風の街エレジー

新開 水留

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34 「混響」

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 急き立てるような、駆り立てるような不安と使命感のような思い付きが、銀一らの道を別けた。響子、円加、千代乃の三人を東京に残し、他の者は全員赤江へ戻る事となったが、その道中はそれぞれが別の帰路を辿っている。
 銀一、友穂、和明の三人は直接翔吉と話すべく真っすぐに伊澄家を目指し、春雄は藤堂義右が服役している拘置所へと向かい、竜雄は赤江に戻る前に成瀬秀人の元を訪れた。
 秀人本人から名刺を預かり、何かあれば直接連絡してほしいと聞いていた。実際は話をするというより彼の持つ情報が知りたいだけであったが、赤江に戻る前にどうしても確認しておきたい事があった。それに今ならば、東京に志摩が現れたという情報を引き換えとして秀人に提供出来る。今しかなかった。しかし訪れた警察署の受付男性に「池脇竜雄」と名前を告げ、「成瀬刑事、お願いしますと」伝えると、「おりません」と返された。
「外出されてる、いう意味ですか?」
「まあ、そんな感じですかね。詳細はお答えできませんが、伝言でしたら預かります」
 警察に恨みを持つ者がこうして直接訪ねて来る事もあるのだろう。頭ではそう理解出来ても、わざわざ訪ねて来た人間にこんな突き放すような態度とるかね、と竜雄は内心腹を立てた。
 だがそこへタイミング良く階上のオフィスから秀人本人が降りて来た。ボサボサの髪に無精ひげ、しかしそれでも相変わらずの男前である。秀人は竜雄の顔を見るなり「あら」と拍子抜けするような声を出した。
 おるやんけ。竜雄は言葉に出さず受付を睨みつけた。受付の男は一瞬顔を曇らせたが、相手にしたくないのか、頭を振って側を離れた。
「今来ちゃったかー」
 と秀人が言った。
「あかんかった?」
 不機嫌そうな表情を残したままそう言った竜雄の足元に、秀人がボストンバッグを投げた。
「今から和歌山なんだよねえ」
「和歌山。出張か?」
「そ。もう一度、静子に話を聞きに行くんだよ」
「ああ、そうか」
「あ、そうだ。竜雄も来るかい?」
「ええよ。そのまま赤江にもご同行願えるとありがたいんやけどな」
「…いいともさ」
 和歌山へ向かう道中、秀人は今回の出張理由を竜雄に話して聞かせた。もう一度聞きたい話とは、静子の語った証言内容とその時系列の事だった。
 西荻平左が殺された後しばらくして、その息子・幸助の様子がおかしくなり始めた。事後処理の対応や周囲の口さがない噂話に疲弊しきったのだろうと思われたが、一向に回復の兆しがない。ようやく一年が過ぎた頃、幸助の精神的な不調は静子の弟である松田三郎の死によって、ピークを迎える。悪化の一途を辿っていた幸助の容態はそれを切っ掛けに『異常な恐怖心』へと変わり、危機感を抱いた静子は逃げるようにして和歌山へ戻った。 
 というのが、以前秀人が銀一達に話して聞かせた、静子の凡その証言である。
「タイミングが気になるんだよ。幸助はこういう事態になる以前から病んでいる節があった。その時点で彼は家を飛び出してはいないし、そしてこの時まだ、バリマツと今井は生きていたとする。やがて、バリマツが東京で殺された。身内である静子がそれを知る。この時点でもまだ、今井は生きている。幸助も家を飛び出してはいない。だけど、静子はその段階で和歌山へ逃げているんだ。表向きは弟の死を悼んでの帰省なのかもしれないが、蓋を開けてみればいち早く危険を察していたのは、静子なんだ」
 秀人の話に黙って耳を傾けていた竜雄が反応し、
「危険?」
 と聞き返した。
「静子はもちろん、自分の弟が黒の団であり、端団だと分かっているわけだから、三郎の死に関する理由を彼女なりに理解していたんだと思う。それが気になる」
「なるほど、殺された理由な」
「そう。そしてその後今井が殺され、それを知った幸助が出奔した。…静子はどこのタイミングで、あるいはどうして、身の危険を感じ取れたんだろうか。その危険とはつまり、端団である弟の死を、本団である今井の手による犯行と思ったか、あるいはその時点で今井も殺される事が、分かっていたか」
