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第4部 第4章・激情
第4回
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4
結奈はソレと向かい合い、じっと互いの眼を見つめ続けていた。
ソレは人の形をしていながらも、およそ結奈以外の人間――つまるところ、この神社で務めている神職者たちにすら姿の見えない、あいまいな存在だった。
当初結奈はソレを神様か何かだと思っていた。或いは人のふりをした物の怪か。
けれどソレは明らかに人間で、けれど死者でも亡者でもなく、当然物の怪でもなくて。
「……で、どうなの?」
問い詰めるように訊ねてくる結奈に、ソレは身動きひとつせずため息交じりに、
「どう、とは?」
その返答に、結奈はあからさまに眉間に皺を寄せてやりながら、
「何か知っているんでしょ? アレについて」
「……」
ソレは口を真一文字に引き結んだまま、再び黙り込んだ。
結奈はソレからの返答を待ちながら、ソレの瞳を睨みつけた。
ソレは、ソレ自身もどう答えればよいのか迷っているようだった。時折口元をぴくりと動かしては、小さく吐息を漏らすように言葉を留める、その繰り返し。
次第に苛立ちを増していった結奈は、にじり寄るように一歩、歩み寄る。
「――黙ってないで、何か言いなさいよ」
こうして無駄な時間を費やしている暇などない。結奈は一刻も早くアレに対して手を打たなければならないと考えていた。アレ――つまり、喪服の少女たるユキを惑わし、その身体を支配して次々に生者を死者や亡者に変えていったあの女を、どうにかしなければならないのだ。
ユキの身体から離れた女は、今、相原奈央の中にいる。
相原奈央の精神を乗っ取り、再び生者を死者や亡者に変えてその時を待っている。
いや、待ってなどいない。すでに動き始めていると響紀とユキは、わざわざあちらから結奈に忠告する為に現れたのだ。それはとても短い邂逅で、結奈が詳しく問う間もなく、まるであちらに引っ張られるように、響紀もユキも消えていった。
何が起きたのか、何が起こっているのか、どうして響紀とユキがそのことを知っているのか、何もかも解らないまま、結奈は一夜を明かした。考えても考えても答えなど出るはずもなく、結奈の至った結論はひとつ、自身が務めている神社に居座っている、ソレに訊ねることだった。
ソレがいつからそこに居るのか、結奈も知らない。けれど、気が付いた時にはソレは拝殿の片隅に佇んでいた。四六時中、いつもいるわけではない。たまに現れては自分たちの務めを観察しており、気が付いた時にはいつの間にか消えている謎の人物。結奈以外の人間にその姿は見えておらず、ならばもしやこの神社の神様ではないかと思い切って声をかけた時のソレの動揺っぷりを、結奈は今でもよく思い返しては苦笑していた。
結奈にまとわりつくように神社に入ってくる死霊たちを散らしてくれるのもソレの力によるものであり、よく助けてもらってはいるのだけれど、結局、今、目の前にいるソレが、実際本当に結奈の考えているような“神様”なのかどうか、今でも確証を得てはいなかった。
ソレはやがて大きなため息をひとつ吐くと、
「――気を付けろ」
短く答えた。
結奈はその返答に不満を抱き、感情を顔に出しながら、
「何に?」
「あの女だ」
「女って――奈央さんのことね」
「違う」
「じゃぁ、誰よ」
「相原奈央を支配している、あの女だ」
「じゃぁ、奈央さんのことじゃない」
「あの女は奈央じゃない。奈央はあの女じゃない」
「言葉遊びなんてする気はないの。どういうこと?」
「今、奈央の中には、ユキの中にいたあの女が巣食っている」
「それはもう響紀から聞いてるって言ったでしょ? 私が訊ねているのは、あの女が結局何者なのか、どうすればいいのかってことよ!」
結奈はソレの言葉に心底苛立ち、思わず声を張り上げていた。
ソレは再び黙り込み、結奈の瞳をじっと見つめる。何度か口を小さくパクパクと動かすようなそぶりを見せながらも、なかなか結奈の求めている答えを口にしない。
結奈はそんなソレにしびれを切らし、
「わかった。じゃぁ、質問を変える」また一歩、ソレににじり寄ってから、「あの女の正体って、もしかしてイザナミなんじゃないの?」
その瞬間、ソレはあからさまに息を飲んだ。
数日前、ソレイユで奈央と交わしたあの会話。
古神紀のイザナミとイザナギの決別についての、彼女の見解。
あの時感じた違和感が、今もまだ胸の中で引っかかっていた。
この世界には、死者も、亡者も、物の怪もいる。物の怪は時として神様にも成れる。それは結奈の良く知るタマモが良い例だった。そして神様に成れる以上、逆説的に、確実に神様という存在がこの世にあるということ。
