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一章 ワンナイト・メランコリー
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夜になると悪人になり、昼になると善人になる。
どうしたことかそんな非現実じみた現象が村だけに、それともこの世全てなのか、少なからず起きていた。
隣人のメイという少女だってそうだ。昼は動物にも優しく餌をやり、慈しみの心を持っている。にも拘わらず日が落ち、空から暗闇が降ってくるとあたかも違う人になったかのようであった。
「何見てるのよ。その失礼な目、取り出してあげようか?」
「いいよ」
ふだんは大人しくささいな配慮を施す少年マークですら、影が落ちれば挑発的で、村人たちへ対し静かな殺意を行動に移す。
「奪われる前にお前の首をへし折ってやるから」
服に隠し持っていた鋏を片手にメイが少年目掛けて襲い掛かり、彼は顔をそらして避ける。
一直線に走り込んだ彼女がよろける隙を逃さず、鋏を奪い取って投げた後に両手でメイの首を掴んでいく。掴んだ首へかかる力を迷うことなく強めていき、今にも折れてしまいそうなときだった。
こういったとき、お決まりというほど毎回「待った」がかかるのだ。
持ち上がった少女がこと切れるよりも早く、紫色の長髪を揺らしながらマークを制止する声がとどろいた。
「下ろしなさい」
命令するような口調で人差し指を作り、その手で地面を指す紫の少女。不思議なことに少年は彼女の言う通りにすべきだと感じていく。光の帯びた瞳が彼の目線と合う。するとたちまち、殺してしまうほど溜めていた腕の力は抜け落ちていった。
こんな不安定な村人たちが住まうここで、唯一時間が経っても変わらない者がいる。
それが「魔女」と呼ばれる彼女。十五の歳月を生きてきた、紫の髪が特徴の、魔女イリシェだ。
イリシェはマークの友人で、村一番の功労者であり、村一番の嫌われ者であった。彼女は魔女の特徴だとされる「赤い瞳」の持ち主であり、十三の頃に外から引っ越してきたよそ者だった。
彼女がこの村に来てからというもの、誰もが、夜の殺し合いで死ななくなったのである。
これはイリシェにとって一番いいことで、村人たちは知り得ないひそかな努力だ。
不思議だった。この子が村に来て以来人が死ななくなったことが。
奇妙だった。この子が村に来てから村人たちが全ての不幸をイリシェに押し付ける姿が。
日が昇り、夜に隣人を殺しかけたことなど知りもしないマークは持ち前の黒い髪をかき上げて水を飲む。
気だるい体を労わるため今日は畑仕事を休もうかと思った。それでも休めないのは、夜に村人たちが作物などの食料を駄目にしてしまうからに他ならない。
家畜も以前より数は減り、狩りを血気盛んにしていたのか、動物たちの姿も前ほど見かけなくなった。前は商人たちが様々な物を売りに来ていたが、それすらも奇妙な現象が起こってからはぱったりと途絶えた。
下手したら襲われるかもしれない村へ誰が手間暇かけて行きたがるだろうか。
被害の少ない野菜を掘り起こし、まだまいていない種を新たに植える。
駄目になったものはくわで根本が残ってないか確かめて、少しでも多くの食糧を確保しようとするマーク。夏が近い時期の日差しは強く、額が汗だくになっていた。くわを土に立て上部へ顎を乗せる。息を吐けば、隣の家からメイが布を持ってくる姿が見えた。
「マーク! 暑いでしょ、今日はもう休んだら?」
「母親がいるお前とは違って俺の両親はもういないんだから、休む暇なんてないよ」
受け取ろうとしない彼をあきれた様子で見ていたメイは布を使ってマークの汗を拭いていく。彼はそのお節介が鬱陶しく感じられて何度も「いいって」と避けようとした。
途中で止めたのは、友人であるイリシェの姿が見えたからである。
「イリシェ」
彼女の後を追おうとすればメイは不機嫌になったのか、腕を掴んでマークを止めた。
「畑仕事、休めないんじゃなかったの?」
「友達と話す間だけ休むんだよ」
「それって、私は友達じゃないってこと?」
「当然だろ」
「どうして? あの子より、私の方があなたと、長い歳月を共に過ごしてきたじゃない!」
マークは理由を口にしようとした。しかし、口には出てこなかった。なぜだか、メイを隣人としてしか受け入れられない理由が思い浮かんでこなかったのだ。嘘ではない。
