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13「スタジオライブ」
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2016年、5月23日。
普段よりも幾分照明の明るさを落としただけ。
URGAという類い稀な実力と存在感を兼ね備えた歌い手にしては、
かなり殺風景とも言えるドーンハンマーの楽器セットだけを背景に、
彼女はスタンドからマイクを取り外した。
囁き声で小さく呟く。
「『Sunnyday Flowers』」
軽快なリズムに乗るオリエンタルな音使い。
そして高く伸びやかなURGAの歌声。
始まった。
いつもはコの字に並んでいるソファーを横一列に並べなおし、皆がURGAを向いて座っている。ある者は腕組みをし、ある者は背もたれに体を預け、ある者は前のめりになり、ある者は笑顔で手拍子を送っている。
語り掛けるような笑顔とたおやかな腕の動き。大柄とは言えない彼女の体から発せられる事が、目の前にいてさえ信じられない。そんな、自信に満ちたURGAの歌声は、コンサートホールとは比べるべくもない練習スタジオの隅々にまで響き渡った。
「『Sunnyday Flowers』、聞いていただきました。改めまして、URGAです。
えー、今日は、URGAコンサートin 『ドーンハンマーズ・バイラル4・スタジオ』へお越しくださり、誠にありがとうございます。見ていただいて分かる通り、いつものようなバックバンドはいません。オケは録音です。その場のインスピレーションでアレンジを変えたり引き延ばしたりという遊びは何もできませんが、それでも目一杯心を込めて、お届けしたいと思います。あ、ブースの真壁さんが今日の私のパートナーです。よろしくお願いします」
拍手。
「先程、ドーンハンマーのギタリストである伊澄翔太郎さんと、Billionという雑誌のインタビューを受けました。その時にも感じたのですが、私はやっぱり、メッセンジャーだなーと改めて思いました。伊澄さんは言いました。演奏していて格好良いかどうかが、俺達の基準なんだベイベー」
「言ってねえぞベイベー」
一同、笑。
「彼の言う言葉の意味を噛みしめながら、私に当てはまる思いはなんだろうと考えました。彼の言葉はまるで、深い意味なんてないよ、ただ気持ちいいかどうか、それだけだと言っているように見えて、実はそんな上っ面な勢いの話じゃないんだということは、一緒に制作現場を経験した私には分かっています。今日は、皆さんと初めて出会ってからこの一年をかけて出した私の答えと、感謝の気持ちを伝えにやって来ました。短い時間ではありますが、どうぞゆったりとくつろぎながら、お付き合い下さい。それでは次の曲、『my little idiots』、聞いて下さい」
ここ数年彼女が好んでバックに取り入れている音とはまた一味違った、
よく言えばバンドサウンド、だがある意味URGAらしくない人工的なマシンサウンド。
しかしそんな「やたら大きく聞こえる」音をバックに従えても、彼女の歌声は負けずに大きい。まだ彼女がメジャー事務所に所属し、テレビCMや昼ドラのテーマソングにタイアップ起用されていた頃の代表曲である。一曲目に歌った『sunnyday flowers』も『my little idiots』も、所謂彼女における初期の名曲だ。これからヨーロッパツアーに旅立つ彼女にとっての、今日が前哨戦というわけではなさそうである。
「『my little idiots』、いかがでしたか?」
拍手。
「ありがとうございます。…喉の調子はバッチリのようです。えー、先程受けたインタビューの最中、年甲斐もなく何度か叫んでしまったので、用意していただいた楽屋でオリーブオイルを一口飲んで来ました。本番用の高級な奴です。こんな小っちゃい瓶に入ってるのに5,000円とかするやつです。ヨーロッパツアーを前に開けてしまいました。あとで請求書回しておきますね」
一同、笑。
「えー、次は、3曲続けてお届けします。ですが忘れないうちに、お伝えしておきたいこと。
実は今夜、この素敵なプライベートスタジオで歌わせていただくことになった経緯、それはまた後程お話するとして、何を歌うか、私が何を歌いたいか。必死に考えた結果、とても、悩んだ結果。なんだかよく分からない気持ちになってきたのでオリーに相談しました。私がどういう気持ちで、皆さんに歌をお届けしたいのか。皆さんに、どう感じてもらえるのか。そしたら彼女はあっけらかんと、こう教えてくれました。皆あなたのファンだから、彼らが好きな歌を歌ってあげると喜ぶよ。…ああ、なんて単純なんだ」
一同、笑。
「本当は、そんな簡単な話ではない気もするけれど、私は私なりに、届けたい思いを持って歌う人なので、ならばその期待にちゃんと正面から答えてみようと思って、決めた3曲です。
本当は4曲なのですが、その4曲の内1曲は、私が今日これだけは歌いたいと事前に決めていた歌でもあったので、最後に歌います。ちなみに、どなたがどの曲を好きだと言ってくれたかまでは、聞いていません。唄っている最中に目配せもしないでください」
一同、笑。
URGA、少し離れた床に置いたミネラルウォーターのペットボトルを拾い上げる。
ボトルのキャップを開封しながら、
「本気出すぞー」
一同、笑。そして歓声。
