魔女の劇場 ~魔法を信じられなくなったあなたへ~

希依

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アイを唄う人魚と鏡の魔法 Ⅴ

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「透火さん、笑顔が引き攣っています! もっと肩の力を抜いて! 自然でやればいいのですよ!」
「ひゃ、ひゃい!」

 チケットボックスに立った透火さんはそれはもうひどい顔をしていました。ホラー映画で井戸から這い出てきた女幽霊が見せるような笑顔といえばいいでしょうか?

「か、彼方さん、人が、人がいっぱいいます!」
「そりゃ開場時間なんですからお客様はいるのですよー」

 透火さんが雨の中立ち尽くしていた正面ドアの向こうにはお客様たちの姿で一面傘の森となっていました。
 降りしきる雨と傘の隙間から漏れる人いきれ。目には見えませんが、きっと誰もが不安と期待に胸をいっぱいにしながらドアが開くのを心待ちにしているのでしょう。
 白猫座の敷地には自慢の庭園があるのですが、雨宿りできるような屋根はあまりなく、せいぜい正面玄関に小さな庇があるばかり。名前と同じ白い煉瓦の壁は今頃は雨に濡れそぼって灰色になっているはずです。
 懐中時計に一度目を落とすと測ったように壁の電話が鳴り響きました。

「はい」
『定刻ロビー開場でお願いします』
「はい、了解です。定刻目ロビー開場します」

 やはり碧海しんじゅさんはまだ到着していないようです。このように定刻通りの開演は難しいものの、ロビーだけでも開場することを「ロビー開場」と呼びます。この荒天ですからいつまでも外でお待ちいただくわけにいきません。
 白亜からの電話を置くと私はおもむろに周囲を見渡しました。
 エントランス、問題なし。ロビー、問題なし。ラウンジ、問題なし。

「定刻ロビー開場します。透火さん、繰り返して」
「はい! 定刻ロビー開場します!」

 私と透火さんは正面ドアの左右のノブをそれぞれ握りしめて待機します。
 時が濃縮されたかのような濃密な5分間。何回も何十回も経験しているのに心臓はバクバクして口から飛び出そう。きっとそれはこれからも変わらない。でも、日常が非日常に変わっていくこの瞬間が私はたまらなく好きなのです。

「透火さん、ゆっくり確実ですよ!」
「は、はい! ゆっくり確実にやります!」

 銀時計の最後の秒針が回り始めると同時にすうっと息を吸い込むと、世界中に響きわたれと言わんばかりに私は声を張り上げました。

「開場します!」

 ドアを開くとお客様の足という足が兵隊さんのように行進を始めます。数百名の人間が同時に動くことはとても大きなエネルギーを生み出しますので一つ間違えれば大事故に繋がりかねません。

「雨ですので足元にお気をつけてくださいね。ゆっくりゆっくりですよー。大丈夫、劇場は逃げませんから♪」

 後ろ向きで進みながらお客様の列を先導していきます。そして、仕切りと回収箱を兼ねた可動式ボックス(正式な名前は何というのでしょうね? 私たちは『箱』と呼んでます。まんまですね)の横に立ちました。

「お客様に申し上げます。本日は悪天候のため開演準備が遅れています。大変恐れ入りますが、ただいまはロビーのみの開場となります。誠に申し訳ございませんが、開演時刻が決定するまでロビー内でお待ちください」

 開場が始まりました。“普通”の公演であればチケットから半券をもぎって回収箱に入れるのですが、「魔女の劇場」の場合は翡翠のチケットをまるまる回収しないといけません。そのときに名簿をチェックして引換券を渡すのです。座席の場所もこのときに初めてわかります。
 チケットのお名前を名簿と照合し、同じく名前の記載された引換券を渡す。これらを限られた時間でやらないといけないうえ、お客様からは座席の入り口やトイレ、クローク、ラウンジの場所の質問がひっきりなしに来るのですのからまあ大変です。
 ちらりと横を向くと透火さんは信号のように顔を赤くしたり青くしたりしながらチケットを回収籠に入れていました。あわあわしていますが、自分に難しいことは必ず私を回し、ゆっくりですが、着実にこなせています。
 うん、これなら大丈夫! ちなみに私が初めてもぎりをしたときはそれはもう大変な大ポカをやらかしました。それに比べれはスーパームーンとすっぽんみたいなものです!
 ところが、普段ならいつ果てるともわからないように思えるお客様の流れも10分程度で途切れてしまいました。どうやらお客様もご来場が遅れている方が多いようです。
 エントランスは一旦透火さんに任せて私はラウンジに向かいます。でも、その前に、

「透火さん、“チケット”は見つかりましたか?」

 透火さんはこの玄関で初めて出会ったときのような感情のない顔で首を横に振りました。もちろん私の名簿に書いてある透火さんの名前も未チェックのままです。まったく、透火さんの魔法のチケットはこの大雨のなかどこの空を飛んでいるのでしょうか?

