235 / 247
第4部 第3章・交わり
第2回
しおりを挟む
2
「おはようございます」
大樹はリビングに入ると、キッチンに立つ男に声を掛けた。
男は柔和な笑みを浮かべ、
「おはよう、ちゃんと眠れた?」
大樹に振り向き、優しく問うた。
男は黒いジャージのハーフパンツに薄手の白いTシャツ姿で、目玉焼きを焼いているところだった。
リビングのテーブルにはサラダの盛られたボウル皿と、焼いたばかりのトーストがのる皿が三枚並べられている。
朝食まで作ってくれていることに大樹は感謝しながら、「はい。ありがとうございます」と軽く頭を下げた。
男は――岡野一王は「そう、なら良かった」と口にして、焼けた目玉焼きをそれぞれのトーストの上に載せていく。サングラスではなく普通のメガネをかけたその姿は、どこからどう見ても大樹の印象に残る黒ずくめの怪しい男などではなかった。どこにでもいそうな優男、そんな印象だ。実際、昨夜このマンションに初めて足を踏み入れた時も、特に嫌な顔一つせず大樹を迎えてくれた。
一王はフライパンをコンロの上に置きながら、「どうぞ、座って」と大樹に椅子をすすめた。大樹もそれに対して、素直に「あ、はい」と席に腰を下ろす。
いつも一王が朝食を準備しているのだろうか。匂いを嗅ぐだけでお腹の虫が鳴き出しそうだ。
大樹はリビングを見回し、
「……麻奈さんは?」
「あぁ、自分の部屋で支度中。先に食べてていいよ。メイクに時間かかるだろうし」
「じ、じゃぁ、お言葉に甘えて。いただきます」
「どうぞ」
一王はサラダのボウルを軽く押し出すように大樹の前に寄せてくれた。
大樹は自分のプレート皿にサラダをよそい、ひと口含んだ。あらかじめドレッシングのかけられていたサラダは想像以上に美味しく、気付くとバクバク腹に収めていた。朝からこんなに食べるのは久しぶりじゃないだろうか。いつもトースト一枚か、スーパーやコンビニで買ってきた菓子パン一個で済ませることの多い大樹にとって、バランスの良い食事というものは縁遠いものだった。目玉焼きの焼き加減も大樹に丁度良く、トーストと一緒に食べるととろりとした黄身がトーストに絡んでより美味しく感じられた。
ふと視線を一王に向けると、一王は無表情で大樹をじっと見つめていた。大樹は思わず食べていた手を止め、一王に訊ねる。
「あの、何か……?」
一王は「あぁ」と再び笑みを浮かべて、
「いや、なかなかの食べっぷりだなぁって。よっぽど腹が減ってたんだね」
「す、すみません。あまりに美味しくて……」
「そうかい? そう言ってもらえて嬉しいよ」
一王がそう答えた時、玄関へと続く短い廊下の先、玄関前の右側に位置する部屋の扉が開いて、綺麗に身支度を整えた麻奈が姿を現した。こちらの視線に気付いた麻奈は、どういうわけか一瞬眉根に皺を寄せてから、改めて口元に笑みを浮かべる。
「おはよう、大樹くん」
「お、おはようございます。昨夜はお世話になってすみませんでした」
ぺこりと大樹は頭を下げる。
「体調はどう? もう意識ははっきりしてる? 気分は悪くない?」
麻奈はリビングに入るとそう大樹に訊ねながら、一王の隣の席に腰を下ろした。
細身の真っ白なパンツに、水色のノースリーブのニットが見ていてとても爽やかで優しい印象だ。妹である玲奈や結奈と負けず劣らずの重そうな胸のふくらみと、そこにうっすら見える下着のラインもより大人の魅力を押し出すものであって、その姿は芸術品のように美しかった。
大樹は「はい」と頷き、
「ご迷惑をおかけして、本当にごめんなさい」
「ううん」麻奈は首を横に振る。「でも、あまり無理はしないでね。あと、他にも何か身体や意識に異常があったら、玲奈や結奈に伝えてね」
「……? 宮野首さんたちに?」
病院に行け、と言われるのなら解るのだけれど、どうして玲奈や結奈たちに? 大樹はその違和感に首を傾げる。
「何かあったら、まずは親か親しいお友達に、ってこと」
「なるほど……? わかりました」
大樹は解ったような解らないような微妙な思いを押しとどめ、素直に頷いた。
それから朝食を食べ終えた大樹は時計に目を向ける。そろそろ時計の針は八時を示そうとしているところだった。
これ以上お邪魔するのも悪い気がして、大樹は早々に立ち上がると食器を自ら流しに持っていきながら、
「ごちそうさまでした。これ洗ったら帰ります。ありがとうございました」
「あぁ、いいよいいよ」一王は立ち上がり、大樹の持つ食器を受け取りながら、「あとは俺がやっておくから」
「でも……」
「大丈夫」麻奈も微笑み、「早く帰らないと、親御さんも心配してると思うよ」
「あ、そうだ、連絡も何もしてない!」大樹は慌ててズボンのポケットに手を伸ばして、「――あれ? スマホがない」
「え? 寝室に忘れてきたとか?」
麻奈に言われて使わせてもらっていた寝室――一王の寝室だったらしい――に向かったけれど、そこにも大樹のスマホは置かれてなかった。それどころか、家の中のどこにも大樹のスマホは見当たらない。
思えば昨日の昼、みんなでソレイユを回っていた時からスマホを使ったという記憶もなかった。もしかして、どこかで落としてしまったのだろうか。例えば、開かずの踏切にかかるあの陸橋とかに……?
