皆分かってたから、特に波乱はなかったな」
-- 皆さん諦めが良いですね。学園のマドンナですよ?殴り合いの一つでもありそうなもんですが。
R「俺はもうノイだって決めてたし。翔太郎はなんでか分かんねえけど、やっぱりあいつもモテるんだよ」
-- 中学生の時からそういう感じなんですか?
O「基本変わってないよね。ただ、モテるんだなあって思ったのは高校上がってからだよ。学校も行かないでフラフラしながら、年上掴まえて遊んでたよね、彼」
R「そう、可愛がられるタイプなんだよあいつ。あいつのどこに母性本能がくすぐられるわけ?」
O「どこって言われてもなぁ(笑)」
R「あんなのバンドやってなけりゃ、ただの狂犬じゃねえか」
O「本能だからね、母性は」
-- 織江さんもやはり、くすぐられる部分はありますか。
O「あるよー。時枝さんはない?多分皆どっかしら何か感じるものはあると思うよ。ノイもカオリも、一度は翔太郎良いなって思う瞬間があったし」
R「これだよ!これ!これなんて言うの?いや、こんな言い方するとまた殴られるけど、大成も俺もいっつも首捻ってたんだよ。何なんだあいつの理由なきモテ方は!?」
-- 分かりますよ。華はありますよね。
R「華!?ギター弾いてりゃあそうかもしんねえけど、ガキのあいつに華なんかねえよ」
-- なんで怒ってるんですか。
R「あいつの良さなんて表面だけじゃ分かんねえだろう。今ならまだしもなんでガキのあいつなんか、あんなにモテたんだよ」
O「色気なんじゃない、やっぱり」
R「はいい!?」
-- ああ。それも分かります。
O「どこか女性的な要素もあるんだよね、翔太郎って。そういうの見た目にも出るんだよ、伝わるというかさ」
R「中性的ってこと?あいつが?」
O「ううん。中性的っていうのとは違うかな。女性的な感性というか、内側に柔らかい部分を持ってる人というか」
R「全然わかんねえ、URGAさんに聞いてみよ」
O「そういうトコ!そういうデリカシーの無いトコは竜二の駄目なトコ!」
R「(爆笑)」
-- 変な質問ですけど、では何故織江さんは翔太郎さんではなく大成さんだったんですか?
O「え、だって、ねえ。あの人一途じゃないし」
R「うはははは!」
-- えええ? 一途だと思ってますけど。
O「いやあ、どうだろうね。昔は全然一途じゃなかったよ。別にそれで私に何か被害があったかって言うとないから全然いいんだけど。それだけ魅力があるんだろうね。でもいざ付き合うとなったらそこは一番に除外したいじゃない(笑)」
-- それは来るものを拒まず的な話ですか。
O「何でもかんでもってわけではないと思うよ、さすがに。でもそういう面もあるよね」
R「うん」
O「ただ倫理的にはアレだけど、言い分も分かるんだよね。昔さ、私面と向かって言われたことあるもん」
R「何を」
O「『優先順位って言うけどな、1番と2番は単なる前後であってさ、2枚の紙をピッタリ重ね合わせたってそこには1番2番が出来んだよ。だけどそこにどんだけの差があるんだ?』」
R「天才かあいつ」
-- 凄ー!聞いたことのない台詞ですね。
O「あ、はいい、って言うしかないよそんなの。私高校生だよ?」
R「うわー、めっちゃ翔太郎呼びたい」
O「私の代わりに竜二がぶっ飛ばされると思うけどね」
R「なんでだよ、嫌だよ!」
-- 大成さんは一途なんですね。
O「ふふ、そう信じたいけどねえ、分かんない」
-- アキラさんはどうだったんですか?繭子の話を聞いていると、勝手な妄想ですが一番社交的で一番モテた人なんじゃないかなって思ってました。
O「うーん」
R「バンド組んでからは、確かにそういう面もあったんだろうけど」
O「顔面で言うと確かに男前だね。大成と竜二の良い所取りしたような。でもなあ、さっき竜二が翔太郎に言ってたけど、狂犬って言葉は私アキラにぴったりだと思うな」
-- そうなんですか?