 
 その方が来場されたのは機械時計が19時の鐘を鳴らしたときでした。通常であればその鐘の音は開演のブザーと同時に鳴り響くものですが、単独で鳴るその様子は薄寂しいものでした。

「彼方さん」

 ラウンジで給仕をしていた私に透火さんが声をかけました。その表情は不安気で何かトラブルを予感させるものでした。

「どうされました?」
「あ、あの……こちらのお客様が関係者の方だと仰って…………」

 彼方さんが後ろを振り向くとエントランスからロビーに続く大階段からコツ、コツ、コツと硬い足音が響き、そして、お客様のお顔が見えたのです。
 失礼ながらとても奇妙なお客様でした。
 烏を思わせる黒い帽子とお客様の顔をすっぽり覆うヴェール。首から下はフリルが大量についたコートドレスに包まれ、手首から先も絹の長手袋で覆われています。ストッキングも革靴もハンドバッグも何もかもが黒一色。直接晒した肌はほとんどありません。
 私同様、透火さんも不吉な気配を感じ取ったのでしょう。憚るかのようにお客様から目を逸らします―――そう、そのお客様はまるでお葬式に来られたかのような装いでした。

「―――あなたが支配人さん?」
「はい、当館で支配人代理兼館長代理を務めさせていただいています。ただいまこちらの者よりお客様が関係者の方だと伺いましたが?」

 お客様は冷ややかに一瞥をくれると何も言わずに淡く輝く翡翠のチケットを優雅な手つきで私に渡しました。

「『村上香凜かりん』、さまですか」
「そうよ、私はこの舞台の主演女優の友人なの。ねえ、楽屋はどこ? 挨拶をしたいから案内してちょうだい」
「申し訳ございません。そのようなことは事前に伺っておりませんので対応しかねます」

 ヴェールの奥で完璧に整えられた眉がギリギリとつり上がりました。

「知らないなら本人に問い合わせてよ。そこに書いている名前が何よりの身分証明でしょ。チッ、使えないわね。これだから地方はイヤなのよ」
「しかし、お客様―――」
「彼方さん」

 透火さんは袖を引っ張ると私の耳にこっそり耳打ちをしました。

「『香凜』さんは芸能人ですよ。すごく有名なコスプレイヤーの方で動画でもテレビでも人気があって私の同級生はみんな彼女のことを知ってますよ」
「はあ……そうなんですか……」

 あどけなさの残る童顔に日本人離れしたスタイル。ヴェールの奥から窺える肌は白磁を思わせる白さ。どこまでも現実離れしたその容姿はどんな言葉よりも説得力がありました。そして、不吉極まりないその装いも完璧に似合っていられたのです。
 有名人、あるいは芸能人、ですか。
 袖を掴む透火さんの手が細かく震えていました。香凜さんは碧海しんじゅさんお姉ちやんの“今”のご友人なのです。思うところもたくさんあるでしょう。

「―――申し訳ございません、お客様。ただいま確認させていただいたのですが、確認が取れませんでした。お手数ですが、お客様のほうで今一度ご確認いただけませんか?」

 にっこり。我ながら最高の営業スマイルでそう言うと香凜さんは一瞬呆けたような表情になり、それから烈火のごとく怒りだしました。

「ウソ言ってじゃないわよ!? あんた、いつ連絡したのよ!?」
「今ですよ」
「香凜はあんたの目の前にいたのよ! インカムもつけていないし、どうやれば連絡できるのよ!?」
「当館では最新鋭のワイヤレス通話技術が導入されていますのでできるのですよ♪」

 まあ、最新鋭ではなく最古なんですか。本当にやってやれないこともないのですが、白亜に連絡でもしようなら返答は「くたばれ」か「死ね」のどちらかでしょう。

「ねえっ、あんた香凜を馬鹿にしているの!?」
「まさか! お客様、ただいま開演時間が遅れておりますのでこちらのラウンジでお待ちになってはいかがでしょうか? 当館のケーキは絶品ですよー」

 さりげなくチケットを回収して引換券を渡すと香凜さんは印字された席番号を親の仇でも見るように睨みつけていました。しかし、突然フッと笑ったのです。

「まあいいわ。今更私に会ったところで何がどうなるわけでもないしね。ふん、頭を牡蠣に挟まれたヒト■■シが」
「???」

 香凜さんは引換券をバッグの中にしまうと憑き物が取れたかのような表情でラウンジから離れていきました。

「あの、お客様どちらへ?」
「トイレよ、トイレ。あの案内板に従えばいいんでしょ?」
「はあ……そうです、けど」

 長いハイヒールの靴音が開場を待つお客様たちの輪の中に消えかけたそのとき、香凜さんはゆっくりと首を回して私たちのほうを見ました。

「そうだ。支配人さん。これ、“普通”の舞台じゃないよね?」
「はい、そうです。これは『魔女の舞台』です。本物の魔法を体験できる世界唯一の舞台でございます」

 香凜さんの大きな瞳が更に大きく見開かれました。

「マジで? あの女、“魔女”だったの?」

 小さな唇がぐりゃりと弧を描くとくつくつと笑い始めました。しかし、顔は引き攣ったままでひどく何かに怯えているよう。歪な笑い声だけがどんどん大きくなっていきます。

「そっか。そうなんだ。アイツ、“魔女”だったんだ。だからか。だから、あんなことができたのか。あー、マジで笑えるわ。ヤバイ。マジでヤバイんですけど」
「…………聞きたくない」

 えっ? 横を見ると透火さんが顔を背けるようにして階段に降りていくのが見えました。声をかけかけたそのとき、ゾッとするような冷たい声が耳朶を打ったのです。

「これからみんなアイツに殺される」
「―――えっ?」

 今までの不安定な情緒はすっかり鳴りを潜め、ヴェールに覆われた顔は仮面めいていました。

 ―――『大丈夫だよ■■。アナタは私の一番の友達だもの』
 ―――『うん。だから、私は“カレ”を殺すわ』

「ふふ、“人魚姫”なんて如何にもじゃない。さしずめ私は陸の世界をさんざん煽り立てたくせに最後はナイフを渡した“姉”といったところか」
 そして、何もかもが納得できたような、穏やかさすら感じさせたのです。

「これは“歌”を奪った私たちへの復讐なんだわ」


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