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アイを唄う人魚と鏡の魔法 ⅩⅢ
しおりを挟む事件の発端はあくまで偶然でした。
日付は二週間前の新月の夜に遡ります。
次の「魔女の劇場」―――本来は明晩行われるはずだった―――の観覧者をお呼びするために私と白亜は翡翠のチケットを一枚ずつ座席に置いていました。
公演名は"La Dame aux camélias(椿姫)"。
主演を務める魔女の才能(タレント)は―――「追憶」。
舞台演出によって魔法の効果は多少変わるのですが、本公演の場合は、何らかの原因で会うことが叶わなくなった大切な“誰か”に会うことができます。
シンプルでわかりやすい魔法の効果から「魔女の劇場」の定番となっている公演で、白猫座でも既に何度も公演を重ねています。
ちなみに個人的な余談ですが、主演を務める魔女は魔女見習い時代を一緒に過ごした親友です。自由奔放で感情剥き出しの彼女にとって「マルグリット」はハマり役中のハマり役で一年の半分はこの役を演じているぐらいなのです(もっとも本人はそれが大変不満なのですが)。
「"La Dame aux camélias(椿姫)"のチケットが『魔女の劇場』にお呼びするお客様の条件は、“会いたくても会うことが叶わなくなった人”がいること、なのです。そして、その条件を満たす片理さんと香凜さんは他の三百三十一名のお客様とともにご招待されました。透火さんもあなたもそうです。今まで忘れてしまっていましたが、あなたのことはよく覚えていますよ。白猫座とごくごく近い住所は印象に残りますからね。こういう内容の劇なのでまさか中学生だとは思いませんでしたが」
こうして名前が新たに記載された三百三十三通のチケットは新緑色の封筒に入れられてそれぞれの住所に送付されました。しかし、ここで思わぬことが起きたのです。
送付された三百三十三名の中に魔女因子を持つ少女が含まれていたのです。
「それが…………透火ちゃん、だというの…………?」
香凜さんはそう言うとチラリと横を覗いました。その視線は気味が悪いというよりもどこか気の毒そうに相手を慮ったものでした。
「はい、そうです。魔女の劇場のチケットが魔女因子を持つ子に届くことは全体の確率としては低いものですが、珍しいことではありません。チケットが届いたことがきっかけで魔女見習いになった話はいくらでもあります。でも、透火さんは特別に強い魔女因子をお持ちだったのでしょう」
「…………私が……魔女……?」
呆然と呟く透火さんの姿を物言わぬ鏡が映します。
「この事件から推測するに透火さんの魔女としての才能はおそらく心象を具現化する力なのでしょう。そして、『追憶』の魔法が裏打ちされたチケットを手にしたことでその能力が結びつき、あまつさえ開花してしまったのです」
…………これも推測ですが、急速な才能の開花の背景には強烈な精神的圧力があったのでしょう。浅い海では何も感じないようなものでも光の届かない深海では爆縮を起こすほどの凄まじい力になります。
「ちょ、ちょっと待って! 私には『魔女』や『魔法』のことはよくわかんない。でも、館長代理が言うことが本当だとするなら、この中学生の女の子は300名以上の人間を洗脳するような力を持っているということ!? そんな馬鹿なことあるわけ…………」
「洗脳というのはちょっと違います。魔法の指向性をずらしたというのが正しいでしょう。それに300名以上というのも違います。実際にはこの事件に巻き込まれたのはスタッフである私と白亜を除けば、香凜さんと片理さん、たった2人だけなのです」
「…………私が、どうして? ねえ、なんで、なの?」
「…………」
私は今にも掴みかからんとする香凜さんの腕を取るとかぶりを振りました。
「魔女は魔法を使いますが、魔法を必要とする人がどうして必要とするまでは魔女にもわかりません。その答えがあるとするなら、香凜さん、あなた自身の中にあるのです」
「私に…………?」
「そうです。事実、透火さんの魔力が白猫座を通して逆流したとき、透火さんの魔法にはほとんどの人が反応しませんでした。片理さんと香凜さんを除いて」
魔女の劇場とその魔法は観客がいなければ決して成立しません。逆に言えば、たった2名の観客が存在したことにより、透火さんの「魔女の劇場」は成立してしまったのです。
魔法に限らず、神秘的な力は条件が厳しくなればなるほど発動が難しくなり、一方でその力は反比例するように強くなります。魔法の言葉ではそれを《制約》と呼びます。
「ごく限られた特定の条件を満たすことで透火さんの魔法は飛躍的に力を増しました。そして、コンピューターウィルスが侵入するように魔女の魔力は白猫座を乗っ取り、ついには公演自体を書き換えてしまったのです」
問題はどうして2人が透火さんの魔法に呼応してしまったのか?
