闇に蠢く

野村勇輔(ノムラユーリ)

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第4部 第4章・激情

第1回

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 自宅のベッドで目を覚ました大樹は、いつものようにスマホを探して手を伸ばした。けれどそこにスマホはなく、それは当然のことだった。

 なぜなら、大樹のスマホは結局、一昨日出かけた道中のどこにも見つからなかったからである。

 麻奈に声を掛けられた線路に架かる陸橋からソレイユまでの長い道のり、大樹はとにかく道路の端から端までくまなく歩いて探し回った。本来なら一時間もあれば歩ける距離に、半日を費やしてみたのだけれど、どこにも影も形もない。気ばかり焦って警察に届け出るという選択肢に辿り着いたのは、正午を回ってしばらくしてからのことだった。

 警察官に支持されるまま手続きを終わらせてからも、大樹は諦めることなくスマホを探して彷徨い歩いた。それでもスマホは見つからず、やがて大樹が辿り着いたのは奈央の家だった。しかし奈央もどこかへ出かけてしまっているのか、インターホンを鳴らしても返事はなかった。

 何とか奈央に連絡を取らなければ。そう思った大樹はハジメや桜のスマホを借りられないかとふたりの家を訪ねてみたが、ハジメも桜も出かけているらしく、どちらの家も留守だった。

 最後の頼みの綱である玲奈に至っては、駅前のマンションに住んでいるということまでは知っているが、複数あるマンションのどれに住んでいるのか、どの部屋に住んでいるのか、それすら大樹は知らず、しらみ潰しに探していくしかないとばかりに一棟一棟ポストの名前を確認していったが、どう考えても非効率だと思って諦めた。

 結局一昨日歩いた周辺を行ったり来たりしただけで徒労に終わり、このまま何の連絡もなしに帰りが遅くなると、また母親に叱られてしまうので大人しく帰宅した。

 実は今もまだ両親にはスマホを失くしたことは伝えておらず、このまま今日一日警察からの連絡もなければ観念して打ち明けようと考えていた。

 大樹は大きく深いため息をひとつ吐いて、身体を起こした。

 とにかく早く着替えて、もう一度奈央の家を訪ねてみよう。奈央の家にスマホがあれば、万事解決する事なのだから。

 大樹は手早く着替えると朝食も摂らずに外へ出た。両親はすでに仕事に出かけているらしく、いつもの如く家の中はもぬけの殻。そこに感謝しつつも、もし母親から何かメッセージが届いていたらと思うと、それはそれで気が気でなかった。何とか両親にバレないようにスマホを取り戻したい。大樹は思いながら自転車にまたがると、全速力で奈央の家を目指した。

 いつもの見慣れた道を、けれどいつもより速いスピードで駆け抜ける。時折信号機を無視して駆け抜けていくのも、大樹にしては珍しい行為だった。それほど大樹は焦っていたのである。母親からのメッセージはもちろん、或いは奈央からのメッセージも届ていることだろう。

 いつもの朝や夜の挨拶に返事がないことに、奈央は果たしてどう思っているだろうか。もしかして、部屋の中に僕のスマホを見つけてくれたりしていないだろうか。そんな淡い期待を抱きつつ、大きな橋を駆け抜け、スポーツセンターを曲がり、駅前を通過する。

 件の喪服少女が住んでいた家の建つ峠道が最大の難関だった。真夏の暑い日差しの降り注ぐ中、全速力で走り抜けてきたものだから体力が限界を迎え、さすがの大樹も自転車を降りて引き引き上り坂を歩かざるを得なかった。

 やがて峠を上り切り、次の下り坂を自転車で一気に下り抜ける。峠を抜けたすぐ脇の道を折れたところに広がる住宅地。そのうちの一軒に向けて、大樹は残る体力を振り絞った。

 奈央の家を前にして、大樹は息を整える。全身汗びっしょりでみっともない姿をしているけれど、致し方ない。できれば奈央がいて欲しい。そして奈央の部屋に、自分のスマホが転がっていて欲しい。そうあってくれれば、どれだけ安心できるだろう。そのうえで、できればシャワーも借りたくして仕方がなかった。

 大樹はインターホンを鳴らし、しばし待つ。その待ち時間が、やたらと長く感じられてやきもきした。

 やがてうっすらと電子的な音がスピーカーからわずかに聞こえて、大樹はほっと胸を撫でおろした。

「――はい?」

 聞き間違えることのない奈央のその声に、大樹は歓喜の声を上げそうになりながら、必死にその気持ちを抑えつつ、
「奈央、僕だけど。木村大樹」

「……大樹? どうしたの?」

「ごめん、僕のスマホ、奈央の部屋に落ちてないかな。一昨日失くしちゃったみたいで」

「……わかった。ちょっと待ってて」

 それから少しして、がちゃりと玄関のドアが開けられる。奈央がドアの隙間から顔だけを覗かせて、にっこりとほほ笑んだ。

「いらっしゃい。どうぞ、あがって」

「あぁ、うん、ありがと――」

 玄関ドアを開け、土間に足を踏み入れたところで、大樹は思わず目を見張る。

 そこには一糸まとわぬ姿の奈央が、その白く美しい裸体を隠すことなく立っていたのである。

「な、ちょ、ちょっと、奈央! 服! なんで裸なの!」

 大樹は思わず閉めたばかりの玄関ドアの方に顔を背ける。

 確かに家の中では素っ裸で生活している人がいるなんて話は聞いたことがあったけれど、まさか奈央が。

「――何をそんなに恥ずかしがる必要がある」

「な、奈央……?」

 すぐ後ろで奈央の声がして、ぴたりと大樹の背中に当てられる奈央の胸の感触にぞくりと背筋が震えた。

「――この身体が恋しかったのだろう?」

 耳に吹きかけられる奈央の吐息が、大樹の全身から何かを奪う。

「……あっ、あぁっ!」

 びりびりと手足が痺れて、頭から思考というものが消えていった。

「――恥じることはない。受け入れよ」

「な………お……っ」

 するすると伸びてくる奈央のしなやかな腕と手に抱きしめられて、大樹の意識は次第に失われていく。

「――さぁ、ともに」

 大樹の中で、ぷつりと何かが引きちぎられる。

「さぁ、さぁ、疾く」

「……」

 大樹はこくりと小さく、頷いただけだった。
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