「仮にそうやとして、おばちゃんが自分も危険やと思った理由はなんや。一族もろとも殺される理由なんかあるか?」
「自分が証言をする代わりに、命を守ってくれと彼女は申し出たらしいからね。何か確実と言える危険を察知していたんだろうね。それは三郎が端団である事と関係があるのかもしれないし、静子自身に問題があるのかもしれない。黒の団の実態というセンセーショナルな証言に飛びつくあまり、まだそこにある本質を上手く引き出せていない気がするんだよね」
「…平助は、無事やと思うか?」
「僕の筋読みが間違っていなければ、平気だと思うね。平助くんは今回の一連の事件においては、おそらく一番蚊帳の外だろうと思うよ。一応まだ監視はつけてあるんだけどね」
「無関係なんか?」
「無関係、とは違うかな。今はね」
「はっきりせんのお」
「今から、はっきりさせに行くんだよ」
 そうかい、と答えて竜雄は二度三度、首を縦に振った。
「竜雄は?」
「え?」
「どうして一人で、わざわざ東京まで?」
「ああ、もちろん」
 竜雄は頷き、もちろん、志摩の事やけどな、と声を潜めた。



 拘置所と警察署の違いをよく理解しないまま、「成瀬刑事は、おいでですか?」と尋ねていた。服役中の藤堂義右に面会を申し出た、そのついでの思い付きである。
 時和会・若頭との接見を希望する二十代前半の男など、間違いなく誰もがその筋の人間だと警戒する。だがそんな若者の口から老刑事の名が出た事が、相当予想外だったのだろう。
「あんた、息子さんか?」
 受付にいた四十代後半と思しき男性職員にそう尋ねられ、春雄は思わず苦笑いで首を振った。しかしその息子には世話になっていると正直に話して聞かせてると、それはそれで却って怪しまれた。
「東京におるいう噂やぞ?」
「はあ。僕こう見えて、今は東京の造船所で働きよるんで」
「ほう。という事はあんた、酒和会の人間か?」
「なんでです?」
「藤堂に面会希望なんやろ? あ、この用紙記入して」
「はあ。え、いやそうですけど、酒和と違いますよ。というか、ヤクザ者と違いますて。造船所勤めですから」
「ほお…。え、お前、神波か!?」
 春雄の記入した用紙を見た途端職員が声を上げ、受付の向こう側が一斉にざわついた。振り返る視線はどれも痛く、そそくさと席を離れる若い女性職員の姿もあった。
 春雄は顔を伏せて、「はあ」と小さく答えた。
「帰って来たんか」
「いや、違います」
「藤堂になんの用や。なんぞ企みよるのと違うやろな」
「違います。何も企んでなんかいません」
 男性職員は態度を豹変させると、春雄の記入した用紙を引っ手繰って舌打ちし、「ついて来い」と声を荒げた。明らかに、周囲に聞かせているのが分かった。おそらくは、何かあった時はお前ら頼むぞ、という暗黙の意志表示である。その男性職員にしてみれば、どこぞの組の構成員であったほうが何倍もマシだ、という思いがそうさせたのだと推測される。
 生前、榮倉刑事が春雄に確認し、昨晩も四ツ谷組の沢北が問いただしたように、神波春雄はまだ子供の頃に時和会系列の組長を刃物で刺している。春雄の事を中途半端に聞きかじる人間が、皆口を揃えて「狂犬」と揶揄する理由はここにある。
 相手は時和会組長・時任十三の実弟であり、時和会系・須和組組長、時任須美生であった。春雄がまだ十二歳の頃、今から丁度十年前にその事件は起こった。まだ中学に上がるか上がらないかの子供だった春雄は、既に真っ当な道を歩む事を諦めていたような節がある。
 家が貧乏で、つまらない勉学に勤しむよりは、その時間と労力を働いて収入を得る事に使いたいと考えるような子供時代だった。しかしいくら赤江と言えど、親がと場で働く銀一の家とは違い、そもそも十二歳の子供にまともな仕事を与えるような雇い手などいなかった。義務教育を終えていないのだから当然学がない。学がない上に年端もいかぬとくれば、ヤクザの使いっ走りや雑用などで小遣いを稼ぐ他方法がなかった。もちろん春雄の両親とて快く思う筈はない。しかし貧乏は人の人生を容易く狂わせる。文句ひとつ言わず、嬉々として後ろ暗い勤労に励む我が子に対し、真正面から叱りつけるだけの甲斐性も説得力も、当時の両親にはなかったのだ。そしてそれは別段珍しい光景でもなかった。
