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アイを唄う人魚と鏡の魔法 ⅩⅦ
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ボディに指が触れた途端、吸い付かれるような感覚を覚えます。比喩ではなく私の内側から魔力を引き出そうとしているのでしょう。魔動器を使うのは初めてですが、意外と不快ではありません。むしろ魔力の流れる感覚がとても懐かしい。すっかり枯れ果てたと思っていた魔力が自分の中にまだこんなにもあったとは。
「白亜!霊力の残量はっ!?」
「きっちり5分!」
周囲は魔力が濁流となって流れていますが、それらは透火さんが“向こう側”から持ち出しているもの。これが満月でもないのに彼女があれだけの魔法を行使できた理由です。まったく、無尽蔵の魔力なんてインチキにもほどがあります。
一方で私が使えるのは白猫座の残り滓のような霊力だけ。
時間にして5分。
それが急遽、舞台に飛び入り参加した私に与えられた時間。
一曲、それも少し端折らないと尺が足りません。たったそれだけで主演女優から真打ちを奪い、結末さえ変えないといけない。しかも、それをやるのは稽古もろくにやっていない係員なのです。
「あはー、無茶言うなあ」
機械仕掛けの神さまも呆れて天に帰ってしまいそうな無茶振り。
ああ、帰ってハーゲンダッツ食べたい。
パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ…………、
少しスローな拍手が響いたかと思うとスポットライトが舞台の中央に灯っていました。
「さんざん“客”を待たせたんだから、最後ぐらいバッチリ決めなさい!」
照明の陰にいる“誰か”がそう呟くとますます力を込めて手を鳴らします。普段は拍手などしないのか、リズムも力もバラバラ。そのくせ耳には残ります。
―――これはあなたの舞台よ!
気がつけば足を踏み出していました。
床を一歩踏む度に心臓は躍り上がり、体重は失われ雲の上を歩いているかのよう。
酩酊感で頭はくらくらし、瞳の焦点も合いません。
観客は誰一人としておらず、それどころと舞台と観客席の境はおろか幕も袖すらも区別もできません。広がっているのは―――“無”のみ。
しかし、その発狂しそうな、あまりにも絶対的な孤独が、
私には楽しくて仕方がない!
あまりにも楽しいから思わずニッコリ満面の笑みを浮かべてしまうのですよ!
だって、私は、魔女だから!
「さあ、楽しい魔法の時間の始まり、なのですよ」
意識は反転する。
顎あてを左肩甲骨に当てたとき、それとも弓が弦に触れたときか、その瞬間はわからないし、そんなことは些細なことだ。
確実なのは舞台が、それも“魔女の舞台”が始まったということ。
舞台に立った二人の魔女―――白埜彼方と本田透火―――の主観は溶けてなくなり、たった一人の観客の目もまた消え失せる。在るのは神の視点のみ。
舞台中央で白埜彼方の演奏が始めたことに「鏡」の魔女はすぐに気がついた。そして、それが自らの存在を致命的に脅かすことにも。
「鏡」のなかから無数の魔力の手が伸びる。それが魔法の消しゴム。触れればどんなものでも簡単にゴムの滓の中に写し取ってぐちゃぐちゃに纏めてしまうだろう。
しかし、白埜彼方はひょいと踊るような足取りでそれらをいとも簡単に躱してしまう。ステップは軽やかでまるで庭の上で子犬がじゃれているかのよう。
『どうして!?』
今まで世界と一体化していた魔女から驚愕の声が漏れる。そして、同時にその声によって舞台の上にもう一人の魔女を認識してしまったことを気がつく。
そして、自分の存在、すらも。
魔女になりたての彼女は知らない。
魔女の魔法は“世界”と“共鳴”することによって発生する“現象”である。他にも理屈の違う魔法があるかもしれないが、少なくとも彼方が知っているのは魔女の魔法だけだ。
原理としてはとても単純。
バタフライ効果という言葉がある。より専門的にいえばカオス理論といえばいいか。「ブラジルの1匹の羽ばたきがテキサスで竜巻を引き起こす」ように観測できないようなミクロの現象の積み重ねが時間経過とともに無視できない差異となる現象を指す言葉である。
そして、魔女の魔法はその“蝶の羽ばたき”を恣意的に引き起こすのである。
もちろん呪文の詠唱やら魔法陣が世界を変化させるようなカオス運動になるわけではない。彼女たちの羽ばたきが影響を与えるのはこの世界の向こう側の世界、あるいは更に奥にある無限の世界である。多次元、異次元、異世界、それらを指す言葉は多数あれど、人には観測できない領域であることは間違いない。
最初のきっかけは偶然だった。
ガリアの小さな農村に住んでいた10歳にも満たない少女が何気なくある言葉―――特に意味のある言葉ではなく、メロディに合わせて適当に即興で作った―――を呟いたとき、虹が逆向きに曲がると塔のようまっすぐ天に伸びた。そして、それから数十秒間にわたって虹を自由にコントールする少女の姿を周囲にいた多数の村人は目撃したという。
