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6.クラヤミたちの饗宴④

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「君の名前はー何ですかー?」

 ドアを叩くみたいに僕の胸を叩きながら男の一人が言った。女を半殺ししていたヤツである。とりあえず殴るのを止めることはできたようだ。

「…………おの」
「下の名前は?」
「ゆう、へい…………」

 いかにも恐怖から漏れ出した風に名前を告げる。蛇に睨まれた蛙でも本名を出すのは不味いことぐらいはわかる。ちなみに小野悠平というのは児相の男性職員の名前だ。普段から警察と連携を取っているみたいだし、たぶん大丈夫だろう。
 それから男たちは身辺調査をするように学校や年齢、親や担任の名前を尋ねてきた。その瞬間瞬間に思いついた名前を挙げるが、横を見るともう一人の男が僕の言っていることが本当かスマホで調べていた。胃が焼きつくような時間が過ぎていく。

「それで小野悠平くんさー、なんで俺らに空き缶を投げたワケ?」

 女を半殺しにした男、連中の会話から察するに”リョウタ”くんは奪い取った金属バットで僕の頬を軽く叩きながら本題に入った。

「投げて……ないです……」
「じゃあ、なんでこんなとこにいんだよ?」
「素振り……してたら……」

 バットがブンと風切り音が鳴らすとプランターの一部が欠けた。恫喝するつもりだったのだろう。しかし、セメントでできたプランターは思った以上に硬かったのか、衝撃の痛みにリョウタくんの手からバットが零れ落ちた。

「じゃあ、あの缶はなんだよ? 空から降ってきたのか?」
「知り、ません」

 男たちは顔を見合わせた。証拠の缶を突きつけようにもゴミ箱の横で寝ていた男が失念していたので所在はわからなくなっている。グダグダの展開に失笑とともに少し余裕が出てきた。もしかしたら何とかなるかもしれない、と思い始めたときだった。

「もういいよ。とにかく金を取ったらボコって終わりにしようぜ」

 短絡的すぎる結論だが、単純すぎる暴力は最適解でもある。為す術なく男たちにズボンのポケットを手を突っ込まれるとたちまち剥き出しの五千円札と千円札が現れた。

「へえ、中坊にしては結構持ってんじゃん」
「おい、見せろよ」

 男たちは喜色を露わにして金を握った男の手を覗き込む。殴られた女とは別の女たち数名もそれに加わった。
 やめろ。それは母さんが最後にくれたかもしれないお金なんだぞ。

「ねえ、カラオケ行こうよー」
「俺、腹減ったからファミレスがいい」
「コンビニでカード買いたい」

 僕のことなどすっかり忘れて次から次に好き勝手な希望を並べるが、一向にまとまる気配がない。次第に議論はヒートアップし、言葉に苛立ちや怒りの感情が混じり始める。

「てめえら、ふざけんなよっ! それは俺の金だ! 俺が缶を投げつけられたんだっ!」

 突然、怒鳴り声を上げたのはゴミ箱の横で寝ていた男だった。上半身は裸で左肩から肘にかけて黒っぽい刺青がびっしり彫られている。

「はあ? おまえ、何言っているの!?」

 リョウタくんが舌打ちしながらそう言うとゴミ箱男の肩に小突くように手を置いた。その瞬間、ゴミ箱男の細い腕が弧を描くとたちまちリョウタくんの頬を振り抜いた。
 リョウタくんは一歩二歩後ずさりするとそのまま頭からアスファルトに倒れ込んだ。そのときの鈍い音は僕が医者や看護師でなくても危険な音だとわかるし、リョウタくんはピクリとも動かなくなってしまっている。

「馬鹿にすんじゃねえぞ、コラ!」

 ゴミ箱男の怒声が凍り付いた空気の中に虚しく響く。
 周囲の連中は呆気に取られてゴミ箱男の動きを見つめていたが、リョウタくんの手から金を抜き取ろうとした瞬間、ハッとしたように我に返った。

「ふさげんなよ、てめえ!」

 男たちの一人がゴミ箱男に殴りかかり、たちまちもみ合いになる。そして、争いはたちまち乱闘に変わっていく。状況は混沌そのもので女たちでさえ、路上に落ちた千円札を拾おうとして殴り合いに巻き込まれる。
 ゲームとは違い、パンチやキックが当たっても派手な音は鳴らない。聞こえるのはドタドタとアスファルトやタイルを這いまわる音ばかりで悲鳴や怒声が不協和音としてそれらに混じる。その光景は、昔どこかで見たチャップリンの無声映画を思わせた。

「鄒主袖縺?セ主袖縺?シ」
「縺?>縺橸シ√b 縺」縺ィ繧?l?」

 殴り合いで互いに傷つく人間たちの頭の中で黒い影が嘲り嗤う声が聞こえる。クラヤミたちは血が流れる度に歓声を上げ、より深く、より濃くなる影と同一化していく。

「メロス!」

 柔らかな手が僕の手を掴んだとき、晦虫の姿が一瞬露わになった―――節くれだった腕がカニみそを夢中になって啜っていた。

「今のうちに行くよ」

 僕は金属バットだけ拾い上げると饗宴に興じる声を後ろに遺して走り出す。そのとき千円札が落ちているのが傍目に見えたが、その上にはびっしりと黒い卵嚢がこびりついていた。
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