ただ愛してほしい

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高岡が声を掛ける中、かえはゆっくりと目を開ける。

知らない天井、知らない顔、動かしにくい身体、かえは戸惑うばかりであった。
「三浦さん、わかりますか。」
見たこともない顔の男性が覗きこみ、かえに声を掛ける。
なんとか声を出そうとするが、
「・・・・っ・・・」
上手く声が出ないのだ。
口をパクパク開ける様子を見て、高岡は疑問に思う。
(さっきは小さいながらも声が少し出ていたと思うが・・・)
喉元を押さえ、声が出せないことに戸惑っている様子が見えた。

あの後、かえの身体に問題ないことを確認し、高岡は帰宅することにした。
不安そうな目で、周りの職員の様子を見ているかえはとても儚げであった。

翌日
高岡は申し送りを受けた後、かえの病室を訪れた。
かえは、身体を起こし、ボーっと窓の外を見ている。
「三浦さん、気分はどうですか?」
高岡が病室に入ったことさえ気づかなかったのか、身体をビクリと動かしかえは高岡の顔を見る。
「こんにちは、医師の高岡です。気分はどうですか?どこか痛みのあるところはありませんか?」
優しく聞く高岡に、かえは顔を下に向け、首を横に振る。
「気分が悪くなったり、痛いところが出るようならまた教えてくださいね。」
かえは下を向きながら頷く。

かえは、目を覚ましてから今まで言葉を発することがないと申し送りで言っていた。
ただ、眠っている最中には、うわ言のように小さな声が聞こえるという。
声を発するための機能は損なわれていないようであり、おそらく心因性の失声であろうということで、明日にでも精神科への受診を進める手筈となっている。

ーコンコンー
かえの病室にソーシャルワーカーの白石が訪れる。
「こんにちは、三浦さん。ソーシャルワーカーの白石と言います。」
柔和な顔でかえに近づく女性は、かえと同じ位の年の子どもを持つ母親で、かえが入院して以降、母親以外に家族や親戚などがいないかをずっと探してくれていた。
かえの背景を知り、心を痛めていた一人である。

「三浦さん、今日ね、紙とペンを持ってきたの。今あなたが声を出すことが出来ないのは、あなたの気持ちを伝える手段がないでしょう。それってとても辛いことだと思うの。」
かえのベッドにオーバーテーブルを掛け、ペンと紙を差し出す。
「何でもいいの、あなたが今疑問に思ってることや不安なこと、人に伝えたいと思うことを書いて欲しいの。」
これからかえには、辛い話が待っている。
母親の事、今回入院した経緯、そしてこれからの事。
それらを話す前に彼女とコミュニケーションが取れるようにしておかなければならなかった。

「三浦さん、何か書いてみようか。そうね・・・、今痛いところはあるかしら?」
かえは、ペンを握りしめゆっくりと書き始める。
【痛くない、うまく動かせない】
簡潔に書かれていたが、なんとか筆談でコミュニケーションがとれそうである。
「そう、良かったわ。痛いところがなくて。しばらく眠っていたから身体が動かしにくくなっているのよ。大丈夫、徐々に前のように動かせるわ。」

白石が訪室してからのやり取りを見ていた高岡は疑問に思った。
かえの表情が変化しないのである。
初めは緊張しているからかと思っていたが、身体を動かす時も、白石がにこやかに話しかけている最中もピクリとも表情が変化しないのである。

高岡に様子を見られていることに気づかないかえは、再びゆっくりとペンを動かす。

【お母さんはどこ?】
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