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chapter 1 「もしもワタシが冴えない男子の姿で目が覚めたら...」 part 1

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 最初は違和感だった。
 夕璃は霧がかかったような頭で目が覚めるとベッドから降りた。
 途端、足元がふらつく。
 うまく歩けない。奇妙な感覚だった。身体に熱はないのにふらふらする。まるで身体の重心がズレたかのよう。
 違和感の中心はデリケートエリアだ。膨張するかのようにパンパンに腫れているのが布地越しでもわかる。間違いなく月の物に関係するだろうが、まるで心当たりがなかった。
 面倒なことにならないといいんですが―――そんなことを思いつつ、夕璃は短くはない廊下を足を引き摺るように歩いた。ただでさえ、今は厄介事が生徒会室に山積みなのだ。
 高級ホテルのスウィートルームにあるような広い個室。母が飾り立てたドライフラワーのアレンジメントがそこら中に飾り立てられたそこは普段なら夕璃のお気に入りの場所だ。最新式のTOTOに腰を下ろすとおもむろに下着ごとロングパンツを下ろす。

 ―――あれ、パジャマなんて着ていたでしょうか?

 夕璃はいつもネグリジェで眠る。パジャマを着るのは体調が悪いときぐらいだ。
 しかし、そんな疑問も下着の中から現れたものを見た瞬間、超新星爆発に巻き込まれる半径一光年内の惑星のように吹き飛んだ。

「…………えっ?」

 これは悪い冗談だ。それも恐ろしく底意地の悪い。夕璃は最初にそんなことを思った。自分でも意外だったが、冷静だった。絶叫してもおかしくないという状況だというのに。冷静なのは如何にグロテスクでも病気の症状に違いないからだろうか。
 思いきって抜いてみた。
 しかし、岩に刺さった聖剣のようにビクともしない。経験したことのない痛みを覚えつつ、皮膚の境目を見ると繋がっていた。その証拠に動きに合わせて内鼠径部も上下している。

「えっ…………これはまさか…………」

 夕璃は急に恐ろしくなると今度は慎重にちょんちょんと指で突っついてみる。
 …………指のものではない…………触覚が…………あった。

「ぎぎやややややゃゃゃゃゃゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 今度こそ絶叫した。
 自分にあるはずのない、決してあるはずのない“モノ”が生えている‼

「一体どうしたんだ!」
「ぎゃゃゃゃゃゃゃやややぁぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 父親がドアを開けてこちらを覗き込んだので夕璃は再び絶叫した。
 声量は更に大きく。たとえ血は繋がっているとはいえ花も恥じらう乙女の『個室』にファストパスで入り込むなど万死に値する行為である。
 しかし、夕璃の父こと六条春彦は夕璃の姿を見るなり顔を大きく歪めた。

「まったく…………朝から汚いものを見せやがって…………」

 そして、あろうことかドアをたたき壊すような勢いで閉めたのである。

「だから、男はダメなんだ! ああ、やはり人の道に反してでも女の子を生むべきだった!」

 えっ? それはないでしょう?
 あなたの大事な娘がとんでもない“海鼠なまこ”になっているんですよ…………?
 立ち去る父を追いかけるように夕璃はよろよろと立ち上がる。そのとき、壁の隅にかかっていた小さな鏡がちらりと視界に入った。

 ―――自分とよく似ているが、けれど確実に知らない“誰か”が鏡の世界にいた。

 
 『   六条       夕里  』
 『 ROKUJYOU  YUURI 』
 
 ブレザーの胸ポケットの中に入っていた生徒手帳には今の自分の顔とともにその名前が書かれていた。どうやらそれが現在の夕璃の名前のようだった。
 どこか投げやり気味を感じさせる名前であり、父が喜々として語っていた自分の名にまつわるエピソードが娘馬鹿の捏造だったことを夕璃は知った。

