魔女の劇場 ~魔法を信じられなくなったあなたへ~

希依

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アイを唄う人魚と鏡の魔法 Ⅸ

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「あら、館長代理さんと係員の女の子じゃない? そんなに必死な顔をして何か問題でも起きたのかしら?」

 床に倒れ込んだ私たちのうえに声が響きました。あまりにもこの場にそぐわないその声は逆にこちらが夢でも見ていたかのように思わせます。

「―――香凜さん。こちらにいらしたんですね」
「まあね。おかげであの妙な歌を聴かずに済んだし、泡になって消えることもなかったわ」

 私たちが飛び込んだ部屋は楽屋の一部屋でした。
 殺風景な白い内装と壁一面に貼られた鏡と化粧カウンター。その手前の丸椅子の一つにコスプレイヤーの村上香凜さんは踏ん反りかえっていたのですよ。

「お姿を見ないと思ったらこんなところにいらっしゃったんですか?」
「そうよ。どこぞの館長代理さんが話を通してくれないんだもん。だったら、自分でどうにかするしかないじゃない?」

 ニンマリと笑うその顔は憎たらしいほど可愛らしいものでした。
 まったくこの人は…………。

「はあ、よくうちの副館長に見つからずにすみましたね。あの堅物に見つかっていたら、おまわりさんに引き渡されても文句は言えないのですよ」
「副館長?」
「大正浪漫な着物とエプロンを着た銀髪美人」
「ああ、あの人。あの人なら見たわよ。なんだかすごく忙しそうにしていたわ。よっぽど余裕がないのか、私を楽屋で見かけてもこっちの話をロクに確認もせずにすぐにどっかに行っちゃった。ま、こっちは助かったけどね♪」

 あの副館長めー。私にはいつもはガミガミ言うくせにー。
 ちゃっかり背中の上にしがみつく銀色の毛玉を床に下ろすと睨みつけてやりました。もちろん八つ当たりですよ。言葉はおろか文字もろくに書けない猫に何を言っても仕方がありませんからね! でも、忙しそうにしていたというのは気になります。

「あ、そうだ。開演してすぐに、あれを開演を言えればだけど、副館長さんがこの部屋に駆け込んできて『トラブルが起きたから観客席には絶対に行くな』と言われたんだった。あと、館長代理兼支配人代理がきたらこのメモを渡してくれ、て」

 香凜さんはそう言うと化粧台の上に置いたメモを私に渡しました。保険会社の名前の入ったた白い紙に走り書きのようなもの、それも文字と呼べるか怪しくなるぐらい粗雑なものです。よほど急いでいたのでしょう、あの頭が直角定規でできているような人の文字とはとても思えません。

 WA intervene
 Fahrkarte aru
 
 WAというのはWitchAssociation(魔女協会)のことです。

「…………『魔女協会』が介入intervene、する?」
「彼方さん、魔女協会、とは何ですか?」
「イギリスのコーンウォールに本部を持つ魔女の協会なのです。魔女の舞台で行われる魔法や魔女、演目などは全て協会が管理していて、協会の許可がなければ上演はできないのですよ」

 とはいってもそれはあくまで名目上のこと。魔女というものはあくまでも自由な存在なのであり、他はどうあれ普段は割と緩い団体です。彼女たちの主目的は一年の一度のお祭りを成功させること。しかし、そんな協会が、腰痛ベルトをしてやっと動けるような腰をあげて介入するのだから事態はかなり深刻、いや相当にゲロマズいものなのかもしれません。

「それで…………魔女協会が介入するとどうなるのですか?」
「うーん、この劇場が地図から消えるかもしれませんね……いや、もしかしたら、いっそ実弾と大量の燃料を積んだ米軍の大型輸送機がここに落ちかねません…………」
「そんな!? テリブルどころじゃないじゃないですか!?」
「ええ……スーパーテリブルです、ですよ…………」

 言葉にした途端、直感めいた寒気が全身を襲います。あの妖怪ババアたちなら絶対にやりかねます。過去の経験から断言してもいいです。

「アッハハハ! アハハハハ! ヤバイヤバイ! 何それ、ちょうキマってんなー、魔女!」
「笑いごとじゃないですよ、香凜さん…………」
「メンゴメンゴ、話続けて続けて!」

 しかし、続けると言っても残りはさっぱりわかりません。Fahrkarteとはドイツ語でチケットのことです。チケット? どういうことでしょう? それになぜわざわざドイツ語なのでしょうか? 白亜はソールズベリー生まれなのでドイツとは直接縁がありません。そして、aruとは何かの略なのでしょうか? こっちもとんと覚えがないのですよ。
 その意図がわかりかねて悩んでいると柔らかい肉球が頬に触れました。「えっ?」と思って振り返ると猫の手は今度は唇を塞ぐように押し込んだのです。

「―――ん、んんっ!?」

 もう口にするな―――ということでしょうか?
  あ゛ー、もうワケがわからないのですよ!