MCではほとんど囁くようなトーンでしか話さない彼女が、マイクを通さなくても聞こえるような声でそう意気込んだのだ。空気が少し、緊張感を帯びている。
「では真壁さんお願いします。
『終わりが来る時』『指先の灯火』『私という名の』」
「おわ!」、「っしゃー」、拍手。「ちょっとー」。
声を上げ手を叩いたのは池脇、神波、そして繭子の3人だった。
いきなりリクエストした人間がバレてURGAが苦笑いすると同時に、演奏が始まった。
しかし彼女が歌い始めた瞬間から、和やかだったスタジオ内の空気は一変した。
私はこの日、立ち会う事を辞退して正解だったと思った(と同時に、やはり心底後悔した)。
私はこの密着取材を開始して以来最初にして最大の衝撃を受け、この映像を正視出来ない思いに苦しんだ。
ドーンハンマーというバンドを掘り下げて実感する、彼らの人としての芯の強さと狂気にも似た直向きな夢への熱情。その熱気に当てられ何度も涙を流した情けない私の傍らで、いつだって彼らは笑っていた。私が単なる泣き虫という説も間違いではないが、彼らの強さは上手く例えようがない。
本来他人に語る必要のない己の真芯にある本能のような衝動や、違えるわけには行かない友との約束の意味、それらを抱えて走り続ける彼らの信念と、決して無傷では済まない彼らの精神と肉体の悲鳴を思う時、必ずしも人は感情でばかり涙を流すわけではないと、私は改めて感じる日々を過ごしている。
気が付けばいつも、はらはらと涙は勝手に流れ出ていた。
しかしそんな、無知で影響されやすく泣き虫アンテナが常に5本立っている私の側で困ったように笑い、『もうその事では泣かないと決めた』彼らが、まるで堪える機能を失ったように涙する姿が、ビデオカメラの映像には映し出されていた。
私にとってそれは筆舌に尽くしがたい衝撃であり、これは見てはいけない姿なのだと思った。
後にURGAは私にこう語る。
『ひょっとして、私はここへ来るべきではなかったんじゃないのか、って』
どんな時もユーモアと笑顔を忘れないタフで可憐な歌姫が、眉間に皺を寄せてそう言った。彼女はこうも言う。
『歌を届けるという使命は、思いや言葉を届けるだけでなく、聞くその人の内側にある迷いや本音を浮かび上がらせる事をも、含まれていると思う。私に出来る事は、誰かを導く事じゃなくて、誰かの側にいて寄り添うこと。彼らが笑うなら私も笑い、彼らが泣くときは私の歌も泣いている。そういう存在でありたいと思いながら歌い続けている。そして聞く人が立ち上がる時には、前に踏み出す一歩を共に、後押し出来たらいいのだけれど…。だけどあるいはバランスを崩しかねない程の彼らの、…うん。…私は一体何を見たんだろう』
ある者は腕組みをし、ある者は背もたれに体を預け、ある者は前のめりになり、ある者はURGAを見つめたまま、静かに泣いていた。奥歯を食いしばり、堪え切れず、拭う事すら無駄だと感じているように見えた。
彼女が歌った3曲は、URGAファンの間でも名曲と名高いメッセージソングだ。
コンサートで今もなお歌い継がれる、URGA自身が大切だと語る思いの篭った3曲でもある。
その曲を目の前で歌うURGAの姿に涙が込み上げる。そこになんら不自然さはない。ただいつもの光景と違ったのは、おそらく誰もこうなるとは想像していなかった事だ。URGAはもちろん、彼女を好きだと公言していた彼ら自身も、まさかこんな事態になるとは思っていなかった。
何故ならドーンハンマーとは、理不尽な程自分自身に厳しい人間の集まりだからだ。彼ら程自分の肉体と感情をコントロール出来る人間を見た事がないし、おそらくその事を彼らも自負し、武器としている。
そんな彼らが、普段よりも台数を増やした撮影用カメラの前で涙を流す事など普段では到底考えられない。
何度も、「また泣いてんのか」と伊澄に揶揄われた。
有言実行者であり、無言の努力を実行し続けて来た彼らの強靭な精神が、「涙を拒んでいる」節すら見受けられた。号泣しながらバンド加入を訴えたという繭子も、善明アキラの死に身も心もボロボロになった神波も、足早にこの世を去った友と交わした約束を全うするため、己の体を傷め続ける池脇も伊澄も、皆笑って今を生きている。そんな彼らが全く抗えない力が、URGAの歌声にはあったという事だ。
人は誰でも好きな歌と自分の人生を重ね、心に落とし込んで耳を傾ているものだ。例え自分の過去やこれからの未来とかけ離れた歌詞であったとしても、どこかしら好きなフレーズや、感じ入る言葉の意味などを抜き取り、お守りのように大事に繰り返し思い出し、そして口ずさむ。
『いつかは誰しも わかる時が来る だけどそれが今日や明日だと 覚悟を持って生きることの辛さを 私はまだ 知りたくはなかった』と歌う、『終わりが来る時』。
『心を言葉にして 伝える事が出来たのは ああ いつの日だったろうか それでも叫び続ける事の意味を 教えてくれたのは ああ 誰だったろうか 指先ほどの命の火を 消えないように 消えないように ここにいるよと 祈るように囁き続けてきた」と歌う、『指先の灯火』。
『たった一人でいい 見えなくたっていい それでも私は あなたの中にこだまする この歌は誰かのため この歌は私のため 全身全霊 私という名の 響け歌声』と歌う、『私という名の』。