 自然、地元のヤクザである時和会の若い衆と顔見知りになる。思春期であるその時期、ヤクザと親し気に話をする春雄を同級生たちは羨望の眼差しで見たし、春雄自身まんざらでもなかった。
 しかし、相手は極道である。そして荒くれ者の多い赤江において、伊澄翔吉や池脇竜仁ら突き抜けて名を馳せていた男達に同世代の息子がいる事は、極道の世界でも知られていた。偶然にも同じ年に生まれ共に育って来た彼らを、なんとか時和会へスカウト出来ないものかと考えるヤクザも多かった。
 そんな時、春雄に目を付けたのが須和組の時任須美生であった。
 赤江漁港から入って来る覚醒剤をヤクザ、市民問わず売りさばいていたのがこの須美生で、当時彼が画策していた運び屋のルート開拓に、春雄のような子供たちを取り入れる算段であった。
 タレコミや突発的なガサ入れで現物を抑えられる場面を極力減らす為、なるべく保管場所や運び屋、売人等の固定化、一本化を避けようと試行錯誤していた折、「金をくれるならなんでもやるらしい」と噂の立っていた春雄に白羽の矢が突き刺さった。
 ルート開拓にはそれ相応のリスクが付きまとう。選択肢を増やす事で取引場所や移動方法について警察の目を攪乱出来る反面、現物の持ち逃げや海外逃亡などの裏切り行為が増えるからだ。そこで、赤江という街に溢れる貧乏で学のない子供たちを利用する事を思いついた所までは、一旦善悪を脇へおいて、理に適っていた。
 しかし問題は、子供を利用する為に須美生の取った手段が、所謂「飴」ではなく「鞭」であったことが計画の瓦解を招いた。
 始めのうちは報酬の良い須美生の仕事を、春雄は喜んでこなした。それが犯罪行為である事は分かっていたが、金を払ってくれるなら何でもよかった。
 だが強欲で知られた須美生は、春雄を意のままに出来たと勘違いして報酬をケチり始める。成功報酬が歩合ではなくなり、「難易度」という言葉を使い始めた。以前やったことのある仕事内容に関してはタダ同然の支払いで、「高難易度」で危険の付きまとう仕事内容であれば通常の三倍払うと言い出したのだ。しかし高難易度ばかりを狙って通常の依頼を蹴るわけにもいかず、春雄は次第に苛立ちを募らせていった。そんな折、春雄に逃れられぬよう焦った須美生が、彼の母親をかどわかして薬漬けにした。
「お前の母親は貧乏から抜け出す為に死に物狂いで働きよる。これ使って少しくらい楽にしたろう思うてな。うちが扱ってる物は純度の高いええ品モノや、少量ならそうそう体壊すこともない。物は試しで使ってみい言うて渡したら、自分から注射針ぽーんと突きよったんよ」
 須美生は春雄に対してそう説明し、彼の父親に対しては、
「お前っとこの息子がどうやらうちの商品ガメた(盗んだ)ようやな。それをお前売っ払うならまだ可愛いもんの、自前で使うたあええ度胸しとるやんけ」
 と凄んで見せた。当の母親本人はその時既に、話せる状態でなかった。
 実際この手の話は昔からよくあったという。最初は「見本」と称して商品の味を堪能させ、効果の切れ始める頃合いを見計らって「今なら安くしておく」と現物をチラつかせて顧客にしてしまう。
 しかし須美生は、神波親子を誤解していたと言わざるを得ない。赤江にどこにでもいる貧乏で学のない家ではあったが、決して馬鹿ではなかった。
 それどころではない。伊澄、池脇、善明、三家の逆鱗に触れた事で、一夜にして須和組事務所は焼け落ちた。そして逃げ延びた須美生は路地裏で春雄の襲撃に会い、左腰を刃物で刺されて病院送りとなった。命に別状はなかったものの、退院した後須美生は誰にも悟られぬまま赤江から姿を消したという。
 腰高に構えたその刃物は、春雄が大人であれば確実に須美生の背中ないし胸を刺していただろうと噂され、真実を知らない人間にしてみれば金銭目当てに雇い主を噛んだ狂犬として、その後も後ろ指を差され続けた。須美生が姿を消した事で、入院中の彼を連れ去りどこかへ埋めたのではないかとまで言われた。
