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第4部 第1章・変貌
第4回
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4
今日も暑いなぁ――
辟易しながら、宮野首結奈は手をひさし代わりに額にかざし、空を見上げた。
どこまでも続く真っ青な空。燦々と輝く眩しい太陽。街の三方を囲むように遠くに見える山の向こう側には、モクモクと立ち上がった白い雲があまりにも“夏”だった。途切れることなく聞こえてくる蝉の声が暑さを助長し、街の喧騒と相まってなかなか不快だ。
それに加えて、先ほどから後ろをついてくる死霊たちの数がやたらと多い。
昔からこの手の浮遊霊|(か、どうかまでは結奈にもはっきりとは判らなかった)に好かれるような体質で、よく祖母である宮野首香澄に祓ってもらっていたのだけれど、あまりにもしょっちゅう憑き纏われるものだから、いつしか結奈は祖母の姿から、見よう見真似で自ら祓うようになっていた。
その方法は、至って簡単なものだった。
よく創作物で見られるような儀式的な方法も確かにあるのだけれど、どちらかと言えば、それはあまりにも物理的で意外な方法だったのだ。
祖母の場合は手刀、或いはいつも着ていた着物の袖を軽く払うだけで、まるで虫を追い払うかのように死霊たちを散らすことができた。
けれど自分の場合は、拳で殴る、蹴り飛ばす。
自分でも信じられないくらい、安直なやり方。
祖母曰く、『祓う力――或いは“気”を如何にして対象となる相手に伝えるか』が重要なのであって、その手段は重要ではないとう。
宗教の儀式的に執り行われるお祓いや魔除けなども結局はそれに当たり、それらは方法や手段の違いでしかなく、本質的には同じもの、そういうことらしかった。
結奈の場合は、それがより単純化した方法なのだ、彼女自身はそう捉えていた。
別にこのままバイト先である神社まで行けば、その境内に足を踏み入れた途端に勝手に死霊たちは散っていくのだけれど、一応お世話になっている“神様”の手前、毎度毎度わざわざそんな手間をかけさせるのも失礼だろう。
結奈は人通りの比較的少ない裏通りに入ると、振り返り、死霊たちと対峙する。
あとは簡単な作業だった。
死霊たちを、物理的に次々祓っていくだけ。
彼らも、まさか拳や蹴りで祓われるとは思っていない。
抵抗する間もなく、動揺と恐怖に怯えながら散り去っていくだけだ。
――基本的には。
「……」
結奈は最後に残った一体をじっと見つめ、拳をかまえた。地に足をつけて踏ん張り、蹴り飛ばす態勢に入る。じっとその黒い人影を睨みつけて、右ストレートを繰り出したところで、
「――ちっ」
すっと静かに黒い影がそれを避けて、結奈は思わず舌打ちした。
相手の顔はまるで見えない。人の形をした、真っ黒い影。もやもやとした雲のような煙のような曖昧な輪郭の中に、結奈は他の死霊たちとは違う臭いをそこに感じた。
続けざまに身体を回転させて、その横っ腹に回し蹴りを喰らわせようとしてみたのだけれど、やはり黒い影は身を引いてそれを避けた。
これは面倒だ、と結奈はため息を吐き、素直に祓うのを諦める。
どうせ神社はすぐそこだ。無理して祓う必要もないだろう。あとはあそこの“神様”が何とかしてくれる。
結奈は肩を落とし、黒い人影に背を向け、再び道を歩き出した。
その後ろを、数歩離れて黒い人影がついてくる。
どうしてこいつは、他の霊たちと違って、ここまで執拗に私についてくるんだろう。
結奈は思いながら立ち止まり、もう一度後ろを振り向いた。
黒い人影も立ち止まり、じっと結奈の顔を見つめる。
見つめる、と言っても、相手の顔は全く見えないのだけれども。
「――あんた、いったい何者?」
けれど、返事はない。或いは返事をするほどの自我すら失われてしまっているのか。