O「私の目から見てよ。うん、一番厄介そうなのがアキラかな」
R「極端な性格だしな。扱い辛さでは翔太郎の上を行くよ、確かに。荒くれてるとかルックスが強面とかではないんだけど、頭のネジが常に3本ないくらいのイメージ」
-- めちゃくちゃ怖いじゃないですか。
R「怖いよ、あいつと喧嘩すんの正直嫌だったし」
-- でも以前翔太郎さんとアキラさんは、喧嘩してる間も別に嫌いではなかったと仰ってましたよ。
R「あはは、俺も全然嫌いじゃねえよ。ちょっと話が違う方向行ったな」
O「ぶっ飛んでるって話」
-- なるほど。…あれ、何故かドーンハンマーの話になってますね。織江さんが学園のマドンナだったっていう話でしたね。
O「マドンナって表現はどうかと思うけど、私達が高校へ上がって、ノイが中3の時…覚えてる?」
R「何」
O「ギター」
R「…文化祭?」
O「そー。あの子ね、体の事もあってあんまりアクティブな部活には入れなかったのよ。当時すでにギターを始めてた竜二の姿を見て、あの子も軽音部に入ってさ、アコギで文化祭の催し物に一人で出たのよ」
-- 一人で?
O「同じ部員と一緒に練習する時間がとれなかったり、そもそも遊んでたからね。だけど文化祭当日に何かの拍子でポンと空白の時間が出来ちゃったらしくて、頼まれて急遽その間の時間を繋ぐ形で、あの子がステージに立ったの。ギター1本持って、『えー、適当になんか弾きまーす』だって」
-- 根性ありますね!
R「たまたま俺らもその日遊びに行ってて。いやーびっくりしたよ」
O「竜二さ、翔太郎の腕掴んで『大丈夫かな、どう思う?』だって」
-- あははは、可愛い。
O「翔太郎は翔太郎で、なんて答えたか覚えてる?『知るかよ、聞いてこいよ』って」
-- 変わってないなあ!
R「懐かしいな。ステージ上からさ、俺らに気付いて、照れた顔で小さく手を振るんだよ」
O「可愛かったね」
-- 見たかったです。…腕前はどうだったんですか?
R「よくステージに上がって来れたなっていう」
O「あははは!そうだね。まあ、そういうとぼけた感じも込みで、あの子が可愛がられてた理由ではあったね」
R「確かにな」
O「だから学園のマドンナはあの子に譲ろう」
-- 実際に、竜二さんとノイさんがお付き合いされたのはもっと後なんですよね。それは何故なんですか?
R「うーん。多分ここ2人もそうなんだろうけど、同じメンツで一緒にいすぎたっていうのがでかいんじゃねえかな」
O「そうだよ。だって本当に、ずっと毎日同じ顔触れで遊んでたし、そこにマーやナベなんかもいるわけ。高校上がったらテツも加わるしさ、昨日まで友人同士だった関係で、今日からは恋人同士になりますって、なかなか、そうはならないよね」
-- 気を使い合ったわけですね。では、高校卒業された後ということですね。
R「ん?俺らは卒業してねえよ、4人とも中卒」
-- いえ、ノイさんです。
R「ああ。あ、でもノイも卒業してねえよな。日数足りなくて留年ってなったタイミングで、入退院繰り返すようになってたから、自主退学したんだよ」
O「学校側は止めてくれたけどね。でもまあ、なんとなく、学校頑張る気持ちより、竜二達と一緒に過ごせるほうを優先したように感じたな。色々相談はしてたけど、結局決めたのはあの子だし」
-- そうだったんですね。17、8歳の時点で、入院しないといけないような健康状態だったんですか。
O「変な言い方だけど、病弱っていう状態で安定してたんだけどね。よくなることは、なかったかな」
R「でも正しい判断だったと思うよ。あのままの状態で学校にも行かなきゃなんねえってなってたら、俺達と過ごす時間はもっと少なくなってただろうしな」
-- おいくつで、お亡くなりになられたんですか?
