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8.白い闇の向こう側④
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―――わからない?
妹はずっと幼いころから本能的に母さんと距離を取っていた。だから、妹が母さんのことを悪く言う言葉を聞いた記憶がない。”そういうもの”だと割り切っていたのだろう。
父さんは母さんのことをそれでもアイしていた。いつも母さんのことを想っていつも心配している。でも、それだけ。父さんを支配しているのは”正しさ”で母さんと一緒に地獄に落ちるつもりはない。だから、母さんはいつもそれに苛立っている。
僕は…………わからない。
―――お母さんのことはスキ?
わからない。
どうして僕は母さんのことを憎めないのだろう? 母さんにされたこと、身体の数えきれない傷痕。裏切られたこともたくさんある。
あれはどこかのやまのなか。
かあさんにもりにすてられたぼくはぼんやりそらをみあげている。
ゆうひをとぶからす。かげえみたいだなとおもった。
ほしがまたたき、なんてきれいなんだろうとおもった。
―――お母さんを大事に思っているんだね?
『メロスは母さんの味方になってくれ』
父さんが母さんを捨てることを決めた日、父さんをそう言って僕の肩を叩いた。硬い掌のじんわりとした熱が呪いのように僕の身体に刻まれていく。
あの日、僕は捨てられた。
父さんの正しさのために。
―――だから、あなたは正しくあろうとしたのね?
そうなのだろうか?
―――あなたは決して間違っていない。あなたのしたことのおかげで必ず救われた人がいるよ。前の学校であなたがいじめから助けた子もあなたに感謝しているわ。
そう、なのだろうか?
―――そうよ。お母さんだってあなたに感謝している。
1Pと描かれたカーソルの中でキャラクターが次々と高速で入れ替わっていく。
リザードン、サムス、マルス、ネス、リンク、ゼルダ、キャプテンファルコン、マリオ、ドンキーコング、ピーチ姫、デイジー姫、ゼルダ姫、サムス、ピーチ姫…………。
相談室の扉が少し開いていた。中を覗くと誰もいない。白瀬先生はどうやら職員室に呼ばれたらしく、机の上はそのまま。ノートPCも画面が映ったままだ。作りかけの面談記録を読んでいると自分が小説の登場人物のような気がしてくるから不思議だ。
ふと、視界の隅に開いたままの本が目に入った。カタカナやアルファベットの専門用語に混じって、一つの言葉が目に飛び込んでくる。
――――――『マインドコントロール』――――――
あの人はいつだって迂闊すぎる。
……。
ひかりが。うごいている。
「(メロス、カレー、メロス、カレー、メロス、カレー、メロス、カレー、メロス、カレー、メロス、カレー、メロス、カレー、メロス、カレー、)」
うたが、きこえた。
ただの言葉の羅列でラップですらないが、地上に生を受けた者なら誰もが口づさんだであろう最も原始的な音楽。散歩に飽き始めた永井かふかが歌っている。
この女にとっては暗闇など近所の児童公園みたいなものなのだろう。怖れも緊張感もなくいつもの不思議探しのノリで足取りは軽い。
「…………ふふふ」
「(なに?)」
「(へたくそなうた)」
永井はハッと息を呑むとたちまち脛に思いきり蹴ってきた。きっと無意識に口ずさんでいたのだろう。どんな顔をしてるのか見てやろうとしたら今度は頭突きが飛んできた。
1階を左回りに1周、
2階を左周りに1周してから右に1周、
熱い。とにかく熱い。
掌に感じる温かさだけが光だけの世界に存在している。
人肌の温もりのなかに血流が巡るリズムが流れ、その遠くで心臓と呼吸が奏でる音楽を感じる。何もかもが消失した世界のなかで僕と永井かふかだけが存在している。
一度3階の踊り場に行ってから1階まで降りて右周りに1周、
永井かふかは僕を憎んでいる。
永井かふかは僕を卑怯者と罵倒する。
永井かふかは僕の全てを否定する。
僕は永井かふかが大嫌いだ。
意地汚くて狡猾で人の善意を馬鹿にする。臭くて気持ち悪くて汚くて、一緒にいると肌が痒くなってくる。恩知らずでおおよそ人の感情らしいものを持っていない。
間違いなく、この世界で一番最悪の人間だ。
僕が生まれて初めて本気で嫌いになった女の子。
最後に2階を右に1周半。
妹はずっと幼いころから本能的に母さんと距離を取っていた。だから、妹が母さんのことを悪く言う言葉を聞いた記憶がない。”そういうもの”だと割り切っていたのだろう。
父さんは母さんのことをそれでもアイしていた。いつも母さんのことを想っていつも心配している。でも、それだけ。父さんを支配しているのは”正しさ”で母さんと一緒に地獄に落ちるつもりはない。だから、母さんはいつもそれに苛立っている。
僕は…………わからない。
―――お母さんのことはスキ?