やがて、教会によって少女は異端認定されたが、少女がどれだけそのときの言葉を重ねても虹を操ることは二度とできなかった。こういった現象は人々に「魔法の呪文」などの一般的な魔法のイメージを植え付ける一方で、より切実に状況の再現を願うごく少数の人々たちはこれらの状況が世界と共鳴したことで発生したことを体感的に理解し始めた。
つまり、呪文は本物であったが、その瞬間限りのもので同じものを何度唱えても意味がないのである。
それから星の瞬きにも満たない僅かな間に、人々から魔女と呼ばれた女たちは魔法の再現に成功し、今では舞台の余興感覚で使っているのだから人間という種の業は深い。
ぶっちゃけこの世界が今も存在していることは奇跡以外の何物でもない。原理がさっぱりわかっていない宇宙規模の核融合炉を使って焚火のイモ焼きをしてるようなものだからである。しかし、魔女は魔法を使えるし、それも止める術は誰にもない。
『魔女、て馬鹿なの!?』
なったばかりの魔女が自分のことを棚に上げて思わず嘆息する。
『はい、どうしようもない阿呆ばかりなのです、ですよ♪』
嵐の言葉ですら生易しいような魔力の奔流に晒されながら、もう一人の魔女は“調律”を進める。弦が魔女の身体を通じて響く度に世界と繋がっていく。奇跡に繋がる扉が少しずつ開いていく。
『邪魔しないでください! もうすぐそこに“お姉ちゃん”はいるんです!』
決別代わりのナイフが宙に現れるとあらゆる方向から、無数に飛んでくる。
しかし、魔女はもう躱すこともおろか身じろぎさえもしなかった。目を閉じ、集中した魔女の額に一本のナイフが今まさに貫こうとするが、煙のように消えてしまう。まるで編集中の映像のなかから場違いなものを消してしまうかのように。
―――たった今、まさに舞台の支配者が入れ替わったのだ。
舞台は残酷だ。
舞台の上では主演俳優はたった一人しか存在しえない。スポットライトが当たるその瞬間はそれ以外のものは全て主演俳優を引き立てるための脇役でしかないのだから。
魔女の持つ弓がゆっくりと動くと弦に触れた。
その瞬間、宇宙が消し飛んだ。
それはとても美しい旋律でした。
切なく泣きたくなるような、空に舞い上がる音の粒たち。高音に響くそれらは透き通っていて、まるでどこまでも遠く広がる秋の空のよう。
セルゲイ・ラフマニノフ作曲、《Vocalise》―――音楽の授業ぐらいでしかクラッシックなんて聴かない私でも知っている超有名曲。本来はピアノ伴奏がある曲ですが、ヴァイオリンの独奏です。でも、今はそれがいい。
舞台に響く甘くて苦いチョコレートのような旋律。
目を閉じた彼方さんの横顔はとても穏やかなものでした。ほんの1分前まで私と命をやり取りをしていたとはとても思えません。音の一番近くにいる彼女は最前列の聴衆でもありました。
―――きっと、この人は本当に舞台が好きなんだろうな。
そう思ってしまう私は所詮、偽物の魔女。
魔女としての姿は既に無く、元の誰でもない、平凡な中学生として演奏をただ聴いてるだけ。
ああ、完敗だ。
彼方さんが演奏する直前、世界と同化した私と一瞬溶け合ったとき、彼女の意識が流れ込んできました。
それは―――魔女が別の魔女の魔法に対抗するための黄金の法則。
言葉を紡げ、
物語を語れ、
観客の心を動かせ、
世界を染めろ、
そして、舞台は私でなく彼女を選んだ。当たり前のように。
不思議と悔しさはない。むしろ一人の聴衆として彼女の演奏が素晴らしいと思う。そう思うのは私が人間として大事な“ ”を元々持ち合わせていないからだろうか…………。
しかし、そんなことはすぐに放り出してしまう。今はただ、音楽に心を委ねたい。
ああ、なんて美しい。
でも、これが即興なのだから、ただ、ただ驚くしかない。
魔女の魔法は世界と共鳴することで発生する現象だという。つまりはその瞬間にぴったりな音楽を演奏をしないといけないということ。
演奏する直前まで彼女の心の中には無数の選択肢があった。
ヴィヴァルディの《海の嵐》もいいな、クライスラーもいい。《愛の喜び》も《悲しみ》もきっと透火さんにぴったりに違いない。そうそう、ツェムリンスキーの交響詩《人魚姫》もある。どれもいい。ああ、みんな素晴らしい! 彼女はどの曲を好きになってくれるかな。
そして、奏でられる《Vocalise》。
まったく、まったく、本当にもう…………。
この人の本当の歌声はもっと素晴らしいのだろう。それは横で演奏に聴き入っている白亜さんの顔を見ればわかる。白亜さんの心にぽっかり空いた暗くて大きな穴。覗き込む勇気はさすがにないけれど。
「…………えっ?」
声が漏れて慌てて口を抑えると途端に全身の体温が羞恥心で上がっていく。でも、視線は逸らすことはできない…………今、何が、起こっているの……?
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