それはまるで彼らの人生を傍らで見守り続けた誰かが、彼らの為に書き上げた歌のようだった。人は本来そんな一曲に出会う事すら稀であるように思う。ドーンハンマーにとってそれは原動力であると同時に、怒りと悲しみによって刻まれた記憶でもあった。まだ20代のうちに愛する人を3人も失い弱りきった彼らの側に、URGAはタイムスリップしたように私には思えた。そして、まだ18歳で自分の未来と死に場所を決めた少女の側へも。頑張れとは言わない。大丈夫だとも言わない。彼らが声に出したくても面と向かって言えなかった叫びを、URGAは今、歌っているのだと思えた。
個人的に特別な思い入れが誰かにあるわけではない。彼ら全員を尊敬し、愛している。しかし、こと涙に関して言えば、伊澄翔太郎の流す涙が一番私の心に響いた。周囲から天才と持て囃されながら、それでも己の研鑽を怠らず、今ようやくここまで上り詰めた彼の魂が、本当の意味で笑っているか否か、私などには想像もつかない。しかし今彼が泣いている事実が、私のファン心理をこれでもかとばかりに痛めつけるのだ。
繭子に宛てた関誠の言葉を思い出す。
「それで幸せになれるなら、バンドなんかやめたっていい。世界なんか関係ない」
ここへ来て彼女の言葉が私に突き刺さる。本当にその通りだと思った。
何よりも、傷ついた彼ら自身の幸せを私は願っている。もし、ドーンハンマーの取材をここで終えて欲しいと願い出されていたら、私はその理由も聞かずに承諾していたかもしれない。ライターとしては失格だろう。だが忘れてならないのは、彼らの途方もない努力が自ら望んだ事だとは言え、その結果彼らの抱える傷を癒やしてくれたか否かは、誰にも分からないということだ。
私がライターである事は、今は関係ない。
誰かの幸せを願う事に、見返りのある理由などあってはならないと、私はそう思う。
この日を思い返して。伊澄翔太郎の言葉。
「うわー、やられたーって。だってその前のインタビューん時から、あーこれ嫌な予感すんなーって思ってたもん。だろ?嫌だなって俺言ってるよな?まあ、あれがあの人の凄さだよ。人の心に対する浸透率の高さは尋常じゃないよな」
この日を思い返して。神波大成の言葉。
「全然意識してなかったけどね。無意識だった。完全にあの人の中に引き込まれて、そん時自分がどんな状況だったか、周りがどうだったか覚えてない。(-- 皆さん泣いていらっしゃいました) そうなんだ? まあ、そらそうだろうねって感じかな」
この日を思い返して。池脇竜二の言葉。
「いやー、ジェラシーだわ。スゲーよ、やっぱあの人だけは。単純な声のデカさなら負けねえけど、やっぱ誰かに、心を届けたい気持ちのある人の歌ってスゲーわ!涙?そんなもんはなんつーか。…泣いてねーし!(笑)」
この日を思い返して。芥川繭子の言葉。
「私はいっつも一人で聴いて一人で泣いてるからね。それよりもあの人達ががん泣きした事で余計に止まらなくなって焦ったよ。普通醒めるじゃない、自分より泣いてる人見たら。いやいや普段絶対涙なんか見せないし、そういう彼らの強さを知ってるからさ、その事に泣けて困ったなぁ。URGAさんやっぱ凄いよね。人として初めて嫉妬するかも。私もいつか彼らを感動で泣かしたいなー、無理だけどーって。いまだにあの人達の背中を見てるだけで泣きそうになってる私にはまあ、まだあと10年早いねぇ」
永遠とも思える20分弱。
歌い終えたURGAは後ろを向いてハンカチで目元を抑える。
ミネラルウォーターを飲み、蓋を締め、床に置き、また涙を拭いて向き直った。
「えー…。3曲続けて、聞いていただきました」
目の前の男達はまだ完全に泣き止んだわけではない。
だがそれを待っていたのでは、URGA自身また涙が零れると判断したのだろう。
彼らの反応を待たずして、言葉を繋いでいく。
「もう、1年以上前になるのかぁというのが、正直な気持ちです。最初は軽い気持ちで、オリーからのお誘いを受けたわけですが、勉強不足の私がひょいっと足を踏み入れていい現場ではありませんでした。それは今でもほんのちょっと、後悔している部分でもあります。もし、もうちょっと深くあなた達について知っていたら、あの時の私は断っていたかもしれません。なぜなら、私は、今からちょうど2年前…」
そこまで話したURGAは急に、下を向いて言葉を詰まらせた。
泣いていた。
マイクを持った右手の甲で口元を押え、流れる涙はそのままに、ただ泣いて立ち尽くした。
様子がおかしいと気づいた彼らが顔を上げ、繭子が立ち上がった時、URGAは左手を上げてそれを遮った。
「もう2年になります」
顔を上げたURGAの表情は、強く美しかった。
「今から2年前。私はこの先の未来を約束した人と、辛いお別れをしなければなりませんでした。当時の私は極限状態にあって、彼の闘病生活のサポートや、アルバム制作、日程の決まっていたステージの準備に追われ、記憶すら無くす程の目まぐるしい日々を送りながら、私は一体何と戦っているのだろう、なんで、こんな風になってしまったんだろうと、神様に問いかける毎日でした。失ったものはあまりにも大きく、これまで築きあげて来たURGAというアーティストは、半分以上、彼が側にいて初めて機能するものだったんだなーと、改めて実感し、もう、これ以上は、歩けないなー、と、思いました」
俯き声を失う。
彼女の足元に落ちては沁み込む涙の音まで聞こえるような沈黙だった。