O「言ってなかったか。24だよ」
-- …若すぎます。
O「うん」
R「先天性心疾患、慢性心不全の急性憎悪、心臓喘息、いろいろ言われたなあ。色々な病院で小難しい話だけ聞かされるんだけど、治るの?治せないの?っていう答えは結局誰も教えてくれねえんだよ」
O「ドラマみたいに外科手術で心臓移植して、なんてそんなうまい話ないよね」
R「あいつに何が必要で、どんな治療法があって、何をすれば長生きできたのか、俺未だにわかんねえもん」
-- 難病たったんですか。
O「どうだろうね。基本的には…内科治療なんだよね。心臓の機能を上げる薬飲んで、安静にするとか、食事制限とか。毎日ちょっとずつ色んな事に気を付けながら生きていくことが治療なの。終わりのない、治療というか。結局何が引き金になるか分からない不安と戦いながら、それでも毎日を生き抜くの。…うん、毎日明るくね…」
-- そうだったんですね。
2人の顔が、今日初めてこの場で並んで座った時と、同じ表情になった。
池脇は普段と変わらない、チャーミングな笑顔。
伊藤は疲弊と困惑を隠せない、悲しみに暮れた微笑。
沈黙という重たい幕の壁を下から持ち上げるような、静かだが力のある声で、池脇が話し始める。
R「あいつが死んだのは、クロウバーをやめて、ようやくアキラと翔太郎を入れた4人でドーンハンマーの形になったわりとすぐ後だった。気持ちの上では順風満帆だったよ。まだカオリもいて、アキラもいて、ガキだったけど誠もいた。さあ、こっからだって時によ。ノイだけがいなくなったんだ。たった一人で、あいつだけ行っちまった。今から、14年くらい前になんのかな。…だよな?今年41だから、14年前は27だろ?ノイが2個下だから…、25の年で、誕生日は越えられなかったんだ。そこらへんの年月ってちょっと、俺達の中では曖昧というか。忘れる事はできねえし、忘れるはずもねえんだけど、そのあとカオリが死んで、後を追うようにアキラも行っちまうからよ、もうわけわかんねえんだよ」
-- はい。
R「俺は、織江や両親を除けば一番多く、ノイの側にいた他人って事になるんだよ。どれだけあいつが多くの、恐怖と希望を一緒に抱えて1分1秒を生きていたか知ってるから、あいつがいなくなった後の毎日を、俺は一体どうやって生きるべきなんだ?って、そればっかり考えた。だけど気づいたら考えてるフリして、ただずーっといなくなったノイの事を考えてんだよ。あいつには目標があって、夢もあった。そこには簡単に行けないし、努力や日数では解決しない問題をいくつも越えていくしかなかった。それを十分分かった上で、それでもノイは笑顔だったし、俺達を応援してくれてた。…さっきあいつのどこに魅力を感じるかって聞いただろ?もう、それはどこっていうか、あいつが生きてる事全てが、あいつの魅力だったよ。目の前で動いてるだけでいいんだよ。本当にそう思ってた。ノイが聞いたらバカにしてんのかって言われちまうだろうけど、別に跳び箱飛べなくたっていいし、勉強できなくたっていいし、ギターが下手でもいい。だから、結局俺にとっては意味なんてないんだよ、あいつのいない世界なんか」
-- そんな事言わないでください。
R「こればっかりは仕方ねえよ。あいつが死んでからずっとそうなんだから」
-- お隣を見てください。織江さんのこの姿を見ても同じことが言えますか。
仲間を守るためなら世界的アーティストにも食ってかかる程強い伊藤織江が、いたたまれない程震え、泣いていた。そこには恐らく、愛する妹を失った記憶以上の、何か強い感情があるように見えた。彼女の目がそう物語っている。
R「困ったなあ。…今に始まった事じゃねえんだって」
-- 改めてお伺いします。あの歌の歌詞は、…比喩ですよね。例えば、「こんな世の中クソだ、こんな世の中ぶっ壊れちまえ」といった種類の、レベルソングなんですよね?
R「…世の中について歌ったわけじゃねえよ」
-- この世界にはいたくないと、本気でお歌いになるつもりですか。
R「歌うも何もそういうつもりで書いたんじゃねえし、そもそも別に、死にたいわけじゃねえよ」
拗ねたような口調で言ったかと思えば、池脇は語尾の辺りで乾いた笑い声を上げた。
それを受け、伊藤が怒りにも似た顔で涙を拭う。
R「色々約束だってあるし、やりたいこともまだまだある。けどもし、ノイの所へ行けるってんなら今すぐ行くよ。でも行けねえだろう。死んだってあいつの所にはいけねえ。だから死なないだけだ」
衝撃的な池脇の言葉に、私はゴムボールを口に突っ込まれたようになり、呼吸が止まる。
伊藤は両手で顔を覆ったが、やがて押し殺した泣き声が指の隙間から漏れ出た。
O「時枝さん」
泣きながら、伊藤が私の名を呼ぶ。
-- はい。