 しかし事情がどうであれ春雄が須美生の指示で犯罪行為を重ねたことは事実であり、噂話や偏見程度であれば良い薬になるだろうと、春雄の父親たちも目を瞑るしかなかった。
 その後春雄の母親は順調に回復し、今ではなんの後遺症もない。
 春雄の前を歩く男性職員は何度も後ろを振り返り、近付きすぎる彼に「もっと下がれ」と言った。春雄は黙って俯き、何度も溜息を付いた。
「まさか、お前が来るとはな」
 春雄の暗い表情を下から覗き上げるようにして、藤堂はそう言った。ほぼ一年ぶりの再会だったが、答えようとしない春雄に藤堂は首を横に振り、
「ま、ええわ。ご苦労さん」
 と労った。しかし、
「はよ帰りたい」
 来て早々呟いた春雄の言葉に藤堂は大声を上げて笑い、
「静かにせい!終わらせるぞ!」
 と同席する職員が立ち上がって叫んだ。
「聞きたい事がある」
 と、春雄は言った。
 藤堂は黙って頷き、俯いて気のない振りをしながら春雄を見つめた。
「イギリスで、もう少しでええ感じになる。あんたはそう言うてたな」
 言葉を選びながら言った春雄に対し、藤堂はしばらく考え、春雄の背後にいる職員をチラリと見やり、頷き返すにとどめた。
「ちょっと昔の話になるけど、俺らの幼馴染が国政に対して色々な知識をもってた、という話。あんたとしてはどの程度、あいつを評価してた?」
 春雄の言葉に、藤堂は苦々しい顔を浮かべて「ううん」と唸り、背筋を伸ばした。困惑しているようでも、感心しているようでもあった。
 この接見室へ向かう廊下を歩きながら、春雄は考えていた。自分が聞き出したい志摩についての情報をそのまま藤堂に問いただせば、おそらく面会はすぐに打ち切られる。未だに自分に対するマークが完全に外れていない事は驚きだったが、事前にそれを知れたのは不幸中の幸いと言えた。
 『俺らの幼馴染』は志摩を意味し、『国政』とは国誠会であり、黒の団を差していた。
 今春雄は、背後の職員の存在を考慮に入れながら、志摩太一郎と黒の団を結び付けて考えていた、藤堂の持つ情報を聞き出そうとしているのだ。
「評価という話で言えば、相当やろうな」
 と藤堂は言う。
「あそこまで色々な知識を自分の物にしていた男も、珍しいわな」
 春雄は息を呑み、
「ほぼ、満点に近いな」
 と聞いた。
「そうやなあ。それでもまだ俺は、お前もよう知ってる、年老いたあの紳士に助言を仰いで、最終的な判断を下すつもりでいたんやが、俺がこうなってしまっては、なかなか都合もつかん。それにどうも例の彼は、やっぱり手に負えん、国政に対するしっかりとした才能を隠し持ってると、言わざるをえんな」
「藤堂さん程の人がそこまで言うのは、やっぱり、彼の思想をささえる根本的な動機を理解した上での事、なんやろうなあ」
 藤堂がぐっと顎を引いた。
 何故だか、本人にも理由の分からない涙が、春雄の頬を伝っていたのだ。頭をフル回転させて、普段使った事もないような言葉を駆使して春雄は、志摩が黒であるとういう会話を藤堂とかわしているのだ。わけも分からず、涙が流れた。
「彼はどうも、自分のルーツが西にあると考えつつも、国を思うが故か、東にも目を向け始めた」
「東?」
「東には東に、彼と同じ思想をもつ派閥があってやな、志を同じに出来る同胞であるかどうかを探りつつ、目を配らせていたという噂や。ただどうやらあまり反りの合わない人間もいたようでな、お互い励まし合いながらも、各々で日本を良くして行こう、なんやそういう距離感やったらしいな」
「…大謁教」
 思わず春雄は呟いていた。
 藤堂の目が見開き、
「なんて言うた!」
 と職員が立ち上がった。
「え?」
 春雄は振り返り、「そうでっか…て」
「ウソ言え!」
「え、なんですか?」
 春雄は冷静にしらを切り、背後にいたため確信の持てない職員は激しく舌打ちして春雄の肩を突き飛ばした。
「そろそろ時間やぞ」
「へえ」
 藤堂は大謁教の存在にまで辿り着いていた春雄に驚愕し、動揺が隠し切れない様子だった。春雄は春雄で、何故藤堂がそれを知っているのか理由を推測出来ずにいた。
「…問題は、あいつなんや」
 と藤堂は言った。しかし、その「あいつ」を差し示す上手い表現が出て来なかった。