「ただ、私は約束をしていました。歌う事だけは、絶対にやめないと。作品を創り続けるかどうか。コンサートを行うかどうか。それは分かりませんでした。ただ歌うことだけはやめないと、約束しました。だけど実際は、生きて、ただ毎日を生きることだけで、本当は精一杯でした。そんな時、ようやく1年が過ぎようとしていた頃、オリーから電話を貰いました。実は、彼女とはそれまでプライベートな話をしたことがありませんでした。どこかで私の事を聞きつけた、そんな彼女が掛けてきた電話も、やっぱりお仕事の話でした。うちのアルバム制作にお力を貸していただけませんか?もちろん、ドーンハンマーがどういうバンドで、どういう音楽をやっているか。それぐらいは知っていたし、私が知っていると分かった上でのお誘いのはず。なんだかヘンテコな話だけど、乗っかってみると面白い事があるかなー。その時の私は明るい話題に飛びつく習性があったので、本当にその一本の電話だけで、お話を受けました。よくよく聞いて見ると、歌ではなく、ピアノかキーボードでの参加希望だそうで。んー?ますます変だぞー?私、歌う人なんだけどなー。私は思った事をすぐ声に出してしまうので、オリーにも笑われてしまいました。URGAさんがその気になったら、いつでも歌ってください、そう、彼女は言いました。嬉しくて涙が込み上げて来ました。そうか、それでいいのか。そうかもしれないな。しかし、歓び勇んで出かけたあなた達の制作現場は、もう本当に、鬼畜でした」
ようやく彼らに静かな笑い声が戻る。
「私が辛いわけではなく、見ている事が辛くなるほどに、自分を追い込んでいる。肉体的に、精神的に、どこまでも追い詰める、そんな姿が、私の目を釘付けにして離しませんでした。そうやって紡ぎ出される爆音の連鎖。その中に、一人一人の結晶化された才能が埋め込まれていく様子を目の当たりにして、これはなんだ、これが彼らの音楽か、とにかく音がデカくてなんだか分からないけど、とにかく、凄いぞ。あー…。そうか。彼らは生きているなー。戦っているなあ。私と同じなんだ。もうそれだけで、あなた達の事が大好きになりました。ただそれと同時に、打ちのめされる感覚も味わいました。だって、ドーンハンマーというバンドには、言葉というメッセージがないんだもの。ただ演る、ただ歌う、ただ弾く。純粋に音楽を打ち鳴らし、格好良いとはこういう事だと全身で体現してみせる。それが、ドーンハンマー唯一のメッセージ。私の知らない音楽、私には出来ない音楽。あれ、じゃあ、私が今までやって来た音楽って、なんなんだろう。誰かに言葉を届けるって、一体どういう事だったろう。私は思わず、問いかける事の出来た人の存在を、探していました。急に寂しくなって、分からなくなりました。このスタジオを去った後も、その思いは消えず、また、自分に問い続ける日々が始まりました。ただそれまでと大きく違ったのは、もっと、もっと歌いたいという強い気持ちが、再び私を突き動かしたという事です。話が長くなりすぎました。漫談家と笑われないうちに、次の曲をお送りします。『あの虹の向こう側へ』」
強烈なメッセージを訴える力強いバラード。「あなたがいるから頑張れる」。この日の為に、彼らと思いを同じくする為に書かれたような歌詞を、URGAは何年も前から歌っている。彼女の底知れぬ「歌う力」には心から敬服するほかなかった。
拍手。
「メルシーボークー!」
URGAは笑顔で挨拶した後、頭を後ろへ倒して、天井を見つめた。
「あー。…こんなはずじゃなかったよー」
そう言った可愛らしい声と言葉に、ドーンハンマーは思わず笑い声をあげた。
「それはこっちのセリフだー」
そう池脇が答え、伊澄と神波が大きく頷いた。繭子は、両手で顔を覆ったままだ。
「私ねー、さっきあんな事言うつもりなかったんだよー。けど皆の顔見てたらさー。あー、ちゃんと向き合わなきゃいけない人達だなあって。うん、思ったんだよ。ちゃんと分かり合えたら、もっと楽しい事一杯できるんじゃないかって。ま、泣いても笑っても、次で最後の曲になります!日本で歌うのは、ツアー終えて帰って来てからなので、しばらくはこれで最後です。次こそは、私のステージに遊びに来てください。今日は本当に、ありがとうございました」
右手を胸に当てて深々とお辞儀するURGA。
4人は満面の笑みと盛大な拍手を送る。
「ありがとう。あなた達に合えた歓びを、この歌にこめます。本当に心から感謝しています。それでは、この曲を最後に、行ってきます。聞いて下さい。『地平線にて』」
『どんなに高い壁だとしても どんなに遠い場所だとしても
私の夢は決して醒めることはない 心折られるわけはいかない
孤独を味わう事が嫌なんじゃない 私はいつだってそこへ向かって走る
その一瞬が 私の輝ける場所 そう信じて 歩みを もっと前へ』
歌う彼女の両目から涙が流れた。しかしその顔から笑みが消える事はなく、ドーンハンマー全員が最後まで歯を食いしばり、涙を流しなら、決して目を背けることなくURGAを見つめ続けた。
この日一番URGAが歌いたかった歌。それは奇しくも伊澄翔太郎がリクエストした曲でもあった。
「孤独を味わう事が嫌なんじゃない」。そう歌う彼女の声が震え、笑顔が震える。しかし4人が立ち上がったのを見て、パっと、彼女に明るさが戻る。彼女の側へ歩み寄る為に立ち上がったわけではない事は、映像を通して見ても伝わってくる。それはURGAへの敬意と感謝の表れだろう。彼女の歌声が高らかに力強く響き渡る。
「そう信じて 歩みを もっと前へ」。
きっと、思いは届く。伝えるとはこういう事なのだ。人の心が伝い合う瞬間を一人でも多くの人達に見て欲しい。そんな思いを込めて、収録させていただきました。
ドーンハンマーとURGAの絆はおそらくこの先もずっと続いて行く。