ハッキリとしているのは「イリシェの方がよっぽど大事だ」ということだけである。だから、訳はともかく追いかけたのだ。悔しそうにイリシェをにらみつける三つ編みの少女を無視して。
「今日は何してるんだ」
馬小屋から出てきたばかりの彼女に声をかけ腕を組む。そんなマークの様子を見て少女は口角を上げ笑い、木でできたバケツをわざと見せびらかす。
「井戸へ水をくみに。一緒に行く?」
「ああ」
井戸にバケツを下ろし水をくんでいく。水の入ったバケツを上げるためロープを引っ張っている内、ふとそれとなくマークが問う。
「そうだ。イリシェ、食料はまだあるか? 少ないなら俺が収穫したの、少し分けてやるよ」
「ううん。足りてるから大丈夫。もう少し自分の心配をしたらどう? マーク」
「お前がそれを言える立場か……?」
「うら若き村長から嫌われていて、君の隣人にも毛嫌いされてるもんね。あたしは気にしてないけど」
「俺が気にする」
ロープを井戸から出して取り外したバケツを持とうとしたイリシェの手を止めて、マークが代わりに持つ。
「心優しい友を持てて幸せです」
ささいな配慮を堂々とやるマークをくすくす笑うイリシェ。
からかわれているのだろうか。
何となく居心地の悪い気分になって、目を逸らし歩き始める。
「ったく、調子に乗るな」
「はいはい」
小屋へ水を運び終わり、畑仕事を再開しようかと戻ろうとしたときだった。おびただしい村長の声が響いてきたのだ。
「何だって!? たったこれだけしかないのか!」
マークたちと同年代の現村長は、マークと同じく両親を亡くしている。若くして村長になった彼は責任を背負いきれず、プレッシャーに負けたせいか日々八つ当たりが絶えなかった。その中でも特に、魔女へ責任転嫁することが多い。
だからか、二人から見れば村長は短気で気難しい性格であった。
「あーあー。またやってるよ、イリシェはここで待ってろ」
「あたしも行く」
何人かの村人たちが集まっていた村長の家へ向かうと収穫報告をしていたらしい、テーブルの上に僅かばかりの食料が置かれていた。
聞けば人は死ななくなったものの、食糧難は免れない収穫量にまで落ち込んでいるのだという。
それを、多くの村人たちはイリシェのせいだと声を上げた。
「魔女のせいでしょ」
メイの発言を機に、一斉に魔女だと罵声が始まる。
「魔女のせいだ!」
「お前がいるからこうなったんだろ!」
相変わらずの責任転嫁に耐えかねた少年はうつむくイリシェを庇う。
「イリシェのせいじゃない」
「マーク」
まさかふだんよりも切羽詰まったときまで庇うとは思っていなかったのか、少女は自分を庇うマークを見て驚いた。
心配する彼女をよそに彼は一歩前へ出る。
「八つ当たりするな。イリシェのせいにしたって、何も解決しないだろ。魔女だって決めつけることもそうだ、誰かに八つ当たりする時間を無事な食料を探すなり、種をまくなり。現実的な行動に使った方がよっぽどいい」
痛いところを突かれた村人たちは少年に何か言おうとしたがうまく言葉にできなかった。
結局、少年の言う通り存在しない責任を誰かに押し付けて、楽になりたかっただけだからだ。
それから畑仕事を終え、家へと戻ったところだった。水を飲むためコップへ注いでいると、ノックの音が聞こえてくる。
文句を言いに来た村人だろうか。マークは恐る恐るドアを開け、扉から現れた紫の少女に首を傾げる。
「……イリシェ? どうしたんだ、わざわざ家まで来て」
「これ、置いていくから。消さないでね」
ベッド脇のサイドテーブルに火のついた燭台が置かれる。
「別に嫌がらせされたって気にしないさ、いつも庇ってるけど何もされてない」
「まだ、何もされてないだけかもしれない」
「分かったよ」
揺らめく滴が少年を心配する様を鮮明に照らし、こんな表情をされたら断れないなとマークはうなずいた。
「消さないでおく。だから、早く帰れ。もし嫌がらせされて、巻き込まれたら大変だ」
「いつもありがとう」
「ん」
心配性の友人から貰った蝋燭を傍らに、灯りを消さないまま時間が経っていく。
そして彼は小さく揺れる灯を見て落ち着かない様子でゆっくりと眠りについた。
秒針が動いている。
一度、
二度、
三度。
一定間隔で刻まれ、やがて日は落ち意識を失う時間帯、夜を迎えた。
夜の七時から朝の六時は村人たちが悪人になる時間帯。
しかしどういうことか、マークは意識を失わずに済んでいるではないか!