「彼方さんもシロちゃんもストップです! もう! 遊んでる場合じゃないですよ!」
「んんんっ! んんーんっ!」

 猫はそれでも口を塞ぐのを止めません。それどころ今度は両手で塞いできます。というか、肉球から伸びている毛が鼻の穴に入ってきてくしゃみが死ぬほど出そうです。そんな私たちを透火さんは性犯罪者でも見るような目で一瞥した後、背中を向けてしまいました。

「―――ん? なあに?」 

 透火さんの視線の先にはアイロニカルに口元を歪ませる人形めいた顔。

「とてもマズいことになっています」
「そうみたいねー」
「このままだと私たちも香凜さんもすごく困ってしまいます」
「そうねー。困るわねー」
「だから」
「だから?」
「だから、教えてください。お姉ちゃん、いえ、碧海しんじゅのことを。私のお姉ちゃんの記憶は小さな頃のものしかありません。今の碧海しんじゅのことを知っているのは香凜さん、もうあなただけなんです。この通りです。どうか私たちと一緒に魔女の暴走を止めるのを手伝ってください!」

 香凜さんは無言のまま深々と下げられた頭をじっと見つめていました。瞳の奥に宿る光はヴェールに隠れてよく見えません。時間が凍りつき、永遠とも思える刹那が過ぎていきます。

「…………知らない」

 ヴェールの陰から漏れだした声はとても素っ気無いものでした。

「お願いします!」

 大きく舌打ちすると端正な顔がぐにゃりと歪みます。イライラの感情が毛穴という毛穴から立ち上っていくかのよう。なんとなくですが、私はこういう顔の香凜さんの方が個人的には好きなような気がします。

「だからー、そんな名前の女のことは知らねーし!」
「でも、関係者だって仰ったじゃないですか!?」
「それ私の勘違いだった。だから、魔女のことなんか知らない」
「でも!」

 私はそのときはっきりと目にしました。黒いコートドレスからさらに黒い陽炎が立ち上るのを。香凜さんの手がゆらりと伸びると透火さんの手首をギリギリと締めていきます。

「―――っ!」
「いいかげんにしろよ、このガキ。なにチョーシくれて私の過去を覗こうとしているんだ? マジでぶっ殺すぞ」
「うん、殺したいなら殺してください」
「ああん!?」

 しかし、透火さんも負けません。香凜さんの目から視線を離さないまま、掴まれていない方の手で全く同じことをやり返します。

「痛い!」

 手袋を掴まれた途端、電流が走ったようにガクンと震えました。香凜さんはひどく顔を顰めるとそのまましずしずと椅子の上に座り直しました。

「どうかお願いします」

 よほどの力だったのか、それとも打たれ弱いのか。香凜さんは掴まれたところを痛そうにさすりながら「客にマジありえないんだけど」「サイアク」とか何やらブツブツ呟いています。ちなみに白猫座は副館長を筆頭にお客様の迷惑行為には断固として対処する方針を示しているのです。つまりこういうことです。いいぞー、透火さんもっとやっちゃえー。

「…………ふん。知りたいなら教えてあげるわ。その代わりどうなっても知らないからね。あんたが先に言い出したことなんだから」

 そう言うと香凜さんはハンドバックに無造作に手を延ばすと中から何かを取り出し、私に放り投げてきました。自然に反応してキャッチしてしまいましたが、手の中に収まったものを見た途端に血の気が引いていきます。
 ―――それはナイフでした。
 日本では人を傷つけるためだけの刃物は法律で買うことはできません。ですのでアウトドアショップで普通に売っているようなものです。しかし、それだけならここまで衝撃を受けることはありません(ギョッとはしますが)。
 木製の柄もレザーケースも乾いて固まった血で汚れ、抜き身のままの刃こぼれした刃は血痕や脂がべっとりついたまま。そう、これはまるで―――。

「―――あんたが想像している通りのものよ」
「っ!」

 ゾッとして思わずナイフを取り落としそうになりました。でも、生理的不快感をどうにか我慢して震える手で掴み直します。こんなもので大好きな白猫座を汚したくありません。

「香凜さん、あなたは劇場になんてものを―――」

 もはや不快感を通り越して怒りを覚えてきます。危険物の持ち込みは劇場に限らずエンタメの現場における永遠の課題です。金属探知機などの技術がいくら進歩しようとも不幸な事件は無くなることはありません。手荷物やボディのチェックをいくらしようとも結局は興行側とお客様の信頼関係が全てなのです。

「ちなみにそれは私がやったわけじゃないからね」
「…………はい?」
「もしも私が知っている女とあんたたちの言う魔女が同一人物だとすれば、そのナイフは魔女のものよ」

 香凜さんから感情の灯が失われていきます。その冷たい顔は血染めのナイフよりもゾッとするものでした。
 
 かつて人魚だった少女魔女はね、“王子さま”を殺したのよ。

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