そんな幸せな未来を予感させる、素晴らしい一夜のコンサートでありました。
普段よりも幾分照明の明るさを落としただけ。
URGAという類い稀な実力と存在感を兼ね備えた歌い手にしては、
かなり殺風景とも言えるドーンハンマーの楽器セットだけを背景に、
彼女はスタンドからマイクを取り外した。
囁き声で小さく呟く。
「『Sunnyday Flowers』」
軽快なリズムに乗るオリエンタルな音使い。
そして高く伸びやかなURGAの歌声。
始まった。
いつもはコの字に並んでいるソファーを横一列に並べなおし、皆がURGAを向いて座っている。ある者は腕組みをし、ある者は背もたれに体を預け、ある者は前のめりになり、ある者は笑顔で手拍子を送っている。
語り掛けるような笑顔とたおやかな腕の動き。大柄とは言えない彼女の体から発せられる事が、目の前にいてさえ信じられない。そんな、自信に満ちたURGAの歌声は、コンサートホールとは比べるべくもない練習スタジオの隅々にまで響き渡った。
「『Sunnyday Flowers』、聞いていただきました。改めまして、URGAです。
えー、今日は、URGAコンサートin 『ドーンハンマーズ・バイラル4・スタジオ』へお越しくださり、誠にありがとうございます。見ていただいて分かる通り、いつものようなバックバンドはいません。オケは録音です。その場のインスピレーションでアレンジを変えたり引き延ばしたりという遊びは何もできませんが、それでも目一杯心を込めて、お届けしたいと思います。あ、ブースの真壁さんが今日の私のパートナーです。よろしくお願いします」
拍手。
「先程、ドーンハンマーのギタリストである伊澄翔太郎さんと、Billionという雑誌のインタビューを受けました。その時にも感じたのですが、私はやっぱり、メッセンジャーだなーと改めて思いました。伊澄さんは言いました。演奏していて格好良いかどうかが、俺達の基準なんだベイベー」
「言ってねえぞベイベー」
一同、笑。
「彼の言う言葉の意味を噛みしめながら、私に当てはまる思いはなんだろうと考えました。彼の言葉はまるで、深い意味なんてないよ、ただ気持ちいいかどうか、それだけだと言っているように見えて、実はそんな上っ面な勢いの話じゃないんだということは、一緒に制作現場を経験した私には分かっています。今日は、皆さんと初めて出会ってからこの一年をかけて出した私の答えと、感謝の気持ちを伝えにやって来ました。短い時間ではありますが、どうぞゆったりとくつろぎながら、お付き合い下さい。それでは次の曲、『my little idiots』、聞いて下さい」
ここ数年彼女が好んでバックに取り入れている音とはまた一味違った、
よく言えばバンドサウンド、だがある意味URGAらしくない人工的なマシンサウンド。
しかしそんな「やたら大きく聞こえる」音をバックに従えても、彼女の歌声は負けずに大きい。まだ彼女がメジャー事務所に所属し、テレビCMや昼ドラのテーマソングにタイアップ起用されていた頃の代表曲である。一曲目に歌った『sunnyday flowers』も『my little idiots』も、所謂彼女における初期の名曲だ。これからヨーロッパツアーに旅立つ彼女にとっての、今日が前哨戦というわけではなさそうである。
「『my little idiots』、いかがでしたか?」
拍手。
「ありがとうございます。…喉の調子はバッチリのようです。えー、先程受けたインタビューの最中、年甲斐もなく何度か叫んでしまったので、用意していただいた楽屋でオリーブオイルを一口飲んで来ました。本番用の高級な奴です。こんな小っちゃい瓶に入ってるのに5,000円とかするやつです。ヨーロッパツアーを前に開けてしまいました。あとで請求書回しておきますね」
一同、笑。
「えー、次は、3曲続けてお届けします。ですが忘れないうちに、お伝えしておきたいこと。
実は今夜、この素敵なプライベートスタジオで歌わせていただくことになった経緯、それはまた後程お話するとして、何を歌うか、私が何を歌いたいか。必死に考えた結果、とても、悩んだ結果。なんだかよく分からない気持ちになってきたのでオリーに相談しました。私がどういう気持ちで、皆さんに歌をお届けしたいのか。皆さんに、どう感じてもらえるのか。そしたら彼女はあっけらかんと、こう教えてくれました。皆あなたのファンだから、彼らが好きな歌を歌ってあげると喜ぶよ。…ああ、なんて単純なんだ」
一同、笑。
「本当は、そんな簡単な話ではない気もするけれど、私は私なりに、届けたい思いを持って歌う人なので、ならばその期待にちゃんと正面から答えてみようと思って、決めた3曲です。
本当は4曲なのですが、その4曲の内1曲は、私が今日これだけは歌いたいと事前に決めていた歌でもあったので、最後に歌います。ちなみに、どなたがどの曲を好きだと言ってくれたかまでは、聞いていません。唄っている最中に目配せもしないでください」
一同、笑。
URGA、少し離れた床に置いたミネラルウォーターのペットボトルを拾い上げる。
ボトルのキャップを開封しながら、
「本気出すぞー」
一同、笑。そして歓声。
MCではほとんど囁くようなトーンでしか話さない彼女が、マイクを通さなくても聞こえるような声でそう意気込んだのだ。空気が少し、緊張感を帯びている。
「では真壁さんお願いします。
『終わりが来る時』『指先の灯火』『私という名の』」