大樹は慌てながら、
「ごめんなさい、本当にお世話になりました。スマホを探しながら帰ります」
「それか、警察にお願いするか、だね。誰かが拾って届けてくれてるかもしれないし」
一王の言葉に、大樹は「見つからなかったらそうします」と頷き、
「それじゃぁ、お邪魔しました」
玄関まで見送りに来てくれた麻奈と一王に頭を下げて、ふたりの家をあとにした。
もしスマホが見つからなかったら、親にどれだけ怒られてしまうんだろう。
戦々恐々としながら、大樹はマンションの階段を駆け下り、開かずの踏切へと向かったのだった。
「おはようございます」
大樹はリビングに入ると、キッチンに立つ男に声を掛けた。
男は柔和な笑みを浮かべ、
「おはよう、ちゃんと眠れた?」
大樹に振り向き、優しく問うた。
男は黒いジャージのハーフパンツに薄手の白いTシャツ姿で、目玉焼きを焼いているところだった。
リビングのテーブルにはサラダの盛られたボウル皿と、焼いたばかりのトーストがのる皿が三枚並べられている。
朝食まで作ってくれていることに大樹は感謝しながら、「はい。ありがとうございます」と軽く頭を下げた。
男は――岡野一王は「そう、なら良かった」と口にして、焼けた目玉焼きをそれぞれのトーストの上に載せていく。サングラスではなく普通のメガネをかけたその姿は、どこからどう見ても大樹の印象に残る黒ずくめの怪しい男などではなかった。どこにでもいそうな優男、そんな印象だ。実際、昨夜このマンションに初めて足を踏み入れた時も、特に嫌な顔一つせず大樹を迎えてくれた。
一王はフライパンをコンロの上に置きながら、「どうぞ、座って」と大樹に椅子をすすめた。大樹もそれに対して、素直に「あ、はい」と席に腰を下ろす。
いつも一王が朝食を準備しているのだろうか。匂いを嗅ぐだけでお腹の虫が鳴き出しそうだ。
大樹はリビングを見回し、
「……麻奈さんは?」
「あぁ、自分の部屋で支度中。先に食べてていいよ。メイクに時間かかるだろうし」
「じ、じゃぁ、お言葉に甘えて。いただきます」
「どうぞ」
一王はサラダのボウルを軽く押し出すように大樹の前に寄せてくれた。
大樹は自分のプレート皿にサラダをよそい、ひと口含んだ。あらかじめドレッシングのかけられていたサラダは想像以上に美味しく、気付くとバクバク腹に収めていた。朝からこんなに食べるのは久しぶりじゃないだろうか。いつもトースト一枚か、スーパーやコンビニで買ってきた菓子パン一個で済ませることの多い大樹にとって、バランスの良い食事というものは縁遠いものだった。目玉焼きの焼き加減も大樹に丁度良く、トーストと一緒に食べるととろりとした黄身がトーストに絡んでより美味しく感じられた。
ふと視線を一王に向けると、一王は無表情で大樹をじっと見つめていた。大樹は思わず食べていた手を止め、一王に訊ねる。
「あの、何か……?」
一王は「あぁ」と再び笑みを浮かべて、
「いや、なかなかの食べっぷりだなぁって。よっぽど腹が減ってたんだね」
「す、すみません。あまりに美味しくて……」
「そうかい? そう言ってもらえて嬉しいよ」
一王がそう答えた時、玄関へと続く短い廊下の先、玄関前の右側に位置する部屋の扉が開いて、綺麗に身支度を整えた麻奈が姿を現した。こちらの視線に気付いた麻奈は、どういうわけか一瞬眉根に皺を寄せてから、改めて口元に笑みを浮かべる。
「おはよう、大樹くん」
「お、おはようございます。昨夜はお世話になってすみませんでした」
ぺこりと大樹は頭を下げる。
「体調はどう? もう意識ははっきりしてる? 気分は悪くない?」
麻奈はリビングに入るとそう大樹に訊ねながら、一王の隣の席に腰を下ろした。
