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1.1万円の可能性③
しおりを挟む「はあ、はあ、はあ…………」
肺が痛い。体内で熱せられた空気が棘を持っているかのようだ。喉は乾ききっていて水分を欲していたが、目の前に広がっていたのは枕の山だった。どうやら無我夢中に走っているうちに総合スーパーエリアの寝具売り場に来てしまったらしい。元々客が賑わうような場所でもないので閑散としていて、スピーカーから店内放送がゆったりと流れていた。
ちらりと店員を覗うが、僕のことを気にする素振りは見えない。この仕草を含めて今の僕はいかにも万引き犯じみていた。もしかしたら見えない角からGメンが見張っているのかもしれないが。
とにかく学校の連中から逃げきれたようだ。寝具売り場特有の形容しがたい匂いを大きく吸いこむと売り場を離れる。緊張が緩むと腹も減ってきた。連休の初日ぐらいは奮発してもいいだろう。頭の中で昼飯の選択肢を考え、それが一周回ったときのことだった。
「見つけた」
まるで僕がそこに来ることを予見していたように永井かふかが立っていた。エスカレーター近くの円柱に身体ごと靠れかかり、長い黒髪が重力に従ってだらりと垂れさがっている。にやりと浮かべた笑顔には悪意が溢れていた。
視線を合わせず通り過ぎようとするとプリーツスカートが目に入る。左右のポケットはパンパンに膨れ上がっていた。どうやらカプセルは全部回収できたらしい。そのまま視線をリノリウムに移し、歩を進めようとしたができなかった。その細い腕にどこにそんな力があるのか、まるでロープで固定されたかのようで思わずつんのめる。
反射的に振り返ると目が合う。
薄っぺらい笑顔とは対照的にその瞳の奥には青白い炎が燃え盛っていた。目端が歪むといかにも軽蔑したような色も見せる。永井かふかはいつだってばらばらだ。だから、彼女が一体全体何を考えているのかはわからないし、本人もたぶんわかっていないのだろう。
「またかふかを助けてくれないんだ?」
「年上の男が2人もいるんだぞ。勝てるわけないだろ」
それに手出しすれば僕の学校生活は音を立てて崩壊するに違いない。始まったばかりの中学の生活を早々に手放すのは御免被りたい。
「また理屈ばっか」
侮蔑の言葉を投げるが、そういう感情は表情から消えていた。永井かふかの感情は持続時間が短い。万華鏡のようにころころ変わる。
「お腹空いたわ。お昼、食べに行くわよ」
嫌な予感がした。それを裏付けるように永井の右手は服の裾から指を話さない。試しに指を剥がそうとしたら無言で引っ叩かれた。
「お金あるの?」
「あるわけないでしょ。アイツらに有り金全部持っていかれたわ」
「ならダメじゃないか」
「はあ? なに他人ぶっこいてるのよ、全部アンタのせいじゃない。アンタがかふかを助けてくれなかったから、かふかはお金を全部取られたの。とんだ冷血人間ね、良心がちっとは痛まないワケ?」
今、思うと無茶苦茶なことを言っているが、そのとき僕は一瞬考え込んでしまった。そして、永井は隙を逃がすような女ではなかった。詐欺は勢いが大事。
「悪いのは全部メロス。メロスはかふかの昼御飯を提供する義務があるわけ」
説明は終わりとばかりに永井は指を話すとすたすたと奥に行ってしまう。ここで後を追わずにいなくなったらどうなるかなと腹が立つよりも純粋な疑問を覚えた。
「メロス、早くしろ!」
肩を怒らせてずんずん進んでいく。何かに怒っているのではなく、永井かふかはいつもこういう歩き方だった。
「下の名前で呼ぶのは止めろ」
「別にいいでしょ、犬みたいで」
ニコリともせず永井はそう言う。大きな歩幅に小さな身体が大きく揺れる。スカートの入ったカプセルが今にも床に零れ落ちそうで見ていてハラハラさせられた。
永井かふかはそういう女の子だった。
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