「おわ!」、「っしゃー」、拍手。「ちょっとー」。
声を上げ手を叩いたのは池脇、神波、そして繭子の3人だった。
いきなりリクエストした人間がバレてURGAが苦笑いすると同時に、演奏が始まった。
しかし彼女が歌い始めた瞬間から、和やかだったスタジオ内の空気は一変した。
私はこの日、立ち会う事を辞退して正解だったと思った(と同時に、やはり心底後悔した)。
私はこの密着取材を開始して以来最初にして最大の衝撃を受け、この映像を正視出来ない思いに苦しんだ。
ドーンハンマーというバンドを掘り下げて実感する、彼らの人としての芯の強さと狂気にも似た直向きな夢への熱情。その熱気に当てられ何度も涙を流した情けない私の傍らで、いつだって彼らは笑っていた。私が単なる泣き虫という説も間違いではないが、彼らの強さは上手く例えようがない。
本来他人に語る必要のない己の真芯にある本能のような衝動や、違えるわけには行かない友との約束の意味、それらを抱えて走り続ける彼らの信念と、決して無傷では済まない彼らの精神と肉体の悲鳴を思う時、必ずしも人は感情でばかり涙を流すわけではないと、私は改めて感じる日々を過ごしている。
気が付けばいつも、はらはらと涙は勝手に流れ出ていた。
しかしそんな、無知で影響されやすく泣き虫アンテナが常に5本立っている私の側で困ったように笑い、『もうその事では泣かないと決めた』彼らが、まるで堪える機能を失ったように涙する姿が、ビデオカメラの映像には映し出されていた。
私にとってそれは筆舌に尽くしがたい衝撃であり、これは見てはいけない姿なのだと思った。
後にURGAは私にこう語る。
『ひょっとして、私はここへ来るべきではなかったんじゃないのか、って』
どんな時もユーモアと笑顔を忘れないタフで可憐な歌姫が、眉間に皺を寄せてそう言った。彼女はこうも言う。
『歌を届けるという使命は、思いや言葉を届けるだけでなく、聞くその人の内側にある迷いや本音を浮かび上がらせる事をも、含まれていると思う。私に出来る事は、誰かを導く事じゃなくて、誰かの側にいて寄り添うこと。彼らが笑うなら私も笑い、彼らが泣くときは私の歌も泣いている。そういう存在でありたいと思いながら歌い続けている。そして聞く人が立ち上がる時には、前に踏み出す一歩を共に、後押し出来たらいいのだけれど…。だけどあるいはバランスを崩しかねない程の彼らの、…うん。…私は一体何を見たんだろう』
ある者は腕組みをし、ある者は背もたれに体を預け、ある者は前のめりになり、ある者はURGAを見つめたまま、静かに泣いていた。奥歯を食いしばり、堪え切れず、拭う事すら無駄だと感じているように見えた。
彼女が歌った3曲は、URGAファンの間でも名曲と名高いメッセージソングだ。
コンサートで今もなお歌い継がれる、URGA自身が大切だと語る思いの篭った3曲でもある。
その曲を目の前で歌うURGAの姿に涙が込み上げる。そこになんら不自然さはない。ただいつもの光景と違ったのは、おそらく誰もこうなるとは想像していなかった事だ。URGAはもちろん、彼女を好きだと公言していた彼ら自身も、まさかこんな事態になるとは思っていなかった。
何故ならドーンハンマーとは、理不尽な程自分自身に厳しい人間の集まりだからだ。彼ら程自分の肉体と感情をコントロール出来る人間を見た事がないし、おそらくその事を彼らも自負し、武器としている。
そんな彼らが、普段よりも台数を増やした撮影用カメラの前で涙を流す事など普段では到底考えられない。
何度も、「また泣いてんのか」と伊澄に揶揄われた。
有言実行者であり、無言の努力を実行し続けて来た彼らの強靭な精神が、「涙を拒んでいる」節すら見受けられた。号泣しながらバンド加入を訴えたという繭子も、善明アキラの死に身も心もボロボロになった神波も、足早にこの世を去った友と交わした約束を全うするため、己の体を傷め続ける池脇も伊澄も、皆笑って今を生きている。そんな彼らが全く抗えない力が、URGAの歌声にはあったという事だ。
人は誰でも好きな歌と自分の人生を重ね、心に落とし込んで耳を傾ているものだ。例え自分の過去やこれからの未来とかけ離れた歌詞であったとしても、どこかしら好きなフレーズや、感じ入る言葉の意味などを抜き取り、お守りのように大事に繰り返し思い出し、そして口ずさむ。
『いつかは誰しも わかる時が来る だけどそれが今日や明日だと 覚悟を持って生きることの辛さを 私はまだ 知りたくはなかった』と歌う、『終わりが来る時』。
『心を言葉にして 伝える事が出来たのは ああ いつの日だったろうか それでも叫び続ける事の意味を 教えてくれたのは ああ 誰だったろうか 指先ほどの命の火を 消えないように 消えないように ここにいるよと 祈るように囁き続けてきた」と歌う、『指先の灯火』。
『たった一人でいい 見えなくたっていい それでも私は あなたの中にこだまする この歌は誰かのため この歌は私のため 全身全霊 私という名の 響け歌声』と歌う、『私という名の』。
それはまるで彼らの人生を傍らで見守り続けた誰かが、彼らの為に書き上げた歌のようだった。人は本来そんな一曲に出会う事すら稀であるように思う。ドーンハンマーにとってそれは原動力であると同時に、怒りと悲しみによって刻まれた記憶でもあった。まだ20代のうちに愛する人を3人も失い弱りきった彼らの側に、URGAはタイムスリップしたように私には思えた。そして、まだ18歳で自分の未来と死に場所を決めた少女の側へも。頑張れとは言わない。大丈夫だとも言わない。彼らが声に出したくても面と向かって言えなかった叫びを、URGAは今、歌っているのだと思えた。