そこにこそ、今回の事件の鍵があります。
「シンガーソングライターの仙洞片理さん、コスプレイヤーの村上香凜さん、そして、何の変哲もない普通の中学生の本田透火さん。片理さんと香凜さんは芸能人という共通点がありますが、もちろん透火さんは芸能人ではありません。透火さん、そうですよね?」
透火さんを見ると彼女は僅かに頷きました。ここで、実は天才子役だった、と言われてしまうと話がちょっとややこしくなるので密かにホッとしたのはナイショです。
「一見すると共通点のないように思われる3人ですが、これまでのお話を聞く限り、たった一つだけ共通点があります。それは何かわかりますか? 透火さん」
「…………“お姉ちゃん”、『碧海しんじゅ』の友達であること、です」
「香凜さん、そうなのですか?」
香凜さんは困惑した顔で透火さんと私の顔を交互に見つめていましたが、ポツリとこう呟いたのです。
「…………『碧海しんじゅ』、て誰?」
「―――!?」
透火さんは目を大きく見開いて香凜さんをまじまじと見つめていましたが、やがてキッと睨みつけました。
「今更、とぼけないでください! あなたは私に“お姉ちゃん”の話をしたじゃないですか!?」
「いや、私は…………」
言い淀む香凜さんに透火さんは隠し切れない侮蔑の表情を浮かべると今度は私にも同様の視線を送りました。
「それとも彼方さん、それも“無かった”ことなんですか?」
「いいえ、香凜さんは誤魔化してもいないし、ましてや嘘なんてついてはいませんよ。透火さんは気付いていませんかもしれませんが、香凜さんは一度だって『碧海しんじゅ』という名前を口に出されたことはありません」
「えっ……嘘、だ。嘘に、決まっている。だって、この人もお姉ちゃんの…………」
「香凜さん、あなたが魔女だと思ったお友達の名前を教えてくれませんか?」
香凜さんは「何を馬鹿な」といった顔つきをしたまま、一人のお名前を口にされました。その名はもちろん私も透火さんも知る由もないものでした。
「…………どういうこと?」
追い打ちをかけるように、私が片理さんから伺った、とあるネット動画の投稿主の名前を挙げると彼女たちの困惑は更に深まっていきます。
「…………私たちの前にいたのは、いったい誰、なの……?」
その推測を口に出しかけたとき、私の心臓がチクリと痛みました。なぜならそれは決して誰にも否定できるものではない、彼女たち自身の“事実”なのですから。
「あえて一つの言葉で定義するなら、『イマジナリーフレンド』。それが『碧海しんじゅ』さんであり、香凜さんの親友であり、片理さんの創作のパートナーの方の正体です」
イマジナリーフレンド(IF)―――守護霊のように常に一緒にいて、ときに話したり、ときに遊んだり、ときに警告をする、自分以外の人には見えない“お友達”。
通常、児童期にみられる現象ですが、青年期になって以降も持ち続ける方も珍しくはありません。心理学や精神医学の世界ではぬいぐるみなどの魂のない器が魂をもつPersonified Object(PO)と並列的に語られることが多いです。
誤解のないように言っておきたいのですが、IFは解離性同一性障害のような精神疾患でもなければ、霊的なものや二重人格といったオカルト的な現象でもありません。人間の発達上誰にでも起こりうることです。
人が母胎から切り離されたとき、脳は最低限のことしかプログラムされていません。両親や環境との関わりのなかでで生きるために必要なもの―――自己同一性の確立や他者の認識、論理構造の理解などなど―――を獲得しなければなりません。そして、その関わりのなかには自分自身も含まれます。まるでAIが自動学習するように、もしかしたらあなたが覚えていないだけでその見えない“お友達”はあなたのなかにもいたのかもしれない。
そして、発達の過程を経た後も脳の中の対話が終わることはありません。
―――例えば、あなたがたった一人で登山をして頂上で美しい朝焼けを望んだとき、
―――例えば、どうしても歌うことができなかった旋律を何度も何度も反復練習を繰り返した末にようやくできるようになったとき、
―――例えば、暗闇のなかベッドで死にたくなるような辛い体験を思い出したとき、
あなたの心の叫びは本当にあなた一人にしか響いていないのでしょうか?
あなたの魂のすぐ隣でそれを聴いている“誰か”は本当にいないですか?
それが自分自身なのか、自分の別側面なのか、それとも空想上の存在なのかはそれほど重要なことなのでしょうか?
そんなことを想うのは私が魔女なのだからかもしれません。
魔女はかつて世界を放浪していました。人間の社会とは隔絶され、荒野をあてもなく彷徨っていたのです。人間たちは彼女たちのことをとても孤独だと思ったのでしょう。
でも、そうではないのです。
魔女たちは決して孤独ではなかった。
彼女たちは―――草の声を、森の声を、川の声を、山の声を、風の声を、空の声を、虫の声を、鼠の声を、鳥の声を、狐の声を、熊の声を、鉄の声を、金の声を、町の声を、城の声を、国の声を―――聴いた。
世界が音に溢れ、自分もまたその音の中の一つに過ぎない。
故に世界は全であり、無でもある。
だから、魔女は唄う。
自分の音が響くとき、世界もまた響くのだから。
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