古神紀がどこまで真実を描いているのか知らないけれど、あの時の奈央の口ぶりから、もしかして、と結奈は疑いを持っていた。
ソレは結奈のその問いに、小さく肩を落としてから、
「アレはもう、イザナミではない」
「イザナミではない?」
眉を寄せる結奈に、ソレは「解っているんだろう?」とため息を吐く。
「――黄泉津大神」
結奈はやはりと思いながらも、同時にまさかとそれを否定したかった。
それを信じるとして、あまりに相手が大きすぎる。
黄泉津大神。黄泉の国の女王。イザナミの成れの果て。
日に千人を縊り殺すと言った、あの恐ろしい女神。
それがまさか、こんな地方の町の、あんな普通の女の子にとりつく意味が解らない。
自分で予想しておきながら、改めて考えれば馬鹿馬鹿しすぎる話だ。
けれどソレは至ってまじめに、結奈をじっと見つめながら、
「あの女は、イザナギの世界を滅ぼすことだけを考えている。すでにいくつものイザナギの世界が滅亡し、乗っ取られてきた。次はこの世界、ということだ」
思わぬソレの答えに、さすがの結奈も口をぽかんと開けてしまう。そして開いた口がふさがらなかった。
……イザナギの世界、というのは何となく解る。神話を信じるとするならば、この世界はイザナギとイザナミが創り上げたことになる。そこまではいい。けど、だけど――すでにいくつものイザナギの世界が滅亡し、乗っ取られてきたとは、いったいどういうことだろうか。
まるでここ以外にも、たくさんの世界があるみたいじゃないか。
「……なに、それ。本気で言ってんの?」
結奈の呆気にとられたその質問に、ソレはけれど、大真面目に深く頷く。
「僕の知る限り、アレに狙われたのはこの世界が五つ目だ。乗っ取られた四つの世界のうち、三つはすでに消滅している」
「ちょ、ちょっと待ってよ! 乗っ取られた世界が四つあって、ここが五つ目? しかも消滅? それって、助かった世界はひとつもないってこと?」
「ない。残念ながら」
結奈は眼を見張り、絶望し、そしてそれと同時に、新たな違和感を抱いた。
「――なんで、アンタがそれを知ってるわけ? 結局アンタは何者なの? 神様に近いって言ってたけど、アンタも古神紀の神様なの? だったら、何とかしてよ! 同じ神様なんでしょ?」
「僕は――違う。神様じゃない」
「違う? なら、いったい誰なのよ! 何者なのよ! 死者? 亡者? 物の怪? だとして、なんでアンタがそんなこと知ってんのか教えなさいよ!」
叫ぶ結奈に、ソレは俯き、しばらく逡巡してから、意を決したように顔を上げた。
「僕は君たちの――創造主だ」
結奈はソレと向かい合い、じっと互いの眼を見つめ続けていた。
ソレは人の形をしていながらも、およそ結奈以外の人間――つまるところ、この神社で務めている神職者たちにすら姿の見えない、あいまいな存在だった。
当初結奈はソレを神様か何かだと思っていた。或いは人のふりをした物の怪か。
けれどソレは明らかに人間で、けれど死者でも亡者でもなく、当然物の怪でもなくて。
「……で、どうなの?」
問い詰めるように訊ねてくる結奈に、ソレは身動きひとつせずため息交じりに、
「どう、とは?」
その返答に、結奈はあからさまに眉間に皺を寄せてやりながら、
「何か知っているんでしょ? アレについて」
「……」
ソレは口を真一文字に引き結んだまま、再び黙り込んだ。
結奈はソレからの返答を待ちながら、ソレの瞳を睨みつけた。
ソレは、ソレ自身もどう答えればよいのか迷っているようだった。時折口元をぴくりと動かしては、小さく吐息を漏らすように言葉を留める、その繰り返し。
次第に苛立ちを増していった結奈は、にじり寄るように一歩、歩み寄る。
「――黙ってないで、何か言いなさいよ」
こうして無駄な時間を費やしている暇などない。結奈は一刻も早くアレに対して手を打たなければならないと考えていた。アレ――つまり、喪服の少女たるユキを惑わし、その身体を支配して次々に生者を死者や亡者に変えていったあの女を、どうにかしなければならないのだ。
ユキの身体から離れた女は、今、相原奈央の中にいる。
相原奈央の精神を乗っ取り、再び生者を死者や亡者に変えてその時を待っている。
いや、待ってなどいない。すでに動き始めていると響紀とユキは、わざわざあちらから結奈に忠告する為に現れたのだ。それはとても短い邂逅で、結奈が詳しく問う間もなく、まるであちらに引っ張られるように、響紀もユキも消えていった。
何が起きたのか、何が起こっているのか、どうして響紀とユキがそのことを知っているのか、何もかも解らないまま、結奈は一夜を明かした。考えても考えても答えなど出るはずもなく、結奈の至った結論はひとつ、自身が務めている神社に居座っている、ソレに訊ねることだった。