個人的に特別な思い入れが誰かにあるわけではない。彼ら全員を尊敬し、愛している。しかし、こと涙に関して言えば、伊澄翔太郎の流す涙が一番私の心に響いた。周囲から天才と持て囃されながら、それでも己の研鑽を怠らず、今ようやくここまで上り詰めた彼の魂が、本当の意味で笑っているか否か、私などには想像もつかない。しかし今彼が泣いている事実が、私のファン心理をこれでもかとばかりに痛めつけるのだ。
繭子に宛てた関誠の言葉を思い出す。
「それで幸せになれるなら、バンドなんかやめたっていい。世界なんか関係ない」
ここへ来て彼女の言葉が私に突き刺さる。本当にその通りだと思った。
何よりも、傷ついた彼ら自身の幸せを私は願っている。もし、ドーンハンマーの取材をここで終えて欲しいと願い出されていたら、私はその理由も聞かずに承諾していたかもしれない。ライターとしては失格だろう。だが忘れてならないのは、彼らの途方もない努力が自ら望んだ事だとは言え、その結果彼らの抱える傷を癒やしてくれたか否かは、誰にも分からないということだ。
私がライターである事は、今は関係ない。
誰かの幸せを願う事に、見返りのある理由などあってはならないと、私はそう思う。
この日を思い返して。伊澄翔太郎の言葉。
「うわー、やられたーって。だってその前のインタビューん時から、あーこれ嫌な予感すんなーって思ってたもん。だろ?嫌だなって俺言ってるよな?まあ、あれがあの人の凄さだよ。人の心に対する浸透率の高さは尋常じゃないよな」
この日を思い返して。神波大成の言葉。
「全然意識してなかったけどね。無意識だった。完全にあの人の中に引き込まれて、そん時自分がどんな状況だったか、周りがどうだったか覚えてない。(-- 皆さん泣いていらっしゃいました) そうなんだ? まあ、そらそうだろうねって感じかな」
この日を思い返して。池脇竜二の言葉。
「いやー、ジェラシーだわ。スゲーよ、やっぱあの人だけは。単純な声のデカさなら負けねえけど、やっぱ誰かに、心を届けたい気持ちのある人の歌ってスゲーわ!涙?そんなもんはなんつーか。…泣いてねーし!(笑)」
この日を思い返して。芥川繭子の言葉。
「私はいっつも一人で聴いて一人で泣いてるからね。それよりもあの人達ががん泣きした事で余計に止まらなくなって焦ったよ。普通醒めるじゃない、自分より泣いてる人見たら。いやいや普段絶対涙なんか見せないし、そういう彼らの強さを知ってるからさ、その事に泣けて困ったなぁ。URGAさんやっぱ凄いよね。人として初めて嫉妬するかも。私もいつか彼らを感動で泣かしたいなー、無理だけどーって。いまだにあの人達の背中を見てるだけで泣きそうになってる私にはまあ、まだあと10年早いねぇ」
永遠とも思える20分弱。
歌い終えたURGAは後ろを向いてハンカチで目元を抑える。
ミネラルウォーターを飲み、蓋を締め、床に置き、また涙を拭いて向き直った。
「えー…。3曲続けて、聞いていただきました」
目の前の男達はまだ完全に泣き止んだわけではない。
だがそれを待っていたのでは、URGA自身また涙が零れると判断したのだろう。
彼らの反応を待たずして、言葉を繋いでいく。
「もう、1年以上前になるのかぁというのが、正直な気持ちです。最初は軽い気持ちで、オリーからのお誘いを受けたわけですが、勉強不足の私がひょいっと足を踏み入れていい現場ではありませんでした。それは今でもほんのちょっと、後悔している部分でもあります。もし、もうちょっと深くあなた達について知っていたら、あの時の私は断っていたかもしれません。なぜなら、私は、今からちょうど2年前…」
そこまで話したURGAは急に、下を向いて言葉を詰まらせた。
泣いていた。
マイクを持った右手の甲で口元を押え、流れる涙はそのままに、ただ泣いて立ち尽くした。
様子がおかしいと気づいた彼らが顔を上げ、繭子が立ち上がった時、URGAは左手を上げてそれを遮った。
「もう2年になります」
顔を上げたURGAの表情は、強く美しかった。
「今から2年前。私はこの先の未来を約束した人と、辛いお別れをしなければなりませんでした。当時の私は極限状態にあって、彼の闘病生活のサポートや、アルバム制作、日程の決まっていたステージの準備に追われ、記憶すら無くす程の目まぐるしい日々を送りながら、私は一体何と戦っているのだろう、なんで、こんな風になってしまったんだろうと、神様に問いかける毎日でした。失ったものはあまりにも大きく、これまで築きあげて来たURGAというアーティストは、半分以上、彼が側にいて初めて機能するものだったんだなーと、改めて実感し、もう、これ以上は、歩けないなー、と、思いました」
俯き声を失う。
彼女の足元に落ちては沁み込む涙の音まで聞こえるような沈黙だった。