体の自由はあまり利かない。とはいえ意識がある。こんなことは初めてで、少年は驚きもあれば「夜の自分たちがどうなっているのか」確かめられるという期待もあった。
なぜなら自分たちがどうなっているのか誰も確かめられなかったから、彼らの間では夜に何かが起こっていることしか分からなかったからである。
家から出て、最初に目についたのは腹をすかせた野獣のような、目を大きく見開いた村人たちの姿だった。
両親を幼い頃亡くしたマークに世話を焼いていた老夫婦が、手で土をがむしゃらに掘り起こし、オオカミのように作物を歯でかみ千切る姿。
次に見えたのはひたすら虫を食べている子供を狙い、鎌を上から振り下ろそうと笑う男の姿。
まるで狂人のような変わりようを見てマークに衝撃が走った。殺そうとする村人を「止めなければ」と思って動こうとしても自由はないに等しく、彼は目を瞑ってしまいたくなる。
「鎌を捨てなさい」
あと一歩というところでぴたりと鎌の動きが止まった。いつの間にか二人の間にいた、しゃがんだまま両手で頬杖をついたイリシェが言葉で二人を制止したことだけは分かった。
妖しく光る深紅の瞳に魅入られた男は鎌を捨て立ち尽くす。
その様子を確認したイリシェはランタンを持って立ち上がり、背を向けて畑を後にする。
おもむろにマークは彼女を追い、森へ入り少女一人の姿だけが見えた瞬間、一気に距離を縮めた。気が付けば両手は友人の首へと添えられている。力が入っていく手をどうにか止めたくて、彼は無我夢中に何度も体を動かそうと試みた。
なぜすました顔で大人しく首を絞められているのか、
なぜイリシェだけは夜でも自由に動けるのか、
気付いていた癖に逃げようとしなかったのか、聞きたいことだらけだった。
こんな状況でも落ち着いた様子で彼女は瞳を光らせ口を開く。
「眠りなさい」と。
やはり言葉の通り、イリシェの命令と同時にマークは眠りについた。
どうしたことかそんな非現実じみた現象が村だけに、それともこの世全てなのか、少なからず起きていた。
隣人のメイという少女だってそうだ。昼は動物にも優しく餌をやり、慈しみの心を持っている。にも拘わらず日が落ち、空から暗闇が降ってくるとあたかも違う人になったかのようであった。
「何見てるのよ。その失礼な目、取り出してあげようか?」
「いいよ」
ふだんは大人しくささいな配慮を施す少年マークですら、影が落ちれば挑発的で、村人たちへ対し静かな殺意を行動に移す。
「奪われる前にお前の首をへし折ってやるから」
服に隠し持っていた鋏を片手にメイが少年目掛けて襲い掛かり、彼は顔をそらして避ける。
一直線に走り込んだ彼女がよろける隙を逃さず、鋏を奪い取って投げた後に両手でメイの首を掴んでいく。掴んだ首へかかる力を迷うことなく強めていき、今にも折れてしまいそうなときだった。
こういったとき、お決まりというほど毎回「待った」がかかるのだ。
持ち上がった少女がこと切れるよりも早く、紫色の長髪を揺らしながらマークを制止する声がとどろいた。
「下ろしなさい」
命令するような口調で人差し指を作り、その手で地面を指す紫の少女。不思議なことに少年は彼女の言う通りにすべきだと感じていく。光の帯びた瞳が彼の目線と合う。するとたちまち、殺してしまうほど溜めていた腕の力は抜け落ちていった。
こんな不安定な村人たちが住まうここで、唯一時間が経っても変わらない者がいる。
それが「魔女」と呼ばれる彼女。十五の歳月を生きてきた、紫の髪が特徴の、魔女イリシェだ。
イリシェはマークの友人で、村一番の功労者であり、村一番の嫌われ者であった。彼女は魔女の特徴だとされる「赤い瞳」の持ち主であり、十三の頃に外から引っ越してきたよそ者だった。
彼女がこの村に来てからというもの、誰もが、夜の殺し合いで死ななくなったのである。
これはイリシェにとって一番いいことで、村人たちは知り得ないひそかな努力だ。
不思議だった。この子が村に来て以来人が死ななくなったことが。
奇妙だった。この子が村に来てから村人たちが全ての不幸をイリシェに押し付ける姿が。
日が昇り、夜に隣人を殺しかけたことなど知りもしないマークは持ち前の黒い髪をかき上げて水を飲む。