死して人は霊体となり、時と共に自我を失う。早々に“あちら”に逝けばよいものを、何が未練なのか“こちら”に留まり、やがて害を為す悪霊と化す。
梅雨の終わりに対峙した喪服の女と、その下僕となった死霊たちや餓鬼ども。
それと同じような臭いを、結奈は目の前に立つ死霊からわずかに感じていた。
だが、ついてくるばかりで襲ってくる様子はない。
返答がないから、自我があるのかないのかすらわからなかった。
結奈はもう一度深いため息を吐くと、肩を撫でおろした。
「……ま、いっか」
どうせ境内に入れば、どこかに去っていくに違いない。
結奈はそのまま道を進み、広い駐車場の角を右に曲がる。山を貫くように作られた高速道路の橋げた下を抜けて、すぐ目の左に見える大きな石造りの鳥居を抜けた。石鳥居の先は急な角度の石段、その石段を登りきると、左右に翼廊ののびる朱塗りの唐門が待ち構えている。唐門の向こうには、同じく朱に塗られた拝殿がちらりと見えた。
結奈は立ち止まり、今一度後ろを振り向いた。
思った通り、あの黒い人影は鳥居の向こう側に突っ立ったまま、こちらに入ってくることができないようだった。
が、どこかに去っていくような素振りもない。
ただそこに茫然と立ち尽くしたまま、左右に小さく揺れている。
素直に散ってくれたら良いものを、まさか私が出てくるまであそこで待ち続けるつもりとかじゃないよね、と危惧してしまう。
でもまぁ、考えたってしかたがない。
結奈は諦めて長い石段を上り、拝殿の前で“神様”に挨拶をしたところで、
「――また、何か連れてきたな」
どこからともなく声が聞こえた。
声の出所はわからない。たぶん、拝殿の奥。そこに居る “何か”
「……祓おうとしたんだけど、避けられちゃって」
「そうか」
「任せていい?」
返事はない。たぶん、肯定。
「じゃあ、今日もよろしくお願いします」
これにも返事はなかった。たぶん、肯定。
結奈は苦笑しつつ、拝殿脇の社務所に向かったのだった。
今日も暑いなぁ――
辟易しながら、宮野首結奈は手をひさし代わりに額にかざし、空を見上げた。
どこまでも続く真っ青な空。燦々と輝く眩しい太陽。街の三方を囲むように遠くに見える山の向こう側には、モクモクと立ち上がった白い雲があまりにも“夏”だった。途切れることなく聞こえてくる蝉の声が暑さを助長し、街の喧騒と相まってなかなか不快だ。
それに加えて、先ほどから後ろをついてくる死霊たちの数がやたらと多い。
昔からこの手の浮遊霊|(か、どうかまでは結奈にもはっきりとは判らなかった)に好かれるような体質で、よく祖母である宮野首香澄に祓ってもらっていたのだけれど、あまりにもしょっちゅう憑き纏われるものだから、いつしか結奈は祖母の姿から、見よう見真似で自ら祓うようになっていた。
その方法は、至って簡単なものだった。
よく創作物で見られるような儀式的な方法も確かにあるのだけれど、どちらかと言えば、それはあまりにも物理的で意外な方法だったのだ。
祖母の場合は手刀、或いはいつも着ていた着物の袖を軽く払うだけで、まるで虫を追い払うかのように死霊たちを散らすことができた。
けれど自分の場合は、拳で殴る、蹴り飛ばす。
自分でも信じられないくらい、安直なやり方。
祖母曰く、『祓う力――或いは“気”を如何にして対象となる相手に伝えるか』が重要なのであって、その手段は重要ではないとう。
宗教の儀式的に執り行われるお祓いや魔除けなども結局はそれに当たり、それらは方法や手段の違いでしかなく、本質的には同じもの、そういうことらしかった。
結奈の場合は、それがより単純化した方法なのだ、彼女自身はそう捉えていた。
別にこのままバイト先である神社まで行けば、その境内に足を踏み入れた途端に勝手に死霊たちは散っていくのだけれど、一応お世話になっている“神様”の手前、毎度毎度わざわざそんな手間をかけさせるのも失礼だろう。