O「…怖くて見れないの。今、竜二は、どんな顔をしてるの?」
-- とても穏やかな顔をされています。これっぽっちも、嘘はないんだと思います。
O「そう」
伊藤の泣き声が強まると、やがて池脇は苦悶の表情を浮かべた顔を背けて、椅子に浅く腰かけ背中を倒した。
しばらくは、時間の流れるに任せた。
池脇はおそらく、奥歯を噛締めながらそれでも己の言葉を撤回するつもりはないだろうし、私は私で、伊藤乃依という女性を思うがゆえにこの世への未練をなくしてしまった池脇竜二に、何か伝えるべき言葉はないだろうかと馬鹿な頭をフル回転させていた。
やがて、伊藤織江が話始めた。
O「どこかでさあ。どこかで嬉しかったの。竜二が、ずっと妹を思い続けてくれてることが」
-- はい。
O「死んで10年以上経っても、こんな、こういう男の中にずっと住んでいられるなんて、わが妹ながら凄い事だなって。…ああー。私バカだったね。ごめんね竜二、私がバカだった」
R「なんでそうなんだよ」
O「…私はノイからあなたの事をお願いされてたの。あなたが幸せになる姿を見届ける義務が私にはある。それなのに私は、妹を思い続けるあなたに何も手を差し伸べる事をしなかったね。もっと早く、もっと早くノイの事を忘れて幸せになってほしいって伝えるべきだった。あなたの愛情に気分をよくして、その上にあぐらをかいて、得意げな顔をして、全然あなたの事を考えてこなかった」
R「なんで俺が!あいつを忘れなきゃいけねえんだよ!」
O「生きてほしいからに決まってるでしょ!」
R「死なねえよ、俺は」
O「だったらなんであんな歌書くのよ!」
R「どうしようもねえだろ!俺はもうこれでいいんだ!ノイを思い続けたまま、そのまま死んで行ければいいんだよ」
O「ダメだよ…」
R「明日か30年後かの違いがあるだけだろうが。今じゃねえって。ジジイになって、歌をやめても、あんぽんたんになって全部忘れちまったとしても!それでもノイだけは忘れたくねえ。俺の人生は全部、あいつの為に使うはずだったんだから」
O「竜二…」
-- 竜二さん。翔太郎さんがあなたを殴った時、その意味が分かりましたか?
R「…」
-- 今の竜二さんの言葉は、裏切りではありませんか?
R「…」
-- 私もさすがに今すぐ竜二さんがどうこうしようとしているなんて思いません。だけど少なくともこの10年、可能ならノイさんの所へ行きたいと思い続けながらバンド活動をしていた事になってしまいますよ。それでは、翔太郎さんや大成さんや繭子や、アキラさんが、悲しむとは思いませんか。
R「否定はしない」
O「ダメだってそんな事言っちゃあ!」
R「誰だって、色んな物抱えて生きてんじゃねえのか」
O「…」
R「違うかよ。そりゃあ、それが裏切りになるってんならそうなんだろうよ。あいつらが、それを裏切りと言って俺をなじるなら好きにしたらいい。けど少なくとも俺自身は自分を偽ってあいつらと生きてきた覚えはねえよ。今だって、俺は何があろうとあいつらを裏切ったりしないと思ってる。だけど…」


3人ともが感情的になりすぎた。
冷静なインタビューにはならないと判断し、そこで打ち切る事にした。
この日もスタジオには伊澄と神波と繭子が来ており、当たり前のように練習に打ち込んでいた。メンバーが一人欠けたからと言って練習が出来ないわけではないと彼らは言うが、これまで私はそうなる事を避けて来た。だからボーカルがいない状態での彼らの練習を見る事は、今日が初めてだった。会議室でのインタビューを終えスタジオに足を踏み入れると、歌声のない爆音だけが響く空間は、まるで知らないバンドのような印象を私に与えた。
泣き顔を伏せて、伊藤織江がソファーに体を預ける。
肩と首の柔軟体操をしながら池脇がマイクスタンドの前に立つと、ピタリと演奏が止まった。
一瞬ぞっとした。まるで池脇を受けつかないかのようなタイミングで、音が止んだからだ。
伊藤が顔を上げ、池脇が下を向いた。
「出来たぞ」
そう言ったのは、伊澄だった。
池脇の左斜め後ろから、彼を見ずに言った。
池脇は振り返ろうとしたが途中で止めて、「何が」と言った。
「曲書いたよ。すっげーやつ」
その瞬間池脇の首から上が硬直したように一瞬震え、今日初めて彼の目から涙が落ちた。
すぐさま彼は手の甲でそれを拭い、「そうか」とだけ言った。
「お前の楽屋のドアに貼って来たから、取ってこいよ」
伊澄がそう言うと、何も言わずに池脇はスタジオを出た。
言わずもがな、伊藤も私も泣いている。顔を覆って泣いている。
だからこの時、神波や繭子がどんなに優しい顔をしていたのか、私達は知らない。






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