気だるい体を労わるため今日は畑仕事を休もうかと思った。それでも休めないのは、夜に村人たちが作物などの食料を駄目にしてしまうからに他ならない。
家畜も以前より数は減り、狩りを血気盛んにしていたのか、動物たちの姿も前ほど見かけなくなった。前は商人たちが様々な物を売りに来ていたが、それすらも奇妙な現象が起こってからはぱったりと途絶えた。
下手したら襲われるかもしれない村へ誰が手間暇かけて行きたがるだろうか。
被害の少ない野菜を掘り起こし、まだまいていない種を新たに植える。
駄目になったものはくわで根本が残ってないか確かめて、少しでも多くの食糧を確保しようとするマーク。夏が近い時期の日差しは強く、額が汗だくになっていた。くわを土に立て上部へ顎を乗せる。息を吐けば、隣の家からメイが布を持ってくる姿が見えた。
「マーク! 暑いでしょ、今日はもう休んだら?」
「母親がいるお前とは違って俺の両親はもういないんだから、休む暇なんてないよ」
受け取ろうとしない彼をあきれた様子で見ていたメイは布を使ってマークの汗を拭いていく。彼はそのお節介が鬱陶しく感じられて何度も「いいって」と避けようとした。
途中で止めたのは、友人であるイリシェの姿が見えたからである。
「イリシェ」
彼女の後を追おうとすればメイは不機嫌になったのか、腕を掴んでマークを止めた。
「畑仕事、休めないんじゃなかったの?」
「友達と話す間だけ休むんだよ」
「それって、私は友達じゃないってこと?」
「当然だろ」
「どうして? あの子より、私の方があなたと、長い歳月を共に過ごしてきたじゃない!」
マークは理由を口にしようとした。しかし、口には出てこなかった。なぜだか、メイを隣人としてしか受け入れられない理由が思い浮かんでこなかったのだ。嘘ではない。
ハッキリとしているのは「イリシェの方がよっぽど大事だ」ということだけである。だから、訳はともかく追いかけたのだ。悔しそうにイリシェをにらみつける三つ編みの少女を無視して。
「今日は何してるんだ」
馬小屋から出てきたばかりの彼女に声をかけ腕を組む。そんなマークの様子を見て少女は口角を上げ笑い、木でできたバケツをわざと見せびらかす。
「井戸へ水をくみに。一緒に行く?」
「ああ」
井戸にバケツを下ろし水をくんでいく。水の入ったバケツを上げるためロープを引っ張っている内、ふとそれとなくマークが問う。
「そうだ。イリシェ、食料はまだあるか? 少ないなら俺が収穫したの、少し分けてやるよ」
「ううん。足りてるから大丈夫。もう少し自分の心配をしたらどう? マーク」
「お前がそれを言える立場か……?」
「うら若き村長から嫌われていて、君の隣人にも毛嫌いされてるもんね。あたしは気にしてないけど」
「俺が気にする」
ロープを井戸から出して取り外したバケツを持とうとしたイリシェの手を止めて、マークが代わりに持つ。
「心優しい友を持てて幸せです」
ささいな配慮を堂々とやるマークをくすくす笑うイリシェ。
からかわれているのだろうか。
何となく居心地の悪い気分になって、目を逸らし歩き始める。
「ったく、調子に乗るな」
「はいはい」
小屋へ水を運び終わり、畑仕事を再開しようかと戻ろうとしたときだった。おびただしい村長の声が響いてきたのだ。
「何だって!? たったこれだけしかないのか!」
マークたちと同年代の現村長は、マークと同じく両親を亡くしている。若くして村長になった彼は責任を背負いきれず、プレッシャーに負けたせいか日々八つ当たりが絶えなかった。その中でも特に、魔女へ責任転嫁することが多い。
だからか、二人から見れば村長は短気で気難しい性格であった。
「あーあー。またやってるよ、イリシェはここで待ってろ」
「あたしも行く」
何人かの村人たちが集まっていた村長の家へ向かうと収穫報告をしていたらしい、テーブルの上に僅かばかりの食料が置かれていた。
聞けば人は死ななくなったものの、食糧難は免れない収穫量にまで落ち込んでいるのだという。
それを、多くの村人たちはイリシェのせいだと声を上げた。
「魔女のせいでしょ」
メイの発言を機に、一斉に魔女だと罵声が始まる。