細身の真っ白なパンツに、水色のノースリーブのニットが見ていてとても爽やかで優しい印象だ。妹である玲奈や結奈と負けず劣らずの重そうな胸のふくらみと、そこにうっすら見える下着のラインもより大人の魅力を押し出すものであって、その姿は芸術品のように美しかった。
大樹は「はい」と頷き、
「ご迷惑をおかけして、本当にごめんなさい」
「ううん」麻奈は首を横に振る。「でも、あまり無理はしないでね。あと、他にも何か身体や意識に異常があったら、玲奈や結奈に伝えてね」
「……? 宮野首さんたちに?」
病院に行け、と言われるのなら解るのだけれど、どうして玲奈や結奈たちに? 大樹はその違和感に首を傾げる。
「何かあったら、まずは親か親しいお友達に、ってこと」
「なるほど……? わかりました」
大樹は解ったような解らないような微妙な思いを押しとどめ、素直に頷いた。
それから朝食を食べ終えた大樹は時計に目を向ける。そろそろ時計の針は八時を示そうとしているところだった。
これ以上お邪魔するのも悪い気がして、大樹は早々に立ち上がると食器を自ら流しに持っていきながら、
「ごちそうさまでした。これ洗ったら帰ります。ありがとうございました」
「あぁ、いいよいいよ」一王は立ち上がり、大樹の持つ食器を受け取りながら、「あとは俺がやっておくから」
「でも……」
「大丈夫」麻奈も微笑み、「早く帰らないと、親御さんも心配してると思うよ」
「あ、そうだ、連絡も何もしてない!」大樹は慌ててズボンのポケットに手を伸ばして、「――あれ? スマホがない」
「え? 寝室に忘れてきたとか?」
麻奈に言われて使わせてもらっていた寝室――一王の寝室だったらしい――に向かったけれど、そこにも大樹のスマホは置かれてなかった。それどころか、家の中のどこにも大樹のスマホは見当たらない。
思えば昨日の昼、みんなでソレイユを回っていた時からスマホを使ったという記憶もなかった。もしかして、どこかで落としてしまったのだろうか。例えば、開かずの踏切にかかるあの陸橋とかに……?
大樹は慌てながら、
「ごめんなさい、本当にお世話になりました。スマホを探しながら帰ります」
「それか、警察にお願いするか、だね。誰かが拾って届けてくれてるかもしれないし」
一王の言葉に、大樹は「見つからなかったらそうします」と頷き、
「それじゃぁ、お邪魔しました」
玄関まで見送りに来てくれた麻奈と一王に頭を下げて、ふたりの家をあとにした。
もしスマホが見つからなかったら、親にどれだけ怒られてしまうんだろう。
戦々恐々としながら、大樹はマンションの階段を駆け下り、開かずの踏切へと向かったのだった。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
女子切腹同好会
しんいち
ホラー
どこにでもいるような平凡な女の子である新瀬有香は、学校説明会で出会った超絶美人生徒会長に憧れて私立の女子高に入学した。そこで彼女を待っていたのは、オゾマシイ運命。彼女も決して正常とは言えない思考に染まってゆき、流されていってしまう…。
はたして、彼女の行き着く先は・・・。
この話は、切腹場面等、流血を含む残酷シーンがあります。御注意ください。
また・・・。登場人物は、だれもかれも皆、イカレテいます。イカレタ者どものイカレタ話です。決して、マネしてはいけません。
マネしてはいけないのですが……。案外、あなたの近くにも、似たような話があるのかも。
世の中には、知らなくて良いコト…知ってはいけないコト…が、存在するのですよ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる