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2 フルーツ味の豆腐②
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さして深く考えないで口に出した言葉だったが、温泉は素晴らしかった。
さすがに山や温泉といった自然物は80年程度ではビクともしない。この程度の変化は地球にとっては一朝の夢に過ぎないのだろう。
「ふー、きもちいい…………」
無人の浴場に自分の声だけが響く。MRグラスはつけていないのでAKIの声は聞こえない。普段は0Gカプセルの洗浄機能で体を洗う必要などないが、やはり風呂はいい。
「…………」
腕に顎を乗せると浴場の外に何とはなしに目を向ける。
丹沢山地が大巨人の死体のように眠っていた。
昼であれば絶景なのだろうが、夜では電源の切れたモニターのような闇が広がるばかりだ。
「―――まあこの時代の人はモニターなんて知らないんだけどね」
いわゆるジェネレーションギャップというやつだ。
未来世界では角膜に埋め込んだ生体型のMR装置が圧倒的に主流だ。神経に直結しているので操作は感覚的だし、新陳代謝による再生が効くので後乗せのコンタクトレンズタイプよりも衛生的である。
しかし、死体の詰め合わせパックのニアはこの生体型MRが使えない。拒否反応を抑える薬剤が効かないためらしい。機械みたいな身体なのに人よりも拒否反応が強いとか何たる皮肉。同様の理由でコンタクトタイプもダメ。まあ20世紀生まれにとっては2世代前のMRグラスでも十分すぎるほど衝撃だったわけだが。
「…………きれいな月」
巨人の黒い背骨の上に、満月がぽっかり浮いていた。
温度のない青白い光が空をどこまでも覆いつくし、星さえ見えない。
81年前と変わらないその艶やかな隣人の姿を見て、死体だった少女は何を思ったか。
月はいつだって当たり前のように山本似愛の頭の上に浮かんでいた。
晴れた夜も、雨の夜も、曇りの夜も。
でも、こんなにきれいな月を見たことは初めてではないだろうか?
ひどく、哀しくなった。
こんなにも月がきれいなのに、きれいだったよと伝える相手がこの世界にはもういない。
もう、どこにもいないのだ。
それがすごく、哀しい。
「だめだなあ」
柄にもなく感傷的になってしまった。
生き返ったから再びこうして月を眺められる、とは絶対に思わない。そんな有難迷惑の偽善は熨斗に唾もつけて返してやる。でも、確定してしまった現実は変わらない、時間は戻らない。その原則は未来世界でも変わらない。受け入れるしか、ないのだ。
あのAIの口癖ではないが、神様ではない人間ができることは行動することだけ。
足掻いて、足掻いて、足掻いて、その先に待つものは?
そんなものはわからない。事実、山本似愛の終着点は何の変哲もない朝のごくありふれた住宅街の路地だった。
「…………私はなんで生きているのだろう?」
独りごちた言葉がぽたりと檜造りの湯舟に落ちる。応えるものはなく、耳に入るのは循環槽からさらりさらりと流れる湯の流れだけ。
ふと視線を下ろすと黒々とした山の陰が目に入った。何も見えない、時間さえも止まったかのような闇、自分は80年間あの中に眠っていたのだ。
…………そして、いつかまたあの闇の中に、
「―――っあ!」
悪夢から目が覚めたのように叫び声をあげるとその勢いで足が滑り、湯舟の中に沈む。吐き出した息のシャボン玉が顔を覆い、心地よいお湯の中に全身が包まれる。
「はあ、はあ、はあ…………」
がばりと身体を起こすと息を吸い込む。
心臓がバクバクと脈打っている。
全身の血が凍り付くような恐怖を身体は全力で否定している。
さすがに山や温泉といった自然物は80年程度ではビクともしない。この程度の変化は地球にとっては一朝の夢に過ぎないのだろう。
「ふー、きもちいい…………」
無人の浴場に自分の声だけが響く。MRグラスはつけていないのでAKIの声は聞こえない。普段は0Gカプセルの洗浄機能で体を洗う必要などないが、やはり風呂はいい。
「…………」
腕に顎を乗せると浴場の外に何とはなしに目を向ける。
丹沢山地が大巨人の死体のように眠っていた。
昼であれば絶景なのだろうが、夜では電源の切れたモニターのような闇が広がるばかりだ。
「―――まあこの時代の人はモニターなんて知らないんだけどね」
いわゆるジェネレーションギャップというやつだ。
未来世界では角膜に埋め込んだ生体型のMR装置が圧倒的に主流だ。神経に直結しているので操作は感覚的だし、新陳代謝による再生が効くので後乗せのコンタクトレンズタイプよりも衛生的である。
しかし、死体の詰め合わせパックのニアはこの生体型MRが使えない。拒否反応を抑える薬剤が効かないためらしい。機械みたいな身体なのに人よりも拒否反応が強いとか何たる皮肉。同様の理由でコンタクトタイプもダメ。まあ20世紀生まれにとっては2世代前のMRグラスでも十分すぎるほど衝撃だったわけだが。
「…………きれいな月」
巨人の黒い背骨の上に、満月がぽっかり浮いていた。
温度のない青白い光が空をどこまでも覆いつくし、星さえ見えない。
81年前と変わらないその艶やかな隣人の姿を見て、死体だった少女は何を思ったか。
月はいつだって当たり前のように山本似愛の頭の上に浮かんでいた。
晴れた夜も、雨の夜も、曇りの夜も。
でも、こんなにきれいな月を見たことは初めてではないだろうか?
ひどく、哀しくなった。
こんなにも月がきれいなのに、きれいだったよと伝える相手がこの世界にはもういない。
もう、どこにもいないのだ。
それがすごく、哀しい。
「だめだなあ」
柄にもなく感傷的になってしまった。
生き返ったから再びこうして月を眺められる、とは絶対に思わない。そんな有難迷惑の偽善は熨斗に唾もつけて返してやる。でも、確定してしまった現実は変わらない、時間は戻らない。その原則は未来世界でも変わらない。受け入れるしか、ないのだ。
あのAIの口癖ではないが、神様ではない人間ができることは行動することだけ。
足掻いて、足掻いて、足掻いて、その先に待つものは?
そんなものはわからない。事実、山本似愛の終着点は何の変哲もない朝のごくありふれた住宅街の路地だった。
「…………私はなんで生きているのだろう?」
独りごちた言葉がぽたりと檜造りの湯舟に落ちる。応えるものはなく、耳に入るのは循環槽からさらりさらりと流れる湯の流れだけ。
ふと視線を下ろすと黒々とした山の陰が目に入った。何も見えない、時間さえも止まったかのような闇、自分は80年間あの中に眠っていたのだ。
…………そして、いつかまたあの闇の中に、
「―――っあ!」
悪夢から目が覚めたのように叫び声をあげるとその勢いで足が滑り、湯舟の中に沈む。吐き出した息のシャボン玉が顔を覆い、心地よいお湯の中に全身が包まれる。
「はあ、はあ、はあ…………」
がばりと身体を起こすと息を吸い込む。
心臓がバクバクと脈打っている。
全身の血が凍り付くような恐怖を身体は全力で否定している。
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