「でも、そんなことはどうでもいいんです!」

 そう言って自分の声ではない声にギョッとする。

「も、問題は自分が“男の子”になっているということなんです!」

 部屋の中を改めて見渡す。今思うと起きた瞬間になぜ気がつけなかったと思うぐらい、部屋の中身は様変わりしていた。お気に入りのシュタイフのテディベアも免税店でコツコツ集めたディオールやシャネルも、表参道ヒルズで数々の争奪戦の末に手に入れた服も、伊勢丹で買い揃えたオシャレでかわいい北欧メーカーの家具や雑貨もみんな跡形もなく消えていた。どれもこれも全て例外なくだ!
 代わりにあるのは冴えないファストファッションにマンガとTVゲームの背表紙が並ぶオタクくさい本棚、唯一価値がありそうなのは無駄に性能がよさそうな4Kの大型テレビとホームシアターセットだが、これはこれで無駄に変な拘りが滲み出ていてむしろ気持ちが悪い。

「はあ…………」

 クロゼットの扉の裏に申し訳程度に設置された鏡を改めて眺める。

「…………冴えない、ですねえ」

 夕璃は陰口や悪口を言う人間では決してないが、それにしたってコレはないだろう。
 自分がもし男の子に生まれていたら―――と想像したことは夕璃にもある。
 基礎は完璧なのだから、さぞや貴公子然とした美男子になると思っていた。
 しかし、現実はどうだ(この状況が現実とすればの話だが)。
 パーツそのものは夕璃だった頃とほとんど変わらない。小顔だし、目鼻立ちだって悪くない。瞳の色だって『夕璃色』のままだ。でも、違う。自分だからこそわかるのだ。男になったことで完璧なバランスが崩れ、その狂いが全体としての印象をひどく歪めてしまっている。
 しかし、夕璃が何よりも気に入らないのは男としてはあまりに弱々しい印象を与えることだった。身長は夕璃(百六十センチ)とほとんど変わらないし、全身の筋肉量も大して変わっていない。下手すれば男装した夕璃の方がよほど男らしいかもしれない。

「゛あ゛あ゛あーーっっ! 最悪ですっっっっっ!!」

 なぜ、こんなことになってしまったのか!?
 完璧美少女の六条夕璃の輝かしき日々は何処に?
 ライトブルーの夏用ベッドカバーに腰掛けると夕璃もとい夕璃だった夕里ゆうりは頭を抱えた。ちなみにベッドは夕璃が使っていたもの(天蓋付)よりも数段ランクが落ちている。

「…………そうです。こういうときほど冷静になるんです」 

 外見はもやし男でも中身は泣く子も黙る最強の美少女生徒会長なのだ。
 夕璃は一度目を閉じるとベッドの上に座禅を組んだ。それから雑念を消して鼻呼吸に集中する。生徒会長としての超多忙な日々を過ごすうちに自然に習得した瞑想法である。
 やがて、意識が自分の呼吸の音だけになると、夕璃は静かに自身に語りかけた。
 ―――昨夜、ベッドに入る直前私は何をしていましたか?
 その瞬間、ズキリと頭が割れるような痛みが夕璃を襲った。

「―――っ!」

 痛みとともに現れたのは霞がかった記憶だった。
 ぽっかりと開いた空白のようなそれは如何にも掴みどころがない。感情の残滓は微かに感じられるような気もするが、微睡みの中の夢のように現れては霧散していく。
 夕璃はそれでも瞼に力を入れると再び呼吸を整え始めた。
 負けるのは嫌だ。こんな不条理を自分は絶対に受け入れない。
 ―――思い出せないなら思い出せるところからです!
 六条夕璃の十六年が最初から巻き戻される。
 お姫様のように愛でられた幼少期。
 自分が他の子とは違うと認識した学童期。
 記憶のフィルムが通り過ぎかけたとき、一人の男児の姿が意識に浮上した。
 屈託のない幼い笑顔。その顔を見るとそれだけで幸せになれた顔。そして、もう決して自分には向けてはくれないその顔。

 ―――ホタル

 ふと思う。こういうケースは男女の心と身体がそれぞれ入れ替わるのが相場ではないだろうか? もしそうだとしたら葵井あおいけいと入れ替わっていたのだろうか…………。

 ―――っ! ち、違います! わ、私はそんなこと思いません!

 夕璃は慌てて記憶の映写機のハンドルを急回転させるとやがて走馬灯の光はたちまち白蘭学院の入学式を飛び越え、やがて、探し求めていた場所に辿り着いた―――。
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