「ただ、私は約束をしていました。歌う事だけは、絶対にやめないと。作品を創り続けるかどうか。コンサートを行うかどうか。それは分かりませんでした。ただ歌うことだけはやめないと、約束しました。だけど実際は、生きて、ただ毎日を生きることだけで、本当は精一杯でした。そんな時、ようやく1年が過ぎようとしていた頃、オリーから電話を貰いました。実は、彼女とはそれまでプライベートな話をしたことがありませんでした。どこかで私の事を聞きつけた、そんな彼女が掛けてきた電話も、やっぱりお仕事の話でした。うちのアルバム制作にお力を貸していただけませんか?もちろん、ドーンハンマーがどういうバンドで、どういう音楽をやっているか。それぐらいは知っていたし、私が知っていると分かった上でのお誘いのはず。なんだかヘンテコな話だけど、乗っかってみると面白い事があるかなー。その時の私は明るい話題に飛びつく習性があったので、本当にその一本の電話だけで、お話を受けました。よくよく聞いて見ると、歌ではなく、ピアノかキーボードでの参加希望だそうで。んー?ますます変だぞー?私、歌う人なんだけどなー。私は思った事をすぐ声に出してしまうので、オリーにも笑われてしまいました。URGAさんがその気になったら、いつでも歌ってください、そう、彼女は言いました。嬉しくて涙が込み上げて来ました。そうか、それでいいのか。そうかもしれないな。しかし、歓び勇んで出かけたあなた達の制作現場は、もう本当に、鬼畜でした」
ようやく彼らに静かな笑い声が戻る。
「私が辛いわけではなく、見ている事が辛くなるほどに、自分を追い込んでいる。肉体的に、精神的に、どこまでも追い詰める、そんな姿が、私の目を釘付けにして離しませんでした。そうやって紡ぎ出される爆音の連鎖。その中に、一人一人の結晶化された才能が埋め込まれていく様子を目の当たりにして、これはなんだ、これが彼らの音楽か、とにかく音がデカくてなんだか分からないけど、とにかく、凄いぞ。あー…。そうか。彼らは生きているなー。戦っているなあ。私と同じなんだ。もうそれだけで、あなた達の事が大好きになりました。ただそれと同時に、打ちのめされる感覚も味わいました。だって、ドーンハンマーというバンドには、言葉というメッセージがないんだもの。ただ演る、ただ歌う、ただ弾く。純粋に音楽を打ち鳴らし、格好良いとはこういう事だと全身で体現してみせる。それが、ドーンハンマー唯一のメッセージ。私の知らない音楽、私には出来ない音楽。あれ、じゃあ、私が今までやって来た音楽って、なんなんだろう。誰かに言葉を届けるって、一体どういう事だったろう。私は思わず、問いかける事の出来た人の存在を、探していました。急に寂しくなって、分からなくなりました。このスタジオを去った後も、その思いは消えず、また、自分に問い続ける日々が始まりました。ただそれまでと大きく違ったのは、もっと、もっと歌いたいという強い気持ちが、再び私を突き動かしたという事です。話が長くなりすぎました。漫談家と笑われないうちに、次の曲をお送りします。『あの虹の向こう側へ』」
強烈なメッセージを訴える力強いバラード。「あなたがいるから頑張れる」。この日の為に、彼らと思いを同じくする為に書かれたような歌詞を、URGAは何年も前から歌っている。彼女の底知れぬ「歌う力」には心から敬服するほかなかった。
拍手。
「メルシーボークー!」
URGAは笑顔で挨拶した後、頭を後ろへ倒して、天井を見つめた。
「あー。…こんなはずじゃなかったよー」
そう言った可愛らしい声と言葉に、ドーンハンマーは思わず笑い声をあげた。
「それはこっちのセリフだー」
そう池脇が答え、伊澄と神波が大きく頷いた。繭子は、両手で顔を覆ったままだ。
「私ねー、さっきあんな事言うつもりなかったんだよー。けど皆の顔見てたらさー。あー、ちゃんと向き合わなきゃいけない人達だなあって。うん、思ったんだよ。ちゃんと分かり合えたら、もっと楽しい事一杯できるんじゃないかって。ま、泣いても笑っても、次で最後の曲になります!日本で歌うのは、ツアー終えて帰って来てからなので、しばらくはこれで最後です。次こそは、私のステージに遊びに来てください。今日は本当に、ありがとうございました」
右手を胸に当てて深々とお辞儀するURGA。
4人は満面の笑みと盛大な拍手を送る。
「ありがとう。あなた達に合えた歓びを、この歌にこめます。本当に心から感謝しています。それでは、この曲を最後に、行ってきます。聞いて下さい。『地平線にて』」
『どんなに高い壁だとしても どんなに遠い場所だとしても
私の夢は決して醒めることはない 心折られるわけはいかない
孤独を味わう事が嫌なんじゃない 私はいつだってそこへ向かって走る
その一瞬が 私の輝ける場所 そう信じて 歩みを もっと前へ』
歌う彼女の両目から涙が流れた。しかしその顔から笑みが消える事はなく、ドーンハンマー全員が最後まで歯を食いしばり、涙を流しなら、決して目を背けることなくURGAを見つめ続けた。
この日一番URGAが歌いたかった歌。それは奇しくも伊澄翔太郎がリクエストした曲でもあった。
「孤独を味わう事が嫌なんじゃない」。そう歌う彼女の声が震え、笑顔が震える。しかし4人が立ち上がったのを見て、パっと、彼女に明るさが戻る。彼女の側へ歩み寄る為に立ち上がったわけではない事は、映像を通して見ても伝わってくる。それはURGAへの敬意と感謝の表れだろう。彼女の歌声が高らかに力強く響き渡る。
「そう信じて 歩みを もっと前へ」。
きっと、思いは届く。伝えるとはこういう事なのだ。人の心が伝い合う瞬間を一人でも多くの人達に見て欲しい。そんな思いを込めて、収録させていただきました。
ドーンハンマーとURGAの絆はおそらくこの先もずっと続いて行く。
そんな幸せな未来を予感させる、素晴らしい一夜のコンサートでありました。
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