「魔女のせいだ!」
「お前がいるからこうなったんだろ!」
相変わらずの責任転嫁に耐えかねた少年はうつむくイリシェを庇う。
「イリシェのせいじゃない」
「マーク」
まさかふだんよりも切羽詰まったときまで庇うとは思っていなかったのか、少女は自分を庇うマークを見て驚いた。
心配する彼女をよそに彼は一歩前へ出る。
「八つ当たりするな。イリシェのせいにしたって、何も解決しないだろ。魔女だって決めつけることもそうだ、誰かに八つ当たりする時間を無事な食料を探すなり、種をまくなり。現実的な行動に使った方がよっぽどいい」
痛いところを突かれた村人たちは少年に何か言おうとしたがうまく言葉にできなかった。
結局、少年の言う通り存在しない責任を誰かに押し付けて、楽になりたかっただけだからだ。
それから畑仕事を終え、家へと戻ったところだった。水を飲むためコップへ注いでいると、ノックの音が聞こえてくる。
文句を言いに来た村人だろうか。マークは恐る恐るドアを開け、扉から現れた紫の少女に首を傾げる。
「……イリシェ? どうしたんだ、わざわざ家まで来て」
「これ、置いていくから。消さないでね」
ベッド脇のサイドテーブルに火のついた燭台が置かれる。
「別に嫌がらせされたって気にしないさ、いつも庇ってるけど何もされてない」
「まだ、何もされてないだけかもしれない」
「分かったよ」
揺らめく滴が少年を心配する様を鮮明に照らし、こんな表情をされたら断れないなとマークはうなずいた。
「消さないでおく。だから、早く帰れ。もし嫌がらせされて、巻き込まれたら大変だ」
「いつもありがとう」
「ん」
心配性の友人から貰った蝋燭を傍らに、灯りを消さないまま時間が経っていく。
そして彼は小さく揺れる灯を見て落ち着かない様子でゆっくりと眠りについた。
秒針が動いている。
一度、
二度、
三度。
一定間隔で刻まれ、やがて日は落ち意識を失う時間帯、夜を迎えた。
夜の七時から朝の六時は村人たちが悪人になる時間帯。
しかしどういうことか、マークは意識を失わずに済んでいるではないか!
体の自由はあまり利かない。とはいえ意識がある。こんなことは初めてで、少年は驚きもあれば「夜の自分たちがどうなっているのか」確かめられるという期待もあった。
なぜなら自分たちがどうなっているのか誰も確かめられなかったから、彼らの間では夜に何かが起こっていることしか分からなかったからである。
家から出て、最初に目についたのは腹をすかせた野獣のような、目を大きく見開いた村人たちの姿だった。
両親を幼い頃亡くしたマークに世話を焼いていた老夫婦が、手で土をがむしゃらに掘り起こし、オオカミのように作物を歯でかみ千切る姿。
次に見えたのはひたすら虫を食べている子供を狙い、鎌を上から振り下ろそうと笑う男の姿。
まるで狂人のような変わりようを見てマークに衝撃が走った。殺そうとする村人を「止めなければ」と思って動こうとしても自由はないに等しく、彼は目を瞑ってしまいたくなる。
「鎌を捨てなさい」
あと一歩というところでぴたりと鎌の動きが止まった。いつの間にか二人の間にいた、しゃがんだまま両手で頬杖をついたイリシェが言葉で二人を制止したことだけは分かった。
妖しく光る深紅の瞳に魅入られた男は鎌を捨て立ち尽くす。
その様子を確認したイリシェはランタンを持って立ち上がり、背を向けて畑を後にする。
おもむろにマークは彼女を追い、森へ入り少女一人の姿だけが見えた瞬間、一気に距離を縮めた。気が付けば両手は友人の首へと添えられている。力が入っていく手をどうにか止めたくて、彼は無我夢中に何度も体を動かそうと試みた。
なぜすました顔で大人しく首を絞められているのか、
なぜイリシェだけは夜でも自由に動けるのか、
気付いていた癖に逃げようとしなかったのか、聞きたいことだらけだった。
こんな状況でも落ち着いた様子で彼女は瞳を光らせ口を開く。
「眠りなさい」と。
やはり言葉の通り、イリシェの命令と同時にマークは眠りについた。
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