結奈は人通りの比較的少ない裏通りに入ると、振り返り、死霊たちと対峙する。
あとは簡単な作業だった。
死霊たちを、物理的に次々祓っていくだけ。
彼らも、まさか拳や蹴りで祓われるとは思っていない。
抵抗する間もなく、動揺と恐怖に怯えながら散り去っていくだけだ。
――基本的には。
「……」
結奈は最後に残った一体をじっと見つめ、拳をかまえた。地に足をつけて踏ん張り、蹴り飛ばす態勢に入る。じっとその黒い人影を睨みつけて、右ストレートを繰り出したところで、
「――ちっ」
すっと静かに黒い影がそれを避けて、結奈は思わず舌打ちした。
相手の顔はまるで見えない。人の形をした、真っ黒い影。もやもやとした雲のような煙のような曖昧な輪郭の中に、結奈は他の死霊たちとは違う臭いをそこに感じた。
続けざまに身体を回転させて、その横っ腹に回し蹴りを喰らわせようとしてみたのだけれど、やはり黒い影は身を引いてそれを避けた。
これは面倒だ、と結奈はため息を吐き、素直に祓うのを諦める。
どうせ神社はすぐそこだ。無理して祓う必要もないだろう。あとはあそこの“神様”が何とかしてくれる。
結奈は肩を落とし、黒い人影に背を向け、再び道を歩き出した。
その後ろを、数歩離れて黒い人影がついてくる。
どうしてこいつは、他の霊たちと違って、ここまで執拗に私についてくるんだろう。
結奈は思いながら立ち止まり、もう一度後ろを振り向いた。
黒い人影も立ち止まり、じっと結奈の顔を見つめる。
見つめる、と言っても、相手の顔は全く見えないのだけれども。
「――あんた、いったい何者?」
けれど、返事はない。或いは返事をするほどの自我すら失われてしまっているのか。
死して人は霊体となり、時と共に自我を失う。早々に“あちら”に逝けばよいものを、何が未練なのか“こちら”に留まり、やがて害を為す悪霊と化す。
梅雨の終わりに対峙した喪服の女と、その下僕となった死霊たちや餓鬼ども。
それと同じような臭いを、結奈は目の前に立つ死霊からわずかに感じていた。
だが、ついてくるばかりで襲ってくる様子はない。
返答がないから、自我があるのかないのかすらわからなかった。
結奈はもう一度深いため息を吐くと、肩を撫でおろした。
「……ま、いっか」
どうせ境内に入れば、どこかに去っていくに違いない。
結奈はそのまま道を進み、広い駐車場の角を右に曲がる。山を貫くように作られた高速道路の橋げた下を抜けて、すぐ目の左に見える大きな石造りの鳥居を抜けた。石鳥居の先は急な角度の石段、その石段を登りきると、左右に翼廊ののびる朱塗りの唐門が待ち構えている。唐門の向こうには、同じく朱に塗られた拝殿がちらりと見えた。
結奈は立ち止まり、今一度後ろを振り向いた。
思った通り、あの黒い人影は鳥居の向こう側に突っ立ったまま、こちらに入ってくることができないようだった。
が、どこかに去っていくような素振りもない。
ただそこに茫然と立ち尽くしたまま、左右に小さく揺れている。
素直に散ってくれたら良いものを、まさか私が出てくるまであそこで待ち続けるつもりとかじゃないよね、と危惧してしまう。
でもまぁ、考えたってしかたがない。
結奈は諦めて長い石段を上り、拝殿の前で“神様”に挨拶をしたところで、
「――また、何か連れてきたな」
どこからともなく声が聞こえた。
声の出所はわからない。たぶん、拝殿の奥。そこに居る “何か”
「……祓おうとしたんだけど、避けられちゃって」
「そうか」
「任せていい?」
返事はない。たぶん、肯定。
「じゃあ、今日もよろしくお願いします」
これにも返事はなかった。たぶん、肯定。
結奈は苦笑しつつ、拝殿脇の社務所に向かったのだった。
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