わからない。
どうして僕は母さんのことを憎めないのだろう? 母さんにされたこと、身体の数えきれない傷痕。裏切られたこともたくさんある。
あれはどこかのやまのなか。
かあさんにもりにすてられたぼくはぼんやりそらをみあげている。
ゆうひをとぶからす。かげえみたいだなとおもった。
ほしがまたたき、なんてきれいなんだろうとおもった。
―――お母さんを大事に思っているんだね?
『メロスは母さんの味方になってくれ』
父さんが母さんを捨てることを決めた日、父さんをそう言って僕の肩を叩いた。硬い掌のじんわりとした熱が呪いのように僕の身体に刻まれていく。
あの日、僕は捨てられた。
父さんの正しさのために。
―――だから、あなたは正しくあろうとしたのね?
そうなのだろうか?
―――あなたは決して間違っていない。あなたのしたことのおかげで必ず救われた人がいるよ。前の学校であなたがいじめから助けた子もあなたに感謝しているわ。
そう、なのだろうか?
―――そうよ。お母さんだってあなたに感謝している。
1Pと描かれたカーソルの中でキャラクターが次々と高速で入れ替わっていく。
リザードン、サムス、マルス、ネス、リンク、ゼルダ、キャプテンファルコン、マリオ、ドンキーコング、ピーチ姫、デイジー姫、ゼルダ姫、サムス、ピーチ姫…………。
相談室の扉が少し開いていた。中を覗くと誰もいない。白瀬先生はどうやら職員室に呼ばれたらしく、机の上はそのまま。ノートPCも画面が映ったままだ。作りかけの面談記録を読んでいると自分が小説の登場人物のような気がしてくるから不思議だ。
ふと、視界の隅に開いたままの本が目に入った。カタカナやアルファベットの専門用語に混じって、一つの言葉が目に飛び込んでくる。
――――――『マインドコントロール』――――――
あの人はいつだって迂闊すぎる。
……。
ひかりが。うごいている。
「(メロス、カレー、メロス、カレー、メロス、カレー、メロス、カレー、メロス、カレー、メロス、カレー、メロス、カレー、メロス、カレー、)」
うたが、きこえた。
ただの言葉の羅列でラップですらないが、地上に生を受けた者なら誰もが口づさんだであろう最も原始的な音楽。散歩に飽き始めた永井かふかが歌っている。
この女にとっては暗闇など近所の児童公園みたいなものなのだろう。怖れも緊張感もなくいつもの不思議探しのノリで足取りは軽い。
「…………ふふふ」
「(なに?)」
「(へたくそなうた)」
永井はハッと息を呑むとたちまち脛に思いきり蹴ってきた。きっと無意識に口ずさんでいたのだろう。どんな顔をしてるのか見てやろうとしたら今度は頭突きが飛んできた。
1階を左回りに1周、
2階を左周りに1周してから右に1周、
熱い。とにかく熱い。
掌に感じる温かさだけが光だけの世界に存在している。
人肌の温もりのなかに血流が巡るリズムが流れ、その遠くで心臓と呼吸が奏でる音楽を感じる。何もかもが消失した世界のなかで僕と永井かふかだけが存在している。
一度3階の踊り場に行ってから1階まで降りて右周りに1周、
永井かふかは僕を憎んでいる。
永井かふかは僕を卑怯者と罵倒する。
永井かふかは僕の全てを否定する。
僕は永井かふかが大嫌いだ。
意地汚くて狡猾で人の善意を馬鹿にする。臭くて気持ち悪くて汚くて、一緒にいると肌が痒くなってくる。恩知らずでおおよそ人の感情らしいものを持っていない。
間違いなく、この世界で一番最悪の人間だ。
僕が生まれて初めて本気で嫌いになった女の子。
最後に2階を右に1周半。
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