「誰や」
 と春雄が急かすも、
「えーっとー」
 と藤堂は俯いてしまう。
「誰や!」
 春雄が立ち上がり、
「静かにせえ!終いにするぞ!」
 職員が怒鳴り声を上げた。
「それも、一人やないんじゃ。複雑なんじゃ」
「どういう…」
「眉毛、前歯、東京のジジイ」
「…ケン、ジ」
「それから四番目の…」
「おい!何をぼそぼそ言うとるんや!なんの相談か!」
「ちょっと待てやうっさいのお!」
 思わず藤堂が牙を剥き、職員が一瞬尻込みする。そして部屋の外に向かって、
「終わりや!終わり!」
 と叫んだ。
「藤堂さん!」
 春雄が縋り付くような声で叫んだ。室内に複数の職員が雪崩れ込み、春雄を羽交い絞めにして連れ出そうとする。
「誰に会えばええんじゃ!言うてくれ!」
「三郎や!三郎を追え!」
 職員たちが口々に叫ぶ。やめろ、終いじゃ、お前もしょっ引くぞ。
「…死んでるやんけ!」
 春雄は絶望に似た感情を抑えきれずに叫んだ。抵抗虚しく、春雄は部屋の外へと連れ出された。藤堂が最後に叫んだ言葉は、こうだ。
「三郎の最後の言葉を思い出せ!そこにあいつが絡んでるはずなんや!」



「眉毛、前歯、東京のジジイ」
 そして四番目、四ツ谷組・バリマツの最後の言葉は、
「船作ってるトコ見て来る」
 である。
「ケンジ、ユウジ、そして花原の親父。志摩とどう絡んでるんや、バリマツの死とどう関係してるんや」
 藤堂との接見を終えた春雄は知り得た情報に混乱し、ひとまず成瀬秀人の助言を仰ごうと考えた。財布に入れておいたメモを取り出し、拘置所の近くで見つけた煙草屋で、秀人の勤務する警察署へ電話を掛けた。
「あのー、すんません。そちらに、成瀬秀人という刑事さんいらっしゃいませんか。…神波と言います。…出張? え、今日ですか。どちらに? ああ、ああ、そうですよね。え、ですから僕はあの、神波春雄と言います。え、じゃあ、あの、今日そちらに、池脇竜雄という男が行ってるはずなんですけど、それは。…はい!そうです!なんか小汚い、ガサツな感じの!はい! …え、知り合いと言うか、秀人さんには個人的に色々とお世話になってて…」
 電話に出た受付らしき男の話では、成瀬秀人は午前中から出張に出ており、日程などの詳細は外部の人間に話す事はできないとの事だった。行き先も同様に教えてはもらえなかったが、どうやら竜雄が訪れた事だけは間違いないようだった。
 しかし次の瞬間、春雄の背中を言いようのない戦慄が駆け上がった。
「今、なんて言いました? え、そやから、その、今日そちらに行った池脇竜雄は、誰に会うたと、言わはりました?」
 電話の男はこう言ったのだ。
 確かに竜雄は成瀬秀人に会いに来た。こちらがいないと告げると、たまたまそこへ現れた別の刑事と連れ立って警察署を後にしたそうだ。その男は「テンケンさん」と呼ばれており、名前を天童権七といった。
 電話を切った後も春雄はその場から動けず、頭を抱えた。本来ならばこの後、銀一達の待つ伊澄家へ向かう予定だったのだ。しかし事態は思わぬ方向へ突き進み、自分がどこへ向かってよいか分からなくなってしまった。
「どうなっとんじゃあ」
 ガタガタと震えながら春雄は深い溜息付き、膨れ上がる嫌な予感と止めどない猜疑心にパンクしそうになりながら、たまらず叫び声を上げた。
 煙草屋のお婆が驚いて眼鏡をずり下げ、そっと販売所の窓口を閉じた。
「どうしたらええ、どうすりゃあええ」
 今の春雄には、再び東京へと舞い戻る電車賃がなかった。お婆は春雄の顔をじっと見て、
「男前は信用でけん」
 と小声で呟いた。
 へたり込みそうになる春雄の目に、小さく折りたたんで財布に入れておいた先程のメモが飛び込んで来た。
「あ!」
 春雄は無理やり窓ガラスをスライドさせ、怯えるお婆を無視して再び電話を手に取った。
「…響子か!春雄や!お前あれあるやろ、あれ、あの、あれや!ケンジが置いてった酒和会の電話番号!あれ読み上げてくれ!それから、千代ちゃんに代わってくれ!」









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