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11.永井かふかという毒 その三①
しおりを挟む11 永井かふかという毒 その三
突然、現れたご馳走に晦虫は明らかに戸惑っていた。名古屋コーチンがモナリザネギを背負ってきたようなものである。あんぐりと開いた口からストローが抜け落ちる。
女の子は眩しそうに目を細めると、本能的に眼前の光に手を伸ばした。
「たすけて…………」
「助けない。というか、黙れ。かふかは今、メロスと話をしているの」
永井はそれだけ言うと以後は一顧だにしなかった。その姿は自然法則のように至極当然。自然界で同類が捕食者に食べられる姿を見ても動物が眉一つ動かさないように。
「助けてほしい?」
ニヤニヤと笑いながら永井は僕を見下す。その手はまた何処かで盗んできたらしいジュースの紙コップが握られている。
「ねえ、かふかに助けてほしい?」
「…………」
「かふかはね、メロスみたいに薄情じゃないから、条件次第では助けてあげなくもないよ?」
「耳たぶで助けてくれるんじゃなかったのか?」
僕がそう言うと永井はジュースを吹き出し、腹を抱えて笑い出した。引き攣ったような笑い声が神経をこれ以上なく逆撫でする。
「…………ああ、苦しい。メロス、面白すぎ。この場面でそれ言う?」
永井はとことこと近づいてくると素足の足裏で僕の口の中に突っ込んできた。鼻がひん曲がるような酸っぱい悪臭が感覚器を埋め尽くす。
「相場はとっくの昔に変わっているんだよ、メロス。そんなんじゃ何も買えない。このジュース一滴にすらならないの。あとさ、メロス。そもそも耳が一つ欠けているじゃない?」
紙コップの炭酸飲料が耳にぽっかり開いた穴に流し込まれる。
「―――っ!」
生傷を嬲られ、意識が白化した。
「だめだめ、男が独りで先に逝くのはマナー違反、よ」
前髪を掴まれ、強制的に前を向かされる。
僕の世界にはもう永井かふか以外何も存在しない。
「助けてほしい、て言え」
「――――――」
「これからかふかもコイツに食べられてあげる。でも、かふかがメロスを助けなかったら生き返るのはかふかだけ。メロスは死ぬの。無惨に、無意味、何の価値もなく!」
「――――――」
「メロスをかふかの一部にしてあげる。そうしたらメロスも生き返ることができる。だから、言え。『ちっちゃい僕をかふかさまの中に入れてください』って。そう言って咽び泣きながらかふかの足を舐めろ」
ああ、
この女は―――、
なんて、なんて、なんて―――最悪な女なのだろう。
でも、僕は永井かふかに―――その常識外の存在に―――どうしても惹きつけられてしまう。
「…………永井」
「なになに?」
永井は僕の横に屈むと横髪をかきあげ、思いのほか形のいい耳を晒した。光がもう少しあれば、きっと溢れ出る嗜虐心で真っ赤に染まっているのが見えていたに違いない。
「息が臭いんだよ。近づいてくんな」
―――八つ裂きにして殺してやりたいぐらいに。
「な」
耳たぶが凍り付くとそれから二回、三回と蠕動するとやがてピクリとも動かなくなった。寿命を迎えたセミの死体をふと思い出す。
意識を身体に戻すと拘束が弱まっている。度重なる永井の挑発に晦虫の我慢が効かなくなっているのだろう。それにしても大好物が目と鼻の先にぶら下がっているのに飛びかからないのは、知性の高さ故に警戒しているのか、それとも手にした喰いかけの幼児に特別な思い入れがあるせいなのか。
「メロス」
離れていく永井の顔がくしゃりと歪む。
感情は決壊寸前なのに理性がそれが気がついていない。
そんな顔だった。
永井かふかがそんな顔をすることを僕は全然知らなかった。
永井の柔らかな腹を蹴り飛ばした足の裏が熱い。それが火で焼け焦げているせいのか、凍傷で足が腐りかけているからなのかはわからない。
ウエストポーチのチャックを開くと中にあるものを掴む。ポテトチップスの銀袋とジップロックとアルミホイルの三重の封印が施された中に納められていたのは浴室のゴミ受けだった。そして、ゴミ受けには永井かふかの毛髪や残留物がびっしりとこびりついている。
僕はそれをフリスビーのように横にスナップをかけて放り投げると、晦虫はつられるようにしてパクリと受け止めた。得も言われぬ極上の美味が口中に広がり、怪物の目は張り裂けんばかりに見開かれる。瞬く間に胃の中に納まってしまうとぎらついた視線がおかわりはないのかと闇の中をさまよう。そして、永井かふかはそこにいた。
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