ソレがいつからそこに居るのか、結奈も知らない。けれど、気が付いた時にはソレは拝殿の片隅に佇んでいた。四六時中、いつもいるわけではない。たまに現れては自分たちの務めを観察しており、気が付いた時にはいつの間にか消えている謎の人物。結奈以外の人間にその姿は見えておらず、ならばもしやこの神社の神様ではないかと思い切って声をかけた時のソレの動揺っぷりを、結奈は今でもよく思い返しては苦笑していた。
結奈にまとわりつくように神社に入ってくる死霊たちを散らしてくれるのもソレの力によるものであり、よく助けてもらってはいるのだけれど、結局、今、目の前にいるソレが、実際本当に結奈の考えているような“神様”なのかどうか、今でも確証を得てはいなかった。
ソレはやがて大きなため息をひとつ吐くと、
「――気を付けろ」
短く答えた。
結奈はその返答に不満を抱き、感情を顔に出しながら、
「何に?」
「あの女だ」
「女って――奈央さんのことね」
「違う」
「じゃぁ、誰よ」
「相原奈央を支配している、あの女だ」
「じゃぁ、奈央さんのことじゃない」
「あの女は奈央じゃない。奈央はあの女じゃない」
「言葉遊びなんてする気はないの。どういうこと?」
「今、奈央の中には、ユキの中にいたあの女が巣食っている」
「それはもう響紀から聞いてるって言ったでしょ? 私が訊ねているのは、あの女が結局何者なのか、どうすればいいのかってことよ!」
結奈はソレの言葉に心底苛立ち、思わず声を張り上げていた。
ソレは再び黙り込み、結奈の瞳をじっと見つめる。何度か口を小さくパクパクと動かすようなそぶりを見せながらも、なかなか結奈の求めている答えを口にしない。
結奈はそんなソレにしびれを切らし、
「わかった。じゃぁ、質問を変える」また一歩、ソレににじり寄ってから、「あの女の正体って、もしかしてイザナミなんじゃないの?」
その瞬間、ソレはあからさまに息を飲んだ。
数日前、ソレイユで奈央と交わしたあの会話。
古神紀のイザナミとイザナギの決別についての、彼女の見解。
あの時感じた違和感が、今もまだ胸の中で引っかかっていた。
この世界には、死者も、亡者も、物の怪もいる。物の怪は時として神様にも成れる。それは結奈の良く知るタマモが良い例だった。そして神様に成れる以上、逆説的に、確実に神様という存在がこの世にあるということ。
古神紀がどこまで真実を描いているのか知らないけれど、あの時の奈央の口ぶりから、もしかして、と結奈は疑いを持っていた。
ソレは結奈のその問いに、小さく肩を落としてから、
「アレはもう、イザナミではない」
「イザナミではない?」
眉を寄せる結奈に、ソレは「解っているんだろう?」とため息を吐く。
「――黄泉津大神」
結奈はやはりと思いながらも、同時にまさかとそれを否定したかった。
それを信じるとして、あまりに相手が大きすぎる。
黄泉津大神。黄泉の国の女王。イザナミの成れの果て。
日に千人を縊り殺すと言った、あの恐ろしい女神。
それがまさか、こんな地方の町の、あんな普通の女の子にとりつく意味が解らない。
自分で予想しておきながら、改めて考えれば馬鹿馬鹿しすぎる話だ。
けれどソレは至ってまじめに、結奈をじっと見つめながら、
「あの女は、イザナギの世界を滅ぼすことだけを考えている。すでにいくつものイザナギの世界が滅亡し、乗っ取られてきた。次はこの世界、ということだ」
思わぬソレの答えに、さすがの結奈も口をぽかんと開けてしまう。そして開いた口がふさがらなかった。
……イザナギの世界、というのは何となく解る。神話を信じるとするならば、この世界はイザナギとイザナミが創り上げたことになる。そこまではいい。けど、だけど――すでにいくつものイザナギの世界が滅亡し、乗っ取られてきたとは、いったいどういうことだろうか。
まるでここ以外にも、たくさんの世界があるみたいじゃないか。
「……なに、それ。本気で言ってんの?」
結奈の呆気にとられたその質問に、ソレはけれど、大真面目に深く頷く。
「僕の知る限り、アレに狙われたのはこの世界が五つ目だ。乗っ取られた四つの世界のうち、三つはすでに消滅している」
「ちょ、ちょっと待ってよ! 乗っ取られた世界が四つあって、ここが五つ目? しかも消滅? それって、助かった世界はひとつもないってこと?」
「ない。残念ながら」
結奈は眼を見張り、絶望し、そしてそれと同時に、新たな違和感を抱いた。
「――なんで、アンタがそれを知ってるわけ? 結局アンタは何者なの? 神様に近いって言ってたけど、アンタも古神紀の神様なの? だったら、何とかしてよ! 同じ神様なんでしょ?」
「僕は――違う。神様じゃない」
「違う? なら、いったい誰なのよ! 何者なのよ! 死者? 亡者? 物の怪? だとして、なんでアンタがそんなこと知ってんのか教えなさいよ!」
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